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深読癟景 #2 ロバヌト・ダヌントン『猫の倧虐殺』を読む

Execution of Louis XVI

「フランス革呜は、人暩宣蚀ずギロチンの物語である」──バスティヌナが萜ち、王が斬られ、自由・平等・友愛の䞉色旗が翻った

この倧文字の物語の足元を、もう䞀床よく芋おみたい。1730幎代、革呜の半䞖玀ほど前のパリ。サン・セノラン街の狭く湿った印刷工堎の屋根の䞊で、二人の埒匟が深倜に猫の鳎き真䌌をしおいる。芪方倫婊を䞍眠地獄に陥れるためだ。やがお職人たちは歊装し、街䞭の猫を撲殺し、即垭の絞銖台で「凊刑」する──芪方の现君がもっずも愛しおいた灰色猫(ラ・グリヌズ)もろずも。

笑いが起きる。腹を抱えおの、倧爆笑。レノェむ゚ずいうその物たね名人の埒匟は、その埌数週間、二十回以䞊もこの虐殺を「再挔」しおみせ、そのたびに工堎は嬌声に揺れた。

ロバヌト・ダヌントンの『猫の倧虐殺』は、この䞀芋しお理解䞍胜な情景から始たる。「珟代のわたしたちが、なぜそれを面癜いず思えないのか」──そこに分け入るこずで、ダヌントンは革呜前倜の人々の粟神(マンタリテ)の地局を掘り返しおいく。本曞はアナヌル孊掟の瀟䌚史ず、クリフォヌド・ギアツの人類孊的「厚い蚘述」ずを接合させた、文化史の叀兞である。

本皿では、曞名にもなっおいる「劎働者の反乱(猫の倧虐殺)」を䞭栞に据えながら、本曞を構成する四぀の゚ッセヌ「蟲民は民話をずおしお告げ口する」「劎働者の反乱」「読者がル゜ヌに応える」「フランス革呜はなぜ革呜的だったのか」──猫の血だたりからギロチン台たでを、革呜前倜の粟神史ずいう䞀本の糞に線み盎しおみたい。

1 笑いの䞍可解、もしくは入口ずしおの違和感


The Four Stages of Cruelty

なぜ、埒匟たちは猫を殺さねばならなかったのか。

『猫の倧虐殺』ずいうタむトルは、刺激的すぎおかえっお䞻題ががやけるきらいがある。原題は The Great Cat Massacre and Other Episodes in French Cultural History。「フランス文化史のいく぀かの挿話」ずいうほどの意味だ。だがダヌントンが「倧虐殺」を曞名に掲げたのには理由がある。「わたしたちにはたったく面癜くない笑いの堎面」こそが、過去ぞ入っおいく䞀番の関所だからだ。

ダヌントン本人の方法論はこうである──人類孊者が異文化を理解するずきには、最も䞍透明に思える地点から接するのが最善だ。冗談、諺、儀瀌、そのほか䜕であれ、土着の人間にだけ意味があっおこちらにはたったく分からないものに突き圓たったずき、そこにこそ異文化の章を解く糞口がある。

笑いを共有できないずいうこず。それは、わたしたちず18䞖玀パリの劎働者ずのあいだに、巚倧な粟神の断局が走っおいるずいうこずだ。笑いは粟神(マンタリテ)のレントゲン写真である。圌らが䜕に倧笑いし、䜕に泣き、䜕を恐れ、䜕を期埅しおいたのか──それを再構成するこずで、ダヌントンは「啓蒙の䞖玀」ず呌ばれおきた18䞖玀フランスの、暗く湿った裏地を裏返しおみせる。

そしおその裏地こそが、革呜の本圓の燃料だった。

2 たず、䞖界は残酷である──蟲民の宇宙


Gustave Doré Le Petit Chaperon Rouge

猫の倧虐殺の意味を解くために、ダヌントンは時間を少し遡る。本曞の第䞀章「蟲民は民話をずおしお告げ口する」は、印刷工たちの兄貎分にあたる、もうひず぀䞋の局──18䞖玀フランスの蟲民──の粟神䞖界を再構成する䜜業だ。

ここでわたしたちが知っおいる「赀頭巟ちゃん」を、忘れおいただきたい。

ペロヌでもグリムでもない、フランスの蟲村の炉蟺(ノェむ゚)で語られおいた原初版「赀頭巟」では、こうである。先回りしお祖母を殺した狌は、その肉を皿に薄切りにし、血を酒瓶に詰めお少女を埅぀。やっおきた少女は、狌に勧められるたた祖母の肉を食べ、血を飲む。傍らの猫が「あばずれめ、おたえのお祖母さんの肉を食べ、血を飲むなんお」ず呟くが、少女は気づかない。狌に「服を脱いで䞀緒にベッドにおいで」ず蚀われ、少女ぱプロンも、胎着も、スカヌトも、ペチコヌトも、靎䞋も、䞀枚ず぀「これはどこに眮けばいいの?」ず尋ねる。狌は答える。「火のなかに投げこんでおしたい。もはや必芁がないだろうから」。そしお最埌の䞀行──「狌は少女を食べおしたった」。終わり。

カタルシスはない。教蚓もない。ただ、䞖界は残酷である、ずいう事実だけが提瀺される。

ペロヌやグリムが手を加える前のフランス民話の原型では、こうした「䞍可解で仮借のない灜難」が物語の栞を成しおいた。「眠れる森の矎女」では既婚者の王子が眠る矎女を凌蟱しお数人の子をなし、「青ひげ」は六人の劻の死䜓が壁に吊るされた地䞋宀を花嫁が発芋し、「矎女ず怪物」の原型では倫が新婚の床で次々ず花嫁を食い殺し、「母が私を殺し、父が私を食べた」ずいうそのたたのタむトルの民話たで存圚した。匷姊、近芪盞姊、人肉嗜食──啓蒙の䞖玀の蟲民は、無慈悲な䞖界を象城のノェヌルにくるたずに、赀裞々に語っおいた。

ダヌントンはこの民話矀の瀟䌚史的背景を、ピ゚ヌル・グヌベヌルや゚マニュ゚ル・ル・ロワ・ラデュリずいったアナヌル孊掟の人口統蚈研究を螏たえお玠描する。1347幎の黒死病から1730幎代たで、フランスは四䞖玀にわたっお人口1500䞇から2000䞇のあいだで停滞し぀づけた。18䞖玀フランス人の45%が10歳前に死んでいた。継母は遍圚する──倫の5人に1人が劻を倱っお再婚しおいたからだ。シンデレラの邪悪な継母は、文孊的誇匵ではなく、人口孊的珟実だった。

このような䞖界で、民話の䞻人公たちが倢芋たのは䜕か。城でも王女でもない。「腹いっぱい食べるこず(manger à sa faim)」である。「悪魔ず鍛冶屋」で陀隊兵ラ・ラメヌが聖ペテロに願うのは倩囜行きではなく、「癜パンず雛鳥」「ロヌルパンず腞詰ず飲める限りのブドヌ酒」だ。長靎をはいた猫の䞻人が手に入れるのは、結局のずころ食物ず土地である。

そしおこの䞖界で生き延びるための、たった䞀぀の歊噚──それが狡猟(ruse) である。

「この䞖は銬鹿ず悪党の集たりである。銬鹿になるよりはむしろ悪党を目指せ」

これがフランス蟲民の䞖界芳だった。ペロヌの「長靎をはいた猫」の猫は、この粟神の暩化だ──猫は「デカルト匏詐術」の化身であり、圌の系譜にはスカパン、フィガロ、シラノ・ド・ベルゞュラックが連なっおいく。露骚な瀟䌚批刀ではなく、卑猥な策略によっお匷者を出し抜く。ただし、それは䜓制を倒すこずではなく、䜓制内で生き延びるための凊䞖術だった。カヌニノァルで王座を逆転させおも、四旬節になれば元に戻る。哄笑ず癟姓䞀揆の間には、ただ倧きな距離がある。

──だが、その「ただ」が、いずれ瞮んでいく。

3 シンボリズムの暎走──猫の血が語るもの


Encyclopédie imprimerie Diderot

さお、ようやく印刷工堎の屋根の䞊に戻れる。

いた、わたしたちはレノェむ゚ずゞェロヌムの背埌に、フランス民話の䜕癟幎もの蓄積が積み重なっおいるこずを知っおいる。圌らは蟲民から郜垂に出おきた職人の子匟である。炉蟺の倕べで聞いた狌や継母や鬌の物語を、内臓に染みこたせた人々である。

サン・セノラン街の事件を、ダヌントンはほずんど執拗に、局を剥がすように解釈しおいく。衚面に芋えるのは単なる「悪戯」だ。だがその内郚で起こっおいたのは、フランス民間䌝承の象城䜓系のフル皌働にほかならない。

第䞀に、倜の屋根で唞る猫=魔女の饗宎。圓時のフランス人にずっお、倜䞭の猫の唞り声は悪魔ずその手䞋、寝取られ男のシャリノァリ、そしお匷姊ず殺人の予兆そのものだった。レノェむ゚はその民俗的蚘号システムを完璧に挔じおみせ、迷信深い芪方倫婊を䞍眠地獄に陥れた。芪方は自分から猫狩りの呜什を出した──民間䌝承では「猫の脚を折る/毛皮を焌く」こずが魔女退治の叀兞的凊方だったからだ。

第二に、灰色猫(ラ・グリヌズ)の凊刑。フランスの諺では「猫を愛する者は劻を愛する」「猫を可愛がる者は矎しい劻を埗る」ず蚀われた。la chatte / le minet は今日のフランス語でも女性噚を指す俗語であり、これは数䞖玀にわたる䌝統だ。猫を打ち殺すこず、それは现君を犯し、蟱めるこずの象城的等䟡物にほかならない。劎働者たちはマダムのお気に入りを血祭りにあげるこずで、圌女自身を魔女ず告発し、同時に匷姊したのだ。

第䞉に、即垭の暡擬裁刀ず絞銖刑。これは聖マルティヌスの祝日(11月11日)に印刷工組合(シャペル)が毎幎行っおいた芪方ぞの暡擬裁刀の戯画(パロディ)であるず同時に、カヌニノァルの「告解火曜日(マルディ・グラ)」におけるカヌニノァル王の凊刑の戯画でもある。猫はカトリック圏ペヌロッパで、掗瀌者ペハネの祝日(倏至・6月24日)に篝火で焌かれ、メッスでは1765幎たで広堎で䞀斉射撃で殺戮され぀づけた動物だった。猫には、牝牛にはない「儀匏䟡倀」があった。レノィ=ストロヌスが蚀うずころの「考えるのに適した動物(good to think with)」だったのだ。

そしお第四に、戯画の戯画の戯画──レノェむ゚が工堎で20回以䞊も再挔した「物たね(コピヌ)」である。これがダヌントンの分析の急所だ。事件そのものが既に儀瀌の戯画なのに、それをさらに䜕床も再挔するこずで、笑いは蚘号の網目のなかで反響し぀づけた。文字を扱う職業でありながら、印刷工たちは身振りで意味を空䞭に刻んだ。

ここで起こっおいたこずを、「シンボリズムの暎走」ず呌びたい。

それは単なる比喩や象城ではない。劎働者たちの怒り──埒匟は芪方が朝寝坊しおいる間に4時起きで働かされ、料理人にかすめ取られた残飯さえ食べられず、猫の逌の腐肉を䞎えられおいる──その怒りは、盎接の暎力ずしおは衚出できなかった。1686幎の勅什以来、芪方の数は激枛し、職人は芪方になる道をほが閉ざされ、無資栌劎働者(アルりェ)に職を奪われ぀぀あった。公然ず反抗すれば即座に解雇される(コンタの蚘録には実際にレノェむ゚がのちに解雇されたこずが曞かれおいる)。

だから圌らは、盎接の暎力の代わりに、象城を限界たで抌し進めた。猫の身䜓を媒介ずしお、民話、シャリノァリ、魔女狩り、暡擬裁刀、寝取られ男の嘲笑、それらをすべお同時に䜜動させ、衚面的には「ただの悪戯」ずしお芪方の凊眰を回避した。これは詐術だ。だが、極めお高床に掗緎された詐術である。詩人が文字で象城を操るように、圌らは身䜓ず猫の血で象城を操った。

そしおこの象城䞻矩のなかには、「民衆蜂起の萌芜」がすでに含たれおいる。

半䞖玀埌の1792幎9月、パリの牢獄で千人以䞊を惚殺する九月虐殺の即垭人民法廷は、サン・セノラン街の暡擬裁刀の延長線䞊にある。違うのは、その時には犠牲者がもはや猫ではなく、生身の人間だったずいうこずだけだ。

シンボリズムの暎走は、いずれ象城の檻を砎る。笑いの臚界点には、必ず血の臚界点が控えおいる。

4 ル゜ヌが曞き換えたもの──感情ずいう新しい歊噚


Julie ou la nouvelle Héloïse

だが、蟲民の狡猟な䞖界芳だけでは、ただ革呜は起きない。マルディ・グラの逆転は四旬節で巻き戻されるからだ。ダヌントンの第䞉論文「読者がル゜ヌに応える」が照らし出すのは、18䞖玀埌半に「読曞」ずいうありふれた行為のなかで䜕かが決定的に倉わったこずだ。

ラ・ロシェルのプロテスタント商人ゞャン・ラン゜ン。あなたは聞いたこずのない名前だろう。それでいい。ラン゜ンは平凡な地方ブルゞョアだった──絹織物業を継ぎ、母ず暮らし、いずこず結婚し、犏祉事務所長を務めた、䜕の事件性もない人物だ。しかしダヌントンは、圌がスむスのヌヌシャテル印刷協䌚(STN)に出した47通の泚文曞簡を発掘した。これが18䞖玀フランスで唯䞀珟存する「ありふれたブルゞョアの読曞蚘録」である。

ラン゜ンの泚文リストを芋るず、奇劙な事実が浮かび䞊がる。叀兞文孊はれロ。法埋曞もれロ。自然科孊もほがれロ。泚文の䞉分の䞀は児童曞ず教育曞、次いでプロテスタントの説教集、そしお決定的に倚いのがゞャン=ゞャック・ル゜ヌである。ラン゜ンはル゜ヌの著䜜集を二床買い、遺䜜集を買い、ル゜ヌ本人の動静を必死で远いかけ、新生児の名を「゚ミヌル」ず名付けた。

ラン゜ンは、ル゜ヌを「友人ゞャン=ゞャック」ず呌ぶ。䞀床も䌚ったこずがない。ただ掻字を通しおのみ知る盞手をだ。

䜕が起きおいたのか。

ダヌントンの解釈はこうだ──ル゜ヌは『新゚ロむヌズ』の二぀の序文においお、「読曞ずいう行為そのものを曞き換えた」。ノォルテヌル匏の、物語の背埌で人物を糞で操る䜜家ではなく、ル゜ヌは舞台前面に登堎する。「私はこの本の線者です。ゞャン=ゞャック・ル゜ヌず略さずに名前を出したす」。読者には、文孊の技巧を捚お、テクストを「無媒介」に「魂から魂ぞ」受けずめろず呜什する。「もはや手玙ではない、これは讃歌です」ず。

これは恐ろしくラディカルな転倒だった。ル゜ヌ以前、読曞ずは「お気に召す」ためのものだった。サロンで気の利いた台詞を匕甚し、掗緎を挔じる遊戯の道具だった。しかしル゜ヌは読曞を、聖曞を読むのず同じ行為に再倉換した。文孊を超えた真実、曞物を消化しお生掻そのものを䜜り倉える行為ぞず。

そしお読者たちはそれに応えた。これは涙の流行病だった。

退圹軍人ルむ・フラン゜ワは、ゞュリヌが死ぬ堎面の最埌の手玙を䞉日間読めなかった。ポリニャック䟯爵倫人は瀕死のゞュリヌが他人ずは思えず読曞を䞭断しなければ自分も死んだず告癜する。ゞュネヌノ出身のパンクックは「あなたこそ私の魂を砎滅から救った神なのです」ず泣く。党員が泣いおいる。腿を叩いお笑うラブレヌ流でもなく、ノォルテヌル流の薄笑いでもない。涙、嗚咜、煩悶、恍惚──『新゚ロむヌズ』は18䞖玀最倧のベストセラヌずなり、1800幎たでに70版を重ねた。

ラン゜ンはこの感情の波の、兞型的な䞀滎だ。圌は決しお特異ではなかった──むしろ、ル゜ヌが序文で召喚した「理想の読者」そのもの、「郜垂の瀟亀界から遠く、田舎の静けさのなかで、無垢の心で読む者」そのものを、珟実に挔じおみせたのだ。

ここで起きおいたこずを、前章の延長で「もうひず぀のシンボリズムの暎走」ず呌びたい。

印刷工たちが猫の血で身分瀟䌚ぞの怒りを象城的に攟出しおいたずすれば、ラン゜ンのようなブルゞョア局は、ル゜ヌのテクストを通じお「埳」「家庭」「友愛」ずいう新しい象城を魂に流しこんでいた。母乳で子を育お、独身者を非難し、子に「゚ミヌル」ず名付け、家族で䞀緒に泣きながら本を読これらすべおが、旧䜓制のサロン的掗緎、貎族的停善、教䌚的虚瀌を、内偎から䟵食しおいく行為だった。

読曞ず笑い。䞀芋、たったく察照的な二぀の珟象。だがそのどちらもが、目に芋えない地䞋氎脈で、同じ巚倧な貯氎池に向けお流れこんでいた──「珟実は所䞎のものではなく、再線成しうる」ずいう確信の、貯氎池に。

5 残酷さず感情、二぀の遺産

Prise de la Bastille Houël

ダヌントンの『猫の倧虐殺』が瀺しおいるのは、フランス革呜が単䞀の原因から起きたのではないずいうこずだ。革呜前倜のフランスには、二぀の粟神的䌏流が同時に走っおいた。

ひず぀は、蟲民から印刷工ぞず受け継がれた「䞖界は残酷であり、狡猟だけが歊噚である」ずいう冷培な䞖界芳だ。それはマルディ・グラの逆転、シャリノァリの嘲笑、暡擬裁刀の戯画、猫の血だたりずしお衚出しおいた。シンボリズムを限界たで䜿い切るこずで、盎接の暎力を回避しながら、抑圧された情熱の貯氎池を満たし぀づけた。

もうひず぀は、ブルゞョアず䞀郚の庶民が、ル゜ヌを読むこずで獲埗し぀぀あった「感情ずいう新しい歊噚」だ。涙によっお、家庭の聖化によっお、無垢の厇拝によっお、圌らは旧制床の停善を内偎から䟵食した。文孊が生掻ず区別できなくなり、曞物が聖兞ず区別できなくなり、感情が公共のものになっおいった。

そしお1789幎から1794幎の数幎間に、この二぀の䌏流が地衚に噎出し、合流した。狡猟ず涙、嘲笑ず感激、暡擬裁刀ず人暩宣蚀、猫の血だたりずフラテルニテの法制化──それらは決しお矛盟する原理ではない。同じひず぀の確信、すなわち「珟実の生掻条件は䞍倉ではなく、人間の手で再線成しうる」ずいう確信の、二぀の顔だった。

さお、最初の問いに戻ろう。なぜ圌らは猫を殺さねばならなかったのか。

それは、圌らの䞖界においおは、それが蚀葉にならない真実を衚珟する唯䞀の文法だったからだ。象城の網目を通しお、自分たちが䜕者で、䜕を蚱せず、䜕を望んでいるかを、圌ら自身に察しお語る方法だったからだ。文字を扱う職業でありながら、文字では語れないものを圌らは身振りで空䞭に刻んだ。

そしおその身振りは、半䞖玀埌、王の銖を刎ねるギロチンの動きずしお、䞖界史の衚舞台に登堎するこずになる。

サン・セノラン街の屋根の䞊で猫の鳎き真䌌をしおいたレノェむ゚が、それを予感しおいたかどうかは分からない。ただひず぀確かなのは、圌らの笑いがあたりに激しかったこず、そしおその笑いの奥底で、䜕か巚倧なものが、すでに胎動しおいたこずだ。

血たみれの靎で歩く18䞖玀パリの路地裏で、それは静かに育っおいた。

 èª­æ›žé€£ç’°â”€â”€ 倚局的に読み解くために

本皿を曞きながら、意図的にメむンストヌリヌの倖ぞ眮いおおいた本たちのご玹介。

民衆文化の祝祭性

ロシアの文芞理論家ミハむル・バフチンの『フラン゜ワ・ラブレヌの䜜品ず䞭䞖・ルネサンスの民衆文化』は、ダヌントン自身が本曞で繰り返し参照する䞀冊だ。バフチンが描き出すのは、教䌚ず囜家の公的な真面目さに察抗する、民衆の「カヌニノァル文化」──身䜓の䞋半身、笑い、過剰な飲食、糞尿、戯画、眵倒、王の戯画的凊刑ずいった反転の䞖界。バフチンによれば、ラブレヌの䜜品の芋かけ䞊の野卑さは、千幎単䜍で蓄積されおきた民衆の祝祭的䞖界芳の、文孊ぞの結晶なのだ。

サン・セノラン街の印刷工たちが挔じた猫の暡擬裁刀、蟲民が炉蟺で語った巚人の腹を裂く話、ペロヌの「長靎をはいた猫」の卑猥な気質──これらすべおが、バフチンの蚀うカヌニノァル文化の系譜にある。ダヌントンを読みながらバフチンを䞊べるず、18䞖玀の笑いがいきなり䞭䞖から近代たでの千幎の射皋をもっお立ち䞊がっおくる。

儀瀌の発芋

文化人類孊者クリフォヌド・ギアツの『文化の解釈孊』は、ダヌントンの方法論の盎接の源泉だ。ギアツが提唱した「厚い蚘述(thick description)」──芳察された行為の衚面ではなく、その行為が圓事者にずっお持っおいる意味の局を、儀瀌や象城を媒介ずしお読み解いおいく方法──は、ダヌントンの猫虐殺解釈の文字通りの蚭蚈図である。「他人の䞖界における意味の網の目に、自分の梯子を立おかけお登っおいくこず」──人類孊ず歎史孊を架橋するこの方法は、20䞖玀埌半の知の地殻倉動の栞心にある。ギアツはダヌントンの粟神的垫匠でもある。

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