病気に舵は渡さない。普通という檻を壊し、フロリダへ。9年越しのMake-A-Wish
「健康に産んであげられなくて、ごめんね」を心の中で繰り返す。
かつての私は、自分たちを『普通ではない』という檻の中に閉じ込めていた。
そして、その鎖を断ち切ったのは、他ならぬ息子の強さだった。
***
離陸前のコックピット。機長席で操縦桿を嬉しそうに握る息子。病気に舵を渡さず、自分の行きたい未来へ機首を向ける。
アルバムのページを風がめくるように、これまでの記憶がパラパラと目の前を駆け抜けて、「生きていてくれてありがとう」が溢れ出す。
カナダで先天性心疾患を持って生まれた、闘い続ける10歳の、誇り高き勇者。
「この子の未来に、外の世界はあるのだろうか」
絶望の中にいたあの日の私に、今のこの景色を見せてあげたい。
9年後、この子はこんなにも力強く、自分の人生を操縦しているよ、と。
始まりは、長男がまだ赤ちゃんの時。
病室で看護師さんが言った一言からでした。「Make-A-Wishに登録しませんか? 夢が叶うよ!」
難病の子どもたちの夢を無償で叶えてくれる団体『Make-A-Wish』。彼らが差し伸べてくれた手は、家族旅行の招待券ではなく、新しい人生への招待状でした。
行き先は常夏の楽園、フロリダ。
できないことを数えるのをやめたとき、目の前には「今しかできない」輝く選択肢が溢れていました。そんな、一歩を踏み出すための勇気をもらえる物語。

【Make-A-Wishーー9年越しの招待状】
2024年春。
「長男くんの夢を叶える順番が来ました!」Make-A-Wish Canadaのミシェルさんから届いた、突然のEメール。
そこには、あの日病室で聞いた「夢が叶うよ!」という言葉が9年の時を経て、確かな形となって記されていました。
夢を形にするための第一歩。そこには、想像もしていなかった大切なルールがありました。
「お子さんや家族と、事前に願い事の話はしないでください」というものです。
もし事前に家族で相談してしまうと、優しい子どもほど、家族の『どこに行きたい』『誰に会いたい』という言葉を察し、自分の本当の願いを心の奥底に仕舞い込んでしまうのだといいます。
思えば長男は、いつもそうでした。入院中、私の付き添いが必要になるたび、彼は「お母さんがいなくて、弟たちは大丈夫かな?」と心配し、お見舞いに来る弟たちが喜ぶからと、自分のシールを大切に取っておくような子でした。私が少しでも不安そうな表情を見せると、すぐに察して「カテーテルの後はアイスが食べられるから、俺、カテーテル好きなんだよね!」と、満面の笑顔で励ましてくれます。
周りの人の心を軽くするために、幼い子どもには重すぎるほどの負い目を、彼は小さな背中に背負っていました。
『あなただけの願いを聞かせて』そのルールは、自らを後回しにしてきた勇者の背中を、優しく押してくれました。
「病院で頑張ったごほうびに、夢を叶えてもらえるんだって」そう伝えると、
「やったー! お泊まり(入院)、頑張ってよかった!」
そして、春の柔らかな日差しが夏の眩しい太陽へと変わっていくのを、指折り数えて待ちました。
【あなただけの願いを聞かせて】
夏休み真っ盛りの、ある日の午後。
画面越しに現れたのは、メールを送ってくれたミシェルさん。
「好きなスポーツ選手は?世界中のどこへでも行けるとしたら、どこへ行きたい?」画面越しの問いかけに長男は膝の上で指を絡ませ、私の顔をチラリと盗み見ては、またすぐに俯いてしまう。
ミシェルさんは急かすことなく、彼の『本当の願い』を探ってくれました。
そうして導き出された答えは、太陽が降り注ぐ憧れの地、フロリダ。
ディズニー・ワールド、ユニバーサル・スタジオ・オーランド、そしてシーワールド。
7泊8日、彼が人生の主役として駆け抜ける、壮大な冒険の航路が決定した瞬間でした。
【「普通」という名の、残酷な憧れ。】
私たちは計画を立て始めました。しかし、
「心臓に疾患のある方はご遠慮ください」ガイドブックの至る所に踊るその一文が、私たちの前に高い壁となって立ちはだかりました。
長男が指を差して「これ乗りたい!」とはしゃいでいたアトラクションの多くに、その警告はありました。医師からは「激しすぎなければ大丈夫」と言われていたものの、その境界線はあまりに曖昧でした。
不安を隠せないまま伝えた私の声が、彼の夢を切り裂いてしまった。彼の心はすでにフロリダの空を飛んでいたはずなのに。一気に地面へと叩きつけられたような、沈黙。
彼はテーブルの上の雑誌を力任せに振り払いました。
バサッという音を立てて床に捨てられた夢。
そのまま机に突っ伏し、顔を伏せたまま突き放すように言いました。
「じゃあ行く意味ないじゃん。願いなんて叶えられない。…メイクアウィッシュなんて、やらなきゃよかった。」
私はただ、彼に最高の夢を見せてあげたかっただけなのに。
ガイドブックは開かれたまま床に落ちていて、色鮮やかなディズニーのキャラクターたちが、まるで私たちを拒絶しているかのように見えました。
すぐ隣で、何も理解していない弟たちが「ミッキー!ミッキー!」とはしゃぎ回る声が、部屋の中に虚しく響いていました。
本当は、普通の子が羨ましくてたまらなかったのだ。他人の子の健やかな成長を、心の底から喜ぶことができないほどに。
「これ楽しそう!」「次あれ乗ろうよ!」と、ただ純粋に笑い合いながら、目の前のアトラクションに気兼ねなく飛び込んでいく親子を想像し、もし病気がなかったら、と残酷な考えが止まらない。
健康に産んであげたかった。
私は、『困難に耐える健気な母親という悲劇のヒロイン』を演じて逃げ回る臆病者だ。
彼に普通を強いることは、彼が命がけで守り抜いてきた『彼だけの特別な人生』を否定することと同じ。
なんてことをしていたんだ。
私が戦っていたのは『普通』という名の檻だった。そして、その檻の鍵をかけていたのは、他ならぬ私自身だったのだ。
暗闇の中でスマホの画面をぼんやり眺める。
保存された写真の中には、入院中にベッドの上で管に繋がれながらも器用に片手でゲームをしている彼の姿がありました。彼はいつだって、制限だらけの環境を『自分なりのルール』で遊び倒す天才だった。
それなのに、私は普通の子と同じようにアトラクションに乗ることだけを正解にして、彼が一番得意な『与えられた条件を面白がる力』を信じてあげられていなかった。
彼の強さに、いつも、何度も救われていたはずなのに。私は一体何を見ていたのか。
【絶望を「攻略本」に変えて】
眠れぬまま迎えた夜明け。
私の中に一つの作戦が浮かびました。この旅の目的は、アトラクションを制覇することじゃない。彼がこれまでの苦難を乗り越えてきた自分自身を、心の底から誇りに思うための舞台なんだ。
目を覚ました長男は、まだ昨日の投げやりな影を纏っていました。
弟たちがまだ眠っている静かな時間に、私は彼と真っ直ぐに向き合い、切り出しました。
「ねえ、昨日はごめんね。お母さん、大事なことを忘れてた」私は、彼に優先パスの話をしました。
それは憐れみでもハンデでもない。
困難な道を歩んできた者だけが手にできる『勇者の証』なのだと。
「並ばなくていいの?」ぽつりと、小さな声がこぼれました。
「そうだよ。みんなが暑い中、何十分も待っている間、あなたは一番前に行ける。これはね、あなたがこれまで何度も痛い検査や手術を乗り越えてきたから、世界が頑張りを認めてくれているんだよ」
私は棚に仕舞われたガイドブックを取り出し、彼の前に置きました。
「これはただのガイドブックじゃない。制限を突破して、最高のルートを見つけ出す、あなただけの『攻略本』にしよう」
すると、彼はゆっくりとガイドブックを再び手に取りました。絶望が、前向きな『作戦会議』に変わった瞬間でした。
「これ、これなら乗れる。これに3回乗る。みんなが並んでる間に、俺は3回乗る!それが俺の作戦」
「あと、これと、これ、食べたい。並ばなくていいなら、食べる時間はたくさんあるでしょ?」
「そうだね、美味しそうな物、たくさんあるね」
ページをめくる指に力がこもり、笑い合う私たちの間には、もう重たい空気はありませんでした。
制限という現実は変えられない。でも、それを数えて絶望するのではなく、与えられた条件の中で、いかに最大限に輝くか。
そのルートを自ら創り出す攻略こそが、病と共に生きる彼の何よりも最強の武器になるはずです。
【息子の「ブレーキ」ではなく、「伴走者」になる】
思えば、彼が『制限』という言葉と戦うのは、今に始まったことではありませんでした。7歳で大きな手術を受けるまで、サッカーをすれば、動ける範囲の狭いゴールキーパー。遠足は母と一緒に現地集合。
けれど彼は、「キーパーはチームの守護神だからかっこいいんだよ」と、笑っていました。
手術を経て手に入れた、待望の『走り回れる日常』けれど、その輝きと隣り合わせに、心臓への負担という現実は常に影のように付きまといます。いつも、汗だくで笑う彼の唇の色を確かめる。私の喉元まで「もうやめなさい」という言葉がせり上がる。
かつて、真っ白な診察室で医師から告げられた「この先のことは、正直分かりません」という言葉。
安全な部屋で静かに過ごさせれば、この子を少しでも長く抱きしめていられるかもしれない。
そんな臆病なエゴが、何度も私を支配しようとしました。
でも、静かな部屋で命を長らえさせることと、彼が心から望む瞬間を奪うこと。
どちらが残酷なのだろう。
葛藤の末に、私は自分に誓いました。病気を理由に、彼の『やってみたい』という気持ちを、親である私が殺してはいけない。私の役割は、彼のブレーキになることではなく、彼が全力で人生を駆け抜けるための伴走者になることだ、と。
それは無謀な賭けではありません。最悪の事態を想定し、調べ尽くし、準備を重ねる。
あとは、現地で彼を見て判断する。
「少しでも苦しくなったら、勇気を持って休もう」それは、諦めるための言葉ではなく、次に進むための約束でした。
【世界中が味方だと教えてくれた宝箱】
出発前日、Make-A-Wishの方が「Wish Box」を抱え、私たちの家を訪れてくれました。宝箱の中にはお揃いのTシャツ、ぬいぐるみ、長いフライトを退屈させないためのおもちゃ。
旅先での食事やお土産など、子どもたちの「あれ、食べてみたい!」という小さな願いをすべて叶えてあげられるような、温かなお心遣いまで添えられていました。


出発当日の空港。
審査官の方が「オーランドに行くの?それは、ディズニーワールドかな?楽しんできてね!」
と満面の笑みで送り出してくれて、子どもたちの心は早くも雲の上へ。搭乗ゲートへ向かう動く歩道さえも、彼らにとっては冒険のプロローグです。
そんな中、不意に流れた私たちの名を呼ぶアナウンス。不安に胸を騒がせながら向かった先で待っていたのは、思いがけないサプライズ。
「皆さまを先に、操縦席へご案内します。パイロットとお話ししていってくださいね。」
静かな機内を通り、案内されたのは操縦席。
そこで迎えてくれたのは、息子と同じ年頃の子を持つ、パパパイロットでした。彼は、緊張で固まる長男の心に寄り添うように、大好きなポケモンの話で場を和ませてくれます。そして、長男がその小さな手で操縦レバーを握ったとき、手に伝わるブルブルとした振動に目を輝かせました。
「見て!震えてる!動いてる!」と大喜びの長男。
「こんなにも温かく迎えられるほど、この子はつらい治療を何度も何度も乗り越えてきたんだ」そう思うと、抑えていた感情が溢れ、息子の誇らしげな背中を映しているビデオカメラのファインダーが、ゆらゆらと揺れてしまう。
泣くものか。
あわてて3歩下がり、視線を遠くの飛行機へ移しました。そっと背中に添えられた客室乗務員の方の手の温かさ。
私は大きく深呼吸をして、精一杯の『ありがとう』を笑顔で伝えました。
数えきれないほどの人の優しさに包まれながら、私たちの物語は、最高の滑走路から静かに飛び立ちました。


フロリダの地に降り立ち、到着ロビーへ向かうと、『Give Kids The World Village』のウェルカムボードを掲げて迎えてくれたのは、80代くらいの、陽だまりのような笑顔のおじいさん。
「よく来たねぇ、うん、うん。本当に、よく来たねぇ」私たちの顔を見るなり、何度も頷きながら温かく包み込んでくれるその姿は、幼い頃に帰省した実家で待っていてくれた祖父母そのものでした。
空港の外へ一歩踏み出すと、そこには突き抜けるような青空と、眩しい太陽。
「本当にフロリダに来たんだ!」
空港の扉が開いた瞬間の、もわっとした熱気と南国の香り。この匂いは、いつか息子が大人になった時に思い出す、自由の記憶になるはずだ。

フロリダの光に包まれた私たちを待っていたのは、『Give Kids The World Village』
そこは、難病と向き合う子どもたちと家族のためのリゾートです。
ビレッジに足を踏み入れたのは、夜のこと。闇の中に浮かび上がるライトアップされた街並みは、まるでおとぎ話の世界がそのまま現実になったかのように幻想的で、私たちの物語の新しい章を、鮮やかに彩り始めました。


【あの子もスペシャルだね】
真夏のイルミネーションの中を歩き、レストランへ向かいました。
フードカウンターで料理を取り分けてくれるのは、70歳を超えているであろうベテランの方々。
こちらがしっかり伝えないと、「もっと入れるかい?これもどう?」と次々に盛り付けてくれるその姿は、まるでおじいちゃんやおばあちゃんの家にいるかのよう。
「もう十分!そんなに食べられない!」と笑いながら断るやり取りに、心が温まりました。
席について食事を楽しんでいるとき、ふと、視界の隅に一台の大きな車椅子が目に留まりました。
それは車椅子というより、移動式のベッドに近い形をしていました。横たわるその子は食事をしていませんでしたが、隣では両親ときょうだいたちが、賑やかに笑いながら食事を楽しんでいました。
やがて食事が終わると、お父さんは元気な子どもたちを連れて、嵐が去るようにレストランを出て行きました。
あとに残されたのは、大きな車椅子に横たわる彼と、その傍らで静かにスプーンを動かし続けるお母さんの姿。
深く、静かな無表情。賑やかなレストランの中で、そこだけが透明な壁で隔てられているようでした。
彼女が背負っているものの重さを、私が推し量ることなど到底できません。
けれど、その空気を私も知っている。
その色のない空気は、私の記憶を激しく揺さぶりました。
それは、面会時間が終わり家族が帰っていった後の病室の匂い。ピッ、ピッ、と鳴り続ける規則正しい心電図の音。眠り続ける長男の隣で、ただ空腹を満たすためだけの味のしない食事。
「どうして、息子なんだろう」
悔しい感情を押し殺す。
誰かに慰めてほしいと願いながら、誰にどんな言葉をかけられたところで「そんなに簡単なことじゃない」と周囲を突き放してしまう。そんな矛盾する想いを耐え抜くしかなかったあの夜。
彼女の姿は、かつての私であり、もしかしたら再び戻ってしまうかもしれない私の姿でした。どれほど魔法のような場所にいても、病という現実は一瞬たりとも私たちを離さない。
分かち合うことで癒える傷もあれば、孤独の中でしか保てない誇りもあるのだと、彼女の背中が物語っていました。
私がその静かな余韻の中にいたとき、隣で食事をしていた長男が顔を上げ、その家族を見つめ、そして明るい声で言いました。
「あの子もスペシャルだね」
その言葉に、自分の傲慢さが恥ずかしくなりました。私は彼女の中に「救われるべき悲劇」を見ていたけれど、息子はそれを「かわいそう」でも「大変そう」でもなく、もっと力強くシンプルに、共に戦う『仲間』として見つめていました。
私よりもずっと気高く、豊かな世界を、彼は生きていました。
彼にとってこの場所は、自分と同じように戦い続けている仲間に出会える、心強い基地だったのです。

【待ち時間ゼロは、勇者の証】
ビレッジで迎えた、初めての朝。誇らしげにお揃いのTシャツに袖を通すと、冒険に挑む一つのチームの完成です。
そしてついに、巨大な地球儀が回るユニバーサル・スタジオ・オーランドの入り口へ。
映画のメインテーマが華やかに鳴り響き、人々の歓声とキャラメルポップコーンの甘い香りが混ざり合った熱気。その圧倒的な非日常のエネルギーに、子どもたちは駆け出したい気持ちを抑えられません。
「はやく!早く行こう!」ぐいぐいと私の手を引くその力強さに、足がもつれそうになります。その声に合わせて弾む、未来を待ちきれない彼らのスニーカーが、力強いリズムをパークの石畳に刻んでいきました。
まずは、長男がずっと楽しみにしていた「ミニオン・メイヘム」へ。入り口の表示は「40分待ち」。
照りつける太陽の下、長い列を作る人々を横目に、長男は少し緊張しながら『Give Kids The World』の優先パスを提示しました。
「OK!」係員さんは満面の笑みでそう言うと、私たちを特別なルートへと導いてくれました。
「Make-A-Wishの5名様です!」バックヤードのような通路を抜け、気づけばそこはもうアトラクションの目の前。
待ち時間は、文字通りの「ゼロ」。
「本当だ……本当に並ばなくていいんだね!作戦通りだね」長男が驚きと興奮で目を丸くします。
優先パスを手に「次はあっちだ!」と迷いのない足取りで家族を先導する彼の背中。
すれ違う人々の「どうして並ばなくていいの?」という視線を「俺、選ばれた勇者だから」と言わんばかりに真っ向から受け止める、最高に得意げで誇らしげな表情。
以前の私なら、並んでいる方々に申し訳なさを感じて縮こまっていたかもしれません。でも、このパスは彼が戦い抜いてきた証。そう思うと、誇らしい気持ちで彼の小さな手を握りしめることができました。
もちろん、すべてが自由というわけではありません。すべてのパークで「激しすぎなければ大丈夫」という医師の言葉を胸に、私たちは一つひとつのアトラクションの前で立ち止まりました。「これはドキドキしすぎないかな?」「これなら笑顔で戻ってこられそう!」そうやって自分たちで定義した冒険のルールに沿って、乗れるものを全力で遊び尽くす。
パパの肩車。高い目線でパレードを見つめる最高の笑顔。そして、暗闇の中を駆け抜けるスピード感に魅了され、何度も何度も挑戦したお気に入りのスペース・マウンテン。そのモニターに映った彼は大きな口を開けて、弾ける笑顔で両手を高く突き上げていました。
過去の後悔も、明日への怯えも、この風の中では何もない。
ただ目の前で笑う家族の姿だけが世界のすべてになりました。



【13万個の星が灯す、未来へのパスポート】
Give Kids The World Villageの片隅に、静かに佇む塔があります。長男の手のひらに置かれたのは、ここを訪れるすべてのWish Childに贈られる『願いの星』。
妊娠中に病を知り、「どうかこの子が運命に立ち向かえるように」と祈りを込めて夫婦で名付けた名前。
その漢字を彼が星に書き入れたとき、その名は親からの願いを超えて、彼自身の意志になり、星の上で輝き始めました。



最終日の朝。向かったのは、毎日乗ったメリーゴーランドの脇に佇む、静かな扉。
大切な記憶をそっと閉じ込めた宝箱を開くと、ふわりと鼻をくすぐったのは、懐かしく温かな、古い建物の匂い。優しい音楽が流れる静かな家族だけの空間。それは、世界中の願いを丁寧に仕舞い込んだ、巨大なオルゴールの中に迷い込んだかのようでした。
音楽が祈りのように深まっていく。
暗闇の中にスポットライトの一筋の光が迷うことなく、長男が名前を記した星を優しく射抜きました。
「あった。俺の星だ」
星は、手を伸ばすと触れる場所にありました。
彼は駆け寄り、精一杯背伸びをして、指先をそっとその金色の輝きへと近づけました。光を浴びて黄金色に輝く自分の名前を見つめるその瞳には、天井に広がる無数の星々がキラキラと反射していました。
その光を浴びる彼の横顔は、数々の試練を乗り越えてきた小さな勇者そのものでした。
部屋を満たしていたのは、ただの静寂ではありません。13万個の星。それは、13万人の勇敢な子どもたちと家族が、ここで願いを灯した証。
息子と同じように笑い、泣き、今日を生きる家族がいる。ここに星を置いた子どもたちと、その家族が流した涙や希望、切実な願いが、温かな体温を持って私たちを包み込みました。
「こんなにたくさんの仲間が、それぞれの今を精一杯生きているんだ」そう思うと、勇気が湧きました。
「この星に会いに、いつでも帰ってきてね」スタッフの方から手渡されたのは、一冊のパスポート。そこには、長男の星がどこにあるかを示す番号が刻まれています。
塔の扉が閉まると、風が息子の柔らかな髪を揺らしました。
「次来る時には、お母さんと同じくらいの背になってるかもね」そう言って、いたずらな顔で力いっぱい地面を蹴る息子。
一瞬、目線の高さで重なった弾けるような笑顔。
私はたまらなくなって、着地した彼を強く、強く抱きしめました。
「このパスポートを持って、また絶対に戻ってこよう」
腕の中に伝わるトクトクという力強い鼓動。
溢れそうになる涙をこらえて笑う私に、彼は誇らしげにパスポートを掲げて見せました。
その手に握られているのは、自らの足でここまでたどり着いた勇者だけが持てる、未来への招待状でした。


【人生の操縦桿を、その手に】
あの日、離陸前のコックピットで息子が握った操縦桿。その小さな手に伝わった振動は、彼が自分の人生を自らの手で動かし始めた合図だったのかもしれません。
命の長さは、誰にも分かりません。それは病気の子も、そうでない子も、誰にとっても同じです。長男がその小さな背中で教えてくれたのは、『いつか』を待つのではなく、『今日』という二度とない時間を後悔なく使い切ることの大切さでした。
病とは、何かを奪うものではなく、あたり前だと思っていた日常がどれほど奇跡に満ちているかを教えてくれる、光のレンズです。
本当の制限は、病気そのものではなく「どうせ無理だ」と、自分の人生に勝手に境界線を引いてしまっていた、私自身の心の中にあったのです。息子が教えてくれた攻略の精神は、今では私自身の生きる指針になりました。
窓の外を遠く眺めていたあの日から10年。
私が今、この物語を綴ったのは、同じ空の下で葛藤しているご家族に、そして何より自分自身に約束をしたかったからです。
病と共に生きる日常は、決して楽なことばかりではありません。でも、ただ過ぎていく毎日を無事に過ごすことだけが、私たちのゴールではないはずです。
無事に過ごす毎日も、かけがえのない幸せ。けれど、それ以上に、一緒に心から笑い合える『思い出』が欲しい。
その純粋な願いを、病気を理由に諦めないでほしい。
息子が命を懸けて教えてくれた『人生を操縦する勇気』を胸に、私はこれからも、彼らと共に進みます。
たとえ何かができても、できなくても。
たとえどこかへ行けても、行けなくても。
そこで息をして、生きていてくれる。
ただそれだけで誰かの光であり、何にも代えがたい価値があるのだと、今の私なら心の底から信じられます。
大丈夫。立ちはだかる高い壁は、その頂上から最高の景色を眺めるために用意された、大切な展望台だから。
【あとがき】
この物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
このエッセイは、我が家が経験したかけがえのない記憶を綴ったものです。
お子さまの病状や体調は一人ひとり異なります。この記事は決して無理なアトラクション利用や、体に負担のかかる活動を推奨するものではありません。
同じ境遇にあるご家族は、主治医の先生と相談しながら、お子さまにとって一番優しい形を大切になさってください。
難病と闘う子どもたちの夢を支えるこの優しい活動が、もっともっと広まり、多くの家族と子どもたちの希望の光になることを、心から願っています。
「関連団体」
Make-A-Wish Japan
https://www.mawj.org/
Make-A-Wish Canada
https://makeawish.ca/
Give Kids The World Village
https://www.gktw.org/
※プライバシー保護のため、登場するスタッフの方のお名前は仮名としています。
もっと詳しく知りたい方へ:
Give Kids The World Village について
