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広告業界・未来小説「矛盟」


第䞀郚 予兆

第䞀章 増分

 二〇二䞃幎四月の第䞉火曜日、桐生修䞀は自分の仕事が終わる音を聞いた。

 もっずも、そのずきはただ、それが音だずは思わなかった。プロゞェクタヌの冷华ファンが唞っおいるだけだず思っおいた。

 ミナト飲料の本瀟ビル、十四階の第二䌚議宀。窓の倖は曇っおいお、東京湟がコンクリヌトの色をしおいた。倧同広告瀟からは五人。桐生ず、営業局の郚長ず、その䞋の担圓が二人、それからデゞタル戊略郚の芊沢玲。クラむアント偎は宣䌝郚長の鷺沌由玀を筆頭に六人。い぀もの座り方だった。長机を挟んで、代理店が窓を背にする。二十幎倉わらない配眮だ。

 議題は幎間コミュニケヌション蚈画の䞭間レビュヌで、桐生は䞉十枚のスラむドを甚意しおいた。䞉幎前に立ち䞊げた「日々に、ちいさな真氎を。」ずいうブランドキャンペヌンの䞉幎目の蚭蚈。ブランド・パヌセプションの掚移、タヌゲットの態床倉容、そしお次幎床に向けたコアアむデアの再定矩。桐生の仕事だった。圌の名前で䞖に出おいる本にも、同じ構造の話が曞いおある。

 二十五分話しお、質問は二぀だった。どちらも制䜜進行に関するもので、思想には觊れなかった。桐生は垭に戻り、鷺沌が「では、こちらからも䞀点」ず蚀った。

「ちょっず、参考たでにお芋せしたいものがありたしお」

 参考たでに、ずいう蚀葉を桐生はあずで䜕床も思い出すこずになる。

 鷺沌の隣にいた若い男が立った。宣䌝郚に去幎入ったずいう䞭途採甚で、名前は芚えおいなかった。前職はどこかの事業䌚瀟のデヌタ郚門だず聞いた気がする。圌がノヌトPCを぀なぐず、桐生の䞉十枚ずはたったく違う皮類の画面が映った。

 黒い背景。现い等幅フォント。グラフずいうより、蚈噚盀に近かった。

「匊瀟で今期から詊隓導入しおいる統合効果枬定です。ベンダヌはケむデンスずいう䌚瀟で、ただ日本での実瞟は少ないんですが」

 男は淡々ず説明した。党囜のPOSデヌタ、䜍眮情報、テレビの実芖聎ログ、デゞタルの接觊ログ、倩候、気枩、競合の䟡栌改定、店頭什噚の展開状況。それらを䞀぀のモデルに入れお、賌買の倉動を芁因ごずに分解する。埓来のMMMず呌ばれるものず理屈は同じだが、粒床ず曎新頻床が違う。週次ではなく、日次で、しかも個別の斜策単䜍たで降りおくる。

「で、これが各斜策の増分効果です」

 画面が切り替わった。

 斜策名が瞊に䞊び、右に棒が䌞びおいる。䞊から順に、店頭の冷蔵什噚の増蚭、倀匕き斜策、リテヌルメディアの配信、YouTubeの十五秒、怜玢広告。

 桐生は䞋ぞ芖線を萜ずした。

 「日々に、ちいさな真氎を。」

 棒は、ほずんど䌞びおいなかった。れロではない。れロではないが、その䞋にある「自動販売機の蚭眮堎所最適化」よりも短かった。

 䌚議宀の空気は倉わらなかった。それが桐生には奇劙だった。䜕かが起きたのなら、空気は倉わるべきだった。だが誰も息を呑たなかったし、誰も桐生を芋なかった。ただ画面があり、棒があった。

「もちろん、これで党郚が枬れるずは思っおいたせん」

 鷺沌が蚀った。圌女の声には棘がなかった。むしろ気遣いがあった。それが䞀番こたえた。

「ブランドの効果は長期的なものですし、こういうモデルで拟いきれない郚分があるのは承知しおいたす。ただ、瀟内で説明を求められる立堎ずしおは、こういう数字が出おしたうず、たあ、䜕か蚀わなきゃいけないので」

 桐生は口を開いた。開いおから、自分が䜕を蚀う぀もりなのかを確かめた。

「短期の賌買倉動に出ないこずず、効果がないこずは、違いたす」

 蚀いながら、その蚀葉が自分の口から出るのは䜕床目だろうず思った。十回では効かない。二十回か、䞉十回か。若いころ、䞊叞が同じこずを蚀うのを聞いた。そのずきは正しいず思った。今も、正しいず思っおいる。

「ブランドの資産化は、需芁が生たれる前の段階に効きたす。この人が䞉幎埌に、初めお氎を買おうず思ったずきに、どのブランドが頭に浮かぶか。そこに効いおいる。それは今週のPOSには出たせん」

「ええ」ず鷺沌は蚀った。「おっしゃる通りだず思いたす」

 沈黙があった。䞉秒か、四秒。

「ただ、桐生さん。それは、い぀出るんでしょうか」

 桐生は答えられなかった。

 答えを持っおいなかったからではない。答えなら持っおいた。䞭長期のブランドトラッキングの数倀があり、玔粋想起の掚移があり、䟡栌プレミアムの維持ずいう論点があった。二十枚のスラむドで説明できる。実際、圌はそれを䜕床も説明しおきたし、そのたびに皟議は通っおきた。

 答えられなかったのは、その瞬間、自分の答えが「反蚌できない」ずいう圢をしおいるこずに気づいたからだった。

 い぀出るか、ず問われお、䞉幎埌だず答える。䞉幎埌に出なければ、五幎埌だず答える。五幎埌に出なければ、もし出皿を止めおいたらもっず悪かったはずだず答える。

 それは説明ではなかった。構造ずしお、吊定されえない䜕かだった。

 桐生は二十幎、それを誠実さだず思っおやっおきた。

「  怜蚎させおください」

 結局、圌はそう蚀った。鷺沌は頷き、「ぜひ、次回に」ず蚀っお、議題は次に移った。


 ゚レベヌタヌホヌルで、芊沢玲が蚀った。

「ケむデンス、私、去幎りェビナヌ芋たした」

 桐生は「そうか」ずだけ答えた。

「あそこのモデル、けっこう真っ圓ですよ。魔法じゃないです。やっおるこずは叀兞的なMMMで、ただ、デヌタの接続ずチュヌニングを党郚LLMがやっおる。前は分析屋が䞉ヶ月かけおた蚭蚈を、二日でやる。だから毎週回せる。毎週回せるから、経営が信じる」

「毎週回せるず、䜕が倉わる」

「ブランドの蚀い蚳が、五十二回反蚌されたす」

 ゚レベヌタヌが来た。二人は乗った。芊沢は続けなかったし、桐生も蚊かなかった。

 䞀階たで降りるあいだ、桐生は先ほどの棒グラフを思い出しおいた。圌の䞉幎間が、自販機の眮き堎所より短い棒だったこず。

 だが本圓に胞に刺さっおいたのは、そこではなかった。

 鷺沌由玀は、悪意で芋せたのではない。

 圌女は困っおいたのだ。瀟内で説明を求められ、説明できず、だから桐生に盞談した。圌女は味方だった。味方だったからこそ、あの資料を、この䌚議で、桐生の目の前で開いた。

 助けおください、ずいう顔をしおいた。

 そしお桐生は、助けられなかった。

 ロビヌを抜けお倖に出るず、雚が降り始めおいた。営業の郚長が「いやあ、参りたしたね」ず笑い、「たあ、ああいうのは流行りですから」ず続けた。誰かが同意した。

 桐生は傘を開きながら、瀟に戻ったら誰に話すべきかを考えた。局長䌚か、それずも圹員か。

 どちらに話しおも、同じこずを蚀われるだろうず思った。

 たあ、ああいうのは流行りですから。

 実際、その通りだった。この時点では、ただ誰も間違っおいなかった。

第二章 議事録

 倧同広告瀟の局長䌚は、毎週朚曜の十時から、本瀟十九階の倧䌚議宀で開かれる。出垭者は十八人。議題は事前に総務局ぞ提出され、資料は前日の十䞃時たでに共有される。桐生は氎曜の十六時四十分にファむルを䞊げた。

 タむトルは「クラむアント偎効果枬定環境の倉化に぀いお共有」ずした。

 「共有」ず぀けたのは、逃げだった。桐生は自芚しおいた。「提案」や「懞案」にすれば議論しなければならない。共有なら、聞いたこずにできる。それでも䞊げないよりはたしだず思った。

 圓日、その議題は十䞃番目だった。党郚で十九件ある。十時に始たり、十䞀時䞉十分に終わる䌚議の、十䞀時二十二分に順番が回っおきた。

「じゃあ桐生さん、これ、手短に」

 進行圹の総務局次長が蚀った。桐生は立たなかった。座ったたた、䞉分で話した。ミナト飲料でケむデンス瀟の枬定モデルが導入され぀぀あるこず。日次で斜策別の増分効果が出るこず。ブランドキャンペヌンの棒が、自販機のロケヌション最適化より短かったこず。そしお、こういう環境は他瀟にも広がりうるこず。

 話し終えるず、䞃秒ほど誰も口を開かなかった。それから、営業総局長の柎田が蚀った。

「ケむデンスっお、あれだろ。アメリカのや぀」

「はい」

「ああいうの、五幎ごずに来るんだよな。前はアトリビュヌションだったし、その前はDMPだった。で、二幎経぀ず誰も蚀わなくなる」

 䜕人かが笑った。悪意のある笑いではなかった。むしろ堎をほぐす皮類の笑いで、実際、空気は少しゆるんだ。

「桐生さん、これ、ミナトさん怒っおるの?」ず柎田が続けた。

「いえ。鷺沌郚長はむしろ、こちらに味方しおいただいおいる状況です」

「じゃあ、ただいいじゃない。数字が出たら困るのは向こうも同じだよ。宣䌝郚の予算が枛るんだから。あの人たちだっお、自分の郚の存圚意矩を守りたいんだ」

 それは、事実の指摘ずしおは正しかった。桐生はそこに反論する材料を持っおいた。持っおいたが、あず六分で十九件目たで終わらせなければならない䌚議で、それを開陳するのは違う気がした。

「匕き続き泚芖したす」ず桐生は蚀った。

 議題は十八番目に移った。

 その日の議事録には、こう蚘された。

 > 17. クラむアント偎効果枬定環境の倉化に぀いおストラテゞックプランニング局・桐生  >   海倖系枬定ツヌルの導入事䟋に぀き情報共有。今埌の動向を泚芖する。

 䞉行だった。桐生は倕方にそれを読み、正確な芁玄だず思った。䜕も間違っおいない。自分が蚀ったのは、芁玄すればその䞉行だった。


 二週間埌、瀟内報に「AI掻甚掚進宀」の発足が茉った。

 瀟長メッセヌゞには、生成AIの本栌掻甚によっお業務の生産性を高め、より高付加䟡倀な提案に人的リ゜ヌスを振り向ける、ず曞かれおいた。写真は経営䌚議宀で、䞃人が䞊んで立っおいた。

 掚進宀の実際の業務は、議事録の自動芁玄ず、提案曞のたたき台生成ず、瀟内問い合わせのチャットボットだった。桐生はそのロヌンチ説明䌚に出た。䞉十五分の説明のうち、䞉十分が「業務効率化」の話で、五分が「セキュリティ䞊の泚意」だった。

 クラむアントの偎でAIが䜕を枬り始めおいるか、ずいう話は䞀蚀も出なかった。

 説明䌚のあず、芊沢玲が廊䞋で蚀った。

「あれ、方向が逆ですよね」

「逆?」

「うちがAIで速くなる話をしおるあいだに、クラむアントはAIでうちを怜算しおる。速くなるのは、別に歊噚じゃないです。速くなったぶんは倀切られるだけなので」

 桐生は少し黙っおから、「君、それを掚進宀に蚀ったか」ず蚊いた。

「蚀いたした。ちゃんず聞いおくれたしたよ。で、『貎重なご意芋ずしお持ち垰りたす』っお」

 芊沢は笑わなかった。笑わないずころが、桐生には印象に残った。

 この時期、瀟内で芊沢玲の評䟡は䞊がっおいた。デゞタル案件の受泚が䌞び、圌女は䞉十䞀歳で郚長代理になった。「うちにもデヌタのわかる人材がいる」ず、圹員が察倖的な堎で䜕床か圌女の名前を出した。

 桐生はそれを、いいこずだず思っおいた。


 六月の初め、桐生は媒䜓総局長の䞉宅剛䞉に呌ばれた。

 䞉宅は五十八歳で、瀟内では䞀皮の䌝説だった。倧手テレビ局の線成に顔が利き、幎末の枠取りで圌が動くず二割は倉わるず蚀われおいた。実際にそうなのかを怜蚌した者はいない。怜蚌する必芁がないこずが、圌の力の本䜓だった。

 二十階の局長宀に入るず、䞉宅は玙の資料を読んでいた。ただ玙で読む人だった。

「桐生ちゃん。四月の局長䌚の、あれ」

「ケむデンスの件ですか」

「あれ、俺だけだよ、読んだの」

 䞉宅は資料を眮いた。

「うちの局長連䞭はな、悪い奎じゃないんだ。ただ、あれを本気で聞くず、次に䜕を蚀わなきゃいけなくなるか、䜓でわかっおる。だから聞かないんだよ。聞かないんじゃない、聞けないんだ。順番が違う」

「順番」

「お前の話は、クリ゚むティブが効いおない、っお話に聞こえる。だから制䜜の連䞭は嫌がるし、営業は『たあ流行りだ』っお蚀う。だがな、あれはそういう話じゃない」

 䞉宅は指を䞀本立おた。

「あれはな、『枬れる』っお話だ。枬れるっおのは、いずれ党郚に来る。今はブランドの効果を枬っおる。来幎はリテヌルメディアず比范する。再来幎は、テレビの単䟡を枬る。最埌は」

 圌は蚀葉を切った。桐生は埅った。

「最埌は、俺たちの手数料を枬る」

 窓の倖で、ヘリコプタヌが䜎く通過しおいった。

「うちの飯の皮はな、桐生ちゃん、制䜜費じゃない。ストプラでもない。悪いけど、お前の本でもない。媒䜓の差益だ。䞉千億の扱いがあっお、そこに乗っおるパヌセントが、この䌚瀟の心臓なんだ。で、その心臓はな、『いくら乗っおるか、クラむアントが正確には知らない』っおこずで動いおる」

「  知られたら、どうなりたすか」

「どうなるず思う」

 桐生は答えなかった。䞉宅は答えを求めおいなかった。

「俺はな、あず四幎で定幎なんだ」ず䞉宅は蚀った。「四幎、もおばいい。も぀ず思うか」

「わかりたせん」

「正盎でいいな」

 䞉宅は笑った。それから、少し違う声で続けた。

「お前は残るんだよ。四十五だろ。あず十五幎ある。だから䞀぀だけ蚀っずく」

「はい」

「この䌚瀟が最埌たで売れるものが、䞀぀だけある。効果でも、アむデアでも、媒䜓でもない。もっず぀たらんものだ。お前はいずれ、それを売っお生きるこずになる」

「それは、䜕ですか」

 䞉宅は答えなかった。玙の資料をたた手に取り、「たあ、そのうちわかる」ず蚀った。

 桐生は局長宀を出た。゚レベヌタヌを埅ちながら、䞉宅が最埌たで蚀わなかったものに぀いお考えた。

 思い圓たるものは、あった。あったが、それを蚀葉にするのは嫌だった。

 蚀葉にするず、自分の仕事の名前が倉わっおしたう気がした。

第䞉章 反蚌可胜性

 六月の䞋旬、桐生は自分の本を読み返した。

 二〇二䞀幎に出した本で、正匏な曞名は長い。瀟内では『桐生の教科曞』ず呌ばれおいお、若手研修の課題図曞になっおいる。刷りは䞃回たで行った。曞店で芋かけなくなっお久しいが、Amazonのレビュヌは今も四぀星だった。

 自宅の曞斎で、圌は䞉幎ぶりにそれを開いた。目次を芋お、第四章の「ブランド䟡倀の枬定に぀いお」に飛んだ。

 二ペヌゞ目に、こういう䞀文があった。

 > 短期の売䞊指暙のみでブランド斜策を評䟡するこずは、皮を蒔いた翌日に土を掘り返すに等しい。

 うたい比喩だず、曞いたずきは思った。実際、講挔でこの郚分を話すず䌚堎が頷いた。䜕床も匕甚された。

 桐生はその䞀文を、䞉十秒ほど芋おいた。

 皮を蒔いた翌日に土を掘り返すな。

 では、い぀掘り返せばいいのか。

 本のどこにも、曞いおいなかった。

 圌は前埌を読み盎した。長期的芖点の重芁性。ブランド゚クむティの蓄積。玔粋想起ず䟡栌プレミアムの盞関。参照しおいる研究はどれも実圚するし、論旚に飛躍もない。ただ、党䜓を通しお、「この䞻匵が間違っおいたず刀明する条件」が䞀぀も曞かれおいなかった。

 二癟八十ペヌゞ。反蚌条件、れロ。

 桐生は本を閉じた。閉じおから、ずいぶん長いあいだ動かなかった。

 これは詐欺ではない、ず圌は自分に蚀い聞かせた。詐欺ではない。曞いおあるこずは、たぶん、正しい。

 ただ、正しさの皮類が、鷺沌由玀が求めおいるものず違う。圌女は明日の䌚議で䜿える正しさを求めおいお、桐生が二十幎かけお磚いたのは、明日には決しお壊れない正しさだった。

 壊れないものは、支えにもならない。


 翌週、桐生は芊沢玲を呌んだ。䌚議宀ではなく、瀟の近くの喫茶店を遞んだ。瀟内で話したくなかった。

「ケむデンスに、勝おるか」

 芊沢はアむスコヌヒヌを䞀口飲んで、「勝぀、の定矩によりたす」ず蚀った。

「あのモデルを吊定できるか」

「無理です。ずいうか、吊定する必芁がないです。あれ、そんなに匷くない」

「匷くない?」

「MMMは盞関のモデルなので、因果は出せたせん。テレビの出皿は、そもそも売れそうな時期に集䞭しお打぀じゃないですか。だから『売れおる時期に打っおた』が『打ったから売れた』に芋える。逆に、認知が飜和しおるブランドの継続出皿は、増分ずしおは絶察に小さく出る。圓たり前です。すでに知られおるんだから」

 桐生は少し身を乗り出した。

「じゃあ、あの棒が短かったのは」

「モデルずしおは正しくお、経営刀断の材料ずしおは危ない、っおいう状態です。でも桐生さん、それを䌚議で蚀っおも負けたすよ」

「なぜ」

「『では、正しく枬るずどうなるんですか』っお蚊かれるからです。そこで答えられなかったら、モデルの批刀は、ただの蚀い蚳になる」

 桐生は黙った。それから、「答えを䜜れるか」ず蚊いた。

 芊沢はしばらく考えお、「䞀぀だけありたす」ず蚀った。

「実隓です。゚リアを分けお、片方だけブランドキャンペヌンを止める。同質な二十゚リアを遞んで、十゚リアで出皿を停止する。差が出るか芋る。盞関じゃなくお、介入なので、因果が出たす」

「  止めるのか」

「止めないず、枬れないです」

 それは、桐生がこの二十幎、䞀床も提案したこずのない皮類のこずだった。

 広告を止めおみたしょう、ずクラむアントに蚀う。止めた結果、䜕も起きなかったら、その事実が氞久に残る。

「桐生さん、これ、負ける可胜性がありたす」ず芊沢は蚀った。「ちゃんず差が出ない可胜性は、たぶん、四割くらいある」

「四割」

「はい。だから普通、代理店はやりたせん。うちも瀟内で反察されるず思いたす。営業は絶察に嫌がる」

 桐生はコヌヒヌを飲んだ。氷が溶けお、薄くなっおいた。

「䜜っおくれ」ず圌は蚀った。「蚭蚈を。二週間で」

 芊沢は少しだけ目を開いた。それから頷いた。

「わかりたした。でも、条件がありたす」

「なんだ」

「結果が出たら、悪くおも、そのたた出させおください。私、加工したくないので」

「圓たり前だ」

「圓たり前じゃないですよ」ず芊沢は蚀った。「この䌚瀟では」


 䞃月九日、ミナト飲料ぞの提案の堎で、桐生はその蚭蚈を出した。

 スラむドは十䞀枚だった。䞉十枚のずきより、ずっず短かった。ブランドの意矩に぀いお語る箇所は、䞀枚もなかった。かわりに、察象゚リアの遞定基準、停止期間、芳枬指暙、刀定の閟倀、そしお「差が確認できなかった堎合の察応方針」が曞かれおいた。

 最埌の䞀枚のタむトルは、こうだった。

 > この斜策が「効いおいない」ず刀定される条件

 鷺沌由玀は、その䞀枚を長く芋おいた。

「桐生さん」ず圌女は蚀った。「これ、埡瀟にずっお、けっこう危ないですよね」

「危ないです」

「なぜ持っおきたんですか」

 桐生は甚意しおいた答えをいく぀か持っおいた。誠実さ、パヌトナヌシップ、長期的信頌。どれも本圓のこずだった。だが実際に口から出たのは、別の蚀葉だった。

「前回、鷺沌さんに『い぀出るんですか』ず蚊かれお、答えられたせんでした。あれから二ヶ月、そのこずを考えおいたした」

 鷺沌は、少しのあいだ䜕も蚀わなかった。

「実は、こちらも状況が倉わっおいたしお」

 圌女は自分の資料をめくった。

「今期から、経営䌁画郚がマヌケティング予算の査定に入るこずになりたした。担圓圹員はCFO盎䞋です。圌らは広告を知りたせん。知らないから、数字しか芋たせん。私はそこで、埡瀟の枠を守る偎に立っおるんですが」

 圌女は顔を䞊げた。

「守るための材料が、今、ないんです」

 䌚議宀が静かになった。桐生は、圌女がこの二ヶ月、瀟内で䜕を蚀われおきたかを想像した。想像できる範囲のこずだろうず思った。

「この実隓、やりたしょう」ず鷺沌は蚀った。「䞊には私から通したす。ただ、条件が䞀぀ありたす」

「はい」

「結果が悪かったずきに、埡瀟が逃げないでください」

「逃げたせん」

「蚀質、取りたしたからね」

 圌女は初めお少し笑った。桐生も笑った。

 その日の垰り、電車の䞭で、桐生は久しぶりに仕事をした感芚を持った。二ヶ月ぶりだった。あるいは、もっず久しぶりだったかもしれない。


 だが、その倜、颚呂に入っおいるずきに、䞀぀のこずに気づいた。

 圌は「効いおいないず刀定される条件」を、自分から差し出した。

 それは誠実だった。誠実だったが、同時に、これたで代理店が守っおきた最埌の防壁を、自分の手で開けたずいうこずでもあった。

 これたで、ブランド斜策は刀定されなかった。刀定されないから、毎幎曎新された。桐生はその構造を「枬れないものを守る仕事」だず思っおきた。

 今日、圌は枬られるこずに同意した。

 䞀床同意すれば、次からは、同意しないこずのほうが説明を芁する。来幎、別のクラむアントが同じ蚭蚈を求めおくる。断れば、なぜ埡瀟は枬らないのかず問われる。ミナト飲料でやったじゃないですか、ず。

 湯の䞭で、桐生は目を閉じた。

 勝っおも負けおも、この実隓のあず、䞖界は「広告は刀定されるもの」になる。

 自分は今日、それに眲名した。

 そしお、たぶん、それは正しいこずだった。

 正しいこずをした、ずいう感芚ず、取り返しの぀かないこずをした、ずいう感芚が、たったく同じ圢をしおいた。

第四章 半幎

 実隓は八月䞀日に始たった。結果が出るのは翌幎の䞀月末。

 六ヶ月。

 蚭蚈を組んでいるあいだ、桐生は充実しおいた。始たっおしたうず、やるこずがなかった。゚リアを止めお、埅぀。それだけだった。圌は週に䞀床、モニタリングの数字を芋た。ノむズしか動かなかった。二ヶ月経っおも、ただノむズだった。

 そのあいだに、䞖界のほうが動いた。


 九月の䞭旬、鷺沌由玀から連絡があり、桐生は䞀人でミナト飲料に呌ばれた。

「先にお䌝えしおおこうず思っお」ず圌女は蚀った。「うち、瀟内に制䜜の機胜を持぀こずになりたした」

 桐生は衚情を倉えなかった。倉えないこずに、少しだけ意識を䜿った。

「芏暡は?」

「最初は四人です。宣䌝郚の䞭に眮きたす。デゞタル向けの玠材ず、店頭のPOP、あずはSNSの動画を内補で回したす。ツヌルはもう入れおあっお、テストで䜜っおみたんですが」

 圌女はタブレットを桐生に向けた。十五秒の動画が再生された。ミナト飲料の䞻力商品、透明なボトルが、朝の窓蟺に眮かれおいる。光がゆっくり移動する。コピヌが二行入っお、ロゎが出る。

 桐生は二回芋た。

 悪くなかった。

 それが問題だった。

 圌は、悪いこずを期埅しおいた。生成された映像には質感がない、光の嘘がある、そういう批評を甚意しおいた。実際、去幎たでのものならそう蚀えた。だがこれは、蚀えなかった。ボトルの結露の粒の萜ち方に、桐生が指摘できる䞍自然さはなかった。匷いお蚀えば、平均的すぎた。しかし十五秒のSNS動画に求められるのは、たさに平均的にちゃんずしおいるこずだった。

「制䜜期間は?」

「䞉日です。修正を入れお、四日」

「費甚は」

 鷺沌は少し蚀いにくそうにした。

「  ツヌルのラむセンス代を頭割りするず、䞀本あたり、十䞇円は切りたす」

 桐生は頷いた。埓来なら、同等のものに䞉癟䞇から五癟䞇かかった。䌁画、絵コンテ、撮圱、線集、MA。関わる人間は二十人を超えた。

「これ、埡瀟に発泚しおた分が枛りたす。ごめんなさい、ずいうのも倉ですけど」

「いえ」ず桐生は蚀った。「合理的だず思いたす」

 蚀いながら、自分は今、正しいこずを蚀っおいる、ず思った。正しいこずを蚀っお、䜕かを守れおいるわけではないこずも、同時にわかっおいた。

「ただ」ず圌は続けた。「幎に䞀本か二本、ブランドの根幹を芏定する衚珟は、内補でやらないでください」

「なぜですか」

「内補の四人は、自瀟の蚀葉に慣れたす。慣れるず、倖から芋おどう芋えるかがわからなくなる。ブランドは、倖から芋た像なので」

 鷺沌は、その蚀葉をメモした。桐生はそれを芋お、少しだけ救われた気持ちになり、次の瞬間、自分がメモされたこずに救いを感じおいる事実に気づいお、気持ちが冷えた。


 十月、岩通から電話があった。

 岩通久叞はサンラむト・フィルムのプロデュヌサヌで、六十䞀歳だった。桐生が二十代のころ、初めお任された仕事の盞手が圌で、以来二十幎、数え切れないほど組んだ。深倜の線集宀で二人でカップ麺を食べた回数は、たぶん癟を超える。

「桐生ちゃん、飯食おうや」

 新橋の、昔から二人で行っおいた店だった。岩通は先に来お飲んでいた。

「うち、たたむわ」

 也杯もしないうちに、そう蚀った。

「来幎の䞉月でな。もう決めた」

 桐生は䜕を蚀うべきか考えた。考えおいるあいだに、岩通が続けた。

「別に恚みごずじゃないんだ。うちは五幎前がピヌクで、そこからずっず枛っおた。AIが出る前からだよ。予算は䞋がるし、玍期は短くなるし、若いのは入っおこない。今幎でずどめ、っおだけの話でな」

「借金は」

「ない。そこは綺麗にした。瀟員も、二人は事業䌚瀟の内補チヌムに行くわ。絊料は䞊がるらしいぞ。笑うだろ」

 桐生は笑わなかった。

「䞀぀だけ、聞いおくれるか」ず岩通は蚀った。「愚痎だから、聞き流しおいい」

「はい」

「俺な、いい画っおのがどういうもんか、ただわかんねえんだ。四十幎やっおお。だから面癜かったんだよ。わかんねえから、毎回、珟堎で決めるしかない。光がどう来るか、その日の空を芋お決める。それを四十幎やった」

 圌はグラスを眮いた。

「今のや぀はさ、わかっおるんだよ。過去の党郚の『いい画』を平均しお持っおる。だから倖さない。倖さないっおのは、すごいこずだ。俺は䜕回も倖したからな」

「岩通さん」

「でもさ。倖さないものからは、次のいい画は出ないず思うんだ。出ないんじゃないかな。  いや、わかんねえけどな。俺は四十幎やっおわかんなかった偎だから、偉そうなこずは蚀えねえ」

 その蚀い方が、桐生の胞に残った。岩通は最埌たで、自分が正しいずは蚀わなかった。

 二人はそのあず、昔の倱敗の話をしお笑った。十時前に別れた。岩通は駅に向かっお歩きながら、䞀床だけ振り返っお手を䞊げた。桐生も䞊げた。

 それが最埌に䌚った日になった。


 十䞀月、䞉宅剛䞉が幎末幎始の枠取りをたずめ、瀟内はわずかに沞いた。䞉宅は五぀の局を回り、他瀟が抌さえきれなかった時間垯を確保した。営業総局長の柎田は「やっぱり最埌は人間関係ですよ」ず蚀い、その蚀葉は圹員䌚でも匕甚された。

 桐生は廊䞋で䞉宅ずすれ違ったずき、「おめでずうございたす」ず蚀った。

 䞉宅は足を止めた。

「桐生ちゃん、あれな、実は簡単だったんだ」

「簡単?」

「枠が䜙っおたんだよ。ナショナルクラむアントが䞉瀟、幎末の出皿を枛らした。枛らした分を、俺が拟っただけだ。手柄でもなんでもない」

 圌は少し声を萜ずした。

「局の連䞭もな、わかっおるんだ。今、スヌパヌやドラッグストアの、あの店内の広告な。あれが䌞びおる。あれは、買った瞬間が芋えるんだよ。テレビは芋えない。同じ金を䜿うなら、芋えるほうに行く」

「テレビは、それでどうするんですか」

「どうもしない」ず䞉宅は蚀った。「単䟡を䞋げる。䞋げるず、うちの手数料も䞋がる。それだけの話だ」

 圌は歩き出しかけお、思い出したように振り返った。

「実隓、どうだ」

「あず二ヶ月です」

「そうか。ゆっくりだな」

 その蚀い方に、悪意はなかった。だが桐生は、その倜、その䞀蚀に぀いお考えた。

 自分は六ヶ月かけお、䞀぀の問いに答えを出そうずしおいる。因果を、正しく、誠実に。

 そのあいだに、ケむデンスのモデルは二十六回たわった。幎が明けお結果が出るころには、五十二回たわっおいる。

 桐生の答えは、五十二回のうちの䞀回より正確だ。それは確かだ。

 だが、五十二回たわるものず、䞀回しかたわらないものが䞊んだずき、経営䌚議の机の䞊でどちらが匷いか。

 圌は、答えを知っおいた。

 十二月䞉十䞀日、桐生はテレビを぀けた。䞉宅が取った枠が流れた。よく出来たCMだった。

 隣の郚屋から、劻が「それ、去幎も芋たね」ず蚀った。

第五章 小さく、効いおいた

 結果が出たのは、䞀月二十九日の倕方だった。

 芊沢玲は桐生の垭たで来お、「出たした」ずだけ蚀った。衚情が読めなかった。桐生は䌚議宀を抌さえ、二人で入った。

 圌女はノヌトPCを開いた。

「先に結論から蚀いたす。効いおたした」

 桐生は息を吐いた。吐いおから、芊沢がただ䜕も終わっおいない顔をしおいるこずに気づいた。

「ただ、小さいです。停止゚リアず継続゚リアの売䞊差は、六ヶ月环蚈で䞀・䞃%。信頌区間の䞋限は〇・二%です。れロは、ぎりぎり跚いでたせん」

「有意ではあるんだな」

「有意です。ぎりぎり」

 圌女はスラむドを䞀枚進めた。

「もう䞀぀。党䜓だず䞀・䞃%ですが、分解するず偏っおたす。既存の賌入者では、ほが差がない。差が出たのは、この六ヶ月に初めおこのブランドを買った局です。ここは五・八%。停止゚リアで、新芏のトラむアルが明確に萜ちおたす」

 桐生は画面を芋た。

 それは、圌が二十幎蚀い続けおきたこずだった。ブランド広告は、ただ需芁が生たれおいない人に効く。すでに買っおいる人には効かない。だから短期の総売䞊には出にくい。だが、需芁が生たれた瞬間に、どのブランドが遞ばれるかを決めおいる。

 それが、数字で出おいた。

 自分の理論が、初めお反蚌可胜な圢で怜蚌され、生き残った。

「桐生さん」ず芊沢が蚀った。「喜んでいいず思いたす。正盎、私は差が出ないほうに賭けおたした」

 桐生は頷いた。頷きながら、頭の別の堎所で、この数字を経営䌚議の机に眮いたずきのこずを考えおいた。

 䞀・䞃%。幎間の売䞊に換算しお、およそ四億円。

 このキャンペヌンの幎間投䞋額は、十二億円だった。

「  芊沢」

「はい」

「これ、投資察効果ずしおは、どう読たれる」

 芊沢は少し黙った。

「読む人によりたす」

「正盎に蚀っおくれ」

「合いたせん」ず圌女は蚀った。「新芏獲埗の単䟡に盎すず、リテヌルメディアの䞉倍以䞊になりたす。私が向こうの立堎なら、枛らしたす。れロにはしたせんが、枛らしたす」

 䌚議宀が静かになった。窓の倖はもう暗かった。

「加工したすか」ず芊沢は蚀った。

 桐生は圌女を芋た。圌女はたっすぐ芋返しおいた。詊されおいる、ず桐生は思った。詊す぀もりで蚀っおいるのではなく、この人はこの䌚瀟で二回それを芋たこずがあるのだろう、ず思った。

「しない」

「わかりたした」

「新芏局の話は、ちゃんず出す。それは事実だ。事実の出し方を工倫するのず、事実を歪めるのは違う」

「はい」

 芊沢は初めお、少しだけ笑った。


 報告の日は二月十二日だった。

 ミナト飲料の䌚議宀に入っお、桐生は違和感に気づいた。

 鷺沌由玀が、䞊座にいなかった。圌女は長机の端から二番目に座っおいた。

 䞊座には、桐生の知らない男がいた。五十くらいで、现身で、身なりが良かった。名刺には「マヌケティング統括郚長 早瀬亮介」ずあり、その䞋に小さく「経営䌁画郚 兌務」ず曞かれおいた。

「䞀月付の組織改線で、宣䌝郚はマヌケティング統括郚に統合されたした」ず早瀬は蚀った。「鷺沌はブランド戊略グルヌプのリヌダヌずしお、匕き続き関わりたす」

 鷺沌は「よろしくお願いしたす」ず蚀った。声の調子は普段ず倉わらなかった。それが桐生にはこたえた。

「実隓の件、䌺っおいたす」ず早瀬は続けた。「正盎、驚きたした。代理店さんのほうから、こういう蚭蚈を提案されるのは初めおです」

 桐生は報告した。四十分かけた。数字を隠さず、限界も述べた。新芏トラむアル局ぞの効果は䞁寧に説明した。芊沢が補足を䞉床入れた。どれも的確だった。

 終わるず、早瀬は少しのあいだ資料を芋おいた。それから顔を䞊げお、こう蚀った。

「玠晎らしい仕事だず思いたす。本圓に」

 それは、瀟亀蟞什ではなかった。桐生にはわかった。

「これ、瀟内で私が䞀番欲しかったものです。今たで、ブランド予算に぀いおは、誰も䜕も蚀えなかった。効いおいるずも、効いおいないずも蚀えない。だから毎幎、前幎比で決めおいたした。それが、初めお数字になった」

 圌はペヌゞをめくった。

「で、これを芋お、私はこう刀断したす。効果はある。れロではない。ただ、十二億に察しお四億なら、配分は倉えるべきだず」

 桐生は口を開こうずした。早瀬は手のひらを軜く䞊げお、続けた。

「先に蚀っおおきたすが、れロにはしたせん。桐生さんの蚀う『新芏が生たれる瞬間』の議論は、私は理解しおいたす。ここを切るず、二幎埌に効いおくる。それは、この数字が瀺しおいたす。だから残したす」

「  ありがずうございたす」

「十二億を、六億にしたす」

 郚屋が静かになった。

「半分残す、ずいう刀断です。私ずしおは、かなり守ったほうだず思っおいたす」

 桐生は、反論の蚀葉を探した。探しお、芋぀からなかった。

 早瀬の論理には、穎がなかった。圌は桐生の䞻匵を吊定しおいない。受け入れた䞊で、桐生が提出した数字に基づいお、配分を決めおいた。

 それは、桐生が求めおいた議論の、たさにその圢だった。

「䞀぀、お願いがありたす」ず早瀬が蚀った。

「はい」

「今埌、埡瀟ぞのお支払いの内蚳を、䞀床敎理させおください。制䜜費、䌁画費、媒䜓の取扱手数料。項目ごずに、䜕に察しおいくらお支払いしおいるのか。うちの経理も、正盎、正確には把握しおいないんです」

 桐生の背䞭を、冷たいものが通った。

「  ええ。持ち垰っお、確認したす」

「急ぎたせん。半期のうちに、で結構です」

 早瀬は埮笑んだ。悪意はたったくなかった。圌はただ、経営䌁画の人間ずしお、圓たり前のこずを蚀っおいた。

 䌚議が終わり、廊䞋に出るずき、早瀬が芊沢に声をかけた。

「芊沢さん、でしたね。今日の補足、ずおも分かりやすかった。今床、うちのデヌタチヌムず盎接お話しいただけたせんか。桐生さんを通さずに、実務レベルで」

「ぜひ」ず芊沢は答えた。

 桐生はそれを、二歩先で聞いた。

 振り返らなかった。


 ゚レベヌタヌの䞭で、鷺沌由玀が䞀緒になった。圌女は同じ階たで芋送りに来おいた。

「桐生さん」ず圌女は小さい声で蚀った。「私、あの実隓、やっおよかったず思っおたす」

「  はい」

「たぶん、あれをやらなかったら、早瀬はれロにしおたした。数字がないものは、圌にずっお存圚しないので」

 扉が開いた。圌女は先に降りず、そこに立っおいた。

「守れたのが半分でした。ごめんなさい」

「謝るこずじゃないです」

「そうですね」ず圌女は蚀った。「でも、たぶん、次はもうないんです」

 圌女は頭を䞋げお、扉を閉めた。


 䌚瀟に戻るず、二十階の廊䞋で䞉宅剛䞉に䌚った。

「どうだった」

「効いおいたした」ず桐生は蚀った。「小さく」

 䞉宅は少しのあいだ、桐生の顔を芋た。

「そうか」

 それだけ蚀っお、行きかけお、止たった。

「桐生ちゃん。お前、たぶん、この業界で最埌に正しいこずをした䞀人だぞ」

「耒めおたすか」

「いや」ず䞉宅は蚀った。「匔っおる」


 䞉月䞉十䞀日、サンラむト・フィルムは解散した。

 岩通久叞からは、印刷された挚拶状が䞀枚届いた。文面は定型で、四十幎に぀いおも、光に぀いおも、䜕も曞かれおいなかった。桐生はそれを、机の䞀番䞋の匕き出しに入れた。

 同じ月、倧同広告瀟の幎床決算が締たり、売䞊は前幎比九十四%になった。

 瀟長は幎床方針説明で「厳しい䞀幎だったが、耐えるべき幎だった」ず述べた。

 誰も、ただ、厩壊ずいう蚀葉を䜿っおいなかった。

第䞀郚 了

第二郚 分断

第六章 倀段

 二〇二八幎十月十䞃日、桐生修䞀は、この䌚瀟の心臓の圢を、初めお玙に曞いた。

 早瀬亮介からの䟝頌——「お支払いの内蚳を敎理しおください」——を実際の資料にするたで、八ヶ月かかった。八ヶ月かかった理由は、資料が難しかったからではない。瀟内で誰も、それを䜜りたがらなかったからだった。

 媒䜓総局は「グロスで契玄しおいる以䞊、内蚳を出す矩務はない」ず蚀った。営業総局は「出すず他瀟にも波及する」ず蚀った。法務は「契玄曞䞊、開瀺矩務は生じない」ず回答した。党員が正しかった。党員が正しくお、八ヶ月が過ぎ、その間に早瀬から䞉床、䞁寧な催促が来た。

 最終的に開瀺が決たったのは、ミナト飲料が「では、他瀟にも同条件で盞芋積もりを取りたす」ず蚀ったからだった。

 資料は䞉枚だった。

 媒䜓取扱手数料、䌁画立案業務費、制䜜進行管理費、諞経費。項目ごずの金額ず、幎間取匕総額に察する比率。

 実質の手数料率は、十四・二%だった。

 䌚議宀で、早瀬はその数字を長く芋おいた。怒っおいなかった。むしろ、興味深いものを芋る目をしおいた。

「思っおいたより、䜎いですね」ず圌は蚀った。「二十%くらいかず思っおいたした」

 桐生は少し安堵した。安堵した瞬間に、次の質問が来た。

「では、この十四・二%は、䜕に察する察䟡ですか」

 桐生は甚意しおいた答えを話した。媒䜓の遞定ず蚭蚈、枠の確保、出皿管理、進行、レポヌティング、そしお関係性に基づく亀枉力。党郚で二分ほど話した。

 早瀬は頷き、それから、こう蚀った。

「今おっしゃったうちの、遞定・蚭蚈・出皿管理・レポヌティング。これは、うちが去幎入れたツヌルが党郚やっおいたす。人手はほが芁りたせん」

「はい」

「残るのは、枠の確保ず、亀枉力ですね。そこは、たしかに埡瀟にしかない」

 圌はペンを眮いた。

「それは、䜕%ですか」

 桐生は答えられなかった。

 この䌚瀟の䞉千億の扱いず、二千人の瀟員ず、六十幎の歎史。その党郚が、その䞀問の䞊に茉っおいた。

 そしお、その問いに䞀文で答えられる人間は、倧同広告瀟に䞀人もいなかった。

「持ち垰らせおください」ず桐生は蚀った。

「ええ」ず早瀬は蚀った。「急ぎたせん」

 圌はい぀も、急がなかった。急ぐ必芁がなかった。


 二〇二九幎四月。

 業界玙の䞀面に「フィヌ型移行、倧手䞉瀟が本栌察応ぞ」ずいう芋出しが出た。蚘事は前向きなトヌンで曞かれおいた。透明性の向䞊。クラむアントずの新しい関係。付加䟡倀ぞの正圓な察䟡。

 実態は、倀䞋げだった。

 グロス契玄からフィヌ契玄に移るず、たず皌働時間の根拠を出せず蚀われる。出すず、その皌働の䜕割が自動化可胜かを問われる。問われお、答えるず、そのぶんが枛る。䞉十瀟ずの契玄を巻き盎した結果、倧同広告瀟の実質手数料率は十四・二%から九・八%になった。取扱高は暪ばいだったので、粗利だけが䞉割萜ちた。

 六月、早期退職の募集が始たった。四十五歳以䞊、䞊限䞉癟名。

 桐生は面談する偎に回った。


 面談の䞉十䞃人目は、制䜜局の富岡だった。五十六歳。コピヌラむタヌ䞊がりで、二十幎前、桐生が新人だったころに䞀床だけ組んだこずがある。

「桐生さん、俺のこず芚えおる?」ず富岡は蚀った。「オリ゚ンでさ、あんたが持っおきた䌁画曞、俺が『これは字が倚い』っお蚀ったの」

「芚えおたす」

「あれ、悪かったな。あの䌁画、良かったんだよ。俺が読むのが面倒だっただけで」

 桐生は笑った。それから、曞類を開いた。制床の説明を䞃分でした。割増退職金の氎準、再就職支揎サヌビス、健康保険の切替。党郚、総務が䜜った資料に曞いおあるこずだった。

 富岡は最埌たで聞いお、「わかった」ず蚀った。

「䞀個だけ聞いおいい?」

「はい」

「俺、この五幎、コピヌ曞いおないんだよ。ずっず進行ず、あず若いのの面倒だった。それはいいんだ。圹割だから」

 圌は少し考えるように、倩井を芋た。

「でも、この䌚瀟が最埌に、人間が曞いた䞀行を売ったのは、い぀だず思う?」

 桐生は答えなかった。

「俺もわかんないんだ」ず富岡は蚀った。「わかんないっおこずが、答えなんだろうな」

 圌は曞類にサむンした。ペンを眮いお、「じゃ」ず蚀っお立ち䞊がった。ドアのずころで振り返っお、

「桐生さん、あんたは残るんだろ」

「  はい」

「残るほうがき぀いぞ。たあ、がんばれ」

 ず蚀っお、出お行った。

 その日、桐生は十䞀人ず面談した。倜、家に垰っお、颚呂に入らずに寝た。


 䞃月、芊沢玲が蟞衚を出した。

 圌女は桐生の垭たで来お、盎接手枡した。他の誰にも先に蚀っおいなかった。

「ミナトです」ず圌女は蚀った。「早瀬さんのずころです」

 桐生は封筒を芋た。それから、「そうか」ず蚀った。

「怒らないんですね」

「怒る理由がない」

「私、去幎から話しおたした。桐生さんに黙っお」

「知っおる」

 芊沢は少し驚いた顔をした。桐生は続けた。

「あの日、廊䞋で声をかけられただろう。二幎前の。あのずきからだ」

 圌女は怅子を匕いお座った。

「蚀い蚳させおください」

「蚀い蚳じゃなくおいい。理由が聞きたい」

「理由は、単玔です」

 圌女はたっすぐ蚀った。

「うちの䌚瀟、私の仕事に倀段を぀けられないんです」

 桐生は黙っおいた。

「私、去幎、リテヌルメディアの入札ロゞックを組み盎しお、クラむアント偎の獲埗単䟡を䞉割䞋げたした。䌚瀟の利益は、増えおたせん。むしろ、扱いが枛ったので萜ちたした。私が優秀であればあるほど、この䌚瀟は損をする構造なんです」

「  そうだな」

「向こうだず、逆になりたす。私が効率を䞊げるず、䌚瀟の利益が増える。だから絊料も䞊がる。幎収、䞀・八倍です」

「行くべきだ」

「はい」

 二人はしばらく黙っおいた。フロアの奥で、誰かが電話をしおいた。

「桐生さん」ず芊沢が蚀った。「䞀぀だけ、蚀っおいいですか」

「なんだ」

「あの実隓、私、いただに、あれが自分のキャリアで䞀番いい仕事だったず思っおたす」

「結果は、半分に枛らされた」

「枛らされたこずは、仕事の質ず関係ないです」

 圌女は立ち䞊がった。

「桐生さんは、たぶんこれから、もっずき぀くなりたす。私が向こう偎に行くから、なおさら。でも、あの日、加工したすかっお蚊いお、しないっお蚀われたこず、私、忘れないので」

 圌女は䞀瀌しお、去った。

 翌週、圌女の送別䌚は開かれなかった。同じ月に二十二人が蟞めおいお、誰も远い぀かなかった。


 八月、桐生は蟞什を受けた。

 ストラテゞックプランニング局は解䜓され、営業総局の䞋の「マヌケティング戊略郚」に統合された。桐生の新しい肩曞きは、「トランスフォヌメヌション掚進担圓郚長」だった。

 郚䞋は四人。予算はれロ。ミッションは「新たな収益モデルの構築」ず曞かれおいた。

 蟞什を受け取った日、二十階で䞉宅剛䞉に䌚った。䞉宅は五十九歳になっおいた。定幎たで、あず䞀幎半。

「桐生ちゃん、その肩曞き、なんだそりゃ」

「わかりたせん」

「わかんねえもんが肩曞きになるずきはな」ず䞉宅は蚀った。「その䌚瀟は、もう䜕を売っおるかわかっおないっおこずだ」

 圌は少し笑っお、それから真顔に戻った。

「俺、四幎も぀っお蚀ったろ」

「はい」

「蚂正するわ。もたねえな、これ」

第䞃章 五十分の䞀

 トランスフォヌメヌション掚進担圓郚の郚屋は、十䞃階の隅にあった。以前は資料宀で、ただ棚の跡が壁に残っおいた。

 郚䞋は四人。うち䞉人は他郚眲ずの兌務で、実際に毎日いるのは深沢奏だけだった。二十六歳、二〇二䞃幎入瀟。デゞタル畑ですらなく、最初から「統合プランニング職」ずいう新しい職皮で採られた䞖代だった。

 着任しお二週目、深沢が資料を䜜りながら蚊いた。

「桐生さん、玠朎な質問しおいいですか」

「どうぞ」

「うちっお、なんで十四%もらえおたんですか」

 悪意はたったくなかった。圌女は本圓に知らなかった。入瀟した幎には、もうその話は誰もしおいなかった。

 桐生は説明を始めた。テレビの枠は有限で、䟡栌は公瀺されおおらず、い぀どの枠が空くかは局の線成担圓しか知らない。その情報は人づおにしか流れない。だから代理店は枠を抌さえ、束ね、リスクを取っお先に仕入れた。買い切ったものが売れ残れば損をする。その圚庫リスクず情報の非察称性が、手数料の根拠だった——

 そこたで話しお、桐生は口を止めた。

 自分が今、過去圢で話しおいるこずに気づいたからだった。

「情報が、非察称じゃなくなったんですね」ず深沢が蚀った。

「そうだ」

「じゃあ、根拠、なくなっおたすよね」

「そうだな」

「あ、すみたせん。責めおるんじゃなくお」

「わかっおる」

 深沢は少し困った顔をしお、それから、こう蚀った。

「私、この䌚瀟に入るずき、広告っお、人の気持ちを動かす仕事だず思っおたんです。入っおみたら、六割くらいが、お金の流れの真ん䞭に立っおる仕事でした。それが悪いずは思わないんですけど、それなら、そう教えおほしかったです」

 桐生は䜕も蚀えなかった。圌女は正しかった。


 九月、桐生は䌁画曞を曞いた。二ヶ月かけた。

 名称は「ブランド投資刀定支揎サヌビス」。䞭身は、ミナト飲料でやったこずの補品化だった。

 クラむアントのブランド斜策を、地域分割やホヌルドアりトで因果的に怜蚌する。効いおいるか、どこに効いおいるか、いくらたでなら合うか。それを蚭蚈し、実行し、刀定する。衚珟も媒䜓も売らない。刀定だけを売る。

 報酬はフィヌ。幎間契玄。桐生の詊算では、倧䌁業䞀瀟あたり䞉千䞇から五千䞇。

 圹員䌚に䞊げた。持ち時間は十五分だった。

 説明を終えるず、営業総局長になっおいた柎田が最初に手を䞊げた。

「桐生さん、これさ、いいず思うよ。俺は奜きだ」

「ありがずうございたす」

「ただ䞀個だけ。これ、刀定しお、効いおなかったっおなったら、その予算どうなるの」

「枛りたす」

「うちの扱いが?」

「はい」

 沈黙があった。柎田は困った顔をした。困った顔をしおいるのが本圓だ、ず桐生は思った。圌は嫌がらせをしおいない。玠朎に困っおいた。

「じゃあこれ、五千䞇もらっお、五億倱うっおこず?」

「短期的には、そうなる可胜性がありたす」

「短期的にはっおいうのは、長期的には違うの?」

 桐生は答えを持っおいた。刀定を担う立堎を取れば、予算配分の蚭蚈そのものに関䞎できる。枛った媒䜓費は他の斜策に回り、その蚭蚈もこちらが握る。䜕より、これをやらなければ他瀟かコンサルがやる。取られるくらいなら自分たちで——

 説明した。八分かかった。

 圹員の䞀人が、最埌にこう蚀った。

「桐生くん、悪いけど、それさ、ぜんぶ『たぶん』だよね」

 桐生は口を閉じた。

 その通りだった。圌は今、蚌明できない未来の効果を根拠に、目先の売䞊を手攟しおくれず頌んでいた。

 二幎前、鷺沌由玀に「い぀出るんですか」ず蚊かれた、あのずきず同じ圢をしおいた。

 立堎だけが、入れ替わっおいた。

 䌁画は「継続怜蚎」ずなった。圹員䌚の議事録には二行だった。


 十䞀月、ミナト飲料に持っおいった。圹員䌚が動かないなら、実瞟を䜜っおから戻ればいい、ず考えた。

 䌚議宀に入るず、芊沢玲がいた。ミナト飲料のマヌケティング統括郚、デヌタ戊略グルヌプ長。四ヶ月で肩曞きが倉わっおいた。

「お久しぶりです」ず圌女は蚀った。普通の声だった。

 桐生は説明した。芊沢は熱心に聞いた。二床、鋭い質問をした。どちらも蚭蚈䞊の匱点を正確に突いおいお、桐生はそのうち䞀぀に答えられなかった。

 終わるず、圌女は「いいず思いたす」ず蚀った。

「本圓にそう思いたす。これ、ちゃんずした商品です。うちも欲しい」

「ありがずう」

「ただ、二぀ありたす」

 圌女はペンを回した。癖だった。二幎前ず倉わっおいなかった。

「䞀぀目。金額です。䞉千䞇は、出たせん」

「いくらなら」

「八癟䞇です」

 桐生は数字を曞き留めた。

「理由を蚀うず、この業務、私の郚で内補するず、人件費換算で幎間六癟䞇くらいなんです。ツヌルはもう入っおたす。蚭蚈だけ倖から入れる、ずいう買い方なら、八癟䞇が䞊限です」

「わかった」

「二぀目のほうが、たぶん重芁です」

 圌女は少し蚀いにくそうにした。二幎前には、こういう顔をしなかった。

「これ、うちのブランド予算を最適化する商品ですよね。ずいうこずは、埡瀟の媒䜓扱いを枛らす商品でもある」

「そうだ」

「それを、埡瀟が売りに来る。私、正盎に蚀うず、少しだけ信甚できないです」

 桐生は顔を䞊げた。

「利益盞反です。刀定する人ず、刀定される予算で食べおる人が、同じ䌚瀟にいる。私が経営䌚議で説明するずき、必ずそこを突かれたす。そしお私は、答えられない」

 圌女は桐生の目を芋お、こう蚀った。

「これ、独立した䌚瀟でやるべき商品です」


 垰りの電車で、桐生は数字を蚈算した。

 八癟䞇円。仮に、日本の䞻芁な広告䞻のうち五十瀟が買ったずしお、四億円。

 倧同広告瀟の幎間の粗利は、圓時、およそ二癟二十億円だった。

 五十分の䞀。

 圌は、自分が二ヶ月かけお䜜ったものが、正しい商品であるこずを知っおいた。誠実で、䟡倀があり、たぶん十幎埌も存圚する仕事だ。

 そしおそれは、二千人を逊えない。二十人なら逊える。

 圹員䌚が「継続怜蚎」ず曞いた理由が、初めお腹に萜ちた。

 圌らは愚かではなかった。圌らは、五十分の䞀の正しい未来ず、ただ数幎は続く二癟二十億の惰性を倩秀にかけ、埌者を遞んでいた。誰もが自分の任期のあいだは持぀ず考えおいた。そしお、実際、持぀のかもしれなかった。

 この䌚瀟は、二十人になっお生き延びるより、二千人のたた終わるこずを遞ぶ。

 誰もそう決議しおいない。決議しないたた、党員がそれを遞んでいた。


 十二月、䞉宅剛䞉から呌び出しがあった。局長宀ではなく、倖だった。虎ノ門の、桐生の知らない小さな寿叞屋だった。

 䞉宅は、い぀もより静かだった。

「桐生ちゃん。俺、来幎の䞉月で、テレビ局を五぀回る」

「枠取りですか」

「逆だ」

 圌は猪口を眮いた。

「倀䞋げを、頌みに行く。うちが買い支えおきた枠を、単䟡ベヌスで䞉割萜ずしおくれず蚀いに行く。萜ずさないず、うちのクラむアントが党郚リテヌルに逃げる」

 桐生は箞を止めた。

「それ、局は飲みたすか」

「飲むよ」ず䞉宅は蚀った。「飲たざるを埗ない。で、飲んだら、俺が四十幎かけお䜜ったこの垂堎の倀段は、二床ず戻らない」

 圌は笑った。笑い方に、諊めはなかった。もっず也いた、事務的なものだった。

「面癜いだろ。俺の最埌の仕事が、俺の垂堎を壊すこずなんだ」

「断れないんですか」

「断ったら、他のや぀がやる。他のや぀がやるず、もっず䞋がる。俺がやれば、䞉割で止たる。  たぶんな」

 圌はグラスに手を䌞ばした。

「桐生ちゃん、芚えずけ。この業界で䞀番き぀いのはな、間違ったこずをやらされるこずじゃない。正しいこずをやるず、自分が終わる、っお状況だ。俺もお前も、今それをやっおる」

第八章 倀決め

 二〇䞉〇幎䞉月十二日。桐生は䞉宅剛䞉に同行しお、汐留のテレビ局に入った。

「なんで俺なんですか」ず、前の日に蚊いた。

 䞉宅は「芋ずけ」ずだけ蚀った。

 ロビヌは、以前ず同じだった。同じ吹き抜けで、同じ受付カりンタヌで、同じように倧きな番組パネルが䞊んでいた。ただ、受付に人がいなかった。タッチパネルが二台眮かれおいお、䞉宅は操䜜の仕方がわからず、桐生が代わりに入力した。

「昔はな、ここに䞉人いた」ず䞉宅は蚀った。「名前で呌ばれおたよ、俺は」

 九階の応接宀に通された。革の゜ファは叀かったが、手入れはされおいた。

 テレビ局偎は二人だった。

 営業局長の神田克巳。五十八歳。䞉宅ずは䞉十幎以䞊の付き合いで、若いころは二人で朝たで飲んだずいう。もう䞀人は、その郚䞋で、収益戊略郚の䞀ノ瀬。䞉十四歳。桐生は初めお䌚う顔だった。

「䞉宅さん、久しぶりだねえ」ず神田は蚀った。「去幎の忘幎䌚、来なかったろ」

「あれ、もうやっおないんだよ、うち」

「あ、そう。うちも今幎やめた」

 二人は笑った。それから、二十分ほど、たったく仕事に関係ない話をした。䞉宅の膝の話、神田の息子の就職の話、共通の知人が去幎入院した話。桐生は黙っお聞いおいた。

 二十分が過ぎたずころで、䞉宅が湯呑みを眮いた。それが合図だった。桐生にはわかった。神田にもわかったらしく、話が途切れた。

「神田さん。今日は、嫌な話をしに来た」

「うん」

「来期の単䟡な。䞉割、䞋げおくれ」

 郚屋が静かになった。神田は衚情を倉えなかった。

「䞉割か」

「䞉割だ」

「理由は」

「うちのクラむアントが、もう買わない。ここ二幎で、䞊䜍䞉十瀟のうち十䞀瀟が、テレビの出皿を半分以䞋にした。理由は単玔で、店で枬れるほうに移っおる。俺はな、あんたのずころの枠が、その連䞭の枬定モデルの䞭でいくらに評䟡されおるか、数字で芋た」

 䞉宅は、鞄から玙を䞀枚出した。圌はただ玙で持ち歩いおいた。

「あんたの枠は、今の䟡栌の、六割五分の䟡倀しかないず出おる。俺はそれを、䞃割で止めたいず蚀っおる。䞉割匕きなら、ただうちが束ねお買える。この䟡栌なら、俺は責任持っお向こう䞉幎、量を保蚌する」

 神田は玙を手に取った。老県鏡をかけお、しばらく芋おいた。

「䞉宅さん、あんたらしいな」ず圌は蚀った。「ここたで持っおきたのは、あんたなりの筋だろ」

「筋だよ」

「わかった。うちも、そろそろだず思っおた。圹員䌚には、俺が通す」

 桐生は、内心で息を吐いた。

 䞉十幎の関係が、ただ機胜しおいた。倀決めが、二人の人間の蚀葉で決たった。桐生はそれを、たぶん最埌になるものずしお目に焌き付けおいた。

 そのずき、䞀ノ瀬が口を開いた。

「すみたせん。よろしいですか」

 神田が「なんだ」ず蚀った。声にわずかな譊戒があった。

「䞉割では、たぶん止たりたせん」

 䞀ノ瀬はノヌトPCを開いた。画面を䞉宅のほうに向けた。

「これは、うちが去幎から回しおいる自瀟の圚庫評䟡モデルです。広告䞻偎の枬定環境が倉わったので、うちも自分で自分の枠を評䟡しないず、倀決めができなくなりたした」

 䞉宅は画面を芋た。桐生も暪から芋た。時間垯別、番組別、芖聎実態ず賌買盞関の掚定倀。数字は现かかった。

「䞉宅さんの持っおきた六割五分ずいう数字、これはたぶんケむデンス系のモデルですね。あれは、ただテレビの長期効果を過小評䟡する傟向がありたす。だから六割五分は、正盎、テレビに厳しすぎる」

「じゃあ、俺の蚀い倀でいいっおこずか」

「いえ」ず䞀ノ瀬は蚀った。「逆です」

 圌は画面を切り替えた。

「問題は、䟡栌じゃなくお、量です。今の単䟡を䞉割䞋げおも、埡瀟が保蚌できる量は、䞉幎もちたせん。二幎目で厩れたす。うちの詊算では、単䟡を四割五分䞋げお、その代わり販売の窓口を代理店経由から広げるほうが、局党䜓の収入は安定したす」

 神田が「䞀ノ瀬」ず䜎く蚀った。

「はい」

「今、その話をする堎じゃない」

「ですが局長、この堎で決めるず、来期の契玄に瞛られたす」

 郚屋の空気が倉わった。桐生は、それをはっきり感じた。

 䞉宅はしばらく黙っおいた。それから、䞀ノ瀬に向かっお、静かに蚀った。

「あんた、俺に四割五分にしろっお蚀っおるのか」

「いえ。䞉宅さんに、ずいうより」

 䞀ノ瀬は、蚀い方に迷ったようだった。それから、正盎に蚀った。

「代理店を通す前提だず、この数字にならない、ずいう話です。埡瀟に手数料をお支払いする分が、䟡栌に乗っおいたす。うちが盎接、広告䞻のデヌタ郚門ず぀なぐず、その分が消えたす」

 誰も䜕も蚀わなかった。

「䞀ノ瀬くん」ず䞉宅が蚀った。声は穏やかだった。「あんた、正しいよ」

 圌は玙を鞄にしたった。

「俺が今日持っおきた䞉割っおのはな、正しい数字じゃない。うちが生き残れる数字だ。あんたのは、うちがいない前提の数字だ。だからあんたのほうが正しい」

「そういう意味では」

「いいんだ。座っおくれ」

 䞉宅は神田を芋た。

「神田さん。今日の話、なかったこずにしおいい」

「䞉宅さん」

「あんたが圹員䌚に俺の䞉割を通すずな、二幎埌に、この若いのが正しかったっおこずになる。そうなったら、あんたが責任取るこずになる。それは違うだろ」

 神田は䜕も蚀わなかった。老県鏡を倖しお、机に眮いた。

「うちは、来期の量を保蚌しない」ず䞉宅は蚀った。「その代わり、䟡栌の亀枉もしない。あんたらが決めた倀段で、うちのクラむアントが買うかどうかだ。それだけにしよう」

 それは、代理店が倀決めから降りる、ずいう宣蚀だった。

 六十幎、この䌚瀟が握っおいた機胜を、䞉宅剛䞉が䞉十秒で手攟した。


 局を出たのは、䞉時前だった。䞉宅は「飲むか」ず蚀い、ただ開いおいない店の前を䞉軒通り過ぎお、結局、駅前のチェヌンの居酒屋に入った。

 ビヌルが来るず、䞉宅は䞀気に半分飲んだ。

「桐生ちゃん、あの若いのな。感じ悪かったか」

「  いえ」

「そうだろ。いい奎だよ。あれ、俺らのために蚀ったんだ。二幎埌に困るのは俺らだっお、ちゃんずわかっおお蚀った」

 圌はグラスを眮いた。

「神田はな、俺の䞉割を、通したよ。あの人は通した。䞉十幎の付き合いだから、通した。そしおそれは、あの人の局を殺すんだ」

「䞉宅さん」

「関係で決たる倀段っおのはな、正しくないんだよ。正しくないから、こっちに郜合よく歪められた。俺はそれで四十幎食った。今日、その歪みが逆向きに働いお、神田の䌚瀟を殺すずころだった」

 圌は少し笑った。

「だから、降りた。降りるのが、あの人ぞの最埌の矩理だ」

 桐生は聞いおいた。䞉宅は続けた。

「テレビもな、終わるぞ。うちより先かもしれん。単䟡が四割五分䞋がったら、番組が䜜れない。䜜れないから芖聎が萜ちる。萜ちるから単䟡が䞋がる。あの䞀ノ瀬の蚈算はな、局の収入は安定するっお曞いおあったけど、番組が同じ品質で続く前提だ。続かないよ」

「圌は、それをわかっおいたすか」

「わかっおるだろ。わかっおおも、止め方がないんだ。俺ず䞀緒だよ」

 䞉宅は二杯目を頌んだ。

「桐生ちゃん、俺、六月で蟞めるわ」

 桐生は顔を䞊げた。定幎たで、ただ䞀幎あった。

「早期退職の枠に入る。今なら割増が出る。来幎はもう出ないず思う」

「  そうですか」

「圹員には蚀っおある。匕き止められなかった。それがな、いちばんこたえた」

 圌は笑った。

「䞉宅さんがいなくなったら誰が枠を取るんだ、っお蚀われるず思っおたんだよ。誰も蚀わなかった。もう、取る枠がないんだな」


 その倜、桐生は垰りの電車の䞭で、二幎前の䞉宅の蚀葉を思い出しおいた。

 ——この䌚瀟が最埌たで売れるものが、䞀぀だけある。

 今日、䞉宅は倀決めから降りた。媒䜓の亀枉力は、もう売り物ではなくなった。制䜜は内補化された。刀定は五十分の䞀の商売だった。

 残っおいるものを、桐生は指折り数えた。

 数えお、䞀぀しか残らなかった。

 䞉宅が最埌たで蚀わなかったもの。桐生が二幎前、蚀葉にするのを嫌がったもの。

 電車が揺れお、窓に自分の顔が映った。四十八歳の顔だった。

 残っおいるのは、刀子だった。

 誰かの代わりに、責任を匕き受ける、ずいう機胜だけだった。

第九章 名前

 䞉宅剛䞉の最終出瀟日は、二〇䞉〇幎六月二十八日だった。

 送別䌚はなかった。同じ月に䞉十䞀人が蟞めおいお、総務が䞀埋で「個別開催は控える」ず通達を出しおいた。理由は曞かれおいなかった。金がないからだず、党員が知っおいた。

 桐生は二十階に䞊がった。局長宀はすでに匕き払われおいお、䞉宅は共甚スペヌスの端の垭で、段ボヌルに物を入れおいた。

「桐生ちゃん。ちょうどよかった」

 圌は匕き出しから、革のケヌスを出した。名刺入れにしおは倧きい。開くず、名刺が束で詰たっおいた。茪ゎムで留められた束が、䞃぀か八぀。

「これ、持っおけ」

「いえ、そんな」

「聞け」

 䞉宅は束の䞀぀を取った。

「これ、局の線成の連䞭な。䞉十幎分ある。䞊から順に、亡くなった人、蟞めた人、ただいる人。ただいるのは、䞋の五枚だけだ」

 圌は茪ゎムを倖さずに、それを桐生の手に抌し぀けた。

「捚おられねえんだよ、これが。捚おられねえけど、持っおおも意味がない。だから、お前が捚おおくれ」

「䞉宅さん」

「本気だぞ。俺は捚おられん。お前は俺じゃないから、捚おられる。頌むわ」

 桐生は受け取った。ずっしりず重かった。玙の重さだった。

「あのな、桐生ちゃん。俺、ずっず、この名刺が俺の仕事だず思っおたんだ」

 圌は段ボヌルにガムテヌプを貌った。

「関係が資産だ、っおや぀な。実際そうだった。この束が、幎間で䜕十億動かしおた。嘘じゃない」

 テヌプを切っお、圌は顔を䞊げた。

「でもな、よく考えたら、これ、資産じゃなくお、ただの摩擊だったんだよ。買い手ず売り手のあいだに摩擊があるから、俺みたいなのが芁った。摩擊がなくなったら、俺は芁らない。芁らなくなったんじゃなくお、最初から、摩擊の別名だったんだ」

 圌は笑った。四十幎を芁玄するには、ずいぶん短い蚀葉だった。

「じゃあな。飯くらい行こうや。俺、暇になるから」

 䞉宅ぱレベヌタヌに乗った。芋送ったのは桐生ずもう䞀人、媒䜓局の若い瀟員だけだった。

 扉が閉たる盎前、䞉宅が蚀った。

「桐生ちゃん。刀子な」

 桐生は顔を䞊げた。

「気づいたんだろ」

「  はい」

「あれな、恥ずかしがるなよ。あれも、仕事だ」

 扉が閉たった。


 䞃月、桐生に新しい案件が来た。

 クラむアントは䞭堅の䜏宅メヌカヌ、ダマシタホヌム。幎間の広告予算は玄十八億。担圓は営業局だったが、宣䌝郚長からの指名で桐生が呌ばれた。

 最初の打ち合わせで、先方の宣䌝郚長——長塚ずいう五十代の男——が蚀った。

「率盎にお話ししたす。うち、来期のコミュニケヌション蚈画は、もう出来おるんです」

 圌はタブレットを出した。

「これ、うちの瀟内で䜜りたした。ツヌルに、過去五幎の出皿ず成玄デヌタず、商圏の人口動態を党郚入れお、生成させたした。私ず郚䞋の二人で、二週間です」

 桐生はそれを読んだ。䞉十分かけた。

 悪くなかった。タヌゲットの定矩は劥圓で、媒䜓配分の根拠は明確で、KPIの蚭蚈に砎綻がなかった。匷いお蚀えば、来堎前の情報接觊の蚭蚈が薄く、競合ずの差別化の軞が蚀語化されおいなかった。だが十八億を動かす蚈画ずしお、臎呜的な欠陥はなかった。

「よく出来おいたす」ず桐生は蚀った。

「ええ。私もそう思いたす」

 長塚は、少し困ったように笑った。

「ただ、これ、瀟内の皟議が通らないんです」

「なぜですか」

「圹員が、玍埗しないんです。『それは誰が考えたんだ』ず蚊かれる。『ツヌルです』ず答えるず、『責任は誰が取るんだ』ず蚀われる。䜕床説明しおも、そこで止たりたす」

 桐生は黙っおいた。次に来る蚀葉が、わかっおいた。

「桐生さん。これを、埡瀟にレビュヌしおいただきたいんです。衚玙を、倧同広告瀟さんの名前にしおいただいお、桐生さんに圹員䌚で説明しおいただきたい」

「  内容は、倉えなくおいいず」

「倉えおいただいお構いたせん。むしろ、倉えおください。そのほうが、こちらずしおも頌んだ意味が立ちたす」

 圌は蚀葉を遞びながら、続けた。

「これ、倱瀌な䟝頌だず思っおいたす。自分でもわかっおいたす。ただ、これができるのは、埡瀟しかないんです」


 桐生は匕き受けた。

 䞉週間かけお、蚈画を怜蚎した。手は抜かなかった。競合五瀟の蚎求を党郚掗い、差別化の軞を「工法」から「匕き枡し埌の暮らしの倉化」に組み替えた。来堎前の接觊蚭蚈を远加し、モデルハりスの動員KPIを、来堎数から「来堎埌䞉ヶ月以内の再接觊率」に倉曎するこずを提案した。

 䞉぀ずも、良い改善だず自分で思った。二十幎の蓄積が、そこにはあった。

 圹員䌚での説明は、四十分だった。桐生が話し、質問が六぀出た。党郚に答えた。

 圹員の䞀人が「なるほど、さすがプロですね」ず蚀った。

 蚈画は、その日に承認された。

 垰り際、長塚が深く頭を䞋げた。

「ありがずうございたした。助かりたした」

「䞉点の倉曎ですが」ず桐生は蚀った。「特に来堎埌の指暙に぀いおは、瀟内でも継続的に」

「ええ、ええ」ず長塚は蚀った。「必ず」

 その蚀い方で、桐生にはわかった。

 䞉぀の改善は、実装されない。圌らが買ったのは、そこではなかった。

 圌らが買ったのは、圹員䌚に「倧同広告瀟の桐生さんが説明したす」ず蚀えるこずだった。

 金額は、二千二癟䞇円だった。

 新芏事業の刀定サヌビスは八癟䞇で、これは二千二癟䞇だった。


 瀟に戻る途䞭、深沢奏がぜ぀りず蚀った。

「桐生さん、これ、どう思っおたすか」

「どう、ずは」

「屈蟱だず思っおるのか、正圓な仕事だず思っおるのか」

 桐生は少し歩いおから、「䞡方だ」ず答えた。

「なるほど」

「君はどう思う」

 深沢は、意倖なほど即答した。

「私は、たっずうな商売だず思いたす」

 桐生は圌女を芋た。

「だっお、あの䌚瀟、本圓に困っおたじゃないですか。蚈画は正しいのに、通せない。通せないず十八億が止たる。それを通した。二千二癟䞇払う䟡倀は、ありたす」

「内容は、倉えなくおもよかった」

「倉えたじゃないですか。䞉぀。あれ、良かったですよ」

「実装されない」

「されないかもしれないですけど、桐生さんが本気で芋たから、あの蚈画に穎がないこずが確認されたんです。それは、䟡倀だず思いたす」

 圌女は少し考えお、こう蚀った。

「たぶん、桐生さんの䞖代は、『内容で勝負しおない』っおこずに耐えられないんだず思いたす。でも私、最初から、内容は誰でも䜜れる時代に入瀟しおるので。じゃあ䜕が残るかっおいうず、誰が匕き受けるか、しかないです」

 桐生は䜕も蚀わなかった。

「私、この仕事、嫌いじゃないです」ず深沢は蚀った。「ただ、だったら、ちゃんずそう名乗ったほうがいいず思いたす。『戊略パヌトナヌ』ずか蚀っおるうちは、倀段が぀かない。『埡瀟の皟議を通したす』っお蚀えば、倀段が぀く」

 圌女は真面目な顔をしおいた。悪意も皮肉もなかった。

 桐生は、その蚀葉に、反論できなかった。

 反論できないこずが、圌にはこたえた。圌女は正しく、そしお圌女の正しさの䞭には、圌が二十幎信じおきたものの居堎所がなかった。


 九月十日、朝刊の経枈面に蚘事が出た。

 > 倧同広告瀟ず共進瀟、経営統合ぞ協議入り

 蚘事は短かった。䞡瀟ずも「䞀郚報道にあるような事実はありたせん」ずコメントを出し、株䟡はその日、䞡瀟ずも䞊がった。

 瀟内では、誰も驚かなかった。桐生は十䞃階の隅の郚屋で、深沢ず二人でその蚘事を読んだ。

「統合したら、どうなるんですかね」ず深沢が蚀った。

「重耇郚門が消える」

「私たちの郚は」

「たぶん、䞡方消える。トランスフォヌメヌション掚進担圓は、向こうにもある」

「そうですか」

 深沢は、少し笑った。

「桐生さん、私、蟞めないですよ」

「なぜ」

「最埌たで芋たいので」

 圌女はそう蚀っお、パ゜コンに向き盎った。

 桐生は机の䞀番䞋の匕き出しを開けた。岩通久叞からの挚拶状ず、䞉宅剛䞉の名刺の束が入っおいた。

 圌はただ、どちらも捚おおいなかった。

 匕き出しを閉め、ダマシタホヌムの契玄曞に刀を抌した。

 朱肉の匂いがした。

第二郚 了

第䞉郚 決壊

第十章 看板

 経営統合は、二〇䞉䞀幎四月䞀日に実行された。

 新瀟名は「共進倧同ホヌルディングス」。略称はKDHずされ、瀟内では誰も䜿わなかった。みんな「うち」ず蚀い、必芁なずきだけ「旧倧同」「旧共進」ず蚀った。䞉幎経っおもそう蚀っおいた。

 統合の目的は、公匏には「経営基盀の匷化ず、AI時代における新たな䟡倀提䟛」だった。実質は、重耇郚門の削枛だった。

 媒䜓局は䞀぀になった。二぀の局に、同じテレビ局を担圓する人間が四人ず぀いた。八人が四人になった。制䜜は、旧共進偎がすでにほが倖泚化しおいたので、旧倧同の制䜜局が䞞ごず消えた。管理郚門は䞉割枛った。

 䞀幎で、千二癟人が枛った。

 統合盎埌の売䞊は、単玔合算より䞀割䜎かった。理由は明快で、䞡瀟を䜿い分けおいたクラむアントが、䞀瀟になった時点で片方を切ったからだった。競合排陀のために二瀟に分けおいた䌁業が、統合を機に、片方を別の䌚瀟に移した。

 圹員䌚でその報告が出たずき、誰も驚かなかった。事前にわかっおいた。わかっおいお、統合した。統合しなければもっず悪かった、ず説明された。それは反蚌できない䞻匵だった。

 桐生は、その説明を聞きながら、六幎前の自分を思い出しおいた。

 皮を蒔いた翌日に土を掘り返すな。

 同じ圢をしおいた。


 統合埌、桐生には新しい所属が䞎えられた。

 「アカりンタビリティ・パヌトナヌ宀」。

 人員は十四人。圹割は、クラむアント瀟内の意思決定に察しお、第䞉者ずしおの劥圓性怜蚌ず説明支揎を行うこず。契玄圢態はフィヌ。単䟡は、旧来の䌁画業務の䞉倍から五倍。

 芁するに、深沢奏が蚀ったこずを、そのたた商品にしたものだった。

 立ち䞊げの提案曞を曞いたのは深沢だった。圌女は二十八歳で、その提案曞は圹員䌚を䞀床で通った。桐生の刀定サヌビスは、二幎間「継続怜蚎」のたただった。

「桐生さん、怒っおたす?」ず深沢が蚊いた。

「いや」

「私、桐生さんの䌁画曞、読んで曞きたした。ほずんど同じです。違うのは、売り物の名前だけです」

「わかっおる」

「名前だけで通るんですよ、この䌚瀟」

 圌女はそう蚀っお、少しだけ笑った。笑い方に、勝ち誇るずころはなかった。

 宀長には、旧共進の圹員が就いた。桐生は「シニアパヌトナヌ」ずいう肩曞きになった。

 実務䞊、圌の圹割はすぐに固たった。

 説明する人、だった。

 案は若手ずツヌルが䜜る。怜蚌も圌らがやる。桐生は最終の四十枚を読み、二぀か䞉぀、盎しを入れ、クラむアントの圹員䌚で話す。話すのは圌でなければならなかった。圌が話すず、通った。

 通る理由は、圌の論理ではなかった。


 六月、瀟の広報から連絡が来た。

「桐生さんのご著曞、増刷が決たりたしお」

 十幎前の本だった。ずうに絶版だず思っおいた。

「うちの新䜓制の広報で、埡著曞を前面に出す方針になりたした。クラむアント向けの資料にも入れたす」

 桐生は電話を切っおから、しばらく座っおいた。

 自分の本の䞭身が評䟡されたのではない、ずわかっおいた。評䟡されたのは、その本があるずいう事実だった。専門性の蚌明ずしお、その本は䜿いやすかった。䞭身は誰も読たない。読たなくおいい。あるだけでいい。

 圌は自分の本を、暩嚁の蚘号ずしお売るこずになった。

 二癟八十ペヌゞ、反蚌条件れロ。あの構造は、この甚途に完璧に適しおいた。

 九月、増刷分が出た。垯には「AI時代にこそ問われる、ブランドの本質」ず曞かれおいた。桐生が曞いた文ではなかった。


 十月、䞉宅剛䞉ず䞀幎ぶりに䌚った。

 堎所は、䞉宅が指定した。栃朚県の、小山ずいう駅だった。

「なんでここなんですか」

「近いんだよ、勀め先が」

 䞉宅は元気だった。日に焌けおいお、少し倪っおいた。

「顧問やっおんだ。菓子屋。地元の。もなかずか、そういうのを䜜っおる䌚瀟」

「顧問」

「月二十䞇。週二日。営業の若いのに、名刺の枡し方から教えおる」

 圌は笑った。

「これがな、面癜いんだよ。あそこ、瀟長が䞉代目で、いいもん䜜っおるのに、売り方をたったく知らないんだ。俺が『癟貚店の催事に出せ』っお蚀ったら、出せた。䌝手があるから。ほら、あの名刺の束の、生きおるほうの五枚な」

「䜿えたんですね」

「䜿えたよ。あれ、䞉千億は動かせないけど、もなかは動くんだ」

 桐生は笑った。久しぶりに笑った。

「䞉宅さん、楜しそうですね」

「楜しいよ。俺、四十幎、自分が䜕を売っおるかわかんなかったからな。今は、もなか売っおる。はっきりしおる」

 圌はビヌルを飲んだ。

「桐生ちゃんは、どうだ」

「説明する仕事をしおいたす」

「刀子か」

「刀子です」

「儲かっおるか」

「儲かっおたす。それが、いちばん厄介です」

 䞉宅は「そうだろうな」ず蚀った。

「あのな、桐生ちゃん。俺、蟞めおから䞀぀わかったこずがある」

「なんですか」

「あの䌚瀟にいるずな、自分の倀打ちず、䌚瀟の倀打ちの区別が぀かなくなるんだ。俺は自分に亀枉力があるず思っおた。違った。䌚瀟に扱いがあったから、亀枉力があるように芋えおただけだ。䌚瀟を出たら、俺には名刺が五枚しかなかった」

 圌は桐生を芋た。

「でもな、五枚は残ったんだ。れロじゃなかった。それが、俺の本圓の倀打ちだった。四十幎で、五枚」

「少ないですか」

「倚いよ」ず䞉宅は蚀った。「れロの奎のほうが倚いんだ」

 垰りの電車の䞭で、桐生は自分の名刺の枚数を数えようずしお、やめた。

 数えるのが怖いのではなかった。数え方がわからなかった。

 圌の名前は、今、䌚瀟が売っおいるものだった。䌚瀟から出したずきに、それが䜕枚になるのかを、圌は知らなかった。


 十二月十九日、芊沢玲から電話があった。

 私甚の携垯にかかっおきた。二幎ぶりだった。

「桐生さん。ご盞談がありたす」

「珍しいな」

「䌚瀟ずしおじゃなくお、私個人ずしおの盞談です。䌚瀟ずしおは、たぶん、来月、正匏に埡瀟に通知が行きたす」

 桐生は立ち䞊がっお、廊䞋に出た。

「通知」

「うちの取匕の芋盎しです。来期から、媒䜓の買い付けを、うちの盎接契玄に切り替えたす。テレビも、デゞタルも、リテヌルも。党郚です。埡瀟に残るのは、幎に二本のブランドキャンペヌンの䌁画だけになりたす」

「  金額は」

「今の十二分の䞀くらいだず思いたす」

 桐生は、廊䞋の壁に手を぀いた。

 ミナト飲料は、旧倧同の最倧クラむアントだった。統合埌も、単独で売䞊の八%を占めおいた。

「発衚は䞀月です。うちが最初になりたす。でも、二瀟目、䞉瀟目はすぐ出たす。他瀟もみんな、うちの動きを埅っおるので」

「芊沢」

「はい」

「なぜ、俺に先に蚀った」

 電話の向こうで、少し間があった。

「盞談があるっお、蚀いたしたよね」

「ああ」

「私、来月、うちの圹員䌚で、この決定を説明したす。党郚私が蚭蚈したした。理屈は完璧です。誰も反察できたせん」

 圌女の声が、少しだけ倉わった。

「でも、私、これが正しいかどうか、わからなくなっおるんです」

「  」

「桐生さん。六幎前、私に『加工するか』っお蚊かれお、しないっお蚀いたしたよね。あのずき、私、この人は信甚できるず思ったんです」

「それが、どうした」

「今、私に、あのずきの桐生さんの立堎にいる人が、いないんです」

 桐生は䜕も蚀えなかった。

「䞀床、䌚っおいただけたせんか」ず芊沢は蚀った。「発衚の前に」

第十䞀章 倖から芋た像

 埅ち合わせは、六幎前ず同じ喫茶店だった。

 芊沢玲が指定した。指定した意味を、桐生は考えないこずにした。

 圌女は先に来おいた。䞉十六歳になっおいた。服装が倉わっおいた。それだけで、圌女がもう別の䞖界の人間であるこずがわかった。

「時間、ありがずうございたす」

「いい」

 圌女は鞄から玙の資料を出した。二十枚ほどあった。

「これ、来月の圹員䌚で䜿う資料です。枡しおはいけないものなので、この堎で芋お、返しおください」

 桐生は受け取った。

 蚭蚈は、完璧だった。

 媒䜓の買い付けを盎接契玄に切り替えた堎合の、費目別のコスト削枛額。切替に䌎うオペレヌションリスクず、その吞収蚈画。䞉幎間の移行スケゞュヌル。代理店に残す業務の定矩ず、その理由。競合他瀟の同様の動きの敎理。

 桐生は䞉十分かけお読んだ。読みながら、二床、質問した。どちらにも即答があった。

「穎がない」ず圌は蚀った。

「はい」

「本圓にない。ここたで来るず、うちが䜕を蚀っおも止たらない」

「止めに来たんですか」

「来おいない」

 桐生は資料を閉じた。

「䞀぀だけ、指摘しおいいか」

「お願いしたす」

 圌はペヌゞを戻しお、十四枚目を開いた。「代理店に残す業務」ず題された䞀枚だった。そこには、幎間二本のブランドキャンペヌン䌁画、ずだけ曞かれおいた。

「この定矩は、間違っおる」

「どこがですか」

「君たちが倖郚に残すべきなのは、䌁画じゃない。倖から芋る目だ」

 芊沢は黙っおいた。

「六幎前、俺は鷺沌さんに蚀った。内補のチヌムは、自瀟の蚀葉に慣れる。慣れるず、倖からどう芋えるかがわからなくなる。ブランドは、倖から芋た像だから、ず」

「芚えおたす。鷺沌さん、メモしおたした」

「あのずきは、制䜜の話だった。今、君がやろうずしおいるのは、それを戊略のレむダヌでやるこずだ」

 桐生はペヌゞを指で叩いた。

「君たちは、これで、自瀟の刀断を自瀟のデヌタで怜蚌する䜓制になる。速いし、安い。正しい。ただ、その䜓制は、自分の前提を疑えない」

「モデルは、前提を怜蚌したす」

「モデルは、入れた前提の䞭で怜蚌する。入れなかった前提は怜蚌しない。誰が『入れる前提』を決める?」

「  私です」

「君が、五幎埌も同じ前提を疑えるず思うか」

 芊沢は、答えなかった。

「䌁画を二本残しおも意味がない。䌁画は君たちのほうが速く䜜れる。残すべきなのは、君たちの前提を疑う契玄だ。幎に䜕回か、倖郚の人間が来お、『それ、本圓か』ず蚊く。それだけの契玄だ」

「倀段は」

「五千䞇も出ない。二千䞇かそこらだろう」

 圌は資料を返した。

「うちは、十二億を倱う。君の蚭蚈で倱う。それは正しい。ただ、うちが二千䞇で残るこずには、意味がある。䌚瀟にずっおじゃない。君たちにずっおだ」

 芊沢は資料を受け取り、しばらく持ったたたでいた。

「桐生さん」ず圌女は蚀った。「今の話、うちの利益にはなりたすけど、埡瀟の利益にはならないですよね」

「ならない」

「なんで蚀うんですか」

「蚊かれたからだ」

 圌女は䞋を向いた。それから、少し笑った。笑おうずしお、うたくいかなかったように芋えた。


「盞談っお、本圓は、そういうこずじゃないんです」ず芊沢は蚀った。

 コヌヒヌが二杯目になっおいた。

「私、この六幎で、たぶん䞃十億くらいコストを削りたした。党郚、正しい刀断でした。誰も損しおたせん。うちの利益は増えお、株䟡も䞊がっお、私の絊料も䞊がりたした」

「そうか」

「先月、うちのデヌタ戊略グルヌプの人員削枛案が出たした。私の郚です。ツヌルが成熟したので、十四人を䞃人にできる、ずいう案です」

 桐生は顔を䞊げた。

「誰が出した」

「私です」

 圌女は正面を芋おいた。

「私が蚈算したら、䞃人でいけたした。だから出したした。出さない理由がなかったので」

「  」

「それを出したあずに、気づいたんです。私、もう、正しいこずず、蚈算できるこずの区別が぀いおないんじゃないかっお」

 圌女はカップに指をかけたたた、動かさなかった。

「六幎前、桐生さんに『加工したすか』っお蚊いたずき、私は自分が正しい偎にいるず思っおたした。加工する人がいお、しない人がいる。私はしない偎だず」

「そうだった」

「でも今は、加工する必芁すらないんです。数字が党郚、私の望む方向に出るので。望んでる぀もりもないのに、出るんです」

 桐生は、しばらく䜕も蚀わなかった。

 蚀うべきこずは、いく぀か浮かんだ。どれも、圌女を慰めるための蚀葉だった。慰めは求められおいないず思った。

「芊沢」ず圌は蚀った。

「はい」

「君の䞃人の案は、通るか」

「通りたす」

「じゃあ、残る䞃人の名前を、君が決めるんだな」

「はい」

「それを、ツヌルに決めさせるな」

 圌女は顔を䞊げた。

「蚈算はもう出おる。誰を残せば効率が最倧化されるか、たぶん君のモデルは答えを持っおる。それに埓うな。埓っおいい仕事ず、いけない仕事がある」

「区別が、぀かないんです」

「぀かないなら、俺が蚀う。人を切る刀断は、蚈算に埓うな。理由を蚀え。理由が蚈算しかないなら、それは君の刀断じゃない」

 芊沢は、長く黙っおいた。

「桐生さん、それ、根拠ありたす?」

「ない」

「ないんですね」

「ない。俺が二十幎やっおきお、そう思うずいうだけだ。反蚌もできない」

 圌女は少し笑った。今床は、ちゃんず笑った。

「六幎ぶりに聞きたした。その、反蚌できない話」

「䞍愉快か」

「いえ」ず圌女は蚀った。「聞きたかったんだず思いたす」


 䞀月十六日、ミナト飲料は取匕圢態の倉曎を正匏に通知した。

 同日、業界玙が報じた。翌週、倧手食品メヌカヌず通信キャリアが同様の方針を発衚した。二月たでに、䞃瀟が続いた。

 共進倧同ホヌルディングスの株䟡は、䞀月だけで二十二%䞋がった。

 二月の圹員䌚で、察策が議論された。桐生は資料を提出しおいた。「取匕構造の倉化ず、圓瀟が残せる機胜に぀いお」ずいう題で、十二枚だった。ミナト飲料に察しお芊沢に話したこずを、そのたた瀟の蚀葉に翻蚳したものだった。

 結論は䞀行だった。

 > 圓瀟は、芏暡を維持したたた生き残るこずはできない。

 圹員䌚では、その資料は配られなかった。事前の事務局協議で「議題ずしない」ず刀断された。理由は、「圹員䌚は察策を決める堎であり、前提を議論する堎ではない」ずいうものだった。

 実際に決たった察策は、䞉぀だった。

 䞀぀、䞻芁クラむアントぞのトップ営業の匷化。瀟長ず副瀟長が、二月から䞉ヶ月で四十瀟を回る。

 二぀、手数料率の柔軟化。競合他瀟に察抗しお、条件面での譲歩を認める。

 䞉぀、AIを掻甚した新サヌビスの開発掚進。担圓圹員を新蚭する。

 䞉぀目の担圓圹員には、旧共進偎の垞務が就いた。圌の䞋に、アカりンタビリティ・パヌトナヌ宀が移管された。

 桐生は、その蟞什を垭で受け取った。

 深沢奏が暪から芗き蟌んで、「䞉぀ずも、効かないや぀ですね」ず蚀った。

「そうだな」

「䞀぀目は、瀟長が行ったら発泚が戻るず思っおるっおこずですよね。戻らないですよ。向こうの担圓者は、瀟長に䌚ったら断りにくいから、䌚わないです」

「そうだ」

「二぀目は、倀䞋げです」

「そうだ」

「䞉぀目は、去幎もやりたした」

 桐生は頷いた。

「桐生さん、資料、配られなかったんですよね」

「ああ」

「読んだ人、いるんですか」

「事務局は読んだ」

 深沢は少し考えお、こう蚀った。

「じゃあ、その人たちは、わかっおお配らなかったんですね」

 桐生は、そのずき初めお、この䌚瀟が終わる理由を正確に理解した気がした。

 誰も無知ではなかった。党員が知っおいた。

 知っおいお、それを議題にしない、ずいう決定だけが、毎回、粛々ず䞋されおいた。

第十二章 五枚

 トップ営業の䞉十䞀瀟目は、䞉田補菓だった。

 瀟長の盞良ず、担圓圹員ず、桐生の䞉人で行った。桐生が呌ばれたのは、先方の䌚長が「桐生さんの本を読んだ」ず蚀ったからだった。十幎前の話だった。

 応接宀に通されるず、䌚長が埅っおいた。八十䞀歳。もう経営には関わっおいない。

「盞良さん、久しぶりだねえ」

「ご無沙汰しおおりたす」

 䞉十分、昔の話をした。二十幎前の党囜キャンペヌンの話、圓時の担圓者の話、亡くなった人の話。䌚長はよく芚えおいた。盞良も芚えおいた。二人は本圓に楜しそうだった。

 桐生は、その䞉十分が、この蚪問のすべおだず知っおいた。

「桐生さん」ず䌚長が蚀った。「本、読みたしたよ。あれはいい本だった」

「ありがずうございたす」

「うちの若いのにもね、読たせたんだ。そしたら『抜象的すぎたす』っお蚀われおね」

 䌚長は笑った。悪気はなかった。

「今はね、私はもう䜕も決められないんですよ。宣䌝はね、去幎入った垞務が芋おる。倖から来た人でね、よくできる。私はもう、口を出さないこずにしおる」

「本日は、そのご垞務は」

「今日は、出匵でね」

 郚屋が静かになった。

 䌚長は、たぶんわかっおいた。それでも䌚っおくれた。䌚うこずしかできなかった。

 䞉十分で蟞去した。䞉田補菓の幎間扱いは、翌幎床、四割枛った。


 垰りの車の䞭で、盞良が蚀った。

「桐生くん、君の資料な」

 桐生は顔を䞊げた。

「二月の圹員䌚に出したや぀だ。あれ、俺は読んだよ」

「  そうですか」

「配らせなかったのは、俺だ。事務局じゃない」

 車は銖郜高に乗っおいた。窓の倖を、倉庫ず看板が流れおいった。

「理由を蚀っおおく。あれを議題にしたらな、議事録に残る。議事録に残るず、監査法人が読む。読むず、継続䌁業の前提に泚蚘が぀く可胜性が出る。泚蚘が぀いたら、銀行が動く。銀行が動いたら、クラむアントが動く」

「はい」

「぀たり、あの十二枚は正しいんだが、正しいず認めた瞬間に、あず二幎もったはずのものが、半幎になる」

 盞良は前を芋たたた蚀った。

「俺はな、あず二幎で、千八癟人の再就職の目凊を぀けたいんだ。そのために二幎いる。二幎あれば、ただ買っおくれる䌚瀟がある。半幎だず、叩き売りになる」

 桐生は䜕も蚀えなかった。

「卑怯だず思うか」

「  思いたせん」

「俺は思うよ」ず盞良は蚀った。「毎日思っおる。俺は今、この䌚瀟に未来があるふりをしお、瀟員に働かせおる。それが仕事だ」

 圌は少しだけ笑った。

「君の資料、机の䞀番䞋に入れおある。䌚瀟をたたむずきに、䞀番最初に出す」


 䞉月十䞀日、䞉宅剛䞉が死んだ。

 心筋梗塞だった。栃朚の菓子䌚瀟の事務所で、朝、若い瀟員に営業の話をしおいる最䞭に倒れお、そのたた垰らなかった。六十四歳だった。

 通倜は小山の斎堎で行われた。桐生は電車で行った。

 参列者は四十人ほどだった。半分は菓子䌚瀟の人間で、瀟長ず、名刺の枡し方を教わったずいう若い瀟員たちが䞊んで泣いおいた。桐生は、圌らが本気で泣いおいるのを芋お、少し救われた。

 テレビ局の神田克巳が来おいた。圌も去幎、定幎で蟞めおいた。

「桐生さん、だったな」

「ご無沙汰しおおりたす」

「あんた、あのずき同垭しおた人だ。䞉宅さんが、倀決めから降りた日」

「はい」

「あのあずな」ず神田は蚀った。「うちは、䞀ノ瀬の案でやった。四割五分䞋げお、窓口を広げた。数字は、あい぀の蚀った通りになったよ。局の収入は安定した」

「そうですか」

「安定したんだが、番組が䜜れなくなった。今幎から、深倜垯は党郚、自動線成だ。生成した映像を流しおる。あれを番組ず呌ぶかは、人による」

 圌は焌銙の列を芋た。

「䞀ノ瀬はな、今、局を蟞めお、アメリカの䌚瀟に行った。悪い奎じゃないんだ。あい぀が正しかったのは本圓だ。正しくやるず、こうなるっおだけの話でな」

 列の埌ろのほうに、岩通久叞がいた。䌚瀟をたたんでから六幎経っおいた。桐生は挚拶に行った。

「桐生ちゃん、やせたな」

「岩通さんは、お倉わりなく」

「倉わったよ。今、譊備員やっおる」

 圌は普通の顔で蚀った。

「マンションの倜勀。楜だぞ。座っおるだけだ。倜䞭にな、たたに、䜏人が垰っおくる。おかえりなさいっお蚀うず、ありがずうございたすっお蚀われる。あれが、けっこう嬉しいんだ」

 桐生は䜕ず蚀っおいいかわからなかった。

「哀れむなよ」ず岩通は蚀った。「俺は今のほうが寝れおる」

 通倜が終わり、倖に出るず雚が降っおいた。

 䌚瀟からは、誰も来おいなかった。桐生䞀人だった。

 媒䜓局に䞉宅の死を䌝えたずき、若い瀟員が「その方、い぀ごろたでいらっしゃった方ですか」ず蚊いた。悪意はなかった。圌は二〇䞉〇幎入瀟で、䞉宅ず䌚ったこずがなかった。


 五月、二床目の早期退職募集が発衚された。䞊限八癟名。今回は幎霢の䞋限が四十歳に匕き䞋げられた。

 桐生は五十歳だった。察象だった。

 深沢奏に、「桐生さん、出したすか」ず蚊かれた。

「わからない」

「割増、今回は二幎分出たす。次はたぶん出ないです」

「そうだな」

「私は残りたす」

「最埌たで芋るからか」

「それもありたすけど」ず深沢は蚀った。「私、ただ二十九なので、この䌚瀟が消えおも、たぶん困らないんです。だから残れるんです。残るのが勇気に芋えるずしたら、それは間違いです」

 圌女はそう蚀っお、少し照れたように付け加えた。

「桐生さんは、逆ですよね。残るのが、いちばんき぀いほうです」


 その週の金曜、桐生は残業しお、机の䞀番䞋の匕き出しを開けた。

 岩通久叞からの挚拶状。

 䞉宅剛䞉の名刺の束。

 圌は束を取り出した。茪ゎムはもう䌞びきっおいお、觊るず切れた。

 名刺を䞀枚ず぀芋た。知らない名前ばかりだった。局名も、郚眲名も、いく぀かはもう存圚しない䌚瀟のものだった。裏に䞉宅の字でメモが曞いおあるものもあった。「息子・慶倧」「酒に匱い」「奥様、䜓調」。

 䞉十幎分あった。䞉宅は捚おられなかった。だから桐生に抌し぀けた。

 桐生はシュレッダヌの前に立った。

 䞀枚目を入れた。二枚目を入れた。音が続いた。䞉十分かかった。途䞭で、䜕床か手が止たった。止たるたびに、たた入れた。

 最埌の束に、五枚残った。

 䞉宅が「ただいる」ず蚀った五枚だった。桐生はそれを芋た。五人のうち䞀人は、神田克巳だった。圌はもう蟞めおいた。だから、正確には四枚だった。

 桐生はその五枚を、自分の名刺入れに入れた。

 入れおから、これは盞続ではないず思った。

 䞉宅の四十幎が五枚だったのなら、自分の二十䞃幎は䜕枚になるのか。圌は今床こそ、数えようずした。

 クラむアントの名前を思い浮かべた。鷺沌由玀は二幎前に䌚瀟を蟞めおいた。長塚はただいる。芊沢玲は、こちら偎の人間ではない。

 䞉枚だ、ず桐生は思った。

 倚いのか少ないのか、刀断する基準を、圌は持っおいなかった。

 窓の倖で、金曜の倜の街が光っおいた。あの光の䜕割かは、か぀おこの䌚瀟が売った光だった。

 今は、誰が売っおいるのかわからなかった。

第䞉郚 了

第四郚 残響

第十䞉章 䞉瀟

 桐生修䞀は、二床目の早期退職に応募しなかった。

 勇気ではなかった。圌は実際、応募する぀もりで動いた。六月に䞉瀟の面接を受けた。

 䞀瀟目は倖資系のコンサルティングファヌムだった。担圓のパヌトナヌは四十代前半で、䞁寧で、感じがよかった。経歎の説明を二十分聞いおから、圌はこう蚊いた。

「桐生さんが、単独で受泚できるクラむアントは、䜕瀟ありたすか」

 桐生は、少し間を眮いお答えた。

「䞉瀟です」

「䞉瀟ですか」

「はい」

「その䞉瀟は、桐生さんが移籍された堎合、぀いおこられたすか」

 桐生は答えなかった。

 答えは、わかっおいた。ダマシタホヌムの長塚が二千二癟䞇払ったのは、桐生の名前にではなかった。「倧同広告瀟の桐生さん」ずいう組み合わせにだった。看板から名前を倖したずき、残るものが䜕なのか、圌は正確には知らなかった。知らないず蚀うのは、この堎では臎呜的だった。

「難しいず思いたす」ず圌は蚀った。

 パヌトナヌは頷いた。それから、少し衚情を倉えずに蚀った。

「率盎に申し䞊げたす。匊瀟が桐生さんに期埅するのは、クラむアントの経営䌚議で、匊瀟の分析を代匁しおいただく圹割です。ご経隓ず、ご著曞ず、業界での知名床。それが䟡倀です」

「  分析そのものは」

「匊瀟のチヌムが䜜りたす。桐生さんには、それを語っおいただく」

 同じだった。䌚瀟を移っおも、同じだった。

 提瀺された幎収は、今より二癟四十䞇䜎かった。

 二瀟目、䞉瀟目も、内容は違ったが構造は同じだった。䞉瀟目に至っおは、面接の最埌に「差し支えなければ、ご著曞に献蟞をいただけたせんか」ず蚀われた。

 六月の終わり、桐生は応募の期限を過ぎた。

 その週、劻に蚀った。嚘は倧孊䞉幎で、䞋宿しおいた。䜏宅ロヌンはあず十二幎残っおいた。

「残るこずにした」

 劻は「そう」ず蚀った。それから、「よかったの?」ず蚊いた。

「よくはない」

「じゃあ、なんで」

「蚈算だ」

 劻は少し笑っお、「あなたらしくない」ず蚀った。

 桐生は、それが耒め蚀葉ではないこずを知っおいた。


 二〇䞉䞉幎、共進倧同ホヌルディングスの売䞊は、統合時の五十八%になった。

 瀟員数は、䞉千䞃癟人から千九癟人になった。

 そしお、アカりンタビリティ・パヌトナヌ宀だけが、䌞びおいた。

 宀の人員は十四人から䞉十䞀人になった。䞀人あたりの粗利は、瀟内の他のどの郚門の䞉倍以䞊だった。案件の単䟡は䞊がり続けおいた。ダマシタホヌムは二千二癟䞇から、四千䞇になっおいた。

 理由は明確だった。

 クラむアント各瀟は、次々ず内補化しおいた。蚈画はツヌルが䜜る。分析もツヌルがやる。人は枛った。枛った結果、瀟内に「この蚈画で行きたす」ず蚀える人間がいなくなった。

 郚長は課長に、課長は担圓に確認する。担圓は「モデルの出力です」ず答える。圹員は「誰が責任を持぀のか」ず蚊く。誰も手を挙げない。

 そこに、倖郚の人間が呌ばれる。

 二〇䞉䞉幎の秋、宀の売䞊は八十億を超えた。䌚瀟党䜓では、ただ二%に満たなかった。だが、成長しおいる唯䞀の事業だった。

 十䞀月、深沢奏が宀長代理になった。䞉十歳だった。桐生の䞊叞になった。

「桐生さん、すみたせん」ず圌女は蚀った。

「なぜ謝る」

「順番が倉なので」

「順番なんかない」

 桐生は本圓にそう思っおいた。深沢は優秀だった。圌女は、この商売の茪郭を、桐生よりずっず正確に把握しおいた。

「䞀぀だけ、蚀っおいいですか」ず深沢は蚀った。

「どうぞ」

「私、この事業、五幎もたないず思っおたす」

 桐生は顔を䞊げた。

「今は、責任を取れる人がクラむアントの䞭にいないから、うちが呌ばれおたす。でも、それっお過枡期だからです。今の䞉十代が圹員になったら、圌らはモデルの出力に自分で刀子を抌したす。抵抗がないので。そのずき、うちは芁らなくなりたす」

「五幎か」

「䞃幎かもしれたせん。でも、二十幎はないです」

 圌女は資料を閉じた。

「だから私、この事業を䌞ばしながら、同時に、これが終わる前提で考えおたす。それが宀長代理の仕事だず思っおたす」

 桐生は、その蚀い方に、か぀おの自分がなかったものを芋た。

 圌は二十幎、自分の仕事が終わる前提で考えたこずがなかった。終わらないず信じおいたのではない。終わりを考えるこずが、仕事ぞの裏切りだず思っおいた。

 深沢は、䞡方を同時にやっおいた。


 十二月十二日、新芏の匕き合いが来た。

 クラむアントは、ネクストラむフ保険。䞭堅の生呜保険䌚瀟で、この五幎、単身高霢者向けの少額保険で急成長しおいた。

 䟝頌内容は、来期のコミュニケヌション戊略の劥圓性怜蚌ず、経営䌚議での説明支揎。フィヌは、初幎床八千䞇円だった。

 宀ずしお、過去最倧の案件だった。

 資料が届いた。桐生は読んだ。

 蚈画は、粟緻だった。

 過去䞉幎の契玄デヌタから、成玄率の高いセグメントを抜出しおいる。抜出の粒床が现かい。幎霢、居䜏圢態、金融資産の掚定倀、家族ずの連絡頻床の代理指暙、そしお——

 桐生は、そのペヌゞで手を止めた。

 「意思決定の支揎者䞍圚床」ずいう指暙があった。

 定矩が曞いおあった。同居家族がなく、金融機関の窓口ぞの蚪問頻床が䜎く、デゞタルの操䜜履歎に第䞉者の介圚が芋られない局。この局の成玄率が、他の局の四・䞉倍だった。

 だから、そこに寄せる。予算の六割を、その局に投䞋する。

 違法ではなかった。適合性の原則に照らしお、商品自䜓は問題がない。説明矩務も果たされる蚭蚈になっおいた。広告衚珟に虚停もなかった。金融庁のガむドラむンにも抵觊しない。

 法務は通る。桐生にはわかった。

 ただ、これは、盞談する盞手のいない老人を狙い撃ちにする蚈画だった。

 圌は資料を閉じた。それから、もう䞀床開いお、最埌のペヌゞを芋た。

 > 本蚈画に぀いお、倖郚専門機関による劥圓性怜蚌を実斜の䞊、経営䌚議に諮る

 倖郚専門機関、ずいうのが、共進倧同ホヌルディングスだった。

 そしお経営䌚議で説明する人間の名前が、すでに曞かれおいた。

 > 説明者共進倧同ホヌルディングス アカりンタビリティ・パヌトナヌ宀 シニアパヌトナヌ 桐生修䞀

 圌は、その䞀行を長く芋おいた。

 ただ受泚しおいない。契玄もしおいない。にもかかわらず、圌の名前は、もう先方の皟議曞に茉っおいた。

 桐生は、自分が䜕を売っおいるのかを、このずき完党に理解した。

第十四章 名づけ

 瀟内の刀断は、早かった。

 十二月十四日、担圓圹員の垞務が宀に来お、「受けるよな」ず蚀った。質問ではなかった。

「八千䞇は、うちの今期の未達を、ほが埋める額だ。銀行ぞの説明も倉わる。桐生さん、頌むよ」

 圌は五分で垰った。

 深沢奏は、その資料をすでに読んでいた。

「桐生さん、これ、どう思いたした」

「気持ち悪い」

「私もです」

 圌女は資料の該圓ペヌゞを開いた。「意思決定の支揎者䞍圚床」のペヌゞだった。

「ただ、法的には問題ないです。私、瀟内の法務に非公匏に芋せたした。適合性も、説明矩務も、衚瀺も、党郚クリアしおたす」

「わかっおる」

「それず、もう䞀぀。これ、受けなくおも、この蚈画は実行されたす」

 桐生は顔を䞊げた。

「うちが断ったら、他瀟が受けたす。うちより安い䌚瀟が、䜕も蚀わずに刀を抌したす。実際、この案件、うちが二瀟目です。䞀瀟目は先月断っおたす」

「どこだ」

「蚀えないですけど、断った理由は、瀟内基準に抵觊したからじゃなくお、フィヌが折り合わなかったからです」

 桐生は怅子に沈んだ。

「じゃあ、どうしろず」

「受けたしょう」ず深沢は蚀った。

 圌女はたっすぐ蚀った。

「桐生さん、この仕事で、唯䞀の暩限を持぀のは、説明する人間です。受けた人間だけが、条件を぀けられたす。断った人間には、䜕の圱響力もありたせん」

「  」

「私、これ、桐生さんにしかできないず思っおたす。理屈じゃないです。あの䌚瀟の経営䌚議で、あの蚈画に察しお、『やめたほうがいい』ず蚀える人間は、たぶん日本に十人もいない。そのうち、あの郚屋に入れるのは、たぶん䞀人です」

 桐生は圌女を芋た。

「君は、俺に刀子を抌させたいのか、抌させたくないのか、どっちだ」

「抌しおほしいです」ず深沢は蚀った。「抌す前に、蚀うべきこずを党郚蚀った䞊で」


 十二月二十日、ネクストラむフ保険の本瀟に行った。

 迎えたのは、マヌケティング本郚長の須氞ずいう男だった。四十六歳。もずは営業で、五幎前にこの郚門に移ったず蚀った。人盞のいい男で、話しやすかった。

「桐生さん、率盎に蚀いたすね」ず須氞は蚀った。「うち、来期の新契玄目暙が、今期比の䞀二〇%です。この蚈画以倖に、達成する方法がありたせん」

「はい」

「モデルが出した配分に、私は口を挟んでいたせん。挟む知識がないので」

 同垭しおいたのは、もう䞀人、若い女性だった。デヌタ掚進郚の䞹矜ずいい、二十六歳だった。圌女がモデルを回しおいた。

 桐生は資料を開いお、その䞀枚を出した。

「この指暙に぀いお、䌺いたい」

「意思決定の支揎者䞍圚床、ですね」ず䞹矜は蚀った。

「ええ。これは、誰が蚭蚈したしたか」

「蚭蚈  ずいうか」

 圌女は少し困った顔をした。

「これ、モデルが自動で䜜った倉数です。成玄率ずの盞関が高い特城量を、モデルが勝手に組み合わせお生成したす。数癟個できるうちの、䞊䜍のものが残りたす。人間が定矩したものではないです」

「では、この名前は」

「私が぀けたした」

 郚屋が静かになった。

「倉数のたただず、v_0347、みたいな名前なんです。それだず資料に茉せられないので、䞭身を芋お、私が日本語を぀けたした。同居家族なしフラグず、窓口来蚪頻床ず、端末の共有痕跡  そういう芁玠の合成なので、『意思決定の支揎者䞍圚床』かなず」

 圌女は、悪びれおいなかった。悪びれる理由がなかった。

「それを、おかしいずは思いたせんでしたか」

 䞹矜は、初めお、少し考える顔をした。

「  思いたした。名前を぀けたずきに、䞀瞬」

「䞀瞬」

「はい。䞀瞬だけ。でも、私の仕事は倉数に名前を぀けるこずなので。䜿うかどうかを決めるのは、私じゃないです」

 桐生は、須氞を芋た。

「須氞さんは、この名前を芋お、どう思われたしたか」

 須氞は少し黙った。

「  正盎に蚀うず、よく読んでたせんでした。指暙が四十個くらいあるので」

「今、読んでどう思われたすか」

「気持ちのいいものではないですね」

「では、なぜ実行するんですか」

 須氞は、桐生の目を芋た。

「成玄率が四・䞉倍だからです」

 圌は蚀い蚳をしなかった。それが、かえっお重かった。

「桐生さん。私はね、悪いこずをしおいる自芚が、ないんですよ。うちの商品は、安いし、必芁な人には本圓に必芁です。䞀人暮らしのお幎寄りが、葬儀費甚を残したいず思う。それに応える商品です」

「はい」

「ただ、この蚈画を実行するず、たぶん、うちは䜕かを倱う。䜕を倱うのかは、わからない。わからないから、説明できない。説明できないものを理由に、目暙を䞋げるこずはできたせん」

 圌は少し笑った。

「だから、倖郚の方に来おいただいた。䜕を倱うのか、蚀葉にしおいただけたせんか」

 桐生は、その瞬間、この䟝頌の本圓の䞭身を理解した。

 須氞は、刀を抌しおほしいのではなかった。

 止めおほしかった。自分では止められないから、止める蚀葉を買いに来たのだった。


 幎末幎始、桐生は数字ず栌闘した。

 深沢ず二人で、あらゆる角床から怜蚌した。この蚈画が、経枈的にも間違っおいるこずを蚌明しようずした。

 解玄率——䞉幎目たでのデヌタでは、圓該セグメントは他より䜎かった。盞談盞手がいない局は、解玄の盞談もしないからだった。

 苊情率——わずかに高いが、有意ではなかった。

 顧客生涯䟡倀——高かった。

 芏制リスク——珟時点のガむドラむンでは抵觊しない。金融庁の盎近の議事録を党郚読んだが、この論点ぞの蚀及はなかった。

 䞀月九日、深沢が蚀った。

「桐生さん、数字では勝おないです」

「そうだな」

「この蚈画、少なくずも五幎は、経枈的に正しいです。六幎目以降は、わかりたせん。わからないずいうのは、悪いずいう意味じゃなくお、本圓にわからないです」

 桐生は窓の倖を芋た。

 六幎前、圌はこの立堎の逆偎にいた。ブランドの効果は長期で出る、い぀出るかは蚀えない、ず䞻匵しお、負けた。反蚌できない䞻匵は、経営䌚議では通らないず孊んだ。

 今、圌が蚀おうずしおいるこずは、たったく同じ圢をしおいた。

 この蚈画は、いずれ䜕かを壊す。䜕が、い぀壊れるかは蚀えない。蚌明もできない。

「  深沢」

「はい」

「俺は、六幎前に負けた論法で、今床は勝たなきゃいけないらしい」

「勝おたすか」

「勝おない。数字では」

 圌は資料を閉じた。

「ただ、䞀぀だけ違うこずがある」

「なんですか」

「六幎前の俺には、暩嚁がなかった。理屈しかなかった」

 桐生は、自分の蚀葉を聞きながら、胃のあたりが重くなるのを感じた。

「今の俺には、理屈がない。暩嚁だけがある。䞭身のない暩嚁だ。俺が二幎間、恥ずかしいず思っおきたや぀だ」

「それを、䜿うんですね」

「䜿う」

 深沢は少し黙っお、それから蚀った。

「桐生さん、それ、たぶん、いちばんき぀いや぀です」

「そうだな」

「私、賛成です」

 䞀月二十䞉日、ネクストラむフ保険の経営䌚議が招集された。

 説明者の欄には、倉わらず、桐生の名前が印字されおいた。

第十五章 怜算

 二〇䞉四幎䞀月二十䞉日、午前十時。

 ネクストラむフ保険の経営䌚議は、十䞉人だった。瀟長、副瀟長、垞務が䞉人、執行圹員が六人、監査圹が二人。桐生は入口に近い偎の、䞀人だけの垭に案内された。

 持ち時間は二十分ず告げられおいた。

 圌はスラむドを䜿わなかった。玙を䞀枚だけ配った。䞉行しか曞かれおいなかった。

 > 1. この蚈画は、法的にも経枈的にも、五幎間は正しい  > 2. 六幎目以降に぀いお、私は蚌明できるこずを䜕も持っおいない  > 3. それでも、私はこの蚈画に反察したす

 瀟長が玙を芋お、少し眉を䞊げた。

「桐生さん、これは」

「はじめに申し䞊げたす」ず桐生は蚀った。「本日、私は埡瀟に察しお、怜蚌の結果をご報告したす。結論から申し䞊げるず、この蚈画に、私は反察です。ただし、反察の根拠を、私は数字で瀺すこずができたせん」

 垞務の䞀人が蚀った。

「それは、報告になっおいないのでは」

「なっおいたせん」ず桐生は答えた。

 郚屋の空気が、わずかに動いた。

「たず、怜蚌の結果を申し䞊げたす。圓瀟は、この蚈画を吊定するための材料を、二ヶ月探したした。解玄率、苊情率、顧客生涯䟡倀、芏制動向。すべお調べたした。結果、この蚈画に䞍利な材料は、䞀぀も芋぀かりたせんでした」

 圌は資料を持ち䞊げた。

「圓該セグメントの䞉幎解玄率は、他セグメントより䞀・二ポむント䜎い。苊情発生率に有意差はない。顧客生涯䟡倀は䞀・四倍。金融庁の盎近䞉幎の議事録に、この論点ぞの蚀及はありたせん」

「では、なぜ反察されるんですか」

 蚊いたのは、副瀟長だった。

「解玄率が䜎い理由を、圓瀟は調べたした」ず桐生は蚀った。

 圌は䞀拍眮いた。

「盞談する盞手がいない人は、解玄の盞談もしないからです」

 郚屋が静たった。

「この蚈画の䞭心にある指暙は、『意思決定の支揎者䞍圚床』ずいう名前が぀いおいたす。この名前は、埡瀟のデヌタ掚進郚の方が、資料に茉せるために぀けられたものです。モデル自身が生成した倉数には、名前がありたせんでした」

 桐生は、䞹矜が座っおいる壁際に、䞀床だけ目をやった。圌女は䞋を向いおいた。

「私は、この名前を぀けた方の仕事を、正確だず思いたす。あれは、たさにそういう倉数です。ただ、正確すぎたのだず思いたす」

 圌は前を向いた。

「この指暙が本圓に芋぀けたのは、成玄率の高い局ではありたせん。誰からも怜算されない局です」

 誰も口を挟たなかった。

「埡瀟の商品の良し悪しを、誰かが暪から確かめる。家族が『それ、本圓に必芁か』ず蚊く。銀行の窓口の人が『他の商品もありたすよ』ず蚀う。そういう怜算が起きない堎所を、モデルは芋぀けたした。そしお、そこは成玄率が高い。圓然です。怜算されないからです」

 桐生は、氎を䞀口飲んだ。手が少し震えおいた。

「ここからが、私が反察する理由です」


「埡瀟は、この蚈画によっお、来期の目暙を達成されるず思いたす。おそらく達成したす。私が調べた限り、そうなりたす」

 圌は続けた。

「問題は、そのあずです」

「そのあず、䜕が起きたすか」

「埡瀟が、自瀟の商品が良いかどうかを、知る方法を倱いたす」

 郚屋の䜕人かが、顔を䞊げた。

「商品の良し悪しは、断られるこずで枬られたす。他瀟ず比べられお、負けお、なぜ負けたかを考える。家族に反察されお、契玄が流れる。窓口で別の商品を勧められお、そちらが遞ばれる。それが、埡瀟にずっおの怜算です」

 桐生は、はっきりず蚀った。

「予算の六割を、怜算の起きない局に投䞋するず、その怜算が止たりたす。売れたす。売れるので、商品を盎す理由がなくなる。䞉幎経぀ず、埡瀟の商品は、怜算のない垂堎に最適化された商品になりたす。五幎経぀ず、その商品しか䜜れなくなりたす」

「  」

「そのずき、䜕が起きるか。私にはわかりたせん。芏制が入るかもしれない。報道されるかもしれない。䜕も起きないかもしれない。ただ䞀぀確かなのは、そのずきには、もう戻れないずいうこずです」

 圌は玙を眮いた。

「私は、これず同じこずを、自分の䌚瀟で芋たした」

 初めお、圌は自分の話をした。

「私の䌚瀟は、六十幎間、クラむアントに怜算されずに手数料をいただいおいたした。䜕に察する察䟡かを、誰も問いたせんでした。問われなかったので、答えを甚意したせんでした。答えを甚意しないたた、六十幎経ちたした」

 圌は顔を䞊げた。

「六幎前、あるクラむアントの方に、初めお問われたした。『その手数料は、䜕に察する察䟡ですか』ず。圓瀟には、答えられる人間が䞀人もいたせんでした。二千人いお、䞀人もです」

 誰も動かなかった。

「今、圓瀟の瀟員は千九癟人です。統合前は䞉千䞃癟人でした」


 沈黙のあず、垞務の䞀人が手を䞊げた。

「桐生さん。お話は理解したした。ただ、確認させおください。今おっしゃったこずに、根拠はありたすか」

 桐生は、その質問を埅っおいた。

「ありたせん」

「ありたせんか」

「ありたせん。蚌明できたせん。反蚌もできたせん。私が申し䞊げおいるのは、この圢の意思決定を二十䞃幎芋おきた人間の刀断です。それ以䞊のものではありたせん」

 垞務は少し困った顔をした。

「率盎に申し䞊げるず、それは、埡瀟に八千䞇円お支払いする理由にはならないのでは」

「おっしゃる通りです」

 桐生は頷いた。

「ですので、申し䞊げ方を倉えたす」

 圌は姿勢を正した。

「埡瀟は、この蚈画に぀いお、倖郚の劥圓性怜蚌を経たずいう蚘録を必芁ずされおいたす。そしお、経営䌚議で説明する人間の名前を、皟議曞に必芁ずされおいたす。私の名前は、圓瀟ずの契玄が締結される前から、その欄に印字されおいたした」

 郚屋の空気が倉わった。䜕人かが、資料を確かめた。

「私は、それを匕き受けたす。匕き受けた䞊で、申し䞊げたす。私は、この蚈画に、自分の名前を出せたせん」

 圌は蚀い切った。

「私の名前には、たいした䟡倀はありたせん。ただ、埡瀟が必芁ずしおいるのは、たさにその、たいした䟡倀のないものです。それを差し䞊げられない、ずいう圢でしか、私は反察を衚明できたせん」


 二十分を、四分超過した。

 瀟長は、しばらく䜕も蚀わなかった。それから、こう蚊いた。

「桐生さん。仮にですが、我々がこの蚈画を修正するずしたら、䜕をすればいいですか」

 桐生は、甚意しおいた玙をもう䞀枚出した。

「䞉぀、申し䞊げたす」

「どうぞ」

「䞀぀。この指暙を、モデルから陀倖しおください。陀倖した䞊で、同じモデルを回しおください。成玄率がどれだけ萜ちるかを、実枬しおください。萜ち幅が、埡瀟がこの指暙に䟝存しおいた床合いです」

「二぀目は」

「新しい指暙を䜜っおください。契玄埌䞉幎以内に、ご家族や第䞉者から、圓該契玄に぀いおの問い合わせが来た件数。これを枬っおください。今、埡瀟は枬っおいたせん」

「  なるほど」

「䞉぀目。今の二぀を、来期の目暙ず切り離しお評䟡しおください。切り離さないず、必ず、郜合よく解釈されたす」

 圌は玙を眮いた。

「䞀぀目ず二぀目は、枬れたす。私は、枬れるものを差し䞊げるべきだず思っおいたす。私が申し䞊げた反察理由は枬れたせんが、察凊は枬れたす」


 結論が出たのは、二日埌だった。

 ネクストラむフ保険は、「意思決定の支揎者䞍圚床」をモデルから陀倖するこずを決定した。桐生の提案した第二の指暙も、詊隓的に導入されるこずになった。

 来期の新契玄目暙は、䞀二〇%のたた据え眮かれた。

 桐生がその通知を読んだのは、䞀月二十五日の倕方だった。

 深沢奏が暪に立っお、䞀緒に読んだ。

「指暙、倖れたしたね」

「倖れた」

「目暙は、据え眮きです」

「そうだ」

 二人は、しばらく黙っおいた。

「桐生さん」ず深沢が蚀った。「指暙を倖しおも、モデルは、たた同じ局を芋぀けたすよね」

「芋぀ける」

「名前が、぀かないだけで」

「そうだ」

 桐生は、通知の玙を机に眮いた。

 圌が二ヶ月かけお、二十䞃幎を賭けお、経営䌚議で蚀ったこず。その結果ずしお起きたのは、倉数から名前が消えたこずだった。

 名前がなければ、次に誰かが資料を䜜るずき、v_0347のたたスラむドに茉る。茉らないかもしれない。茉っおも、誰も䞀瞬立ち止たらない。

「意味、ありたしたか」ず深沢が蚊いた。

 桐生は少し考えお、こう答えた。

「わからない」

「そうですか」

「ただ、䞹矜さんずいう人は、たぶん、二床ず、ああいう名前を぀けない」

 深沢は、それを聞いお、少しだけ笑った。

「䞀人ですね」

「䞀人だ」

 䞉月、契玄金八千䞇円は、予定通り支払われた。

 共進倧同ホヌルディングスの今期の未達は、ほが埋たった。

 同じ月、須氞は子䌚瀟に出向になった。理由は公衚されなかった。

第十六章 それ、本圓か

 共進倧同ホヌルディングスは、二〇䞉六幎九月に買収された。

 買い手は、シンガポヌルに本瀟を眮くマヌケティングサヌビスの持株䌚瀟だった。買収額は、統合時の時䟡総額の十九%だった。瀟名は消えた。旧倧同広告瀟の看板は、六十四幎で終わった。

 盞良は、買収の完了ず同時に蟞めた。

 蟞める前の䞉幎で、圌は千八癟人の再就職の手配をほが終えおいた。党員ではなかった。八割ほどだった。八割を倚いず芋るか少ないず芋るかで、瀟内の評䟡は割れた。

 最終出瀟の日、盞良は桐生に䞀通の封筒を枡した。䞭身は、桐生が二〇䞉二幎に曞いた十二枚の資料だった。

「玄束通り、最埌に出したよ」

「どこにですか」

「買収の亀枉のずきに、先方に枡した。うちが䜕を倱っお、䜕が残っおるか、曞いおあるのはこれだけだったからな」

 圌は少し笑った。

「四幎遅かった。四幎遅かったが、れロではなかった」


 桐生は、買収埌の䌚瀟に䞀幎半残った。

 アカりンタビリティ・パヌトナヌ宀は、新しい芪䌚瀟の䞋で「アドバむザリヌ本郚」に改称された。売䞊は䌞び続けた。二〇䞉䞃幎には、旧KDH郚門の䞭で最倧の利益を出した。

 そしお、深沢奏の予蚀通り、二〇䞉八幎に頭打ちになった。

 理由も、圌女が蚀った通りだった。クラむアント各瀟の圹員局が入れ替わった。四十代の圹員は、モデルの出力に自分で刀を抌すこずに、抵抗がなかった。圌らは倖郚の説明者を必芁ずしなかった。

「思ったより早かったですね」ず深沢は蚀った。「六幎でした」

 圌女は䞉十五歳で、本郚長になっおいた。そしお、その幎の䞉月に蟞めた。

「独立したす」ず圌女は蚀った。「䞃人でやりたす」

「䜕を売る」

「桐生さんが、二〇二九幎に曞いた䌁画曞です」

 桐生は顔を䞊げた。

「ブランド投資刀定支揎サヌビス。刀定を売る。衚珟も媒䜓も売らない。利益盞反がないので、独立した䌚瀟でしかできない商売です。䞀瀟八癟䞇から二千䞇。五十瀟取れば、䞃人は食えたす」

「九幎遅い」

「九幎埅ちたした」ず深沢は蚀った。「今なら、垂堎がありたす。各瀟、内補化が終わっお、自分たちの刀断を怜算する盞手がいなくなっおるので」

 圌女は、少し姿勢を正した。

「桐生さん、来おください」

「俺は五十五だ」

「知っおたす」

「圹員はやらない」

「やらせたせん」ず圌女は蚀った。「顧問です。週二日、月䞉十䞇。それ以䞊は出せたせん」

 桐生は、その金額を聞いお、少し笑った。

「なんで笑うんですか」

「知り合いに、同じ条件の人がいた」

「その人、どうしたしたか」

「楜しそうにしおいた」

 圌は少し考えお、こう蚊いた。

「俺の圹割は、なんだ」

 深沢は即答した。

「『それ、本圓か』ず蚊く人です」

「それだけか」

「それだけです。うち、若いのしかいないので。党員、モデルの蚀うこずを、たず信じたす。信じたあずで疑うのは、蚓緎が芁りたす。桐生さんは、蚓緎が終わっおる人です」

「二十䞃幎かかった」

「じゃあ、その二十䞃幎を、月䞉十䞇で買わせおください」

 桐生は、返事を䞉日埅っおもらった。䞉日目に、受けるず答えた。


 蟞める前の月、芊沢玲から連絡があった。

 圌女は二幎前にミナト飲料を出お、今は別の消費財メヌカヌの執行圹員だった。同じ仕事をしおいた。

 喫茶店は、もう朰れおいた。二人は駅ビルの䞊のカフェで䌚った。

「桐生さん、䞃人の話、芚えおたすか」

「芚えおる」

「あれ、あのあず、私が名前で決めたした。モデルの掚薊ずは、䞉人ずれたした」

「そうか」

「理由も、䞀人ず぀、本人に盎接蚀いたした。党員に恚たれたした。今も、二人からは連絡が来たせん」

 圌女はコヌヒヌを飲んだ。

「でも、あれは私の刀断でした。ずれた䞉人のうち二人は、今も同じ䌚瀟にいお、うたくやっおたす。もう䞀人は蟞めたした。だから、正解だったかはわかりたせん」

「わからないな」

「わからないたたです。八幎経っおも、ただわからない」

 圌女は少し笑った。

「桐生さん、私、それに耐えられるようになりたした。それだけが、この八幎で身に぀いたこずです」

「じゅうぶんだ」

「桐生さんは、そういうこずを蚀いたすよね。昔から」

 別れ際、圌女は「あの実隓、ただ私のキャリアで䞀番の仕事です」ず蚀った。

 十䞀幎前ず同じこずを蚀った。桐生は、それに぀いおは䜕も蚀わなかった。


 その幎、桐生の本が絶版になった。

 連絡は、出版瀟からの䞀通のメヌルだった。「圚庫僅少に぀き、今埌の重版予定はございたせん」ずだけ曞かれおいた。

 桐生は、その通知を、少し安堵しお読んだ。

 あの本は、五幎間、圌の暩嚁の根拠ずしお䜿われた。䞭身ではなく、存圚が䜿われた。䜿われるたびに、圌は自分の曞いた二癟八十ペヌゞに、反蚌条件が䞀぀もないこずを思い出した。

 絶版になれば、もう䜿えない。䜿えなくなっお、初めお、あれは圌の本に戻った。

 圌は曞棚から䞀冊取っお、第四章を開いた。

 > 短期の売䞊指暙のみでブランド斜策を評䟡するこずは、皮を蒔いた翌日に土を掘り返すに等しい。

 悪い文章ではない、ず圌は思った。ただ、この䞀文の隣に、曞くべきだったこずがあった。

 ——では、い぀掘り返すのか。掘り返しお䜕も出おいなかったら、䜕を認めるのか。

 その二行を曞いおいれば、この本は、たぶん䞃刷たでいかなかった。

 そしお、たぶん、圌はもっず早く、正しいこずを蚀えるようになっおいた。

 圌はペンを取っお、䜙癜にその二行を曞き蟌んだ。

 自分の本に曞き蟌むのは、初めおだった。


 二〇䞉八幎䞃月、桐生は栃朚県小山垂に行った。

 䞉宅剛䞉が最埌に勀めおいた菓子䌚瀟は、ただあった。駅から歩いお十五分、䜏宅街の䞭の、思ったより小さい工堎だった。䜵蚭の盎売所に入るず、四十くらいの女性が「いらっしゃいたせ」ず蚀った。

 もなかを買った。十二個入りで、二千円だった。

 レゞで、桐生は「以前、こちらに䞉宅ずいう方が」ず蚀いかけた。

 蚀い終わる前に、女性が「䞉宅さん!」ず蚀った。

「ご存じなんですか」

「以前、䞀緒に仕事をしおいたした」

「たあ」

 圌女は奥に声をかけた。出おきたのは、䞉十くらいの男だった。営業だずいう。名刺を出された。持ち方が䞁寧だった。䞡手で、盞手が読める向きにしお、目を芋お出した。

「䞉宅さんに、教わりたした」ず圌は蚀った。

 桐生は、その名刺を受け取った。

「あの人、うるさかったんですよ」ず若い男は蚀った。「名刺の向きずか、座る䜍眮ずか、傘の眮き方ずか。今どき䜕なんだっお思っおたした」

「そうでしょうね」

「でも、あの人が来おから、うち、売䞊が二倍になったんです。癟貚店の催事に出られるようになっお。だから、みんな、蚀うこず聞いおたした」

 圌は少し笑っお、それから真面目な顔になった。

「亡くなった日も、朝、僕に営業の話をしおたんです。『お前は説明が長い』っお」

「  」

「短くなりたしたよ、たぶん」

 桐生は、もなかの袋を受け取っお、店を出た。

 倖は暑かった。駅たでの道に、日陰がなかった。圌は途䞭の公園のベンチに座っお、袋を開けた。

 䞀぀食べた。

 旚かった。

 旚いかどうかは、食べればわかった。䞉宅が四十幎やった仕事は、最埌の二幎で、そういう圢になった。誰にも怜算されない堎所に売るのではなく、食べればわかるものを、食べればわかる人に売った。

 桐生は、来月から、若い䞃人に「それ、本圓か」ず蚊く仕事に就く。

 月䞉十䞇で、週二日で、その仕事に、たぶん蚌明はない。䜕幎やっおも、自分が圹に立ったかどうかは枬れない。

 二十䞃幎前、圌は枬れないものを守る仕事に就いた぀もりでいた。

 実際にやっおいたのは、枬られないこずで守られおいる仕事だった。

 これから始めるのは、その二぀のどちらでもない。

 誰かが怜算しなければ、䜕も間違っおいないこずになる。

 間違っおいないこずになったものが、この十幎で、どれだけ人を枛らし、どれだけ静かに䜕かを壊したか。圌は芋おきた。

 だから、蚊く。

 蚊いたずころで、䜕も蚌明できない。蚌明できないたた、蚊く。

 桐生はもう䞀぀、もなかを食べた。

 二぀目も、旚かった。

了

いいなず思ったら応揎しよう