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過敏性腸症候群(IBS)と「してあげたのに」——見返りを期待していた自分に気づく


「あんなにしてあげたのに」

そんな愚痴を、こぼしたことがあります。

相手のために動いたのに、
思ったような反応が返ってこなかったとき、
胸の奥がざらっとする感覚がありました。
それを飲み込みきれなくて、
つい誰かに漏らしてしまう。

誰かのために動くこと、
気を配ること、
先回りして準備すること。

私は、それができる自分を
悪くないと思っていました。

でも、「してあげたのに」という言葉が
自分の口から出たとき、
はっとしました。

見返りを求めていないつもりだったのに、
私は何かを期待していたんだと。

感謝されること。
喜んでもらえること。
「ありがとう」と言ってもらえること。

それが返ってこないと、ざらっとする。
それはつまり、
最初から見返りを前提に
動いていたということなんだと思います。

してあげて、
感謝されて、
それでようやく自分が満たされる。

私にとって「してあげること」は、
感謝を受け取るための
手段になっていたんだと思います。
人のためだと思っていた行動は、
自分を満たすためにやっていたんだと思います。

だから、感謝が返ってこないと、
満たされないまま残ってしまう。
その満たされなさが、

「してあげたのに」

という言葉になって
出てきていたんだと思います。

純粋な親切だと思っていたものの奥に、
取引のようなものが隠れていた。
そう気づいたときは、
少し罪悪感が出てきました。

飲み込みきれなかった気持ちは、
愚痴になって外に出ることもあれば、
そのまま体の中に
溜まっていくこともありました。
溜まった分が、
お腹の重さとして
返ってきていたのかもしれません。

見返りを期待していた自分を
責める必要はなかったんだと、
今は思っています。

むしろ、
それに気づけたことのほうが大きかった。

期待していたと認めたとき、
初めて
「じゃあ本当は、私は何がほしかったんだろう」
と考えられるようになりました。

私はただ、人から認められたかったんだ。
そういう思いに気づきました。

誰かに何かをしてあげて、
その分だけ「ここにいていい」と
確認していたんだと思います。

してあげたいからする。
返ってこなくても、それでいい。

そう思えるようになったとき、
人との関わりが、
前よりずっと軽くなったように感じています。

最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。
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