旅する美術館、知らない背中。
美術館へ行くと、どうしてか“背中”を追ってしまう。
その人がその街の住人なのか、
どこかの空港から流れ着いた旅人なのか、
背中だけではわからない。

(Belvedere, Wien)
クロークに荷物を預けると、
みんな身ひとつ。
名前も、
帰る家の匂いも、
小さな後悔まで、
いったん遠くへ置いて。

▲ そうして残る
──ひとつの背中。
(Leopold Museum, Wien)
そして、背中と絵のあいだには、
よそゆきの沈黙がただよっている。
二人並んで立っていても、
となりたった数十センチ横では、
べつの季節が流れているみたいで。

(Leopold Museum, Wien)

(Belvedere, Wien)
美術館の屋根の下には、
こうやっていくつもの季節が居合わせる。
どれも自分とはちょっと違っていて、
でも、知っているような気配もあって。

(Brera Art Gallery, Milano)
たまたま居合わせた背中からただよう誰かの暮らしの匂いは、
いつも無責任に、いい香りがする。

(Leopold Museum, Wien)
とある絵の前で、
まったく知らない人同士のはずなのに、
立ち止まる場所や、
顔の向け方や、
なんでもない手の動きが、
ふと、重なってしまうことも多くて、それも楽しい。


(Belvedere, Wien)
たまたまなのだと思う。
でも、掛けられた絵と、
それを見ている人の服装が
きれいにリンクしていることがあって、
その瞬間も、どうしようもなく楽しい。



(Leopold Museum, Wien)
そんなふうに、
人の背中を見ているとき、
私はときどき、
これに少し似た気分を知っている、と思う。

(Fotografiska, Stockholm)
──美術館で誰かの背中を追うときの気分は、
誰かのエッセイを読んだり、
実際に会ったことのない方の日記を読むのと似ている。

(Kunsthistorisches Museum Wien)
いつも、ほんのすぐ隣に、
誰かの“今日”が置かれている。
でもいつだって季節は違っていて、
その距離が、
とてもいいなと思う。

(Uffizi , Firenze)
それは、誰かの暮らし。
たぶん一生、
言葉を交わすことのない誰かの日々の色。
それは、
自分が選ばなかった道かもしれないし、
着ることのない服なのかもしれない。

(Brera Art Gallery, Milano)
知らない誰かの日々に、
憧れはなく、まして嫉妬もない。
ただ、そういう暮らしが、
どこかで今日も続いているのだと思うと、
その背中は、なんだかあたたかい。

(Picasso Museum, Barcelona)
どんなに低い確率で、
世界のどこかから集まって、
同じ日、同じ時間に、
同じ絵の前に立っていたとしても、
数十センチ先の背中は、
いつも、ちがう季節を過ごしている。

(Uffizi , Firenze)
そしてときどき、
自分の背中もまた、
誰かに、同じように見られているのかもしれない、
と思ったりする。
