創作大賞のあと┊︎埃と、あの三日月。
いつも、写真からはじまる。
色とか、撮った土地の匂いとか。
そのイメージで、思いつくままに言葉を置く。
でも今宵は、なにも見ずに書いている。
──正確には、“埃”を見上げながら書いている。
窓の外には、三日月。
カーブのセンスがいい。
この街は、もうすっかり冬。
夜になると0度を切る。
テーブルには、夫が作ってくれたローストビーフと赤ワイン。
そんな夜に、ふと書きたくなった。

(Hallstatt,Austria)
北京の家は、いつもきれいにしてある。
花を飾り、掃除をして。
真緑の椅子。
奇想天外な形のテーブル。
色々な柄を重ねたスタンドライト
──魚も泳いでいる。
いらないものは、ずいぶん捨てるようになった。
“好き”の基準に合わないものを手放すのは、
ちょっとしたワガママ儀式のようなもの。

(Shanghai,China)
それなのに、さっきふと天井を見上げると、
七股に伸びた蜘蛛の足のようなライトの根元に、
ひとかたまりの埃がついている。
大きさからすると、
ずっと前からそこにあったのだと思う。
でも、気づかなかった。

(Buxoro,Uzbekistan)
──死角。
見えていないだけで、存在している。
死角って、やさしい。
隠されているのに赦せるものが、
世の中にはけっこうあるから。
その埃を見て、ふと思う。
そういえば創作大賞。
中間選考に残っていたけれど、
最終結果の中に、わたしはいなかった。
賞を狙っていたわけでもないので、少しも悲しくはない。
でも、少し芽生えた欲も、
ふわっと消えた。

(Barcelona,Spain)
ただ、思う。
結果はもうとっくに出ていたのに、
わたしが“知った”のは、ほんの数日前。
出来事はずっとそうなっていたのに、
知るのはいつも“一瞬”。
──そう。
日々は、“知る前”と“知ったあと”でできている。
埃も、世界も、なにかの知らせも、
ゆっくりと時間をかけて積もっている。
そして、ある日突然、その“数秒”が、
自分に教えてくれる。

(Salzburg,Austria)
今年のはじめ、
アンダルシアにいたときのことを思い出す。
知らないあいだに、
わたしは誰かを失っていた。
知ったのは、ほんの一瞬。
世界は変わらないのに、見え方が変わった。

( Hyogo,Japan / KENZO展 )
空虚なことも、明るいことも、くだらないことも。
日々は、そんな“知る数秒”の積み重ねかもしれない。
境目はほんの一瞬、
一本の線をまたぐようなもの。
けれど、その前とあとで、
世界の色がすこし違って見える。
そして不思議と、
そのあとも日々は淡々と続いていく。

(Temppeliaukion kirkko,Finland)
シーリングライトの隙間の埃は、まだそこにある。
最初は見間違いかと思ったけれど、確かにいる。
それを見るたび、世界のどこかで、
また誰かが「知る数秒」を迎えている気がする。
嬉しいことだといいし、
悲しいことかもしれない。
その一瞬はいつだって突然で、
三日月のような細い線一本で隔てられていて、
いつまで経っても、
準備なんてできない。

たぶん最初から、ずっとそこにいた。
(Inner mongolia,China)
三日月は、今も部屋の窓から見えている。
埃も、まだ天井の隙間にいる。
知ったあとの静けさを纏いながら。
──そして、きっと、いつまでも慣れないのだと思う。
こうやって今も、
なにか知る数秒前にずっと私たちはいるのに。
