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創作大賞のあと┊︎埃と、あの三日月。

いつも、写真からはじまる。
色とか、撮った土地の匂いとか。
そのイメージで、思いつくままに言葉を置く。

でも今宵は、なにも見ずに書いている。
──正確には、“埃”を見上げながら書いている。

窓の外には、三日月。
カーブのセンスがいい。

この街は、もうすっかり冬。
夜になると0度を切る。
テーブルには、夫が作ってくれたローストビーフと赤ワイン。

そんな夜に、ふと書きたくなった。

▲書く前の数秒って、少しだけ世界が無防備。
(Hallstatt,Austria)


北京の家は、いつもきれいにしてある。
花を飾り、掃除をして。

真緑の椅子。
奇想天外な形のテーブル。
色々な柄を重ねたスタンドライト
──魚も泳いでいる。

いらないものは、ずいぶん捨てるようになった。
“好き”の基準に合わないものを手放すのは、
ちょっとしたワガママ儀式のようなもの。

▲知らない誰かの“もういい”が、 季節を変える。
(Shanghai,China)


それなのに、さっきふと天井を見上げると、
七股に伸びた蜘蛛の足のようなライトの根元に、
ひとかたまりの埃がついている。

大きさからすると、
ずっと前からそこにあったのだと思う。
でも、気づかなかった。


▲誰もが、自分の見たい方角を見ている。
(Buxoro,Uzbekistan)


──死角。
見えていないだけで、存在している。

死角って、やさしい。
隠されているのに赦せるものが、
世の中にはけっこうあるから。

その埃を見て、ふと思う。
そういえば創作大賞。
中間選考に残っていたけれど、
最終結果の中に、わたしはいなかった。

賞を狙っていたわけでもないので、少しも悲しくはない。
でも、少し芽生えた欲も、
ふわっと消えた。


▲空っぽの瞬間に、なにかが芽吹く気がした。
(Barcelona,Spain)


ただ、思う。
結果はもうとっくに出ていたのに、
わたしが“知った”のは、ほんの数日前。
出来事はずっとそうなっていたのに、
知るのはいつも“一瞬”。

──そう。
日々は、“知る前”と“知ったあと”でできている。

埃も、世界も、なにかの知らせも、
ゆっくりと時間をかけて積もっている。

そして、ある日突然、その“数秒”が、
自分に教えてくれる。

▲知る前から始まっていて、知ったあとも続いている。
(Salzburg,Austria)


今年のはじめ、
アンダルシアにいたときのことを思い出す。

知らないあいだに、
わたしは誰かを失っていた。
知ったのは、ほんの一瞬。
世界は変わらないのに、見え方が変わった。

▲時間が流れても、ほどけない色。
( Hyogo,Japan / KENZO展 )


空虚なことも、明るいことも、くだらないことも。
日々は、そんな“知る数秒”の積み重ねかもしれない。

境目はほんの一瞬、
一本の線をまたぐようなもの。

けれど、その前とあとで、
世界の色がすこし違って見える。

そして不思議と、
そのあとも日々は淡々と続いていく。


▲同じ場所で、同じことをしている。
(Temppeliaukion kirkko,Finland)


シーリングライトの隙間の埃は、まだそこにある。
最初は見間違いかと思ったけれど、確かにいる。

それを見るたび、世界のどこかで、
また誰かが「知る数秒」を迎えている気がする。
嬉しいことだといいし、
悲しいことかもしれない。

その一瞬はいつだって突然で、
三日月のような細い線一本で隔てられていて、
いつまで経っても、
準備なんてできない。

▲空のはしの三日月。
たぶん最初から、ずっとそこにいた。
(Inner mongolia,China)


三日月は、今も部屋の窓から見えている。
埃も、まだ天井の隙間にいる。
知ったあとの静けさを纏いながら。

──そして、きっと、いつまでも慣れないのだと思う。

こうやって今も、
なにか知る数秒前にずっと私たちはいるのに。






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