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ゴトーに、22歳の続きを置いてきた

昔の時間のほうが、
いまよりも近い気がすることがある。

もうずいぶん前のことなのに、
そのままそこに戻って、
なにもなかったみたいに、続きを始められそうな。

▲ カフェゴトー(東京 早稲田)


つい立ち寄ってしまう街がある。

通り過ぎてしまうと、
なにかひとつ、やり忘れたような。

ひと通り歩くと、だいたい同じ順番で、
ここの扉を開ける。

▲ 18から22までを預けた街の、喫茶店


たぶん、どの人にもひとつくらい、
時間の流れ方がおかしい場所がある。

月日が経てば、街も変わるのに、
変わっていないところばかりが目に入る。

四年間住んでいたマンションも、そのまま残っていて。
まだ覚えている4桁の暗証番号を押してみると、
(2513 都合いいさーと覚えてねと管理人に言われたのを今でも覚えている)
ガチャっと音がして、ちゃんと開いた。

びっくりするくらい普通に、
時間のほうが戻ってきて、
あの頃の一日が、また始まりそうな気がする。

▲ 知らない季節のぶんまで、年数を重ねている



当時のわたし。
だいたい誰かと一緒にいた。

決められた時間にはきちんと座って、
落としてはいけない単位だけは守りながら、
それ以外の時間は、“芝居”のまわりにいた。

舞台に立つこともあれば、
ただそこにいるだけの日もあって、
恋っぽいものも、だいたいそのへんで起きていた。

そこにいた人たちは、
どこか芸術家っぽい陰があって、
それぞれに癖のある魅力を持っていて、
人見知りのくせに明るくて、
うまく説明できないものばかりを好んでいたけれど、
稽古終わりには、だいたい空腹で機嫌がよかった。

  ▲ 何者にもなりたくないままで、足りていた



あの頃は、
そういうものを、特性だとか欠陥だとかに分ける必要もなくて。

まだいろいろと分類される前で、
その個性のまま、息がしやすかった。

▲ ここにいていい、という身体の記憶



学生カップルが楽しそうに話している。
もう人生わかってます、みたいな顔で。

たぶん数時間後には、
「何食べる?」と言いながら、
どちらも何も提案しないことで、普通に揉めたりするくせに。

なんて思いながら、
わたしも、夫とは、あの頃のこの街から、
こうやって一緒にいるんだっけ。

▲ 色づいた夜を、誰だってひとつふたつ連れて



店主に、
「私たち、卒業生なんです」と言ってみる。

──「そうなんですね」。

きっと、何度も繰り返されてきた会話。

この街を離れた人たちが、
時間や距離をまたいで、ふらっと戻ってくる。

席に座り、コーヒーを頼み、
それだけ確認しに来たみたいに、
またそれぞれの場所に戻っていく。

▲ 甘さも酸っぱさも、ここに集まる



夫が、
「この街、整うね」と言った。

そうかもしれない。

▲ あの頃と違うのは、
もう、行かなきゃいけない時間があること。



22歳までの四年間をはしゃいで過ごしたこの街は、
今やもう、すっかり「あちら側」。

それでも、わりと長く効いている。

──22歳のつづきは、
まだこのへんで、時間をつぶしている。




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