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僕は「有頂天」に100億円払った

成功と有頂天についての、僕の経験と結論

人生で一番高い買い物は何か、と聞かれたら、僕の答えは決まっている。

車でも、家でもない。

有頂天だ。

僕は30代の半ば、有頂天という状態に、100億円払った。

正確に言えば、払わされた。世の中はよくできていて、調子に乗った人間のところには、あとから必ず請求書が届く。金額は、調子に乗っていた時間の長さに比例して膨らんでいく。

白状すると、この話をここまで書いていいものか、いまも少し迷っている。100億円を溶かした話なんて、人としてどうなんだと、自分でも思うからだ。

それでも、書く。

今日はその中身を、全部書く。


目的が「音楽」から「金」に変わっていた

エイベックスが株式を店頭公開したのは1998年。翌1999年の12月に、東証一部に上場した。

輸入レコードの卸から始まった会社が、創業から10年ちょっとで一部上場企業になった。会社としては夢の実現だ。

でも、正直に書く。その頃の僕の中では、すでにおかしなことが起きていた。

目的が、音楽から金に変わっていたのだ。

きっかけのひとつはテレビだった。歌番組に出て、プロデューサーとして顔が知られるようになった。夜の街で「松浦さんですよね」と声をかけられる。それはもう、めちゃくちゃモテた。こんな顔なのに、である。

そこから堕落が始まった。毎晩のように仲間を集めて騒ぐ。人の視線が鬱陶しくなったら、自分専用の遊び場まで作ってしまった。どう見ても間違っている。当時の僕も心のどこかでそう思っていた。でも「楽しいからいいや」で流した。

そしてその頃の僕は、当時の経営トップに、何度も同じ質問をしている。

「東証一部に上場したら、その後は何をすればいいんですか?」

いま思えば、この質問をしている時点で終わっていた。上場は手段のはずなのに、僕の中でゴールになっていた。

ゴールの先には、何もない。

実は、前触れもあった。

1998年の店頭公開の時、僕の手元には株で4億円ほど入った。ただ、公開のために背負っていた借金の返済で3億円ほどが出て行き、残ったのは1億円。その1億円も、当時信頼していた人間の引越代やら家具代やらまで気前よく持ってやって、1年も経たないうちに使い切った。

1億円が、1年もたない。

この時点で、自分のお金の扱い方がおかしくなっていることに気づくべきだった。でも僕は「次は東証だ。もっと大きな金が入る」としか考えていなかった。前触れというのは、いつだって、あとから見た時にしか前触れに見えない。


一生分のお金が入って、生きる目的が消えた

上場した時、もの凄いお金が入ってきた。

一生働かずに生きていけるくらいの金額だ。

普通に考えれば、人生で一番めでたい瞬間だ。ところが、実際に起きたことは逆だった。

仕事をやる気が、日に日になくなっていったのだ。

考えてみれば当たり前で、目的が金になっていた人間から、金の心配が消えた。残るものは何もない。生きる目的が何なのか、わからなくなった。毎晩飲み歩いて、事件にならなかったのが不思議なくらいの夜もあった。

もうひとつ、当時は誰にも言わなかった思いを、ここに書き残しておく。

上場した頃から、僕の中にはこんな感覚が居座っていた。

上場するまでの俺は、会社に求められていた。でも上場した会社にとって、俺みたいな危険な人物は、もう必要ないと思われているんじゃないか。

確執、というほどの話ではない。ただ、考えてもみてほしい。毎晩浴びるように飲み歩く創業メンバーなんて、上場企業から見れば爆弾みたいなものだ。上場前なら「ヒットを作る男」で済んだものが、上場した瞬間、「いつ何をやらかすかわからない男」に変わる。会社が悪いという話ではない。上場とは、そういうことなのだ。

求められていない気がする。だから余計に飲む。飲むから、余計に危険な男になる。悪循環だった。

そして当時の僕は、本気でこう思っていた。

もういつ死んでもいいや。俺は男としてやることを全部やったんだ。

30代半ばの男が考えることとしては、どうかしている。でも、これが有頂天の正体だ。

外から見れば絶頂。中身は空っぽ。


「一生、ハワイだ!」

どれくらい浮かれていたか、わかりやすい話をひとつ書く。

上場の直後、僕はハワイに移住しようとした。周囲から「ハワイにスタジオを作って、向こうで制作活動をすればいい」と勧められたのだ。日本から夜中に曲のデータを送ってもらい、朝チェックして指示を出す。ネットの高速回線が普及し始めた頃で、理屈の上では成立する話だった。

いま思えば、この話がすんなり通ったこと自体が、答えだったのだと思う。

日本に置いておくと危ない男は、海の向こうに置いておくのが一番いい。

毎晩あれだけ飲み歩いていた僕だ。会社がそう考えたとしても無理はないし、だからあっさり許可が出たのだと思っている。「必要とされていないんじゃないか」という例の感覚は、この時が一番強かった。

それでも僕は大喜びで、2000年の1月にハワイに渡った。

永住許可を申請して、スタジオが建てられるように土地が2区画ある大きな家を買った。家具を揃え、車を買い、現地の人たちとも仲良くなった。「これで一生、ハワイだ!」と本気で思っていた。

半年もたなかった。

6月の株主総会を前に、「やはり日本へ戻って来てくれ」と会社から呼び戻されたのだ。実際に僕がいなくなってみたら、あちこちに不都合が出たらしい。

危ないから海の向こうへ遠ざけたはずの男が、いないと会社が回らない。

皮肉な話だ。でも、この呼び戻しで僕は、心のどこかで少しだけ救われてもいた。なんだ、まだ必要とされているじゃないか、と。

とはいえ現実は大変だ。買ったばかりの家はどうなる。揃えた家具は。申請中の永住許可は。

そういうことを、渡る前に考えなかったのかと思うでしょう。

考えていないのだ。有頂天の人間は、来月のことすら考えていない。頭にあるのは「今、楽しいかどうか」だけ。

「今が良ければ、それでいい」。30代半ばの上場企業の役員が、本気でそう考えて生きていたのだ。しかも当時の本人は、それを人生哲学か何かだと思っている。若さでそう言うなら、まだかわいげがある。僕の場合は、お金がそう言わせていた。だいぶ重症だ。

一生分のお金と、一生分の計画性は、まったくの別物だった。お金は計画性まで連れてきてはくれない。むしろ、持って行ってしまう。


めちゃくちゃな2年間

上場からの約2年間を、僕は「めちゃくちゃな2年間」と呼んでいる。

会社に行かない。飲み歩いて、遊び歩いて、豪遊旅行しまくった。半端じゃなかった。

では、具体的にどんな毎日だったのか。再現すると、こうなる。

気がつくと、酒を飲んでいる。気絶するまで飲む。気絶から覚めると、また飲む。その繰り返しだ。仕事は、最低限のことしかしなくなっていた。

そして飲みながら、ぼんやり思うのだ。この生活がこのまま続いていくんだったら、自分はどうなっちゃうんだろうな、と。

はっきり言える。あの時期、本当につらかったのは、お金が消えていくことより、こっちだ。やる気がない。やることがない。生きていく糧がない。金の残高より先に、生きる理由の残高が尽きかけていた。

たちが悪いのは、そんな状態の僕を、世間が「浜崎あゆみのプロデューサー」として持ち上げ続けてくれたことだ。実際、ayuのプロデュースだけは、この時期も最低限続けていた。ayuとの関係だけは大切にしていた、と言っていい。ayuは、崩れかけている僕を一番近くで見ていた。それでも、作品から「Produced by max matsuura」のクレジットを外さなかった。あのクレジットが、僕を守ってくれていた。

あの2年間に、もし同業他社が本気でエイベックスを攻めていたら、と考えるとぞっとする。会社が無事だったのは、ただの運と、支えてくれた人たちのおかげだ。

第2回で、本当に怖いのは「おだてられているうちに、感覚がずれていく自分だ」と書いた。

その最悪の実例が、この頃の僕だ。


すべては、通帳を見るのをやめた日から始まった

第1回で、僕はこう書いた。「僕は昔、信頼していた友人に自分の財産管理を任せていた時期がある」。そして「さまざまな事情で、僕は多額の借金を抱えることになった」と。

あの時はぼかした。中身はこうだ。

その頃の僕は、自分の通帳を見るのをやめていた。

若い頃は逆だった。貸しレコード店をやっていた僕は、「1日10万円の売上なら7日で70万円。それで仕入先に払える」という計算を、毎日毎日やって生きてきた。たぶん、その反動だ。お金のことを考えるのが心底嫌になって、通帳も、印鑑証明も、実印も、全部まとめて、信頼しきっていた男に預けた。

これがどれだけ愚かなことか、いまの僕なら3秒でわかる。でも、有頂天の人間にはわからない。面倒なことを全部人に投げて自分は遊ぶことを、「器の大きさ」か何かだと思い込んでいた。

ある日、僕は当時の経営トップに呼び出されて、怒鳴られた。

僕の株に「追証」が発生している、と言うのだ。追証というのは、株を担保にした取引で資産の価値が大きく目減りした時に発生する、追加の保証金のことだ。

寝耳に水だった。

調べてみると、その男は1年も前から、僕に何の報告もなく、僕の株を担保に土地を買ったり売ったりしていた。気がついた時には、数十億円の負債を背負わされていた。

その瞬間、最初に感じたものを正直に書く。

恐怖だ。怒りは、不思議なくらい湧かなかった。

その恐怖の中身は、想像を絶するものだった。今まで、何もかもうまくいっていた。大丈夫だと思っていた。それなのに、自分はとんでもない大失敗をしてしまったんじゃないか。取り返しのつかない間違いを、しちゃったんじゃないか。しかも、借金がいくらあるのか、その時点では計算すらできなかった。額のわからない借金ほど、怖いものはない。この先、自分がどうなるのか、まったくわからない。

会社を失う怖さとも、少し違う。もっと単純で、もっと深い。

自分の人生が、終わる。

その恐怖だった。あの頃は、ほぼ毎日眠れなかった。ぼーっとしたまま、気がつくと数時間が過ぎている。そんな日々が続いた。

怒りが湧かなかった理由も、いま思えばはっきりしている。調べていくうちにわかったのだが、僕が全部を預けていたその男は、土地の取引で、別の誰かに騙されていた。僕を騙した、というのとも少し違う。僕が信用しきった男が、僕の知らないところで騙されていたのだ。責めても、しょうがない。怒りは行き場を失って、あとに残ったのは、自分がしてしまったことへの反省と、恐怖だった。

それに、突き詰めれば、通帳を見るのをやめて、実印ごと自分の人生を人に預けたのは、僕自身だ。

有頂天とは、自分の人生の判断を、人に投げ始めることだ。


フェラーリも時計も、全部売った

負債の処理では、思わぬ人に救われた。会社の財務を担当していた役員が、自分の預金を僕の口座に振り込んで、担保にしてくれたのだ。おかげで、会社の株を投げ売りせずに済んだ。

そこから僕は、浮かれていた時期に買ったものを、片っ端から処分した。

車は、フェラーリだけで7、8台あった。ベンツも4、5台。時計は、いろんなブランドのものが、何百個もあった。余計な不動産もあった。

全部、売った。

意外かもしれないが、手放す痛みは、ほとんどなかった。車が何台あっても、一度に乗れるのは1台だ。時計が何百個あっても、腕に着けられるのは1本だ。数を持つことの空しさは、手放す時に一番よくわかった。

ただ、ひとつだけ鮮明に覚えていることがある。時計を売りに出した時、時計屋にこう言われたのだ。

「中古で値段がつくのは、ロレックスやパテックのような、時計専門メーカーの時計だけですよ」

他の様々なブランドは、あれだけ買い集めて、二束三文だった。何百個の時計が最後に僕へ残してくれたのは、結局この一言だけだ。ちなみに、いまの僕が時計を買う時はロレックスばかり選んでいる。一応、学んでいるのだ。

そして、手元に1円もなくなった。

いや、正確に言えば、「1円もなくなった」では済まなかった。

あとから計算すると、上場で入ってきたのが約50億円。失った分と使った分を合わせると、約100億円。差し引きで、僕はゼロに戻ったのではない。

マイナス50億円の男になったのだ。

僕は会社の株だけは、なるべく売らないようにしていた。この50億円も、株を売らずに自分の力で返すつもりでいた。

そんな中で、当時の経営トップが会社を去ることになる。その流れの中で、巡り合わせのような形で、40億円分の株を手放すことになった。結果として、50億円のうち40億円はこれで返せた。

問題は、残りの10億円だった。

手元にはまだ300万株ほどの株が残っていて、売れば返せた。でも、もうこれ以上は売らない。ここからは自分の給料で返す。そう決めた。

これが、思っていたよりずっと大変だった。株の売却なら、税金は2割で済む。給料には、5割を超える税金がかかる。つまり10億円を返すには、給料ベースで20億円が要る計算になるのだ。そんな給料はもらっていないし、生活費だってかかる。一時期は、稼いだ金が、ほぼ利息の支払いだけで消えていった。資産がマイナスから、なかなかプラスに浮上しない。この歯がゆさは、返し終えるまでの7、8年間、ずっと腹の底にあった。

ここからが、この話の一番不思議なところだ。

1円もなくなった日、僕は心の底から「お金は要らない」と思った。そして同時に、何年かぶりに音楽のことを考え始めたのだ。あれを作りたい。これを仕掛けたい。頭の中に、上場前の自分が戻ってきた。

お金を全部失って、ようやく僕は、作る人間に戻れた。

思い返すと、あのめちゃくちゃな2年間で、やめなかったことが2つだけある。

ダンスミュージックを聴くこと。そして、ayuの仕事。

どちらも、音楽だった。全部なくなった僕に、戻る場所として音楽だけが残っていた。できすぎた話だと、自分でも思う。でも、本当にそうだったのだ。

第1回で「あの時期の僕の仕事のエネルギーの何割かは、間違いなく借金が生み出していた」と書いたのは、この時のことだ。借金を返さなければ、どうしようもない。そのエネルギーを、全部ヒット曲づくりに向けた。倖田來未。大塚愛。EXILE。AAA。もちろん、ヒットは彼ら彼女らの才能が生んだものだ。ただ、その隣で僕を朝から晩まで働かせていたのは、正直に言えば、マイナス50億円だった。

一生分のお金は僕から生きる目的を奪い、50億円の借金が、それを返してくれた。

皮肉と呼ぶには、できすぎている。でも、これが実際に起きたことだ。


有頂天の初期症状は、3つある

この経験から、僕は有頂天の初期症状を3つ知っている。書いておく。

症状1、実力と追い風の区別がつかなくなる。

うまくいっている時、その何割かは必ずただの追い風だ。有頂天の人間は、全部を自分の実力だと思い始める。僕は仕事をしていないのに持ち上げられて、いつのまにか、それを当然だと感じるようになっていた。

症状2、面倒なことを人に投げ始める。

数字を見る。書類を読む。契約を確認する。調子が上がってきた人間は、そういう地味な作業から順番に手放していく。僕の場合、それが通帳だった。

症状3、忠告が聞こえなくなる。

当時は、忠告してくれる人が消えたのだと思っていた。違った。あとから振り返ると、言ってくれていた人はちゃんといた。こっちの耳が、都合のいい言葉しか通さなくなっていたのだ。

たちの悪いことに、この3つはどれも、本人にはまったく自覚がない。絶頂の中にいる人間は、自分が絶頂にいることに気づかない。

だから対策は、気合いや心構えでは無理だ。仕組みにするしかない。症状に合わせて、3つある。

対策1、自分の現実を、月に一度、自分の目で確かめる。

通帳でもいいし、売上でも、体調でもいい。大事なのは「人からの報告」ではなく「自分の目」で見ることだ。数字にはいいところがある。調子がいい時に、唯一おだててこないのが、自分の数字だ。

対策2、「最近、自分で確認しなくなったもの」を数える。

お金の置き場所、契約の中身、現場の空気、家族との会話。自分の目で確かめたのは、いつが最後か。人任せになっているものの数だけ、人生の判断を預けている場所がある。

対策3、耳の痛いことを言ってくれる人のところへ、自分から出向く。

忠告は、待っていても届かない。こっちの耳が閉じているからだ。調子が上がっている時ほど、ほめてくれる人との予定より先に、痛いことを言ってくれる人との予定を入れる。

僕がいまでも、どんなに忙しくても自分のお金の状況だけは自分の目で見るのは、このためだ。あの2年間で、骨の髄まで懲りたからだ。


有頂天についての、僕の結論

第1回で「変わるのはあなたじゃない。周りだ」と書いた。それは本当だ。

ただ、今日は正直に付け加えたい。人生で一度だけ、僕自身が変わってしまった時期がある。それが、あのめちゃくちゃな2年間だった。

まとめる。

1. 有頂天は、成功の一部ではなく、失敗の一部だ。

絶頂と転落は、ひとつづきの出来事だ。有頂天の中に、転落の材料が全部揃っている。

2. お金をゴールにした瞬間、人生の目的は消える。

お金は手段でいるうちは最高の道具だ。ゴールにした途端、手に入れた日に人生が空っぽになる。僕は一生分のお金を手にした日に、働く理由を失った。

第1回で、僕はお金を使ってきたことを後悔していないと書いた。それはいまも変わらない。ただ、あの2年間だけは別だ。あれは「使っていた」とは言えない。判断を人に預けたまま、ただ流れ出ていただけだ。自分の判断で使うことと、垂れ流すことは、まったくの別物だ。

3. 転落は、派手な失敗からではなく、地味な確認をやめた日から始まる。

僕の転落の起点は、豪遊でも夜遊びでもない。通帳を見るのをやめた、あの日だ。

有頂天の請求書は、忘れた頃に届く。

だから、いま調子がいい人ほど、今日、自分の数字を自分の目で見てほしい。通帳でも、売上でも、体重でもいい。

それだけで、いつか届く請求書の金額は、ずいぶん安くなる。

僕のように、100億円の請求書を受け取る前に。

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