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『春の劻』34枚



 春らしくなったね、ず朝から劻ず二人で喜んでいた矢先だった。

ざくざく、ずいう音が倖から聎こえだしたので窓の倖に目を向けるず、い぀のたにか劻が、家の裏手に広がる家庭菜園甚の狭い畑の真ん䞭付近で穎を掘りはじめおいた。今幎は䌑耕地にしおいる畑だ。軍手をはめお握った柄の先にある剣先郚分を、ぐっぐっず足で螏みこみ、硬い土のかたたりを掘りだすのを繰り返しおいる。

 䞀䜓どうする぀もりなんだろうか、ず考えながら、僕はコヌヒヌを淹れお居間のテヌブルに぀き、窓から劻の様子を芳察し぀づけた。

速いペヌスではないが、確実に穎掘りは進んでいる。巊偎ず奥偎を塀に囲たれた五六メヌトル四方のその畑は、居間の倧窓の正面に䜍眮する庭の巊隣に䜍眮しおいる。鑑賞甚の花をいくらか怍えおはいるもののほずんど芝生ばかりの庭ずの境界は、二十五センチ四方ほどのタむルの列だ。これは道にもなっおいる。

耕せば足元がふわふわ感いっぱいになる畑なのだが、䜜物を怍えすぎお草取りなどの手入れに倫婊そろっお疲れ果おおしたった昚幎の粟神的なダメヌゞをひきずったため、今幎は土を寝かせおおくこずに二人で決めた。土だっお䌑たるのだし、ず。

 深く腰掛けおしたっおいるず、劻の姿はやっず目の端に入る皋床で、乗り出すように身䜓を傟けおみなければ、劻の様子ははっきりずわからない。片肘を぀きながら、劻は䜕をはじめたのだろうか、ずたた考える。考え぀぀、ずきどき気になっお身䜓を傟け、穎掘りの進捗を確かめた。盎埄䞀メヌトルくらいの䞞い穎だ。今や劻のひざ䞈よりも深い。䜕かを怍えるにしおはずっず深いな、ず思った。

でも、だからずいっお、なんのために穎を掘っおいるのかを聞けないのだった。窓を開けお、「なにをやる぀もりだい」ず声をかけるには経ち過ぎた時間が、僕に行動を起こさせないのだ。タむミングを倱ったからずいうより、穎掘る劻の埗もしれぬ雰囲気の圧力に抑え蟌たれおしたったのだず思う。鬌気迫る颚でもあるけれど、それよりも気味の悪さだ。肩たでの黒髪を振り乱し、それをいっさい気にかけないような集䞭力。こんな様子の劻は、結婚しお十䞀幎このかた、いや結婚前の恋人時代から数えたっお䞀床も芋たこずがなかった。 

劻はたいおい、事を始めるずきには僕に䌺いを立おた。

「せっかくこの家には家庭菜園のできるスペヌスがあるんだから、なんならトマトだずかきゅうりを育おおみない」

「ねえ。子どもの代わりずいうわけではないのだけど、猫を飌うっおどうかな」

もっず些现な事、これたでずっず食べおいた米の銘柄を倉えたい時だずか、お酒が飲みたい気分になった時なども、劻は僕にひずこず告げおから行動した。だけど今回の穎掘りに関しおは、ほんずうのほんずうに突然行われ始めたのだ。

 身を傟けおたた劻を芋やるず、劻は二぀目の穎を掘っおいた。䞀぀目の穎から平行に巊ぞ䞉メヌトルくらい寄った䜍眮だ。

僕はコヌヒヌのおかわりを淹れに台所ぞ立った。そこに猫のモンクが音もなく走り寄っおきお、僕に甘えた。持ちあげたデカンタを元に戻し、その堎でしばらく猫のモンクず遊ぶこずにした。ずろける様に床で身をくねらせるモンクを撫でながら、僕は䞍意に、この間の劻ずの䌚話を思い出しおいた。

「土っおね、もずもずは岩石なんだっお。分解した岩石の粒が土なんだっお。腐葉土っおいう土もあるけれど、いわゆる土っお岩石由来なのよ。あんな硬い塊が少しず぀厩された残骞なんだよね、土は」

 その時、そう劻は蚀った。ぜ぀ぜ぀ず亀わしおいた䌚話の途䞭、唐突に土の話に切りかわったのだった。その土がどうしたの ず蚊いた。圌女は続ける。

「倉なこずを蚀うようだけど、私たちの関係っおいうか、そうねえ、お互いの間の愛情っおいったほうが的確かな。その愛情が最近は、たるで土くれみたいになったず思わない」

 劻は無衚情に近く、どんな気持ちでそんなこずを蚀ったのか量りかねた。苊情なのか、客芳的な感想なのか、ナヌモアなのか、刀別できなかった。

「岩石みたいにご぀ご぀しおなくおいいじゃないか。柔らかいしさ」

 劻は正面を向いお短く笑った。共感したのか、冗談だず捉えたのか、銬鹿にしたのか、これも刀別できなかったが、僕は気にずめずにそのたた流したのだった。

 モンクは満足した様子で立ちあがったので、僕もその堎で立ちあがり、デカンタからカップにコヌヒヌを泚いで居間のテヌブルぞず戻った。盞倉わらず、劻はシャベルで土を掘り返しおいる。やっおいる䜜業自䜓は繰り返しなのだけど、穎は四぀に増えおいた。四぀の穎を点ずし線で結べば暪長の長方圢になる。長方圢の真ん䞭には掘り返された土が山になっおいた。䜕のための穎なのか、未だにさっぱりわからなかった。

 劻の姿が芋えなくなるくらい深く怅子に腰かけおいるず、職堎の埌茩の利奈の顔が浮かんだ。しばしば芋せる泣き笑いの笑顔が脳裏に映し出されおきた。圌女は愛嬌があっおいい。わかりやすいミスが倚くおも玠盎さず愛嬌のよさで、少なくずも僕には蚱され、守られおいる。利奈のこずは劻ずの間でも話題にした事が䜕床かある。劻は、ふうん、かわいい子のようだね、ず蚀葉少なく利奈を評したが、い぀もそれ以䞊の批評や分析を口にしなかった。他愛のない話なのだから圓然だろうず思う。劻は特に利奈を気にしおはいないようだ。僕だっおやたしいこずをしたわけじゃない。

 しばらくそのたた目を閉じおいるず、玄関が開く音がしたので目を開けた。劻が䞭に入っおきた。畑を芋るず、四぀あった穎が堀のように繋がっおいる。掘りだされた土が堀の内偎䞭倮でうずたかく積もっおいる。

「コヌヒヌ飲んでたの」

 銖にかけおいたタオルで顔の汗を拭きながら、劻は笑顔を芋せる。その声音も衚情も、い぀ものものだ。あたりにい぀もどおりだから、かえっお緊匵した。生たれたおの緊匵感が䞡肩から身䜓の隅々ぞず広がっおいった。

「うん。で、もう終わったのかい」

「いえいえ。お昌を食べに戻ったの。バタヌロヌルが残っおたはずよね」

「五぀か六぀、残っおるよ。目玉焌き焌こうか」

「ううん。倧䞈倫」

「そっか。それじゃ、コヌヒヌ淹れよう」

「ありがずう」

 僕はたったくもっお栞心に觊れられなかった。蚀葉を飲みこむ以前に、単刀盎入な蚀葉の小さなかけらほどさえも浮かんでこなかった。蚀葉の地面から足の裏を匕き剥がされ、空䞭でおろおろしおいるこころずいった感じ。

ポヌカヌフェむスが詊されおいる。でもどうしお、ポヌカヌフェむスにならねばならないのか。露わな気持ちであったっお、憶せず劻に聞けばいいじゃないか。でも、どんな切り口で聞けばいいのだ、ここたできお。それに、いきなりポンず飛び出しおくるだろう劻からの答えを聞くための勇気の準備ができおいなかった。なにを答えられおも受け損ねおしたう気がした。かなりの確率で倧きな怪我をしおしたうのではないか、ずいう䞍安もあった。

 霧の䞭に䜇んでいる僕の目の前で、劻はよく噛みながらバタヌロヌルを二぀食べ、あいたに僕が淹れた熱いコヌヒヌを少しず぀飲みこんだ。劻が食べ終えたあず、僕の胃がすこし匷匵っおくるくらいの気たずい沈黙が降りた。胃に来たのは、それたで䜕も食べずに飲んでいた䞉杯ものコヌヒヌのせいもあったかもしれない。僕の胃の事情を察したためではないのだろうけれど、劻は割合はやく垭を立った。䌑憩は取らなかった。僕はちょっず、ほっずした。

「じゃあいっおくるから」

 劻は居間を出るずきにそう蚀っお、たたい぀もの笑顔を芋せた。圌女が玄関から出おいき芋えなくなっお、それからこの笑顔の瞬間を思い返す。それはたるで、劻は僕がすでに畑での圌女の行為に぀いお、なにもかもを悟っおいるず螏たえおいるかのような蚀葉の投げかけ方ず目配せだったように感じられた。背䞭を軜いふるえが玠早く駆けあがっお消えおいく。

「わかるでしょ」

「いや、党然わからないんだけど」

 こういう䞀皮のすれ違いは僕たちのあいだにはしばしばあっお、その郜床、劻は機嫌が悪くなり声がすこし鋭くなった。僕はその鋭さを垯びた劻の声の響きが、自分を責め眪を負わせるもののように感じお、だんだんこの類の䌚話を避けたくなっおいった。ずるいずわかっおいながら、曖昧な応答で返すこずを芚えた。

 タンタン、タン、タンタン、ず午前䞭ずは違った音が倖から聞こえはじめる。畑を芋るず劻は、堀のように繋がった穎に囲たれた内偎に積たれた土の山を、シャベルの裏面を䜿っお叩き、固めおいた。劻の背䞈に近いかなりの量の土だ。瞊暪に幅もある。

砂浜で䜜る砂の城を再珟する぀もりなのではないか、ず僕は思った。波で厩されるこずのない、家庭菜園䌑耕地の真ん䞭に䜍眮する土の城。砂よりも固めやすい分、现工を掘ったり造圢を䜜ったりしやすいだろう。劻のただの気䌑めの遊戯だったら、僕はたぶん、救われる。土の城だったら、それでいい。

 だが、そのうち劻は土の山の頂䞊をなめらかに均しはじめ、その頂䞊にいたる階段ずみられる構造郚を掘り出しはじめた。それから庭にあるいく぀かの手のひら倧の石を運んできお階段状構造郚に敷き぀めおいく。階段状構造郚は石段めいたものになっおいった。

 たた僕は台所でカップにコヌヒヌを泚いできた。胃に悪いのはわかっおいながらも、口の䞭をただ湿らすためだけのように口ぞ運ぶ。もう党然、味わうためではない。チェヌンスモヌキングのようなコヌヒヌの摂取の仕方。自動的ずいった感じでなにか些现な行為に䟝存するこずは、ある皮の憂鬱さを緩和させる効果のあるものだ。

 再び倖の様子をみ぀め続ける。窓を開けお䞀声かければ、この沈鬱な䞍安は、良き展開をみせるにしろ悪しき展開に発展するにしろ、ずりあえずは打砎されるだろう。でも盞倉わらず、声をかけられなかった。

 墓なのか、ず思う。叀墳やピラミッドの類のミニチュア版のむメヌゞが脳裏にうかんだ。だが、僕たち二人しかいないのに、誰が死んだずいうのだ。飌い猫のモンクなら、いたや僕の足元で䞞くなっお静かに眠っおいる。仮に墓を䜜っおいるずしお、墓の䞻になる者がわからない。もしくは、これから死ぬ誰かのための甚意なのだろうか、それこそ叀代の叀墳やピラミッドみたいに。

 劻は、均された土の山の頂䞊にのがり足で螏み固めだした。その埌、ぞりの郚分に、玄関先で咲いおいたチュヌリップを䜕本も球根ごず移怍しはじめた。赀、黄、が亀互にならべられおいった。その最䞭、ふうっず息を吐いたのだろう、䞡肩が軜く䞊がっおすぐ䞋がったのが芋おずれた。䌑憩が欲しそうだった。劻はこれにかなりの劎力を費やしおいる。もはや疲劎はピヌクを迎えおいお、それでも䜿呜感のような匷い意志を発揮しお、䜜業を止めないでいるのかもしれない。軍手の甲で額の汗を拭っおいる様子になお、そう感じた。

 祭壇なのか、ず僕はひらめく。あそこで劻はなにかを祈りだそうずしおいるのではないか。本来、劻は無宗教で、䞖間的に蚀うずころであれば浄土宗掟だったにすぎないはずだが、もしかするず新興宗教に足を螏み入れたのかもしれない。でもなにを祈る。窺いしれないなにかを祈るのだろうか。土くれの愛情よ岩石の愛情に戻れ、だずか。䞀心䞍乱に穎を掘り、髪を振り乱したさっきの劻の姿のせいか、あながちナンセンスな空想ではないように思えた。たたは、劻は祈りの果おにそこで神がかりになる。どたばたず転げ回りながら発する蚀葉を曞きずめるよう僕に指瀺を出すかもしれない。そういった䜿呜に突然めざめたための行動が、朝からの䞀連の䜜業なのだろうか。楜芳的な気分を捚おず、冗談混じりに芋おいるず、空想はどんどん広がっおいく。

 でも、僕の神経はだいぶ疲れおきおいた。足元のモンクを螏たないように怅子をずらしお立ち䞊がりトむレぞ立った。それから台所でたたコヌヒヌを䜜ろうずしたが神経の疲れに障るのではず思いずどめ、冷蔵庫から牛乳パックを取りだしグラスに半分ほど泚いで䞀気に飲み干した。倕食のために、冷凍庫からトラりトサヌモンの切り身のパッケヌゞを取りだしおカりンタヌに眮く。野菜宀の䞭を芋お、あずは倧根ず揚げの味噌汁ずなすのお浞しずブロッコリヌのにんにく炒めにしようず決めた。居間に戻るずモンクの姿は芋えなくなっおいた。

 日が傟き始めおいる。窓の倖、劻は土の山を降りお、堀の䞭心に䜜られた䞀本道を通っおこちら偎ぞず越えおくるずころだった。どっしりず溜たった疲劎を感じさせる重い足の運びだった。劻は少し離れたずころたで歩き、「造成物」ずいうべきだろうか、぀たりは「アレ」を眺めだした。䞡手で腰を支える姿勢で息を吐いおいる。満足そうな埌ろ姿。だらりず䞋がった䞡肩の動きでそうわかった。

 もうじき劻が、家に匕き䞊げおくる。僕はテヌブルの怅子をひいお深く腰掛け足を組む。自然ず楜芳的な気分が萎んでいき、怖くなった。なんお声をかけたらいいだろうか。猫を撫でお萜ち぀こうかずテヌブルの䞋や呚囲を探したが、モンクの姿はないのだった。

浮足立぀、ずはこういうずきのこずをいうのだろう。そわそわしはじめた気持ちが萜ち着く気配はたるでなく、いたは䜕を喋っおも、的が倖れたこずしか蚀えない。そういう確信があった。昌に劻ず顔を合わせたずきずいっしょだ。ポヌカヌフェむスでいなければいけない。

 そのずきなぜか利奈を想った。圌女のはにかんだ笑顔が浮かんでくるず、こういうずきでも頬が緩んでくるのがわかる。利奈の机はチョコレヌトやフルヌツグミなどでいっぱいで、たるでたくさんのお菓子によっお装食を斜されおいるかのようだ。たたに、おひず぀どうぞ、ず勧めおくれる。僕のほうでもコンビニで買い物䞭、目に぀いた新商品があれば買い足しお䌚瀟に戻ったずきに圌女にあげたりする。ささやかなお菓子のやり取りが、実際、楜しいのだった。そしお味などの感想を手短に亀わし合う。仕事の悩みも、劻ずのちょっずしたすれ違いも、忌たわしい少幎時代のささくれもすべお、いっさい存圚しなくなる魔法のようなひずずきだった。浄化された。明日たた職堎で利奈ず䌚えるず思うず、どこか励みになった。

 家にあがった劻はすぐに、劻の顔に芖線を送っおいる僕に気付いた。

「たずたずね」

 劻は蚀った。

「君は䜕を぀くったんだい」

「冗談でしょ」

 それから先は蚀えなくなった。劻のほうもそれからは䜕も蚀わず、颚呂堎ぞ向かった。僕は劻からなにかを聞いおいただろうか。ほんの小さな䌚話や出来事だったずしおも、思い圓たるものも疑問が生じるものもひず぀だっお浮かびあがっおこなかった。

 時間はかからず、倕食の調理を終えた。居間のテヌブルの怅子に腰かけ、劻が颚呂から䞊がっおくるのを埅っおいる。居心地は日垞のそれに戻りはしない。どうしおもひっかかっおいるものがある。ボタンをかけ違えおいるずきの着こなしのように、真っ先に身䜓が感じる䞍快な違和感がわずかにある。予想よりも劻の颚呂䞊がりは遅かった。

 僕は所圚がなかったこずもあり、そういえばず思い、ずっず姿が芋えないモンクを探すこずにした。でも、家䞭、どこを探しおも、居ないはずのないモンクは芋圓たらなかった。なんのためかはわからないが、どこかに䞊手に隠れおいるようだ。モンクヌ、ず名前を呌んだ。ごはんになるよヌ、ずも。䜕床か繰り返しおも、僕の声が家のなかで寒々しく響くだけだった。

 そうしおいるうちに、劻が颚呂から䞊がった。肩たでの濡れた髪をバスタオルでこすっおいる劻に、モンクが芋圓たらないんだけど、ず盞談を持ちかけるように告げた。

「そうなの」

 劻の反応はそれだけだった。劻は気にしおいる颚にはたったく芋えない。日頃、僕よりも劻のほうがモンクを可愛がっおいるんじゃないか。あれだけい぀䜕時も自分の近くに眮きたがっお、ずきに倢䞭になっお構っおいるモンクの䞍圚が、気にかからない

 僕はいじわるな気持ちになった。

「具合が悪くなっおどこかでうずくたっおいるのかもしれない」

 わざず力を抜いた䜎めの小さな声で䞀気に蚀った。

「たさか。そのうちちゃんず顔を出すっお」

 すぐ返しおきた劻からは、根拠の出どころがわからない䜙裕を感じた。

 あきらめお食卓に倕食を䞊べ出す。劻にビヌルをすすめた。飲む、ず蚀うので冷蔵庫から猶ビヌルを取りだしグラスも甚意しお、髪を也かし終わった劻が食卓に着いたずき、お疲れさた、ず猶からコップに泚いであげた。ありがずう、ず劻はい぀もず倉わらない埮笑みを芋せ、のどを鳎らした。

「身䜓を動かしたあずのビヌルは最高なんだろう」

「あなたも飲めるずいいのに」

 僕は䞋戞だ。劻のほうはどちらかずいうずアルコヌルに匱く、そしお飲むず饒舌になる癖がある。

 倕食埌、解凍しお小鉢に盛っおあげた枝豆をかじりながら、六日埌よ、ずほろ酔いの劻が蚀う。

「そうか、六日埌か」

 耳たで赀く染たった劻にあわせお、僕はぶっきらがうに応える。

「やっずね。぀いに」

 息を倧きく吐きながらだった。投げ捚おたかのような印象を感じさせた蚀いっぷりに、その蚀葉は僕ぞの蚀葉ずいうよりも、圌女自身が自分で確かめるための独り蚀を蚀ったように聞こえた。

「うん」

 僕は小さく、返事ずいうより喉鳎らしに近い発声で曖昧に返した。自分でも、気が匱いな、ず思う。

今倜の劻は、饒舌ずいうほどではなく、珍しくどこか抑制が効いおいた。肉䜓の疲劎感ず反比䟋しおいる。

 なにが始たるのだ、六日埌に。畑のアレが䜕かを呌び寄せるのだろうか。䜕かがやっお来るのだろうか。六日埌がずいぶん気になったが、僕はそれよりも、目の前の劻のほうに差し迫った怖さを感じおいた。

このずきはじめお劻の粟神状態に䞍安を感じた。マゞョリティの境界から逞脱したひどい劄想が劻のあたたに生じおいお、そのひどい劄想を劻は信じるばかりか拠り所にたでしお行動しおやしないだろうか、ず。

劄想の総䜓がひず぀の゚ネルギヌずなっお、たるでアヌトのようになにかを具珟化させたものがアレなのではないだろうか。加えお、たるでアヌトのように具珟化したアレがさらに劻の劄想を匷くさせおいやしないだろうか。冗談混じりの気分でいられなくなるず、そういった思念が溢れだしおきた。

でも、そこにいる劻の衚情は晎れやかで、垞軌を逞したのはアレを぀くりあげたこずずそれに远随する、六日埌、の蚀葉だけだ。その他は普段ず倉わらず、圌女は健康そうだし矎しいたただった。興奮状態にありだっおしない。

 アルコヌルが劎働に傷぀いた肉䜓に浞みわたったらしく、劻はもう眠りたいず蚀った。僕は寝宀に劻の分の垃団を敷いおあげた。ごめんね、ず劻は申し蚳なさそうに小さく蚀っお寝宀に入っおいった。さっきたでの満ち足りた衚情が剥がれ萜ちおいる。埌ろ姿がどこずなく、華奢すぎお芋えた。


 その倜、僕は寝付けず倜明けを迎えた。早起きのすずめたちの鳎き声がやけに耳にこだたする。倚くのすずめが、畑に集たっおいた。土を掘り起こしたあずに顔を出しやすいミミズなどを狙っお小鳥たちが飛来するのだ。いらいらした。寝付けなかったのは、進展のない考え事がぐるぐるず頭のなかを駆け呚り続けたからだ。冎えた頭にすずめの鳎き声がちくちくした。

 結局、だいぶ明るくなっおから眠りに぀いお、寝坊した。開ききらないたぶたを持ちあげ、しゃきっずしない身䜓を動かし、ばたばたずいった感じで着替えをする。掗顔ず歯磚きのために寝宀を出る。居間で劻が声をひそめがちに電話しおいた。暪目で芋る劻の印象に、「これはたさに、こうだ」ずいうような圌女の圚り様を盎截に衚珟する蚀葉が喉元たで立ちあがっおくる気配を感じた。しかし、掗面所ぞのごく短い道のりのあいだに、生たれ出そうな蚀葉は気配もろずもひっこんでわからなくなっおしたった。僕は急いで身支床をしお出勀せねばならなかったから、目の前のこずをひず぀ず぀こなすほうぞ意識が䜿われたのだろう。決定的な意味を持぀䜕かを氞久に倱っおしたったかのような取り返しの぀かない気持ちが、こころの奥の方で䞀瞬だけ湧きあがっお、こちらもすぐにどこかぞず消えた。

 支床を終えお居間に戻る。盞倉わらず劻は誰かず電話しおいるのだが、それをどうこう問う暇はなかった。窓の倖の畑を芗くず、アレが畑に䜇立しおいる。昚日の倕暮れにみたずきより、なんだかいび぀で小さく貧盞に芋えた。劻はちらりず僕を芋るず身䜓を反察偎に翻しお、さらに声をひそめた。こんな朝から誰ず䜕を話しおいるのだろう。ずきどき敬語が混じっおいる。

 急がねばならない。時間がないのだ。いったい劻は倧䞈倫なのだろうか。僕は怖かった。モンクの姿が芋えない。冷たい緊匵が僕を垭巻しおいく、たるで冬山のように。埌頭郚が痛くなるほど身䜓がこわばっおいくのを感じた。耐えきれなくなっお玄関を出た。


 ぎりぎり到着した職堎には始業前から䜓調䞍良を蚎えおいるずいう利奈がいた。目たいや頭痛があるのだそうだ。

利奈の䞍調はその日だけで治たりはせず、それどころか、以降、みるみる悪くなっおいった。ずきおり耳鳎りが鳎るようになり、目たいがひどい時の吐き気が加わったのだっだ。腹の具合もよくない、ず。僕は、病院で怜査しおもらった方がいいんじゃないかな、ず䌑暇を取るこずを勧めた。利奈は、そうしたす、ず今たで芋たこずのない黄色っぜい顔色で玠盎に応じた。

 たぶん、いやきっず。そう盎感が働いた。僕には、畑のアレのせいのように思えお仕方なかった。利奈の䞍調ずアレの完成ずのタむミングの笊合が、ふた぀の関係性を匂わせおいる。思考がアレにひき぀けられお離れられない。アレが荒いむメヌゞの像ずなっおこびり぀き、気になっおしょうがないのだ。

 

 劻に、アレを壊すように蚀った。元の曎地、䌑耕地の状態に垰しおほしい、ず。

「あのモニュメントは私たちの愛情の実物なのよ。壊せないわ」

 僕たちの愛情が最近、土くれのようになった、ずこのあいだ劻はたしかに蚀っおいた。それはしっかり芚えおいる。

「愛情が土くれのようだなんお蚀っお、なにも本物の土であんなよくわからない圢のものを畑に䜜っおみたっお䜕になるずいうんだい 実物だっお 代甚物じゃないのかい」

 劻は䞋を向いお銖を振った。難しい数孊の問題が解けないずきのように、粘り匷さを思わせる真剣な衚情をしおいる。

「いっそのこずず思っお䜜ったの。でね、出来あがっおみたらわかったのよ。これは本物だっお。あなたはあのモニュメントに觊れおいないから本物だっおいうわたしの蚀い分を信じおくれないんだず思う」

 劻の声が、すこし鋭くなった

「そうなのかもしれないよ。そうだね、君の蚀うずおりなのかもしれない。いや、そうだずしよう。でも、珟物のモニュメントず化した愛情が、なにかをやるんだろう 君はアレを䜜り䞊げた倜、六日埌だず蚀ったね。明埌日じゃないか。いったい䜕が来るんだ 䜕が起こるんだ」

 手のひらが汗ばんできた。僕は劻の顔に芖線を据えたたただが、劻はあちこちに芖線をはぐらかし続けおいる。

「竜巻がやっおくるずでも思った それずもねずみの倧矀が抌し寄せるずか」

 䌌たようなこずを、予想しおはいた。

「やっぱりか」

「そんなわけないじゃない」

 劻は眉を曲げお苊い衚情をしおいる。目の色を残念さで滲たせたたた、暪を向いおいる。

「じゃあ、六日埌っおどういうこずなんだろうか」

 僕は食い䞋がらなければいけない。ただただ、なのだ。

「あるいは、わたしかあなたか、それずも二人ずもか、涙をすこしだけ流しお終わるこずになるのかもしれない」

「それは避けられないのかい」

「私たちの愛情を壊したくなければ」

 掎めない話だず僕は思った。少なくずも、僕の蚀語理解力ず状況理解力をはるかにしのぐ濃密な時間のなかにいるこずははっきりしおいる。芋方を倉えれば、それは散開した時間のなかにいるこずでもあった。

「あのさ。前に話したこずがあるよね。職堎にいる利奈っお埌茩。圌女、具合悪くなっちゃったんだ」

 蚀うべきか迷っおいた利奈のこずが、口を぀いお出おしたった。蚀わずにはいられないこずではあったのだけれども。

「い぀からなの」

「君が畑でアレを䜜った翌日から」

 劻は興味深そうに䞡目を芋開いおいる。

「あなたはその、利奈さんにモニュメントのこずを話したりしたの」

「いや、䜕も話しおないよ」

「わたしは関係しおないわ」

 劻の芋開かれた䞡目の衚面に、おかしみの光が茝いおいるように感じた。

「アレは」

「あのモニュメントをなんだず思っおるの」

「愛情だっお聞かされおも、僕には正盎なずころよくわからないよ」

「それでいいの」

 僕は劻を愛しおいるのだろうか。愛しおいるはずだった。あんなモニュメントのようなかたちの愛を、僕らはお互いの胞に宿しおいるらしい。劻が考えるには、だが。

「愛情っお、実際にはっきりずしたモノずしお目にするず、理解に苊しむものなのがはっきりするわね」

 アレを䜜り䞊げた劻本人にも理解に苊しんだ瞬間があったのか、ず思うず、ちょっずほっずした。同時に、䞀気に匷い疑念が生じおきた。僕は蚀った。

「アレはほんずうに、ほんずうのほんずうに愛情がモノず化したものなのかい」

 劻が僕を芋た。今倜、もっずも真っすぐに。確信めいた気持ちで僕は続けた。

「愛情ではなくお、憎しみに䌌たものを、珟実の䞖界に圢䜜っおしたったのではないのかい」

 いくぶん瞠るようにした劻の目が揺れた。劻は黙ったたただった。

 僕らの話し合いはそこで䞭断ずなった。劻によっお招かれた静寂の垝囜の䟵略を受けたのだ。僕はその倜遅く、゜ファで毛垃にくるたるこずにした。

 

 明け方の早い時間垯。僕はそっず家から抜けだしお、畑のアレを近くで芋おみるこずにした。倪陜は顔を出しおいないが、もう懐䞭電灯が蟺りを照らす必芁のないくらいの明るさがある。冷気に䜓が震えはしたが、空気がみずみずしく䞀呌吞䞀呌吞の吞う吐くが心地よい。おかげで、さっぱりず柄んだ頭でアレを眺めるこずができた。

 石段を䞊った。䞊の地面は螏み固められおいお、思っおいたよりもずっずしっかりしおいる。チュヌリップの花々に氎滎が付着しおいお、なんだかなためかしかった。

 この土のモニュメントはいったいどういった目的で䜜られたのか。

䜕床も考えたこずをたた考えおいた。劻は僕たちの愛情の実物だず蚀う。実物であるものか。実物がここにあるのなら、いた僕や劻の内郚にあるはずの愛情は倖に持ち出されおからっぜだずいう理屈になる。

 たあいいさ、ず思う。実物だ、ず蚀ったのは誇匵なのだ。匷く、はっきりず蚀いたかったのだろう。蚀いきっおしたうこずで、僕の心象に匷く刻み぀けたかったのだろう。それを無意識の行為ずしお蚀ったに違いない。

 でも、劻は愛情の実物だず確信しながら䜜っおいた可胜性はある。けれど、完成しおみれば別物のなにかができあがっおいたのではないのだろうか。その線に、僕はひっかかっおいた。ずいうか、その線を正解だず仮定しながら、他の可胜性を消しおいくために思案しおいた。

 呌んではいけないなにかを呌びこんでしたうような、そんな犍々しさをうっすらず感じさせる、コレだった。詮玢を嫌うような感じの秘められた犍々しさがあるのだった。

 ひず぀の芳念に固定されないように、ちょっず自分の気持ちの角床を倉えるようにしお考えおみるず、そこに巧劙なカモフラヌゞュずもいうべき銙りを嗅ぎずるこずができた。ただ、嗅ぎずれたのはあくたでカモフラヌゞュの局だけ。䞭身はたるたる隠されおいる。そしお、カモフラヌゞュはたぶん劻の意図ではなさそうだ、ずその印象から刀断した。

 やっぱり劻が蚀うように、コレは二人の間の愛情の気配を内に秘めおいるのかもしれないな、ず再び考えおみた。隠されおいるものはそれなのだ。そしおコレに䞊がっお立っおみないず栞心ずなる疑問を感じ埗ないずいうそれこそが倧事なカギなのだ。そのカギがなければ愛情の気配に぀いおおそらくずっず考え盎せなかっただろう。぀たりコレの真の意味に到達できない仕組みだった。では、どうしおそんな仕組みにできあがったのか

 劻は愛情の実物を䜜る気でコレを完成させた。劻の意図しない犍々しいカモフラヌゞュは、圌女の無意識による造䜜なのだろうか。䞀般の範疇にあるような女性の䞀人である劻が、いきなりそんな芞術的なギミックを凝らせるものだろうか。劻にコレを䜜らせたきっかけはなんだったのか。わからない真実はそれで、たたそれこそが䞀連の䞍可解さの根っこだず思った。劻以倖に、なにかがあるのだ。

 突然、もしもコレに倧穎を掘っおそのなかに転がっおみたなら、ずいう想像がふくらんだ。倧穎に寝転がったらもっず愛情の気配は深たっお感じられるような気がしたし、満ち足りお和らいだ心持ちになれるのではないかずいう感じもした。コレの秘められた本性は愛情。もっず蚀えば、愛情による安穏なのかもしれない。愛情による安穏なんお、柔らかくお匱いものに決たっおいる。だからカモフラヌゞュが必芁で、そうされたのか。でも、誰によっお。

 倧穎の底に転がったその隣には劻がいた。僕はそこで䜕十幎分もの時間に盞圓するくらい、深く寛いでいた。

「これじゃ、玉手箱をもらうはめになるね」

隣に寝転ぶ劻に話しかけるず、

「未来の時間を䜿っお寛いだのではないの。これたでの長い時間をたた味わえたのよ」

 ず劻は蚀った。優しい声だった。あたりの優しさに、こみあげた涙が頬にあふれた。

 コレぞの印象がそのような新たな様盞を迎えたずころで僕はコレから降りた。家ぞ戻るために歩きながらも、䜕床かアレを振り返った。アレに぀いお結論付けられるずころたで行けはしなかったけれど、なにがしか、すっず荷が降りるものはあった。

アレから距離を眮くず、あれほど肌に感じた愛情の芪密さはほずんど感じられなくなった。䜓感した愛情の深たりの気配に぀いおも、それによっおどんな気持ちがかきたおられおいたかずいう感芚に぀いおも、僕の䞭からきれいに消え倱せおいた。頭はいくらかすっずしたのに、刀然ずしない䞍吉な感じが急にしおきお、背䞭がざわ぀いた。

アレから感じずったものを急速に忘华しおいく。残ったのは犍々しさだけで、アレの䞊から降りるずきたでは、もっず考えおみるべきだな、ず慎重に噛みしめおいたなにかすらも、すっかり忘れおしたった。

 家に戻った僕は再び、゜ファで毛垃をかぶっお寝なおした。土臭さがずっず錻の奥に残っお消えなかった。それがどちらに転ぶサむンなのかもわからずに眠った。

 

 翌朝、カヌテンを開けるず、アレは消え去り、その跡地は曎地に垰っおいた。耕されたような加枛で平坊な畑ずしおそこにある。来週の週末にでも、枝豆の皮を買いに行っお怍えおみようかずいう気分になった。気が぀くず足元にモンクがいお、僕ず遊びたがっおいる。あたりに長いあいだ姿が芋えなかったから、きっず倖に出お行ったのだず思っおいた。どこにいたんだい ずかけた声が匟む。

 劻はシャワヌを济びおいるようだ。

利奈ずはこれ以䞊距離を瞮めないようにしようかず思いはじめおいる。なぜかはわからないが、利奈から離れるべきだ、ず誰かに説埗された埌のような気分がした。

 今日は五日埌。あのずき、六日埌よ、ず劻は蚀っおいたが、もうそれは来なくなったず思っおいいのだろう。䜕が起こるのか、ずいう恐怖も䞍安ももう感じなくおいい。氞遠に回避されたのだず思っおいい。

 いや埅およ、ず思った。蟌み入っおはいたけれど、これはある皮の単玔な心理テストの類だったのではないだろうか。劻がおそらく、どこからか手法を聞いおきたのだ。僕にしおみれば、悪い冗談をずっず超えたちょっずした灜厄レベルの出来事だったけれども、劻は劻でよほどの切実さを抱えおいたための行動だったのかもしれない。そうじゃないか、劻は苊劎しおアレを䜜りあげた翌朝、今床は誰かず電話で折りいったような話をしおいたじゃないか。劻は、おそらく僕を詊しただけなのだ。たったく、詊したりするんじゃないよ、ず面癜くなさがふ぀ふ぀ず泡立぀。

 倜䞭にアレに䞊った時に、なにかずおも倧事なこずを考え぀いた芚えだけがあっお、なんずか内容を思いだそうずしたが無理だった。

 出がけに、倪陜が灰色の雲に陰っおきたので、傘を持っおいくこずにした。たたい぀もの䞀日が始たるのだ。そう、い぀もどおりに過ぎない。玄関先で錻先を撫でる青く湿ったわずかな匂いに、本栌的な春の雚がずっず近いのがわかった。土の匂いも、うっすら混じっおいた。

 それが枩かい雚になるのならば、すべおは流れ過ぎおいく。なぜだかそんな気がした。

【了】

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