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自殺の本当の原因

こんにちは。真白です。

「自殺の原因といえば何ですか」と聞かれると、どんなことが浮かんできますか。

人間関係や仕事の悩み、家庭内の問題に経済的な問題と様々な原因が浮かんでくると思います。

これらが原因の1つであることはほとんどの場合で当てはまるでしょう。

しかし、それは自殺の「本当の」原因なのでしょうか。

今回は、ニュースや統計で用いられる自殺の原因について私の違和感を提示したうえで、本当の原因について考えていきたいと思います。

あなたはどう思うか、一緒に考えながら最後までお付き合いください。




厚生労働省の統計と私の違和感

厚生労働省の統計によると、日本の2025年の自殺者数は19188人だったそうです。

19188人というと毎日約52人が自ら命を絶っていることになります。

多いと感じるか少ないと感じるかは人によって違うと思いますが、統計を開始して以来、はじめて2万人を下回ったそうです。

また、この統計には「自殺の原因・動機」という項目があります。

そこには冒頭で書いたような一般的に自殺の原因とされるような事柄が並んでいます。

私はこれに強い違和感を抱いています。

その違和感とは、原因をどのように決めているかという点です。

自殺の場合は他の死に比べて、遺書が残されている割合は高いとは思いますが100%ではありません。

また、遺書を残している人であっても死を目の前にして冷静に原因を分析して遺書を書いている人となれば、より少なくなるように思います。

要するに、統計やニュースなどで語られている原因というものは周囲の人が自殺者の背景などを参考に推測したものであることが大半です。

仮に、今日の夜中に私が自殺をすれば、おそらく原因は「うつ病による病気の影響」として集計されるでしょう。


真実は明らかにならない、でも考える

当たり前のことですが、死んだ人になぜ死んだのかを問うことはできません。

そのため、自殺の原因における真実を知ることは非常に困難なことで、大概は明らかになりません。

ならば、この記事の意味はないのではないかと思われるかもしれません。

ですが、私は答えが分からないから考える意味がないとは思いません。

むしろ分からないことこそ考える価値があるのではないかとすら考えています。


「死のう」という衝動的な感情

少し脱線した話を戻しますが、私は自殺の決行はほとんどすべてが衝動的な感情によるものだと考えています。

考えに考えた末に自殺を行うこともないわけではないです。

しかし、実際に自殺するという行動に移せるような死への感情は衝動的、あるいは発作的なものです。

イメージしやすくするために少したとえ話をします。

想像してみてください。

死を考えている人はフェンスのない屋上の淵に立っているような状態です。

外に1歩出れば死に、内に1歩入れば即座に死ぬようなことは限りなく無くなります。

そんな淵に立っている人にとって死を決意して、実行するために必要なものは何でしょうか。

答えは

「何でもいい」

というのが正直なところです。

風が吹いてぐらついて落ちることもあれば、誰かにポンと押されることもある。

鳥が空を飛んできて、それに驚いて落ちるかもしれません。

これは逆も同じです。

何でもないことがきっかけで内にも外にも1歩踏み出す可能性があるんです。

頭の中でイメージしてください。

さて、イメージはここまでです。

実際の自殺における「何でもいい」何かを、自殺する本人が自認できている場合は少ないのかもしれません。

言い換えれば、自殺の本当の原因は本人でさえも分かっていないことも多々あると考えられるということです。


自殺の原因には2種類あると考えている

これまでの話の通り、私は自殺の本当の原因は衝動的な感情にあると考えています。

ここでは、

「背景的原因」→統計やニュースに出るような原因

「衝動的原因」→衝動的な死への感情が生まれた原因

(※衝動的原因は銃の引き金みたいなものです。)

背景的原因に長い間苦しんでいた人が、

なぜ「その時」に自殺したのか

この「その時」を解き明かす鍵が衝動的原因となっています。

ここで厄介なことはこの衝動的原因というものは「何でもいい」と書いた通り、本当に無関係な事柄が浮かび上がることがあります。

仕事のストレスという背景的原因で死を考えていた人が、近所の人に挨拶をしたけれど返ってこなかったという衝動的原因で自殺を決意することがあり得るのです。

一見すれば、意味の分からないことに聞こえるかもしれませんが、現実に起こり得る問題です。

以前の記事で私自身が過去に主張を通すために表現として自殺しようとしたという話をしました。

結果的には、最後の最後で後ろ手を引かれて失敗しましたが、その時の記憶で1番残っているのが

掛け時計が歪んでいたことです。

これから死のうという時の記憶の中で掛け時計の歪みが強く印象に残っています。

おそらく、私にとっての衝動的原因はその時計の歪みだったのだと思います。

掛け時計が歪んでいるから死を決意した、私が死んでいたら絶対に判明することのないであろう話です。


まとめ

文中でも書いた通り、自殺した人にその理由を問うことはできません。

そのため、私は私なりの考え方を提示させていただきました。

背景的原因に長く苦しめられて死を意識していた人が死を決意する瞬間、そこには衝動的原因のような「何か」が確実に存在しているように思います。

思ったことを率直にコメントでぶつけてくれると私は喜びます。


最後に

ここまで読んでくださりありがとうございます。

今回は死のシリーズとなり重い話でしたが、考えることの重要性を再確認できる記事だったのではないかと思います。

ちなみに、昨日の記事で出していた私の記事の変化ですが、答えは

文章量を増やしたことです。

記事を読んでよく考えてくれているコメント等が多く、読者のレベルが高いと感じました。

そこで、テーマ的にも記事の深さを上げた方が全体的な満足度に繋がるのではないかと判断して変更しました。

これからも楽しんでいただけると幸いです。

ではまた次回の記事で。

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真白 刺身食べるのに使います。