『仕立て屋さん』
『仕立て屋さん』
【登場人物】
蘭(らん)
街で一番腕が良いと評判の仕立て屋のお針子。いつも真っ白なエプロンを身につけ、誰にでも優しく微笑んでいる。
街の人々
服が破れたり、人間関係がこじれたりすると、蘭の店を訪れる。
汚い男
泥だらけの服をまとい、
ときどき蘭の前に現れる謎の男。
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1. 仕立て屋さん
街のはずれに、小さな仕立て屋がありました。
店には、朝から晩まで誰かがやって来ます。
服の裾を破いた子ども。
仕事着を裂いてしまった職人。
ボタンをなくしたおばあさん。
けれど、人々が本当に直してほしかったのは、
服だけではありませんでした。
夫婦がケンカをすると。
親子がすれ違うと。
友達同士が仲違いをすると。
みんな蘭の店へやって来ました。
蘭は誰の話も最後まで静かに聞きます。
相手を責めることも。
自分の考えを押しつけることもありません。
ただ、やさしく微笑んで言うのです。
「大丈夫ですよ。」
そう言って針を持つと、
不思議なことが起こりました。
人と人のあいだに、
細く透き通った一本の糸が現れるのです。
蘭はその糸を、そっと結び直します。
彼女が使うのは、
ガラスでできた特別な糸でした。
朝露のように透明で。
光が当たるたび、七色に輝く美しい糸。
その糸で結ばれると、
人々は笑顔を取り戻しました。
街では、こんな噂が広がります。
「蘭さんは、なんて透き通った人なんだろう。」
「蘭さんには、心の曇りがひとつもないんだ。」
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2. ガラスの糸
蘭の店は、いつもきれいでした。
床にはほこりひとつなく、
針も糸も美しく並べられています。
真っ白なエプロンには、
一つの染みもありません。
蘭は決して怒りませんでした。
泣きませんでした。
困った顔さえ見せませんでした。
誰がどんな話を持ってきても、
変わらない笑顔で迎えました。
夜になると、
蘭は店の奥で一冊の古い本を開きます。
そこには、
美しい宝石のお城が描かれていました。
誰も傷つかず。
誰も泣かず。
誰も争わない世界。
蘭はその物語を読むたびに思いました。
「私も、こんな世界の人でいたい。」
だから今日も、エプロンを汚さないように。
誰にも嫌われないように。
誰にも心配をかけないように。
ガラスのように、
美しく生きようと決めるのでした。
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3. 汚い男
ある雨の日。
店の扉が、ぎいっと音を立てて開きました。
入ってきたのは、泥だらけの男でした。
服は破れ、靴はすり切れ、
身体からは土と雨、そして汗の匂いがします。
男は椅子に腰を下ろし、笑いました。
「俺の服も直してくれ。」
蘭は、いつもの笑顔でうなずきます。
「もちろんです。」
男の服に触れた、その瞬間。
泥が、蘭の真っ白なエプロンにつきました。
ほんの小さな泥でした。
けれど、蘭の指は止まりました。
男は、その様子を見て笑います。
「やっぱり。」
蘭は黙っています。
「お前は、汚れるのが怖いんだ。」
静かな店に、雨音だけが響きます。
男は続けました。
「ガラスは綺麗だ。」
「でも、傷も泥も嫌う。」
男は蘭の目を見ました。
「お前の糸じゃない。」
「お前自身が、ガラスなんだ。」
その瞬間でした。
街じゅうを結んでいたガラスの糸が、
パキッ。
パキパキッ。
あちこちで音を立てて割れ始めました。
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4. お城の崩壊
翌日。
街の人たちが、次々と店へやって来ました。
「またケンカになった!」
「仲直りしたはずなのに!」
「どうしてなの!」
誰の手にも、
割れたガラスの結び目がありました。
蘭は立ち尽くします。
自分が信じていたものが。
自分が守り続けてきたものが。
音を立てて崩れていきました。
宝石のお城は砕け散り、
笑顔ははがれ落ち、
残ったのは震える一人の少女だけでした。
「来ないで……。」
蘭は顔を覆います。
「お願い……。」
「汚い私を、見ないで。」
蘭は初めて泣きました。
「本当は怖かった。」
「嫌われるのが怖かった。」
「期待に応えられなくなるのが怖かった。」
「私だって、誰かに助けてほしかった。」
涙が、頬を伝います。
その涙は、少しも綺麗ではありませんでした。
でも、それは蘭が初めて流した、
本当の涙でした。
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5. 選んだ糸
蘭は泣き続けていました。
店の床には、
砕けたガラスの糸が散らばっています。
街の人たちは帰り、
店には静かな夕暮れだけが残っていました。
そのとき。
扉が、ぎいっと開きます。
泥だらけの男でした。
男は何も言わず、
一本の麻の糸を蘭の前へ差し出しました。
太くて。
曲がっていて。
泥で少し汚れた糸でした。
「持っていけ。」
男は静かに言いました。
「これで縫え。」
蘭は麻の糸を見つめます。
長い沈黙のあと。
彼女は首を横に振りました。
「……嫌。」
男は黙っています。
「こんな汚い糸じゃ駄目。」
「私は、もっと綺麗じゃなきゃ。」
蘭は震える手で麻の糸を押し返しました。
そして床に散らばったガラスの欠片を、
一つずつ拾い始めます。
指先が切れて血が流れても。
涙が落ちても。
蘭は欠片を集め続けました。
砕けたガラスは、
夕日に照らされて、とても綺麗でした。
(おわり)
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