おい! 老い【エッセイ】二〇〇〇字
最近、「いきなり俳優」という、東京新聞が俳優座とタイアップした役者体験講座を受講し始めた。全十回。最終回には俳優座の舞台で発表会がある。演技経験は小中での学芸会と、高校の演劇部で二年ほど。大学は演劇学科だったのだが、あくまでも演劇学専門で実技はなかった。つまり芝居をするのは六十年ぶりということになる。
受講しようと思った理由を挙げれば、いくつかある。孤老の暮らしで声を出す機会が少なく、声枯れを治したいこと。好きな作家のひとり、向田邦子のドラマ脚本『あ・うん』が台本になること。そして、高校最後の舞台で台詞を忘れた失敗があり、その“復讐”のつもりでもあった。
二回目を終えたが、やはり台詞を間違ったりして、逆襲にあっており先行きが思いやられる。それでも、台本に向かい、声を出し、身体を動かす時間は、確実に新しい刺激をもたらしてくれている。
いつだったか、「年寄りになってやってはいけないこと」という見出しの記事、あるいは本の広告を見かけたことがある。新聞だったか、ネットだったかは思い出せない。だが、その言葉だけが妙に引っかかって残っている。そこには、たしか次のような項目が並んでいた。
・若い人と同じ土俵で競うこと
・暗記力を必要とすることに手を出すこと
・資格や語学に挑戦すること
・結果が出ない努力を続けること
理由も、もっともらしく添えられていた。
高齢になると記憶力は落ちる。集中力も続かない。若い頃のように成果が出ないのに無理をすれば、かえって自信を失う。自己嫌悪に陥り、気力が萎え、ひどい場合は鬱につながる。だから、年寄りは「できること」「慣れたこと」を大切にし、新しい挑戦は控えたほうがいい――そんな理屈だった。
わからなくもない。
実際、若い頃と比べれば、体力も記憶力も衰える。気分の浮き沈みも、確かにある。だが、それでも私は、この考え方にどうしても納得できなかった。
そのためか、私自身が、その「やってはいけない」とされることを、いくつも実践してきた。
大学入試で、私にとって最大の苦手科目は英語だった。文法も単語も、さんざん苦労した。その英語を、六十六で現役を引退しいい歳になってから克服しようと思い立ち、英検二級に挑戦した。一年、悪戦苦闘。日本国憲法前文と第九条の英文を暗記するなんてことも試みた。
やればできるもので、結果、一回で合格。勢いに乗って準一級にも挑んだが、こちらは不合格だった。理由は、なんとも情けない。試験会場で、真後ろに座った女子高生の鼻をすする音が気になり、最後のリスニングで集中力を失ってしまったのだ。
だが、不思議なことに、落胆はそれほどなかった。
「普通の英語力」に、ようやく到達できたという実感があったからだ。若い頃には見えなかった世界が、少しだけ開けた。その満足感は、合否とは別のところにあった。
その後二〇一八年の夏から、母校の公開講座「エッセイ教室」を七年間、毎週土曜日に受講した。文章を書くことは嫌いではなかったが、体系的に学んだ経験はなかった。毎回、原稿用紙と向き合い、講評を受け、他人の文章に触れる。その繰り返しは、決して楽ではなかったが、確実に刺激があった。
途中二〇一九年から、「no+e」にエッセイを投稿するようになり、新たな刺激を得た。教室とは別の仲間もできた。顔も年齢も知らない人たちと、文章を通してつながる。これは若い頃には想像もしなかった世界だ。
ウォーキングも十八年続けている。ジムにも通って三年。どれも「若返り」のためだけではない。身体を動かし、昨日より少しでも前に進んだという感覚は、確実に気持ちを軽くしている。
高齢者になると、気分の浮き沈みは避けられない。若い頃のように、放っておいても前向きになれるわけではない。だが、私は思う。
問題は「落ち込むこと」ではなく、「そこから戻ってくる回路を持っているかどうか」なのだと。
高齢から挑戦する行為は、成果を保証してくれない。むしろ失敗の方が多い。だが、挑戦しているあいだ、人は「自分はまだ活きている」と感じることができる。その感覚こそが、私にとってのアンチエイジングだ。
年寄りになってやってはいけないこと――。
もし本当にあるとすれば、それは「もういいや」と自分に言ってしまうことなのではないか。成果が出るかどうかより、若者と比べてどうかより、「まだやってみたい」と思える気持ちを手放してしまうこと。それこそが、老いを一気に進める行為なのではないかと、私は思っている。
冒頭の「いきなり俳優」に徳さんという八十五歳の大先輩がいる。初日の日。「好きな俳優」というテーマで、小沢昭一と挙げていた。個人的な出会いもあったようだが、いまでも十二月十日の命日には、墓所がある墨田区の弘福寺まで出かけているという。
また、自分の苦手がカラオケで、理由はリズム感をあげた。でも、いまタップダンスにも挑戦し始めたらしい。
(おまけ)
「今の時代の日本に戦争は起きない」と思考停止に陥っているあなた。 「歴史は繰り返す」ことはないかもしれないが、「”韻”を踏む」ということはある(かも)よ。”老爺心”であることを祈る。

