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ジョン万次郎と「差別社会」【人間として付き合ってくれたアメリカの恩人】

ジョン万次郎を語るとき、差別の問題を避けて通ることはできない。


万次郎が生まれたのは江戸時代。

士農工商というバリバリの身分社会である。

万次郎は土佐の漁師の家に生まれた。

身分の低い家の出身だったため、苗字すら持っていなかった。

万次郎を「人間として」扱った船長

そんな万次郎を「人間として」付き合ってくれた人がいる。

万次郎たちを漂流から救った、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号の船長、ホイットフィールドさんその人である。


万次郎が14歳のある日、漁に出た際、嵐に遭い、万次郎らの乗った船は無人の孤島に漂流する。

水も食料もなくなった頃、助けてくれたのが、たまたま近くを通り掛かったアメリカの捕鯨船であった。


当時、アメリカは奴隷解放前である。

日本はバリバリの鎖国時代であり、国交もない。

よって、彼らにとって、万次郎らは「異国人」であった。

奴隷とされてもおかしくはなかった。


しかし、ホイットフィールドさんはそのようには扱わなかった。

万次郎らに食料を与え、さすがに鎖国中なので日本まで送り届けることはできなかったが、ハワイまで送り届けてくれた(万次郎以外はハワイで降りた)。


また、船員らは14歳の万次郎を気に入り、彼らの乗っていた捕鯨船ジョン・ハウランド号の名前を取り、「ジョン・万(マン)」というニックネームを与えた。

いわば、万次郎が初めてもらった「苗字」であった。


さらには、ホイットフィールドは、9歳で父親を亡くし働きに出たため、十分な教育を受けることができなかった万次郎に対し、

「アメリカで教育を受けないか。」

と申し出た。

万次郎はこの申し出を快く承諾し、アメリカで教育を受けさせてもらうことになる。

この申し出こそが、万次郎の人生、ひいては日本の近代化に多大な影響を及ぼすことになった。


万次郎は、ホイットフィールドさんの期待に応え、当初は日本語の読み書きさえまともにできなかったにもかかわらず、アメリカの学校を優秀な成績で卒業する。


ホイットフィールドさんは、万次郎を本当の息子のように遇した。


ある時は、自身の通う教会が万次郎を後方の「有色人種」席に座らせようとしたことから、そのような取扱をしない教会に行きつけの教会を変更した。


さらには、自分の姪を結婚相手として万次郎に紹介した。

万次郎に自分の事業(船乗り)を引き継いで欲しいという気持ちだったのである。


結局、万次郎が日本へ帰ることを選択したため、事業を引き継ぐことはなかったが、当時の差別社会である日本とアメリカにおいて、このような「人間的」な扱いがなされたことは驚きである。

なぜホイットフィールドさんは「人間的」な対応ができたか。

これには、もちろん、ホイットフィールドさんの元々の人間性もあったろうが、船乗りであったということも大きいように思う。


船の上では、肌の色や国などで、上だ下だのと言っていられない。

嵐が来れば、皆、波にさらわれるからだ。


ある意味で嵐の前では皆平等であった。

船乗りとしての実力のみがものを言った。

船員としては、黒人も白人もなかった。

まったく差別がなかったわけではないだろうが、日本の近代化前、アメリカの奴隷解放宣言前に、すでに平等の世界があった。


実際、上記のとおり、ジョン・ハウランド号の船員らは、万次郎を「ジョン・マン」と親しみを持って接した。

またある時には、船長が病気になり、新たな船長を選ばなければならなくなった際(ホイットフィールドさんではなく別の船の船長)、船員の推薦により、最年少の万次郎が副船長に選ばれるということもあった。

実力で人を見ていた一つの証拠である。

日本における対応

万次郎は日本への帰国後、海外事情をよく知り英語もできる貴重な人材として、幕府直属の旗本として抜擢された。

通訳兼航海士として、日米修好通商条約の批准のためアメリカに渡った咸臨丸にも乗り込んだ。

しかし、咸臨丸では、日本の船員が万次郎の指示を聞かず、同乗していたアメリカ人航海士から諫められたというエピソードが残っている。

また、さんざん、万次郎から海外事情を聴きだし、世話になったであろう勝海舟や福沢諭吉の書物に万次郎の名前はほとんど出てこない。

彼らは、心の中では、「身分の低い漁師出身の、半分外国人みたいな変なやつ」という認識があったんだろうと思う。

万次郎は、きっと、アメリカでの扱いとの差を寂しく思うとともに、近代化を進めなければならないと思ったはずである。

まとめ

アメリカのすべてが好きなわけではないが、身分社会の江戸時代末期に漂流した万次郎らを救い、万次郎に教育を施し、日本の近代化に寄与してくれたホイットフィールドさんというアメリカ人がいたことについては、恩義を感じざるを得ない。

差別社会にあって「異国人」を人間として遇したホイットフィールドさんの人徳は、泥の中の蓮のように、100年以上経ってなお、我々の心に美しく香る。

人間かくありたいものである。


いまも差別がなくなったとは到底言えない世界である。

ホイットフィールドさんと万次郎の友情から学ぶべき点は多い。

参考動画はこちら


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まーぼー | 元弁護士×微笑みうつ病 ※もしこの記事がよかったら、無理のない範囲で投げ銭してもらえると、書き続ける励みになります!😊