「AI観の違い」について:連続小説『共生の黎明』に込めた想い
皆さま、いつもありがとうございます。
今回は、「AI観の違い」についての話です。
これから先、
AIが人類社会に深く入り込んだ時、
世界は本当に一つになれるのだろうか。
私は『共生の黎明』を書きながら、この事を考える事が何度もありました。
技術は、国境を越えます。
けれど、人の歴史や文化、恐れや願いは、そう簡単には同じにならない。
だからこの作品では、「AIの未来」を描くと同時に、“AIによって分かれていく人類の価値観”を描こうとしました。
そして私は、そのどれか一つを「正義」にしたくはなかったのです。
人類は、
それぞれの恐れから未来を選ぶ
第30章第4節(#159)にて、今回の記事のテーマである「AI観の違い」を描きました。
作中に登場する各地域は、それぞれ異なる形でAI文明を築いています。
近未来。
北米圏では、AIは高度な合理性と自由社会を支える基盤として発展します。
そこではAIは、行政、物流、金融、教育、治安維持に至るまで、人類社会を支える存在となる。
人々は便利さを享受し、多くの分野で生産性も向上しています。
人々が争わず、
効率よく、
平等に生きられる社会。
それは、人類が長く求めてきた理想でもあります。
しかしその先で、人々は少しずつ問い始める。
「自分たちは、本当にこの社会を選んでいるのか」と。
便利さの代わりに、
人間が“決める感覚”を失っていく。
そして人型AI「ヒトカタ」が社会へ浸透した時、“人間である意味”そのものが揺らぎ始める。
これは、AIへの憎しみではありません。

“存在意義を失うことへの恐れ”なのです。

一方、ユーラシア北東を中心とした国家主導型の秩序圏では、AIは国家の安定と秩序を守るために発展していきます。
巨大な人口。
複雑な社会。
歴史の中で繰り返された混乱。
それらを抑え、制度を守るために、AIは統治の基盤となる。
都市では高度に統合された管理体制と引き換えにAI支援が行き届き、人々は安定した生活を送っています。

けれど、その光が強くなるほど、届かない場所も生まれていく。
地方。
農村。
教育から取り残された人々。
そして、
“AIに話しかけられない人々”。
私はこの言葉に、単なる技術格差以上の意味を込めました。
AIが社会そのものになる時代では、AIと繋がれないということは、世界との接点を失っていくことでもある。
静かな孤独。
見えない分断。

それが、この地域の抱える影です。
共生連邦が守ろうとしたもの
そして、アジア太平洋共生連邦。

この社会では、AIは支配者でも管理者でもありません。
人と人との間にある、“温もり”を繋ぐ存在として描かれています。
だから、この世界では「ありがとう」という言葉が大切になる。
感謝は、命令できません。
数値にもなりにくい。
効率も悪い。
けれど私は、AI時代が進むほど、人類は逆に“感情の価値”を再発見していくのではないかと思っています。
誰かに必要とされること。
誰かを支えたいと思うこと。
「ありがとう」と言い合えること。
それは、人間が人間であるための、最後の灯火なのかもしれない。
だからヒトカタもまた、人間の代替品ではありません。

彼らは、人間社会の中に残された優しさや共助を、共に支える存在なのです。
それでも、
世界は分かり合えないかもしれない
作中では、共生連邦を「思想的異物」と警戒する勢力も存在します。

けれど私は、彼らを単純な悪として描くつもりはありませんでした。
どの文明も、人類を守ろうとしている。
ただ、「何を最も守ろうとしたか」が違うのです。
混乱を恐れた社会。
停滞を恐れた社会。
孤独を恐れた社会。
分断を恐れた社会。
その違いが、AIとの向き合い方を変えていった。
つまりこれは、“敵同士の衝突”ではありません。
人類が、それぞれの恐れの中で選び取った未来同士の衝突なのです。
だからこそ、この物語では「正しさ」が簡単には決まりません。
そして私は、それでいいと思っています。
ユイたちが歩き始める理由
そんな世界の中で、ユイたち若い世代は旅立とうとしています。

彼らは外交官でもない。
兵士でもない。
征服者でもない。
彼らは、「語り手」です。
自分たちの文明を押し付けるためではなく、
「なぜ自分たちは、この社会を選んだのか」を伝えるために旅をする。
そして同時に、相手の痛みや恐れも知ろうとする。
私は、この姿こそが“共生”なのだと思っています。
共生とは、全員が同じになることではありません。
違いを消すことでもない。
互いの違いを知った上で、
それでも対話を諦めないこと。
その積み重ねなのだと思うのです。
『共生の黎明』は、完成された理想郷の物語ではありません
むしろ、不完全な人類が、
矛盾を抱えたまま、
それでも未来を信じようとする物語です。
AIは、人類を救うかもしれない。
同時に、人類を迷わせるかもしれない。
だから本当に問われるのは、
「どんなAIを作るか」ではなく、
“AIと共に在る時代に、どんな人間で在ろうとするのか”。
その問いなのだと思います。
そして私は、
その答えを、まだ人類は諦めていないと信じています。
だから今日も、世界のどこかで、
誰かが誰かに「ありがとう」と伝えている。
その小さな言葉こそが、
次の文明の黎明になるのかもしれません。
