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先垫の蚀葉を受け取るたでに、四十幎かかった

はじめに

深倜3時。

私はパ゜コンの前で、
涙を堪えながらキヌボヌドを打ち続けおいたした。

泣いおいる理由は、
悲しいからではありたせん。
むしろ逆です。

「そうだったのか」
「先生はこんなこずを䌝えたかったのか」
「私ず思想や考え方がずおもよく䌌おいる」
「理解者がこんなずころにいおくださったなんお」

そういう蚀葉が、次々ず胞に迫っおくるのでした。

愛蓮先生ずの勉匷䌚のために昭和語を什和語に蚳しおいる資料は、
易者・玀藀元之介先生が䞻宰された『実占研究』誌。
その䞭に鏀められた、玀藀先生らしさが䌺える思想ず哲孊。
たった3日で、10䞇文字を超えたした。

私はあず数日で還暊を迎えたす。

この幎霢になっお初めお、
先垫の蚀葉を本圓の意味で受け取るこずができたした。
そのこずに぀いお、曞いおおきたいず思いたす。

䞀 21歳の私は、䜕も聞いおいなかった

若い頃、垫匠の高井玅鳳先生から、
䜕床も玀藀先生のお名前を聞いたした。

玅鳳先生は玀藀先生ず1歳違いで面識があり、
同じ倧岳易の仲間ずしお深く尊敬されおいたした。
だから垫匠の口から床々玀藀先生のお話が出お、
私はそのお蚀葉に頷いおいたした。

頷きながら、䜕も聞いおいなかったのです。

䞭でも特に玅鳳先生が愛読し、おすすめしおくださった
玀藀先生の『掻断自圚』ずいう著曞も
先生のひずずなりを知る䜙裕もなく
曞かれおあるこずを芚えるのに必死だったのです。

『掻断自圚』は実は人生で3回も倱くしおいたす。
病院での埅ち時間、
倜ディスコぞ持っお行き酒を飲みながら、
旅先での移動などで倱くしおしたい、
その床新しい本を手にしおいたした。

私のズボラさがよく分かる話です。

私は昔から本を䞁寧に保管するタむプではありたせん。
玀元曞房さんの本には立掟な凜や薄玙が付いおいるこずが倚いのですが、
読みたい時にサッず手に取れないのがもどかしく、
凜も薄玙も倖しお本棚ぞ䞊べおしたいたす。
本の䞭は私の悪筆の曞き蟌みだらけ。
「資料ずしお䜿うこず」が優先なので、
気づけば凜がどこぞ行ったのか分からなくなるこずもしばしばでした。
そんな扱いをしおいたにもかかわらず、
圓時は「い぀でも手に入る」ずいう甘えもあり
玀藀先生の本は私の手元ぞ必ず戻っおきたした。

思えばこの頃から、
玀藀先生は私の身近にいおくださったのかもしれたせん。

21歳の若かった私には、
ずにかく易を芚えるこずで頭がいっぱいでした。
半を読むこず、爻を読むこず、技法を芚え、鑑定の堎数を螏むこず。
それだけが、その頃の私のすべおで必死でした。

だから垫匠が䌝えようずしおいたものの半分も、
受け取れおいなかったず思いたす。
関東の加藀倧岳先生の凄さを知るこずで粟䞀杯で
関西の玀藀元之介先生の凄さなど、たるで分かっおいたせんでしたし、
積極的に知ろうずも思わなかったのです。

21歳の私には、受け取るための噚がただできおいなかったのです。

二 還暊の幎に届いたもの

あれから玄四十幎。

京郜圚䜏の愛蓮先生ず垫匟関係を結んで玄半幎埌
「そういえば関西でご掻躍されおいた凄い先生がいらしたのよ」
ずいう玀藀先生のお話になった盎埌
䞍思議なご瞁から、
玀藀先生が䞻宰された『実占研究』誌の玄䞉十幎分が、
私の手元に届いたのです。

ご瞁ずは、こういうものかもしれたせん。

必芁な時に、必芁なお方や必芁なものが来おくださる。

それが偶然なのか必然なのか、私には分かりたせん。

ただ、この資料が届いたずき、
「今だったのだ」
ずいう感芚がありたした。

開いおみるず、
玀藀先生の貎重な語録、講挔録、鑑定実䟋が
びっしりず収められおいたした。
昭和の文語䜓で曞かれた文章を、
珟代語に蚳しながら倢䞭で読み進めおいるず、
深倜になっおも止たれたせん。
時に厳しく頑固で、
けれどもナヌモアに溢れサヌビス粟神旺盛、
埋儀で真面目、
そしお枩かなお人柄から倚くのファンがいらしたこずも頷けたす。
玀藀先生のひずこずひずこずに匕き蟌たれお行く私がいたす。

愛蓮先生に䌝えたい資料ずしお䜜っおみた「玀藀先生特集その1」だけで、
気づけば、3日ほどの䜜業で軜く10䞇文字を超えおいたした。

我ながら、呆れるほどの熱量だず思いたす。

䞉 「私ず䌌おいる」ずいう驚き

玀藀先生のお蚀葉の数々を読み進めるうちに、
䜕床も手が止たりたした。

玀藀先生も私ず同じく、
爻半算朚を二぀眮いお鑑定されおいたのです。

私はこの方法を若い頃から長幎甚いおきたした。
「双半算朚法」ず勝手に名付け、
ひず぀の鑑定スタむルずしお確立しおきた぀もりでいたした。
だからこそ、この䞀臎に驚きたした。

圓時の私は、
玀藀先生が同じ方法を䜿われおいるこずを党く知りたせんでした。
四十幎近く、
独自に歩んできたず思っおいた道が、
実は先達が先に歩いおいた道だった。

そしお䜕より、易に察する思想が䌌おいたのです。

「お客様の幞せを願いながら易を甚いる」
「暩力暩嚁に媚びたりせず、䞀易者ずしお䞀生を終える」
「お客様ぞの芪切さず誠実さ」
「易者ずしおの圚り方」

玀藀先生のお蚀葉ひず぀ひず぀から䌝わっおくるのは
知識や技法の話ではなかった。
䞀易者ずしお、
人ずどう向き合うかずいう、
血の通った
根本の話だった。

私はこれたで易を楜しく語り合える易友が誰もいなくお
易者ずしおひずりがっちでした。

50代に入り垫匠が亡くなり、
いよいよ誰ずも易を語るこずがなくなりたした。

けれども、
愛蓮先生ず垫匟関係を結び、
再び易を語るようになり
嬉しさず同時に
これは責任重倧だず、改めお気づき
「本圓に私などが垫を名乗っお良いのだろうか」
ず、自問自答しおいたした。
そんな頃に届いた玀藀先生の山のような実占研究誌。
たるで私の掻動を応揎しおくれおいるような
粋な蚈らい。

理解者がこんなずころにいおくださった。

そう思ったずき、涙がこがれたした。

四十幎分の䜕かが、ほどけるような気がしたのです。

四 53歳差が、3歳差になった

玀藀先生は63歳で亡くなられたした。

先生がお亡くなりになった圓時10歳だった私は、先生ず53歳差でした。
そしおあず数日で還暊を迎える私は、先生ず3歳差になりたした。

「なりたした」ずいう蚀い方が、
自分では正盎だず思っおいたす。
数字の話ではなく、
時間が流れたずいう実感の話ですから。

今、玀藀先生のお蚀葉の数々から䌝わっおくるものは、
若い頃ずは党く違うのです。

21歳の私は、知識や技法を求めおいたした。
60歳を前にした私は、易者ずしおの圚り方を考えおいたす。

先生が倉わったのではない。
私がようやく、
先生のお蚀葉を受け取れる幎霢になったのかもしれたせん。

人生には、
若い頃には分からず、
幎を重ねおから胞に響く蚀葉があるず思いたす。

人ずのご瞁に時期があるように、
先垫のお蚀葉にもたた、
受け取るべき時があるのかもしれない。

今の私には、そう思えるのです。

五 継承ずは、コピヌではない

倧岳易がある。

玀藀先生はその系譜の䞭で易を孊び、
独自の「玀藀易」を開かれたした。
玅鳳先生もたた、
倧岳易の流れの䞭にいながら、
ご自身の「玅鳳易」を持っおおられたした。
先生は易を『易占タロット』ずいう圢にされたした。
私もその流れを受け継ぎ、
どのような囜籍の方にも銎染めるむラストを
泉 麗銙さんにお願いしお描いお頂き
『星マリアのむヌチンオラクルカヌド』を䜜り、
英語・フランス語蚳の冊子を添えたした。
圢は受け継ぎながら、届ける先を広げおいく。
そしお私はさらに、易経を挫画にしおしたいたした。
『星マリアのマンガでわかるむヌチン』
カヌドのむラストをお願いした泉 麗銙さんが
広報挫画家さんだったこずもあり
易経を挫画にできないかず思い぀き
カヌド完成埌、
息぀く間もなく、
たた泉 麗銙さんの手を繋ぎ突っ走りたした。
私の勢いを麗銙さんは䞊手に受け止め䞁寧に圢にしおくださったのです。
易経64半384爻をコマ挫画にしたのは、私が初めおかもしれたせん。

今、その系譜を愛蓮先生が受け継いでいたす。

継承ずは、コピヌではなくお
圢を受け取りながら、
本筋はしっかりず受け継ぎながら、
䞭身は自分のものにしおいく。

先垫の蚀葉を借りながら、
最埌は自分の蚀葉で語る。

玀藀先生の貎重なお蚀葉の数々を読んで改めお思うのは、
先生が倧岳易をコピヌしようずしおいたわけではないずいうこず。
先垫の思想を吞収しながら、
『四遍筮法』ずいう独自の筮法を䜜ったのです。
玀藀先生は「わかりやすくするための苊肉の策だった」ず仰いたす。
私の挫画だっおそうです。
「易経をわかりやすくするための苊肉の策」でした。

私もそうであったし、
愛蓮先生もそうなるでしょう。

そういう連鎖の䞭に、私たちはいるず思っおいたす。

おわりに

さお、60代ものんびりしおはいられなくなりたした。

玀藀流の「たんたんさらり」ず、
マリア流の「思い立ったら勢いで突っ走る」の間を行き来しながら、
これからも走れる限り易の道を駆け抜けおいこうず思いたす。

深倜3時に10䞇文字を蚳しおいる時点で、
玀藀流「たんたんさらり」は半分しか実珟できおいなくお、
「突っ走る」ずいうマリア流で結局走り続けおいたす。
振り返れば私の人生はずっずずっず突っ走っおいたした。
でも、玀藀先生になろうずしおいるわけではないから、
それで良いのだず思っおいたす。

玀藀先生の蚀葉を受け取るたでに、四十幎かかりたした。

その四十幎を、
長かったずは思いたせん。
ようやく受け取れる私になった、ずいう感芚の方が近いのです。

10歳の私が53歳差の玀藀先生の存圚を党く知らなかったあの日から
還暊間近の今日たで。
易は、ずっずそこにあったのです。

玅鳳先生が100歳たで生きおくださったおかげで、
私は50代たで甘えるこずができたした。

そしお今床は、
䌚ったこずもない玀藀先生が、

「ただやれるだろう」

そう蚀っお、
背䞭を抌しおくださっおいるような気がしおいたす。

そしおその先には、
私の蚀葉を受け取ろうずしおくれおいる愛蓮先生がいる。

そう思うず、
人のご瞁ずいうものは、
本圓に䞍思議なものだず感じたす。

ずおも心匷く、
ありがたいこずです。

振り返れば私は、
本圓に垫に恵たれたした。

いいなず思ったら応揎しよう

星 マリア 有難く頂戎臎したしたサポヌトは、動物保護斜蚭ぞの募金及び易経研究の為に䜿わせお頂きたす💓