見出し画像

日常の瞬間に宿る北京の誠実さ

日常には心を打つ光景が溢れている。それは華やかな出会いや盛大な瞬間にあるのではなく、ありふれた日々に散りばめられた善意と責任感にこそ宿っている。何の変哲もない午後の車の移動、波乱もなく、わざとらしい伏線もない、ただ質素な一つの行いを通して、大人にとって最も貴重な誠実さを悟らせてくれる。

本日、一時帰国で北京に戻った。穏やかな日差しが降り注ぎ、街並みはいつも通りだ。タクシーに乗って市街地へ向かった。車が交差点に差し掛かると赤信号が点灯し、車体はゆっくりと停車し、穏やかな車の流れに溶け込んだ。車窓の外では車が行き交い、街は相変わらずにぎやかだ。座席にもたれ、静かに信号待ちをする。すべてが波風の立たない平穏な時間だった。

その瞬間、運転手が予告なくドアを開け、素早く車を降りた。慌ただしく唐突な行動で、事前の合図も説明も一切なく、ぼくは突然の出来事に戸惑った。

驚きと疑問が胸に湧き、目の前の状況が理解できなかった。道路はスムーズに通行でき、突発的なトラブルも渋滞もない。ほんの短い信号待ちの時間に、なぜ突然降車したのか。車外の彼の姿を眺めていると、やがてその理由が分かった。

実は走行中、彼はうっかり曲がるべき道を通り過ぎ、車線を踏み外してしまったのだ。長年この街を運転してきた彼は、交通規則や道路監視カメラの配置を熟知しているから、この些細なミスが二つの全く異なる結果を招くことを知っていた。

彼は先ほど通過した交差点まで戻り、立ち止まって見上げ、監視カメラが設置されているか丁寧に確認した。ただの不注意な運転ミスに過ぎないのに、彼は極めて厳格に、細部まで確かめていた。その真摯な態度には飾り気もわざとらしさもなく、一人の普通の人間が過ちに向き合い、慎重に行動するありのままの姿があった。

車の中からその姿を見て、彼の考えを理解した。もし交差点に監視カメラがなければ、Uターンして正しい道に戻り、遠回りせずに済む。もしカメラが設置されていれば、交通規則を守り違反を避けるため、そのまま直進し、余分な道のりを進むしかないのだ。

道路状況と監視カメラの有無を確認し終えた彼は、車に戻ってきた。自分のミスを隠そうともせず、言い訳も一切せず、穏やかで誠実な口調で率直に言った。「私の不注意で道を間違えました。余分に走った分は私の責任なので、この料金はいただきません」。

飾り気のない率直な一言だった。道を間違えるのは誰にでもあることだ。世の中には、こうしたミスを曖昧に流してしまう人が多い。しかしこのタクシー運転手は、自らの不注意に責任を取ろうとした。

北京は慌ただしい街だ。足早に通り過ぎる歩行者、休むことなく働く人々。われわれはいい加減な言い逃れやごまかしに慣れきっている。だからこそ、この誤魔化さない真摯さがかけがえのないものに思える。我愛北京。

いいなと思ったら応援しよう!