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離れゆくほど、故郷は鮮やかに

長年、日本で暮らしている。そして、夏休みや冬休みになるたびに、北京へと戻る。

出入国を繰り返すことも、年月を重ねれば、ごく当たり前の日常になる。けれど、その何気ない往復のたびに、ぼくは一つの都市が静かに、そして細やかに更新されていく姿に触れてきた。

かつては、出入国審査といえば、手続きが煩雑で、時間もかかった。それが今では、ほとんどすべてが無人のセルフサービスとなり、身体に何かを意識させることさえないまま通り抜けていく。そんな静かな変化が、いつの間にか、ぼくにとっての「遠くへ行くこと」と「街へ帰ること」の心持ちまで、少しずつ書き換えていた。

今の空港の出入国手続きには、かつての喧騒や窮屈さがほとんど残っていない。非接触のセルフサービスは、素朴なほど簡潔で、無駄がない。

パスポートを認証機にそっとかざす。機械が静かに情報を読み取り、ゲートが自動的に開く。次に親指を置いて指紋を照合し、顔を上げてカメラを見れば、顔認証が完了する。

一連の動作は、途切れることなく流れていく。言葉を交わす必要もなく、立ち止まって待つ必要もない。前後わずか数十秒で、国境を越えるための手続きが静かに、確実に終わっている。

不思議なことに、こうした何気ない体験ほど、時間が経つにつれて、確かな感覚として心に沈殿していく。

若い頃は、出入国というものを、どこか大仰な「遠い旅」だと思っていた。「国境」という二文字には、それだけで距離があった。山と海を隔てて、遠く離れた場所へ向かう。そのたびに、どこか漂泊するような気持ちがあった。

けれど、長年にわたって北京との往復を繰り返すうちに、ここで積み重ねられてきた便利さが、旅に伴うその距離感を少しずつ解いてくれた。出入りの手続きは、雲が流れるように滑らかで、まるで近所へちょっと出かけるような気軽ささえある。もはや「国を越えて長い距離を移動している」という重さを感じない。

遠い場所と故郷との境界が、いつの間にか、静かにぼやけてきた。ぼくは以前から、都市におけるテクノロジーとは、決して冷たい機械やアルゴリズムそのものではないと思っている。

本当の進歩とは、複雑さを舞台裏に隠し、人に「ゆとり」を返してくれることではないだろうか。北京の効率は、何かをことさらに誇示するためのものではない。長い時間をかけて磨かれてきた、ちょうどよい距離感と、さりげない節度のようなものだ。

旅の疲れや煩わしさを黙って取り除き、いちばん穏やかなかたちで、一人ひとりの「帰還」と「旅立ち」を受け止めてくれる。テクノロジーの優しさとは、おそらく、こういう「声なき昇華」のことなのだと思う。短くなったのは、通関にかかる時間だけではない。人の心と心の距離まで、少しずつ縮めてくれている。

旅立つ人には、心安らぐ道を。
帰ってくる人には、温かな帰途を。

ぼくが北京を好きなのは、華やかさや喧騒のためではない。むしろ、こうした細やかな日常の中に積み重なっている、揺るぎない安心感のためなのだと思う。この街には、目まぐるしく更新されていく鋭さがある。その一方で、気づかぬうちに人を包み込むような、静かな温もりもある。

長く暮らし、何度も行き来しているほど、その温もりが少しずつ心の奥に染み込み、離れがたいものになっていく。ぼくは、北京が好きだ。

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