売れない日々が、私の『接客』を変えた。
はじめに少しだけ、自己紹介をさせてください。
現役風俗嬢、ランカー6年目。まおといいます。指名数でいえばずっと上位にいるけれど、最初からそうだったわけじゃありませんでした。
泣きたい待機時間も、誰にも言えない研究の夜も、全部通ってきました。華やかに見える今の裏側に、地味で静かな積み重ねがあります。
このnoteは、そういう話をしていこうと思っています。
選ばれない時間というのは、人を『変な方向に正直にさせる』と実感します。
待機室でスマホを開いて、ヘブンネットでランキング確認をする。更新ボタンを押して、何も変わっていないことを確認して、また押す。
鳴らないとわかっているのに画面を見る指は、自分でも少し情けないと思いながら止められない。
▢時計を見る
▢ランキングを見る
あの人気な子がまた上にいる。何が違うんだろう、と考えはじめると、答えのない場所へどんどん降りていく。
可愛さかな、若さかな、エロさが足りないのかな。
そうやって一人で自分を分解していくうちに、気づいたら「全部かも」という結論に着地している。
誰に言われたわけでもないのに。
この仕事の残酷さは、数字が出ることだと思う。
▢選ばれた回数(指名本数)
▢指名された時間(平均コース時間)
▢戻ってきた人の数(リピーターの数)
それが画面の上に並んでいて、隠しようがない。売れない日が続くと、その数字がじわじわと自分の輪郭に染み込んでくる。
『価値がない』、という感覚は、誰かに言われて生まれるわけじゃない。静かな待機室で、誰にも呼ばれないまま過ごす時間の中に、少しずつ積もっていく。
でもこれって、この仕事だけの話じゃないと思う。
会社で評価されなかった日、LINEの既読がつかなかった日、頑張ったのに誰にも気づかれなかった瞬間。形は違っても、選ばれなかった痛さを知っている人は、きっとどこにでもいる。
わたしはたまたまそれが、数字として画面に出る場所で働いているだけで。
当時のわたしには、ひとつだけわかっていたことがあった。全員に返ってきてもらうのは、どう頑張っても無理だということ。
相性もあるし、タイミングもあるし、その日その人が何を求めているかなんて、こちらにはコントロールできない。
そこに執着し続けることは、永遠に埋まらない穴を掘り続けることと同じだと、どこかで気づいていた。
だったらせめて、目の前のひとりとはちゃんと向き合おうと決めた。帰り際に思い出してもらえるように、話した内容を覚えて、好きだと言っていたものをメモして、次に会ったとき自然に使えるように温めておく。
コンビニ帰りに、スマホのメモ帳を開いて、今日聞いた話を顧客ノート(ノーション)に打ち込んでいた。傍から見たら必死すぎて引かれるレベルだったと思う。
でもそれしかできなかったし、それしか思いつかなかった。軌道に乗るまでの時間というのは、とにかく地味だ。
売れている子の写メ日記を読み漁って、写真の角度を変えて、言葉の選び方を変えて、温度を変えて。何かが正解に近づいている感触もないまま、ただ研究を続ける夜が続いた。
深夜に一人でスマホを見ながら、あの子の文章はなぜ読まれるんだろう、と首を傾けていた日のことを、今でもたまに思い出す。
でも途中で、ふと思った。
このまま誰かの真似をし続けても、まおという人間はどこにも残らないんじゃないか、と。真似がうまくなっていくほど、自分の輪郭がぼやけていく感覚があった。
そこから少しずつ、自分の書き方を変えた。
エロさで戦うのを完全にやめた。強い女を演じるのをやめた。ちょっと弱い日はちょっと弱いまま書いたし、拗ねた日は拗ねたまま書いた。
完璧に整った女より、ちゃんと人間でいようと思った。
一瞬でつかむより、人として好きになってもらえる方がいいと思った。
正解かどうかは今でもわからない。でも「なんか落ち着く」「会うと安心する」と言ってくれる人が、少しずつ増え、そのとき初めて、あ、これでいいのかも、と思えた瞬間だった。
派手な言葉じゃなかったけれど、その静かな一言の方が、ランキングの数字より、ずっと長くわたしの中に残っている。
何千人もの人間を見ていると、人の孤独の形というのがだんだんわかってくる。派手に笑っている人が必ずしも満たされているわけじゃないし、無口な人が何も感じていないわけでもない。
みんなどこかで、ちゃんと見てほしいと思っている。選ばれたいと思っている。それはこの仕事をしているわたしも、お客さんも、たぶん根っこは同じ気がする。
誰かに選ばれたくて、でも選ばれなくて、それでも次の日また頑張る。その繰り返しの中で、人はじわじわと自分のことが嫌いになっていく。
わたしはそのプロセスを、自分の体で経験したし、目の前の人たちの中にも何度も見てきた。だからこそ思うんだけど、
『選ばれなかった』という事実と、『自分には価値がない』という感覚は、本当は全然別のものだと。
売れない日というのは、価値がない日じゃない。
今はそう言えるけど、当時は全然そう思えなかったですね。
待機中に落ち込んで、それでも出勤して、ちゃんと笑っている時点で、もうそれはひとつの仕事だと思う。
誰にも見えない準備をして、誰にも評価されない研究をして、それでも次の日また来る。その地味な繰り返しが、あとになって静かな武器になる。
「今日ダメだった」は、「わたしがダメだった」じゃない。
その日の数字は、その日の天気みたいなもので、自分の値打ちとイコールじゃない。
頭でわかっていても、体がそう感じないことはある。それでいいんだと感じながら、次の日また出勤する。待機室でスマホを握りしめながら、それでも座り続ける。その時間が、あとで自分の色になる。
全員じゃなくていい。
ちゃんと向き合った人が、ちゃんと戻ってくる。
エロで選ばれるより、人で選ばれる方が長持ちする。一時の熱で呼ばれるより、また会いたいと思われる方が、ずっと強い。
それはこの仕事に限った話じゃないかもしれないけど、この仕事の中で一番はっきり学んだことだった。
あの頃のわたしがいるから、今のわたしがいる。
売れない夜があったから、研究した時間があったから、誰かの真似をやめた瞬間があったから、今がある。目の前の人をちゃんと見ようとしてきた時間が、積み重なって今のわたしになっている。
少しずつ積み上げていく売れ方の方が、遠くまで行ける。
それだけは、この5年が教えてくれた。
