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親になりたくない若者 その444

444という数字はテキトー。強いて言えば、444という数字が好きだからだ。いちばん好きな数字は4。9や13もそれなりに好き。
なんか縁起の悪そうな数字って憧れるよねー……って違う、好きな数字の話をしたいんじゃない。


最近、子どもを持ちたくない若者が増えているという。
理由としては、経済的な不安があったり、自分のキャリア(仕事)への影響を心配したり、自分自身の時間を大切にしたいという価値観が根付いているから、だそうだ。

タイトルにあるように、私も子どもを持ちたくない(親になりたくない)若者の一人である。そして、その理由はそのいずれとも違う。

先に結論を言うと「そんなギャンブルをしたくないから」だ。


子どもを持つ=ギャンブルというと、障害を持つ子が生まれる可能性があるといったようなことを想像されるかもしれない。
確かにそれもあるが、1番のギャンブル要素は「子どもとの相性」だと思う。

いくら自分の遺伝子を引き継いだ自分の子どもであったとしても、所詮は自分とは別の人格を持った他人である。相性が出てくるのは当然だろう。

私たちだって、「理由は分からないけど、この人嫌いだな、合わないな」「なんだかあの人といるとイライラする」「なんとなく距離を取りたい、関わりたくない」と他の誰かに対して感じたことは何度もあるはずだ。

つい先ほども言ったが、子どもとて所詮は他人である。それなのに、どうして自分の子どもだけにはそのような感情や感覚を抱かないと言い切れるのだろう。
そもそも親と相性のいい子どもが生まれること自体、進化論的には敗けてね? とも思う。

そして、自分と相性のいい子どもが生まれるかどうかは、いざ作って育ててみないと分からない。もし相性の悪い子が生まれてしまったら、めでたくなく親子ともに地獄を見ることになる。

私たちが他人に対して感じることがある「理由は分からないけど、この人嫌いだな、合わないな」「なんだかあの人といるとイライラする」「なんとなく距離を取りたい、関わりたくない」を縁すら切れない子どもに対して感じてしまうんだ、ストレスなんてものじゃない。
虐待がなくならない理由のひとつだろう。

これをギャンブルと言わずして、何と言えばよいのだろうか。


実を言えば、親になることに完全に興味がないかといえばそうでもない。子どもだって所詮は他人だとは言ったが、その他人の人生に根本的なところから関われるのは楽しいところがあるだろう。
そして、子どもにとって親というものは良くも悪くも絶対的で代わりのない存在だ。そんなものにもなってみたい。

とは言ってみたものの、これらはあくまで親の都合でしかない。特に後者なんて、自分で書いているくせに「メンヘラか」と突っ込みたくなる。
作ってみて、「あ、やっぱ相性合わん。捨てよ、誰かに押し付けよ」なんてやったら問題しかないのは誰の目から見ても明らかだろう。

他人の人格と人生の根幹を背負っている。覚悟と責任がとてつもなく重いのだ。申し訳ないが私にそんなものは持ち合わせていない。


まぁそんな、私が親になりたくない理由だった。
子どもは、軽い気持ちで作っていいものではないと思っている。

これで10年後20年後に親になっていたら、おもしろいけどね。



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