わずか一票差で国王死刑 ルイ16世はなぜギロチンに送られたのか フランス革命Part11 #63
こんにちはmalkomeです。
前回、革命フランスは勢いで王政を廃止。国王ルイ16世は一市民ルイ・カペーに格下げされました。1792年12月、元国王はついに国民公会の法廷に引き出されます。
元・王を、裁判にかける
📜 33の裏切り容疑
1792年12月11日、国民公会は元国王ルイを法廷へ引きずり出します。
「反逆罪の被告として召喚する」
罪状は33件。ヴァレンヌ逃亡、外国との内通、テュイルリー宮でスイス衛兵に発砲命令を出した件など、革命以降のあらゆる疑惑全部盛りにした告発でした。
そして裁判が開始します。
議員「ヴァレンヌ事件について伺いたい」
「逃げてはおりません、ただの外出です」
議員「外国人と内通があったと…」
「そのような事実はございません」
議員「オーストリアと内通した書簡がありますが」
「大臣がやった事で、私は把握していません」
議員「この書類の署名は?あなたの筆跡ですが」
「一切の記憶がございません」
証人喚問でお馴染みのやつです。
雰囲気的にルイが無罪になる事はありえませんでした。
彼をどのように裁くか、どのようなプロセスで決定するか、この点に議論は収束していくのです。

議会、割れる
🌊 ジロンド派、必死のブレーキ
ブリッソーらジロンド派の多くは王の有罪を認めながらも、国民公会だけで即座に処刑することには強く抵抗しました
「王は有罪だろう!だが処刑まで国民公会だけで決めていいのか!?」
「共和国は人民主権の国だ!ならば最後は人民に問うべきだ!」
「ここで王の首を落とせば、革命の暴走は後戻りできなくなるぞ!」
このまま王の首を落とせば革命は確実に急進的になる。さらにヨーロッパの君主国との戦争も決定的になる。
ジロンド派はそこを恐れていました。
一方、モンターニュ派の議員たちはルイの即時、無条件処刑を声高に叫び、この両者の対立は激しさを増していきます。

🔥 王は敵として即処刑しろ
一方のモンターニュ派はルイの処刑を声高に叫びます。
特にロベスピエールは、
「あのフランスってもう共和国なんですよ。 共和国なのに王様がいるって、普通に考えておかしくないですか?」
「頭の悪いジロンドの人達って、『でも、殺すのはかわいそうだよね』とか言うんですけど、いやいやそれって国の運営と何も関係ないんですよ」
「そもそも生かしておいたら王党派の連中が『王様〜革命を潰してくださ〜い』って言って、こちらを攻撃しにくるに決まってるじゃないですか。もうルイには共和国のために死んでもらうしかなくないですか?」
議場はドン引きです。
議場はもはや王の裁判ではなく、ジロンド派 vs モンターニュ派の派閥バトルと化します。国王の処刑をめぐり、仁義なき両者の戦いが繰り広げられるのでした。

✅ 有罪、そして…
1793年1月15日、国民公会は圧倒的多数でルイを有罪と認定しました。一方、国民投票の決議も否決され、ジロンド派の時間稼ぎ作戦は失敗してしまいます。
そして問題はルイが死刑か否か…
1月16日から翌日にかけ、刑罰の投票が始まります。
一人ずつ壇上に上がり、
「私は死刑に投票します」
「僕は拘禁刑にします!」
「ワシは追放で」
と、皆の前で公開投票するプレッシャーマシマシ方式。
そして結果は…
死刑387票、それ以外334票。
ところが、そのうち無条件の死刑は361票。
721人の過半数は361票。
つまり「無条件の死刑」は、過半数ギリギリ。
その差、わずか1票。
さらに執行猶予も否決され、ルイの死刑は確定します

ジロンド派を代表する雄弁家。人民への付託を主張したが自身も死刑に投票し、議長として死刑判決を読み上げた。ジロンド派は国王処遇に関して一枚岩ではなく、それがモンターニュ派に付けいる隙を作ったといえる
🕯 前夜、家族との別れ
即時処刑となってしまったルイ・カペー。
処刑前夜、タンプル塔でルイは家族との最後の面会を許されます。
明日処刑される件、嫁に話しました。
途端に泣き崩れるマリー・アントワネット
すまんな、もうタンプル塔には戻れない。
今から子どもたちに、明日ギロチンに送られること、伝えます。
王様で生活している人もいるんです。俺は国民公会を絶対に許さない。
…というのは冗談で、実際の別れはこんなノリではありませんでした (そりゃそうやろ...
家族たちはルイにすがりつき声を上げて泣きます。
中でも息子のルイ=シャルル、まだ7歳です。
明日になれば、大好きなパパがいなくなってしまう。
たった7歳の子供にそんな事が受け入れられるはずがありませんでした。
小さな手で父の服を握りしめ、涙で声を詰まらせながら必死にこう訴えました。
「お父様死なないで!僕がみんなにお願いする!』
ルイは泣きじゃくる小さな息子を優しく抱き寄せ、
「シャルル、いいかい?パパは神様のもとへ行くんだから、そんなに悲しまなくていいんだよ」
と、静かに言い聞かせます。
そして、
「だからおまえはパパが死んでも、決して復讐をしようと考えてはいけないよ、わかったね?」
フランス革命はルイの宮殿を奪い、自由を奪い、王冠を奪いました。そしてとうとう自分の命をも奪おうとしています。
しかし、ルイはそんな者たちを許します。
想像するに自分の愛した美しい国フランス、そしてそこにいる国民たちの安寧を祈るということ。それが元国王として出来る最後の矜持であったからでしょう。
彼は名君ではなかったかもしれませんが、決して暴君ではありませんでした。決断が遅く、時代を読み違え、革命という運命に最後まで翻弄されます。それでも国民を愛し、国家を案じ、国の崩壊を避けようともがき続けた真面目な人間でした。
そして明朝、彼は家族のもとへ戻ることなく、断頭台へ連れ出されます。そしてこの物語の舞台から静かに降りていくのです。

🔪1793年1月21日
処刑の日。ルイはタンプル塔から革命広場(現コンコルド広場)へ護送されました。
10時22分、ギロチンの前にルイは民衆の前で声を張り上げます。
「人民よ!私は無実のうちに死ぬ!」
ここで国民衛兵のドラムロールが発動。
ルイの声はたちまち太鼓の音にかき消されていきます。
それでもルイは叫びます。
「 ---私の….うぉ...---」
「私---が祖こ...のォ…---…!!」
「…わ--ば……ッァ……!!」
これには群衆も、
「おい、今なんて言ったんだ?」
「さあな」
と、なります。
そしてルイの首にギロチンの刃が落ち、処刑人がその生首を高く掲げると、
「共和国万歳!」
と、群衆の興奮した掛け声が革命広場じゅうにいつまでも響き渡りました。
とうとう最後の一線を超えた啓蒙バフり集団。
王を処刑した共和国にヨーロッパの君主国は震撼し、まもなくフランスはヨーロッパ諸国との全面戦争へ突っ込んでいくことになります。
そして革命というモンスターは国王という飼い主を喰い殺した後、次の獲物を探し始めます。次回、国王の処刑に反対し、失敗をしたジロンド派がどう没落していくかをお届けします。

つづく
※ 本記事は史実をもとに構成していますが、筆者の主観的な表現が含まれます。史料としてではなく、ひとつの解釈としてお読みいただければ幸いです。
