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1300年前、1799人の渡来人がつくったまち|万葉放浪記

夏休みの初日は、埼玉県日高市へ。

巾着田曼珠沙華公園(きんちゃくだまんじゅしゃげこうえん)に、お目当ての万葉歌碑がひっそりと立っている。

歌碑に刻まれているのは、妙に艶っぽい歌だ。

高麗錦 紐解き放へて 寝るが上に
何と為ろとかも あやに愛しき

――高麗錦(こまにしき)の紐を解いて共寝をしているのに、この上一体どうしろというのか、無性にかわいくて仕方がない。

揮毫は国文学者の中西進氏(「令和」の考案者とされる)

「高麗錦」とは、高句麗から伝わった高級絹織物のこと。

歌に「高麗錦」が詠み込まれていることから、この地に歌碑が建てられたという。

今回の「万葉放浪記」は、この歌碑を訪ねるために日高市へやってきた。

しかし、歌碑について調べていくと、この土地が全国でもかなり特殊な歴史を持つ場所であることがわかってきた。

高麗駅

高麗と書いて「こま」と読む

日高市には、高麗と書いて「こま」と読む地域がある。

高麗とは、かつて朝鮮半島に存在した高句麗のことだ。

朝鮮半島北部から中国東北部にかけて勢力を広げた高句麗は強大な国だったが、668年、唐と新羅の連合軍に敗れて滅亡した。

その後、関東周辺に暮らしていた高句麗系の渡来人1799人がこの地に入植。荒れ地を開墾し、716年に「高麗郡」が置かれた。

今から1300年以上前のことである。

1799人。

この数字を知ったとき、少し驚いた。

現代のように鉄道も自動車もない時代に、それだけの人々が各地から集められ、新しい土地で暮らし始めた。

彼らはこの土地で何を思い、どのように暮らしていたのだろう。

現在の宮司も高麗(こま)さん

1300年以上続く高麗神社

高麗郡の歴史を今に伝える場所の一つが、高麗神社だ。

祭神は、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)。

高麗郡の初代郡司を務めた渡来人で、その遺徳を偲んで祀ったのが高麗神社のはじまりとされている。

驚くのは、代々その子孫が宮司を務め、現在で60代目になるということだ。

1300年以上前にこの地を治めた渡来人の子孫が、今も神社を守り続けている。

凄すぎる。

私が訪れた日も、参拝者が絶えることはなかった。

長い歴史を持つ観光名所だから人が訪れる、というだけではないだろう。

今なお地域の人たちから大切にされていることを肌で感じた。

歴史とは、古い出来事を記録したものだけではない。

誰かが受け継ぎ続けることで、現在につながっていくものなのだと思う。

高句麗の宮廷衣装の復元が飾られているのも見所

1300年前から続く問い

近年、世界各地で移民をめぐる問題が起きている。

もちろん、1300年前の高麗郡と現代の移民問題を、そのまま同じものとして語ることはできない。

時代も社会制度も、人々が置かれた状況もまったく違う。

それでも、高麗の歴史を知ると考えさせられる。

異なる土地からやってきた人々が、新しい土地で暮らし、地域をつくった。

そして1300年以上が過ぎた今も、その人々が残した歴史と文化が、この土地の大切な個性になっている。

異なる背景を持つ人々と、ともにどう生きるのか。

この問いは、決して現代だけのものではないと思う。

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