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showa_ai
相手が育つ余白を信じる
最近、自分の仕事を振り返っていて、一つ気づいたことがある。
私はスクールカウンセラーとして、助言をするよりも、質問をすることが多い。
「こうしたらいいですよ」と答えを渡すのではなく、
「あなたはどう感じましたか。」
「そこにはどんな意味がありそうですか。」
そんな問いを通して、相手自身が気づき、自分の言葉で整理していく時間を大切にしている。
なぜ私は、このような関わり方をするのだろう。
考えているうちに、歴史学のゼミを思い出した。
よいゼミでは、先生は簡単に答えを教えない。
「この史料から何が読み取れる?」
「別の解釈はないだろうか。」
問いだけを残し、学生が自分で考える時間を待つ。
その時間は決して効率的ではない。
けれど、自分で考え、自分の言葉でたどり着いた答えは、簡単には失われない。
振り返ってみると、私が学んだのは歴史学の知識だけではなかった。
相手が育つ余白を信じる態度だったのだと思う。
教育も、研究も、臨床も、それぞれ方法は違う。
それでも共通していることがある。
人は、答えを与えられたときよりも、自分で問いを抱え、自分で意味を見つけたときに、本当の意味で成長する。
だから私は今日も、答えを急がない。
相手が自分自身の言葉に出会える、その小さな余白を信じていたい。
