「文化か権威か」の区別がつく韓国人、つかない日本人
앉지 말아야 할 이유는 문화재라서지 조선시대 쓰임때문이 아님 https://t.co/ofDEUTRtVP
— 물푸레 (@azuren) April 30, 2026
日本でもXは論争だらけだが、韓国人も同様だ。興味深い投稿があった。
旧王宮・景福宮の正殿前に設置された品階石をベンチ代わりに座る観光客に対する苦言が大量拡散され、その「苦言に対する苦言」も注目されて論争になっているのだ。
品階石は朝礼や公式行事の際に、役人たちが綺麗に整列するための目印として設置された石だ。写真を撮った投稿主は朝鮮時代の歴史的な構造物であり、みだりに座らないでほしいと呟いていた。一見すると最もそうな主張だ。
だがこれに対する反論は「座ってはいけない理由は文化財だからで、朝鮮時代に使われたからではない。」(自動翻訳)という簡潔な文だった。権威あるものだから大切にしろというのはおかしいという考えの多くの人がそれに同調しているようだった。
最初の発言主も「用途が文化財である理由であり、過去の時代の用途が座ってはいけない理由の主要な理由ではありません。」(自動翻訳)として権威主義を肯定するものではないと釈明しているが、ユーザ間はどっちが正しいどっちが間違いだと大盛り上がりのようだ。
日本よりも文化レベルの高い論争といえないか。
日本人であれば「伝統文化は守ってしかるべき」ありきが横行し、それに対する反論はなく、あっても屁理屈な少数派の言いがかりみたいになり、匿名ネトウヨの大群に潰されて終わるだけである。
しかしこの着眼点は極めて重要だ。周知のように韓国は儒教的なタテ社会が良くも悪くもいまだに色濃い。電車で老人が若者に席を譲られやすかったりする半面、力を持つ側が専制的に振舞い、日本以上にひどいパワハラが横行していたりする。
そのため、封建的な権威主義を上塗りしないように現代的で世界普遍的な「文化に対する評価の軸」で評価を下すことの重要性に着目し、文化的保守層とたたかおうとする人たちがいるわけである。
九州国立博物館は権威主義者に叩かれた
一方、日本では数年前に九州国立博物館が炎上する事案があった。何か悪いことでもしたのかと思いきや、なんてことない。燃やす側が間違っているパターンのダメな炎上そのものだった。
仏像LOVEな学芸員のつぶやき。#九州国立博物館 #きゅーはく #うるわしき祈りの美 pic.twitter.com/voZT9K2VMf
— 九州国立博物館 (@kyuhaku_koho) September 25, 2023
それがこの投稿だ。「仏像LOVEな学芸員」がその魅力を語っているという公的機関らしからぬユニークでゆるい作りで、むしろいい印象すらあるものだ。
これだけ見て何が問題化がさっぱりわからない。しかし批判者はこう言ったのだ。
「仏像に対して敬意がなくてケシカラン」と。
これは典型的な権威主義の発想だ。
国立博物館はおくまでも公共の機関であって、宗教法人の仏教寺院が保有する宝物殿ではない。イスラム原理主義国家のような宗教権威主義の国ではなく、信仰の自由が保障され、いかなる宗教に対しても公平に尊重される国である。キリスト教徒も創価学会員も無宗教も納税者だ。
なので特定の寺院の僧侶が権威としてありがたく扱うのならわかるが、国立博物館の学芸員はニュートラルに評価を下すのが当たり前だ。このショート動画はその立ち位置に沿って作られており、あくまで信仰の対象ではなく「文化財としての仏像」への愛が溢れる素晴らしいものだった。
もしこれが、批判者が望むようなありがたい仏像をひたすらあがめて合掌するような作りだったら、それこそ特定の宗教への肩入れであり一部の難癖よりもよほど大問題なのだ。
九州国立博物館は理不尽な炎上にもめげることはなかった。屈すればヤクザの因縁みたいにきりがなくなる不要な謝罪はせず、この素晴らしい投稿をそのまま公開し続けている。炎上が終わった今、好意的なリプライだけが残っているのが幸いなことだ。
日本人も文化的にニュートラルになるべき

わたしはこの春、景福宮に隣接する国立民俗博物館にいった千葉県にある日本の博物館と比べると規模は小さいが、「韓国人の一生」を紹介した常設展は1日かけてじっくり見ることのできるくらい内容の充実したものだった。
主要な展示には日本語解説もあったが、驚いたのはその書きぶりだった。1つ1つの風俗の説明について、「かつては男性のみが許されたが、もちろん今の韓国では男女平等に機会がある」などと、現代的価値観に沿った配慮のある文章だったからだ。
封建時代に美徳とされた風習などをそのまま肯定的に伝えれば、現代の感覚にはなじまないものも多々ある。このような批評的考察の視点があるだけでも、韓国社会は相当成熟してきているといえるのではないか。良識あるアメリカ人がジョージ・ワシントン初代大統領を尊敬しながらも、彼が600人以上も奴隷を持っていたことをいまの感覚じゃけしからんと思う感覚に似ている。
自分たちの先祖がどのような文化を持っていたかを知ることや、古くからの財産を大切に収集・展示すること、リスペクトの姿勢は大切だが、そこに権威主義への加担があるだけで台無しになる。権威と距離を置きながらフェアな立場文化を尊重するということこそが大事なのだ。
この点では「普通の日本人」の方がよほど後進的なのだ。Xのネトウヨを見ればわかる。
