『自分らしさ』を着るのをやめた
すごく不定期になってしまったこのブログだけれど
時々どうにも吐き出したくなって、というのか
足跡を残したくなってなのか、ふらふらと舞い戻ってくる。
今日もそんな日。
なんてったって、
鮮やかなカラーリングや、柄物、
着こなしの難しい一点物の服なんかを見つけては
衝動的に買い漁っていた私が、
この1か月ほど黒いパンツばかり履いているのだから!
しかもトップスはと言えば、
白のチューブトップや袖無しのロングブラウス
涼しくなってきた今日に至っては、
ボートネックの長袖カットソー!白の!
スティーブ・ジョブズなの?っていうくらい
毎日ほぼ同じようなカラーリング。
でも、
『なんだかものすごく自分になれた!』
っていう気分で私はほくほくしている。
今までだったら黒なんて絶対に選ばなかった。
(いや正直を言うと、今愛してやまない黒パンツは真っ黒というより、質感でグレー見えする黒初心者向けといったパンツであるのだけど)
好きな形の服が何色かあったら、
まず真っ先に黒を外して、残った中でも取り分け鮮やかな色のものを選ぶのが近年の私だった。
黒を着るなんて、真剣におしゃれを考えない人の選択だと本気で思っていたし(めっちゃ失礼)、
無難な服なんて自己表現のうちに入らない!と
口には出さずとも心の中で思っていた。
なのに、
今はほとんどの日を白や黒で過ごしている。
だけど、すごく快適。
ここへ来るまでは紆余曲折あるのだけど、
一つには色や柄への探求にくたびれたということがある。
ファッションに目覚めたのはたしか高校1年生くらいの頃だから、多分もう30年くらい。
今年は何が流行るだとか、これはもう流行りが終わっただの、次から次から生産されて、
それらを着ることで自分らしさを表現してきたつもりでいたけれど、いつもその服を着た自分のことばかり考えて、中身の自分のことはよく考えていなかったように思う。
自分が本当に心地良いのか、
自分が好きと思える自分になれているのか、
そこは意外と盲点で。
憧れているスタイルがありながら、
どこか私がそういう格好をするなんて恥ずかしいとか、誰々の真似ねと思われそうで嫌だな、とか
余計なことばかり考えて『格好つける』ことから逃げていた。
格好つけるって別に悪いことじゃないのに。
そうやって斜に構える自分にハッとさせられたのは
つい最近のこと。
何気なくつけていたYouTubeで、ライフスタイルのVlogが流れてきた。
私よりずっと若い女の子。
おしゃれな部屋に、おしゃれな雑貨、猫。
朝早くに起きてジャーナリングをして、
おしゃれなコーヒーメーカーでこだわりの珈琲を淹れて(ただのマグカップすらおしゃれ!)。
おしゃれな音楽とともに流れる彼女の日常。
私の頭の中には意地悪な私が生まれてきて、
(あざといわ〜、映える暮らしってやつ?)
(私おしゃれでしょ?って言ってるんだよね)
と耳元で騒ぐ。
でもその一方で、
(だけどそれって当たり前じゃない?)
(たぶん彼女、好きなものに囲まれて暮らしてることになんの疑問も抱いてないだろうし、自分自身『めっちゃおしゃれだ!最高だ!』と思ってなきゃVlogなんて撮らないよね…)と至極当たり前の感想も返ってくる。
そうなんだ。
自分が好きと思えるスタイルを貫けるか、
滅相もない!と逃げるか、
所詮どちらかしか無いのだ。
その点で言うと、私は派手だったり
個性的な服で自己表現しているつもりで、
本当は自分から逃げていたのかもしれない。
何もない自分から。
秋がやってきて、もうすぐ私は46になる。
30代よりも確実に皮膚は弛んで
細かい皺も気になるようになったけれど、
白のトップスに黒のボトムスというシンプルな装いに、意外にも年齢を重ねた自分の顔はよく合っている気がする。
寧ろ、自分自身が私を表現しているから、
服はシンプルで清潔感があるものならそれでいいという気がしている。
「好きな人が成分に好意的でないから」という理由で選ばなかった香水も、今は大好きな香りを見つけて纏うのが心地良い。
恥ずかしくてトライ出来なかった赤いリップも、
シンプルな格好によく合っている。
そうかぁ
私が私に『好きな自分』を
許してあげれば良かったんだね。
