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026 孤独死を片付けてきた私が、殴られた十歳を思う

この事件は巷を騒がす凶悪な殺人事件でもなければ闇バイト案件でもありません。

極々小さな事件でテレビニュースにも殆ど扱われませんでした。

然し、当人たちとその関係者にとっては小さな事件ではなかったのです。

神奈川県大和市の公園で、八十六歳の男が逮捕された

報道によれば、六月二十二日の午後五時ごろ、十歳の女の子の上半身を触ったとされる。

その四十分後、同じ公園で、それをとがめた十歳の男の子の顔を殴ったとされる。

不同意わいせつと暴行の疑い。男は容疑を否認している。

ネット界隈にこの男の姿が晒されている。私はそれを見に行かない。

顔を見てから書く文章は、もう別のものになるからだ。

然し私が書きたいのは、この男のことではない。

「八十六歳」という数字が報じられた瞬間に、社会の側で起きることについてである。

その数字が出ると、空気が動く。

もう先は長くない。認知機能はどうなのか。

実刑は酷ではないか。家族はいるのか。——

まだ何ひとつ認定されていない段階で、何故か減刑の空気だけが先に立ち上がる。

私はこの反射が嫌いだ。

年齢は、被害の大きさを変えない。

十歳の女の子が触られた事実も、十歳の男の子が顔を殴られた事実も、加害者が八十六歳であることによって、一ミリも軽くならない。

法の運用として高齢が考慮される場面はある。

それは司法が判断することだ。だが、司法が判断する前に、世間が先に情状を用意してやる必要はない。


私は特殊清掃と遺品整理の仕事をしてきた

誰にも看取られずに死んだ高齢者の部屋を、何十件も片付けてきた人間である。

ある初夏の午前、特殊清掃と遺品整理の見積もり現場に訪問した時の話である。

平屋の小さな借家。家の鍵は既に依頼主より預かっていた。

施錠された鍵をあけ、黒いサッシの戸を引くが重たい。

何かを引き摺り乍ら引くと、中の様子がわかった。

サッシに寄りかかる家主さんらしき人の身体。

上から垂れ下がる紐。屋内に続くゴミの山。嗅いだ記憶のある独特な異臭…此処から先は私には書けない。

だから、高齢者の孤独を軽く見るつもりはない。

八十六歳という年齢が背負っているものを、私はたぶん平均的な読者より知っている。

その上で書く。

孤独は、理由にならない。事情は、免罪符ではない。

私が見てきた部屋の主たちは、誰ひとり、公園で子どもに手を出さずに死んでいった。

もう一つ。

十歳の男の子は、現場を見ていない。

事情を聞かされて、四十分後に、八十六歳の男の前に立った。

そして殴られた。

怪我はなかったと報じられている。

だが、怪我がなければ何もなかったことになるわけではない。

十歳が、大人の前に立って、殴られた。

この事実の重さを、私は軽く扱いたくない。

最後に、記録に残っている事実を一つ置く。

事件のあった日、通報は入っていた。

男の子の友人の母親が110番したと報じられている。

逮捕は、八月十九日だった。

きっかけは、被害に遭った女の子が同じ公園で男を見つけ、自分で110番したことだという。

その間、約二カ月。

何があったのかは報じられていない。

捜査が滞っていたのか、当日の通報では被害の全体が伝わらなかったのか、私には分からない。分からないことを、分かったように書く気はない。

ただ、二カ月のあいだも、公園は開いていた。

そして、女の子はそこへ戻り、男の顔を、覚えていた。

男は否認している。

裁かれるのはこれからだ。

私はこの男が何をしたのかを断定しない。

断定しないまま、それでも言えることがある。

八十六歳という数字は、情状ではない。

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ここまで読んでくださって、有難う御座います。

この記事に、答えは書きませんでした。

書けなかったからです。二カ月のあいだに何があったのか、私は知りません。

裁かれるのはこれからで、私は裁く側の人間ではありません。

ただ、「八十六歳」という数字を見た時に自分の中で何が動いたか。

それだけは、書き残しておきたいと思いました。

あなたはどう読まれたでしょうか。

私と違う考えで構いません。

むしろ、違う方の言葉を聞きたいと思っています。

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          街の本音チャンネル

         了








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