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世界が尊く見える言葉

こんにちは、キャンディです。

私は今、60代の夫と二人で暮らしています。

毎朝、会社へ出勤する夫を玄関で見送るのですが、
こちらが忙しかったり、少しイライラしていたりすると、

「はいはい、いってらっしゃい」

と、心ここにあらずで送り出してしまう日もあります。

見送りさえ、ちょっと億劫に感じる朝もある。


でも、今日

車でスーパーに向かいながら聞いていたラジオで
ある話を聞いてハッとしたのです。

それはあるガンと闘病している患者さんのメッセージでした。


発病して余命が分かった途端、
目の前に咲いている桜がまったくちがう花に見えたのだと。


私は今はそんな大きな病気と闘っていません。
でも、もしそんな状況になったら、
今朝送り出した時の
夫の顔が全く違う表情に見えたのではないか・・・



私たちはついつい忙しい毎日を送っていると、
こんな生活が永遠に続くかのような錯覚を起こしています。

でもこの見えている世界が一変することが
いつか突然現われるかもしれない・・・

帰宅し、夕飯の支度をしていたら、
予定通りの時刻にバタン、
夫が帰ってきた音が聞こえました。


「ふう、ただいまー」

そう言いながら、なんでもない顔をして帰ってきた夫の姿が
一気に尊くみえました。

そんな自分にもびっくりしました(笑)

「おかえり」

その4文字もいつもより声が温かくなりました。



人生の後半を歩いていると、こんなふうに「最後」を意識する瞬間が増えてきた気がします。

家族で出かけた旅先で、

「みんなでここへ来るのは、これが最後かもしれない」

と思ったり。

久しぶりに会った友人と別れる時、

「今度はいつ会えるのだろう」

と、胸の奥が少しだけ寂しくなったり。


「最後かもしれない」という言葉は、ちょっと怖い。

でも、

見かたを変えたら、
これは私たちを悲しませるためだけの言葉ではないのかもしれない、
と思いました。

それは

世界が一気に尊くやさしくみえる
レンズ。

いつもの料理も、
これが最後に作る一皿だと思えば、
盛り付けまで少し丁寧になる。

部屋を掃除する手も、
この家で過ごせる時間を慈しむように動く。

自分の体に触れる時も、
「今日までよく働いてくれたね」
と、少し優しく扱いたくなる。

そして

毎日書いている、このnoteも。

「もし、これが最後の記事なら」と思うと、
言葉の選び方が変わります。

ペンを持つ手に、少し力が入る。

読んでくださる方の顔を思い浮かべながら、
なるべく丁寧に言葉を紡ぎたくなりました。

心を入れ替えよう。

毎日を大切にしよう。

そんな大きな決意は、なかなか続きません。

でも心の中に、

「もし、これが最後なら」

と書いた付箋を、ペタッと貼っておいて。

そして時々、その付箋を引き出しの一番手前から取り出してみる。

それだけで、見慣れた夫の
「行ってきます」も、

今日一番の大切な景色に変わる。

そうひそかに心を入れ直した私です(笑)

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