東京ロマンチカの夜(三人寄り)
※本作はフィクションですが、記憶はだいたい実在します。
タブレット純は、例によって少し早く来ていた。
ネオンはまだ遠慮がちで、グラスの氷だけが先に喋っている。
向かいに、どっしりとマツコ・デラックス。
言葉の置きどころを知っている人の沈黙。
「売れたいんですけど…あんまり目立ちたくないんですよね」
純さんが言うと、マツコは目だけで笑う。
「矛盾ってね、ちゃんと着ればドレスよ」
そのとき、店の扉が勢いよく開く。
風と一緒に声が入ってくる。

「おい!ここか、色男!」
現れたのは、声だけで場の照明を一段上げる男、毒蝮三太夫。
椅子を引く音まで元気で、座る前からもう座っているような存在感。
「人見知りなんです。でも人は好きなんです」
純さんがそっと言うと、マムシさんは手を叩いて笑う。
「上等だ!人が好きなら十分だ、あとは俺がうるさくしてやる!」
場の温度が上がる。
氷は溶け、言葉はほどけ、夜は一歩だけ近づく。スピーカーから流れる古い歌に、純さんが耳を寄せる。
「昔の歌は、誰かをちゃんと想ってる気がするんですよ」
「当たり前だ!」とマムシさん。
「想ってねえ歌なんか、客は三秒で見抜く!」
マツコが横から、低く足す。
「いまはね、想いが多すぎて渋滞してるのよ」
三人三様の“正しさ”が、テーブルの上で丸くなる。
ふっと静けさが戻る。
騒ぎのあとにしか来ない、あのやさしい隙間。
「僕、ずっと“仮の人生”みたいな気がしてて」
純さんが言う。
マツコは一拍置いて、「仮でもいいのよ。似合ってるから」と受ける。
マムシさんはすぐに笑って、「仮でも本番だ!客がいりゃ舞台だろ!」と畳みかける。
二つの言葉が、同時に支えになる。
店を出る。夜風が三人の温度を均す。
ネオンはもう、遠慮しない。
「…あんまり幸せすぎると、不安になるんです」

純が言う。
「銀座ロマンスカー、いいじゃねえか」
マムシさんが、誰に確認するでもなく言った。
純さんは一瞬、箸を止める。
「……マムシさん」
「なんだ」
「それ、小田原ロマンスカーです」
間があった。
マツコが目を閉じる。笑いを、一回だけ飲み込むように。
「……銀座に、ロマンスカーは、来ない」
純さんが、やさしく、しかし正確に言う。
マムシさんは動じない。
「来たっていいだろ、来たって」
「来ません」
「夢がねえな!」
マツコがようやく口を開く。
「銀座にロマンスカーが来たら、蒲鉾屋が困るわよ」
三人の笑いが、夜に溶けた。
腹も心も満たして、それぞれの帰り道へ。
誰か一人、ちゃんと想いながら。
