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田舎でも近所の家が変わる


この30年ほどで、近所の家が6軒変わった。
生まれる前から人が住んでいた家もある。

後になって同級生の家だと知った。昔の町村合併前なら隣町と呼ぶような場所だが、今の感覚では同じ生活圏にある。

ある時、その家から人の気配がなくなった。詳しい事情は知らない。夜逃げみたいだったという話だけ聞いた。移った先は、車で18分ほどの距離らしい。

夜逃げというには近い。だが田舎では、18分もあれば十分に消息が薄くなる。

生きているらしい、という程度の情報が、時々どこからか流れてくる。田舎では消息不明と日常の間に、わりと広い領域がある。

別の一軒は、20年住んだ人の家だった。引っ越し初日に洗剤を持って挨拶に来てくれた人だ。
自治会の清掃で同じ班になったこともある。昔はそういう光景が当たり前だった気がする。

他にも気づけば人がいなくなった家が何軒かある。理由はよく分からないまま、時間だけが抜けていった。6軒のうち、最後に挨拶があったのは1軒だけだった。


そして今、その隣の家に買い手がついたらしい。バングラデシュの方だという。ベンガル語の地域だそうだ。


その話は、いとこの中でも特別に縁の深い人物を通ってきた。

父方でも母方でも血がつながっている。朗らかな奥さんも、愛情深い息子も、家族ごと大好きな家だ。

そこへ病院の入院の相談を兼ねて顔を出した。手土産は今年最後のトマトとタケノコの甘煮にした。名残のトマトは、やはり美味しかった。



正直、少し考えた。自治会はどうするのだろう。ゴミ捨て場の清掃は。公民館の清掃は。回覧板は。私の家が一番近いので、説明役が回ってくる可能性もある。日本語は話せるのだろうか。




そんなことを考えていたら、「ベンガル」という言葉が頭に浮かんだ。そういえばベンガルさんという俳優がいた。三白眼で、どこかとぼけた顔をした人だ。バングラデシュからベンガル。そこまではまだいい。だがその先で、「あれ、大竹まことと同じグループだったっけ」などと考え始めるのだから困ったものだ。

調べたら違った。私の記憶のほうが少し怪しい。
もっとも、よく考えれば私はまだ会ってもいない隣人の心配をしている。実際にどんな人なのかは、まだ何も分からない。
ただ確かなのは、近所の風景が少しずつ変わっていることだ。人がいなくなった家。買い手のつかない家。そして新しくやって来る人。
私が見ているのは隣人の変化というより、田舎そのものの時間の流れなのかもしれない。回覧板が一軒ずつ回るより静かに、気づかないうちに。

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