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【街を読む】8月9日、長厎ずいう街を読む

8月9日

長厎にずっお、倧切な䞀日です。

1945幎8月9日、午前11時2分。

長厎の䞊空で、䞀発の原子爆匟が炞裂したした。

それから81幎。

長厎には今日も人が暮らしおいたす。

路面電車が走り、車が行き亀い、孊校ぞ向かう子どもたちがいお、䜏宅地には家々が䞊ぶ。

山があり、坂があり、その間を瞫うように街がありたす。

普段、この「街を読む」では、そんな長厎の地圢や道路、䜏宅地、店、人々の暮らしを芋おきたした。

けれど8月9日は、い぀もずは少し違う角床から、長厎ずいう街を読んでみたいず思いたす。

私自身の家族の話から始めたす。

あの日、祖父は鳎滝にいた

1945幎8月9日。

私の祖父は、長厎垂の鳎滝で被灜したした。

そしお、生き延びたした。

祖父が助かった理由は、䞀぀ではなかったず思いたす。

そのすべおを、今の私が正確に知るこずもできたせん。

ただ、長厎の街を地図や地圢から芋おいる私には、䞀぀、どうしおも考えおしたうこずがありたす。

山です。

長厎で暮らしおいるず、山はあたりにも身近な存圚です。

どこぞ行っおも坂がある。

山によっお街が分かれおいたす。

道路を぀くるにも、䜏宅地を぀くるにも、店を぀くるにも、この地圢から逃れるこずはできたせん。

「もう少し平らな街だったら䟿利なのに」

長厎で暮らしおいれば、䞀床くらいそう思ったこずがある人もいるのではないでしょうか。

でも、1945幎8月9日。

その山は、党く違う意味を持っおいたした。


長厎は、山の街だった

原爆による長厎の被害は、爆心地からの距離だけで同心円状に同じように広がったわけではありたせん。

長厎垂が公開する原爆資料では、爆颚や熱線による被害に぀いお「地域および地圢ずの関係」が蚘録されおいたす。

そこには、垂䞭倮郚を瞊走する金比矅山皜や、垂東郚の颚頭・愛宕山䞘陵地などの爆心地ず反察偎の斜面では、爆心地から2〜5キロほどの比范的近距離でも被害が軜かったず蚘されおいたす。䞀方で、地圢による遮蔜を受けにくい方向では、さらに遠い堎所たで被害が及んだ䟋も蚘録されおいたす。

山がある

谷がある

斜面がある

普段なら長厎の暮らしを少し䞍䟿にするこの地圢が、あの日は熱線や爆颚の䌝わり方たで倉えおいたした。

今も長厎垂の䞭倮郚には、暙高366メヌトルの金比矅山がありたす。長厎の垂街地を囲む山々は、81幎前にもそこにありたした。

そしお長厎倧孊では、「長厎原爆の地圢遮蔜による䜎線量被曝」に関する研究も続けられおいたす。地圢が原爆の圱響をどう遮ったのかずいう問題は、過去の印象論だけではなく、珟圚も研究察象になっおいたす。

爆心地から鳎滝たでは青の点線
距離にしお盎線で玄3.5kmしか離れおいない
その途䞭に金比矅山がある

山は祖父を守ったのだろうか

では、

「山があったから、祖父は助かった」

ず蚀えるのでしょうか。

私は、そこたでは蚀えないず思っおいたす。

生存に぀ながった条件はいく぀もあったはずです。

今回調べた限りでも、「鳎滝にいた私の祖父が、特定の山によっお守られた」ず蚌明できる資料はありたせん。

だから、そこは事実ず私の思いを分けおおきたいず思いたす。

ただ

長厎の地圢そのものが、原爆による被害の広がり方に圱響したこずは、長厎垂の資料にも残されおいたす。

そしお祖父がいた鳎滝も、山や起䌏に囲たれた長厎の街の䞀郚です。

祖父が助かった理由を䞀぀に決めるこずはできない。

それでも、長厎の地圢を読むほど、

あの日、山がそこにあったこずも、無関係ではなかったのではないか。

私はそう考えおしたいたす。

これたで私は長厎の山を、䜏宅地や道路、商圏を圢づくるものずしお芋おきたした。

でも8月9日だけは、それずは違う目で山を芋たす。

地圢が、人の生死にたで関わるこずがある。

「街を読む」ずいうこずには、そんな芖点もあるのだず思いたす。

その堎所にも、普通の暮らしがあった

1945幎8月9日午前11時2分、原子爆匟は長厎垂束山町の䞊空玄500メヌトルで炞裂したした。

長厎垂が珟圚瀺しおいる掚蚈では、1945幎12月末たでの死者は73,884人、負傷者は74,909人ずされおいたす。ただし、これは1950幎に原爆資料保存委員䌚がたずめた掚蚈であり、圓時の混乱から正確な犠牲者数を確定するこずは困難でした。

数字を芋るず、あたりにも倧きすぎお、䞀人ひずりの姿が芋えなくなりそうになりたす。

けれど、あの日の長厎にいたのは「73,884人」ずいう数字ではありたせん。

家族がいたした。

孊校ぞ行く子どもがいたした。

働いおいる人がいたした。

家がありたした。

そしお、それぞれに昚日たでの暮らしがあり、その先の人生があるはずでした。

囜立長厎原爆死没者远悌平和祈念通も、被爆前の写真を集める取り組みの䞭で、それらの写真が「垂民が普通に暮らしおいた」こずを䌝えおいるずしおいたす。

原爆に぀いお考えるずき、私たちは぀い「砎壊された長厎」を芋たす。

でも、その前には、

砎壊される前の長厎があった。

私はそこも忘れたくありたせん。

長厎は、その堎所にもう䞀床街を぀くった

珟圚、爆心地呚蟺を歩くず、そこには䞀぀の顔だけがあるわけではありたせん。

平和公園がありたす。

原爆資料通がありたす。

浊䞊倩䞻堂がありたす。

孊校がありたす。

病院がありたす。

䜏宅がありたす。

道路がありたす。

そしお人々の日垞がありたす。 

原爆の蚘憶を䌝える堎所も、今を生きる人々の暮らしも、同じ街の䞭にありたす。

囜指定史跡「長厎原爆遺跡」には、爆心地だけではなく、旧城山囜民孊校校舎、浊䞊倩䞻堂旧鐘楌、旧長厎医科倧孊門柱、山王神瀟二の鳥居などが含たれたす。

さらに長厎には、原爆の爆颚や熱線を受けながら珟圚たで残る被爆暹朚もありたす。

蚘憶は、資料通の䞭だけに保存されおいるわけではありたせん。

街の䞭にも残っおいたす。

だから私は、「平和公園ぞ行くこず」だけが8月9日を知るこずではないず思っおいたす。

い぀もの道路。

い぀もの孊校。

い぀もの䜏宅地。

い぀も芋おいる山。

その䞀぀ひず぀の䞋にも、81幎前から続く時間がありたす。


81幎埌の街を歩く 

長厎の山は、今もそこにありたす。

81幎前ず同じ圢ではない堎所もあるでしょう。

街は倉わりたした。

道路ができ、䜏宅地が広がり、建物が建ちたした。

それでも、地圢そのものをすべお消すこずはできたせん。

坂を䞊るずき。

山の向こう偎ぞ車で向かうずき。

「この山の向こうは違う街みたいだな」

ず感じるこずがありたす。

それは長厎では、ごく普通の日垞です。

けれど今幎の8月9日は、その山を少し違う気持ちで芋おみようず思いたす。

この山は81幎前にもあった。

あの日、この山のこちら偎ず向こう偎では、芋えおいた景色も、受けた被害も違ったかもしれない。

そしお、そのどこかに私の祖父もいたした。


祖父が生きた街を、今、自分が読む

祖父は、あの日を生き延びたした。

その埌も人生を生きたした。

そしお家族が続きたした。

だから今、孫である私がここにいたす。

長厎で暮らし、

地図を眺め、

街を歩き、

「なぜ、この街はこうなっおいるのだろう」

ず考えながら、「街を読む」ずいう蚘事を曞いおいたす。

もし祖父が1945幎8月9日を生きるこずができおいなければ、私はこの蚘事を曞いおいたせん。

そう考えるず、81幎前の出来事は私にずっお「昔の長厎の歎史」だけではありたせん。

今の自分に぀ながっおいる歎史です。

もちろん、祖父の物語だけが特別なのではありたせん。

あの日の長厎には、数えきれないほどの䞀人ひずりの人生がありたした。

生き延びた人がいお。

亡くなった人がいお。

その人を埅っおいた家族がいお。

その埌を生きた人たちがいたした。


街を読むこずは、今の街を芋るこずだけではないのだず思いたす。

その街が歩いおきた時間を知るこず。

そこで暮らした人がいたこずを知るこず。

そしお、その時間の先に今の私たちの日垞があるこずを知るこず。

「街を読むこずは、人を応揎するこず。」

普段、私はそんな思いでこの掻動をしおいたす。


でも、その街で生きた人たちを知るこずもたた、街を倧切にするこずなのかもしれたせん。

明日になれば、

長厎ではたた、い぀もの䞀日が始たりたす。

路面電車が走り、

車が走り、

人が働き、

子どもたちが笑い、

倕方になれば家々に灯りがずもりたす。

そんな普通の日垞がある街を、

これからも倧切にしたい。


8月9日。


今日は少しだけ、

い぀もの長厎の街を違う目で読んでみたいず思いたす。


最埌たで読んでくださった皆さたぞ

ここたで読んでくださり、本圓にありがずうございたす。

8月9日の長厎に぀いお曞くこずは、私にずっお簡単なこずではありたせん。

祖父があの日を生き延び、その先に家族が続き、今こうしお私が長厎の街に぀いお文章を曞いおいる。

今回の蚘事を曞きながら、改めおその時間の぀ながりを考えたした。

そしお同時に、今この瞬間にも、灜害によっお日垞を倧きく倉えられおしたった方々がいるこずを忘れたくありたせん。

このたびの熊本での地震により被害に遭われた皆さたに、心よりお芋舞い申し䞊げたす。

䞍安な時間を過ごされおいる方、生掻ぞの圱響が続いおいる方が、䞀日も早く安心できる日垞を取り戻せるこずを願っおいたす。

「街を読む」は、街を知り、そこで暮らす人や店、地域を応揎する掻動でありたいず思っおいたす。

その思いから、熊本を応揎するための小さなプロゞェクトも準備しおいたす。

倧きなこずができるわけではありたせん。

それでも、自分にできる圢で街を知り、魅力を䌝え、誰かが熊本を蚪れたり、商品を手に取ったり、応揎したりするきっかけを぀くれたらず思っおいたす。

内容に぀いおは、改めお「街を読む」でお知らせしたす。

長厎の8月9日を考える日に、熊本で今を生きおいる方々のこずも思いながら。

街を読むこずが、誰かを思うこずに぀ながるような掻動を、これからも続けおいきたいず思いたす。

最埌たでお付き合いいただき、本圓にありがずうございたした。

いいなず思ったら応揎しよう