キャバクラ実録『遊真 ― 夜の町田に溺れた男 ―』 第11夜「営業だろ?」
第11夜「営業だろ?」
カヨと過ごす、ラシェルでの最後の夜。
「覚えてる?一番最初に会った時。カヨはちゃんと覚えてるよ」
「俺だって、覚えてるよ」
「カヨの第一印象は?」
「一言で言うと……」
一つひとつ、思い出を振り返っていた。
初めて席に着いた時、大学で流れる曲を口ずさんだ瞬間の、あの驚いた顔。
「うちら、天才じゃねー?」と、秘密の作戦を考えて笑い合った夜。
ラーメン屋の店長と話す、いつもと違ったカヨの姿。
ここでは書いていないこともたくさんあった。
夜中にLINEで大喧嘩。それも何度も。
カヨが大学から帰るバスに一緒に乗り、そっと手をつないだこと。
休日の早朝、カヨの車でドライブ。
そして、カヨの夢。
いろんなことを、この店で語り合った。
2セットを終え、いよいよラシェルを出る時がきた。
俺とカヨ、お別れじゃない。
でも、ここは思い出の店。
やっぱり感傷的な気分に浸っていた。
入口にある看板を前にカヨの写真を撮った。
ベストショットが撮れるまで、何枚も何枚も。
そばにいたボーイに、一つお願いをした。
「コースター、もらえますか?」
「まったくもう! 店長に聞いてきますよ」
しばらくして、ボーイはコースターを手に現れた。いつも席に置いてあった、金属製のしっかりとした、店名入りのコースターだ。
「高いんですよ、これ! 遊真さんぐらいですよ、シャンパンも抜かないのに、うちの店にこんなに溶け込んだのは!」
最後の最後で聞いた、強烈な皮肉に俺たち3人は爆笑した。
店長も、ボーイも、ヘルプのキャストたちも本当によくしてくれた。
すべて、カヨのお陰だった。
「カヨ、次はアリアだな。しっかりな」
「おうっ!」
ガッツポーズをとるカヨ。
ラシェルでの最後のハグを終え、店を後にした。
そして迎えたカヨのアリア初日。
最初のセットは、かなでだった。
カヨは店に馴染めるのか……かなでとはうまくやっていけるのか……気が気でなかった。
二人は店内で手を振り合い、営業中も自然に会話を交わす。かなではカヨを気にかけ、カヨも笑顔で応えていた。席の前を通るたびに、かなでもカヨも「遊真さん!」と笑顔で声をかけてくれる。席はいつも明るい空気に包まれていた。
カヨが1セット目についた日は、2セット目のかなでが「カヨちゃんとはどんな話したの?」と聞いてくる。
逆に、かなでが1セット目についた日は、2セット目のカヨが「かなでちゃんとはどんな話題で盛り上がったの?」と尋ねてくる。
「かなでちゃん、楽しそうだったね」
「今日のカヨちゃんどうだった?」
「かなでちゃん、私のこと何か言ってた?」
「私の接客って、カヨちゃんと比べてどう?」
答え方には、少し気を遣うようになっていった。
いつの間にか、俺の席の前を通るたび、声をかけてくれるのはカヨだけになっていた。
かなでと話していると、少し離れた場所からカヨの視線を感じることがあった。
カヨが近くを通ると、かなではふっと会話を切り上げる。
小さな違和感が積み重なっていった。
相変わらず、セットごとにキャスト交代。
かなでとカヨ、どちらともゆっくり話すことができなかった。
かなでに、俺なりの名案を話してみた。
「いっそのこと、オーバーキャストにしようか」
二人一緒に席についてもらえば、交代の手間もない。何気ない提案だった。
「絶対イヤ!」
「え、なんで……?」
あまりに強い拒絶に、一瞬言葉を失った。
それ以来、かなでは、カヨのことを口にするたび、棘のある言葉を交えるようになった。
かなでが着いていた時だった。
「あ、カヨちゃん、いまから新規のお客さんに着くみたい」
見ると、控室の前にカヨがいた。
深呼吸のように大きく息を吸った後、客席に向かった。
はにかんだような笑顔、恐る恐る、席に向かう様子を見て、俺は何気なく言った。
「カヨが新規に着く時って、あんな感じなんだね。俺の時も、そうだったのかな」
「ねえ、いつの話してるの? もうけっこう前のことでしょ?」
この、強い口調の一言で空気が変わった。
「カヨちゃんってデカいよね、横幅。あのドレス、店のなんだけどさ、もうパンパンだね。破れちゃうんじゃないのー?」
「やめろ! かなで、今日はどうしたんだ!」
「え、いつも通りのかなでですけど」
小馬鹿にするような口調で、かなでは続けた。
「ねー、遊真さん、なんでそんなにカヨちゃんのことかばうの?」
「遊真さん、まさか、本気でカヨちゃんのこと好きなの? えっ、本気? アハハハハ!」
「いい加減にしろ!」
「じゃあ、なんでそんなにカヨちゃん、カヨちゃんなの?」
「私だって遊真さんのこと大好きだよ。遊真さんが来る日は、すごく楽しみだし、ずっとお話ししていたいし。でも、カヨちゃんが来てからは、カヨちゃんばっかり気にしてるし……」
「かなで、もういい」
「え?」
「心にもないことまで言わせて、ごめんな」
「……なにそれ」
「その大好きだって営業だろ? かなで一人を指名するようになれば、その分カヨに使ってた金も自分に回る。そう思ったから、カヨに負けたくなかったんだろ?」
かなでは、しばらく黙ったまま俺を見つめ、小さくつぶやいた。
「そう思うんだったら、それでいいよ」
かなでは自嘲するように笑った。
「そうです、その通りです! 私はキャバ嬢なんだから、仕事なんだから。私、間違ってますかねぇ?」
「……そうか」
それ以上、俺は何も言えなかった。
セットの残り時間は10分もなかった。ひたすら無言の時間が続いた。
それから、しばらくアリアに通ったが、気まずさのせいもあり、かなでが休みの日を選んで行くようになった。
そんな日々は、カヨの退店で終わりを告げた。
かなでとのことは一切、関係なく、カヨはカヨなりに店に対して不満があったらしい。
俺はもう、アリアに行くことはなくなった。
カヨの新しい店は、箱は小さいがけっこう派手な印象を受けた。
エントランスが、あのエメラルドに似たガラス張り。
エメラルドの縮小版といった感じの店だった。
ある日のこと。
席に着いた瞬間、カヨは意味ありげに微笑んだ。その視線の先には……かなで!
向こうはすでに、俺に気づいていた。
お互いに気まずそうな顔をしたが、軽く会釈をしてその場をしのいだ。
「びっくりした? かなでちゃん、ちょっと前にアリアを辞めたんだよ。それを聞いて声をかけたんだ。うちら、仲良しだからね」
カヨは、あの日の衝突を知らない。
ただ、純粋に再会を喜んでほしかったのだろう。
かなでが席のそばを通る時、カヨは呼び止めた。二言、三言、二人が言葉を交わしたあと、かなでに声をかけてみた。
「元気そうだね」
「遊真さんも」
席に戻るかなでの姿を見て、なんだか複雑な気持ちだった。
大きな疑問を抱いたことがあったのだ。
かなでの飲み方だ。
離れた席からでもわかるぐらい、浴びるように酒をあおり、客の歌うカラオケに大声で合いの手を入れたり、まるでアリア時代とは人が変わったみたいだった。
「おい、かなでって、あんな感じだった?」
「いつもと違うよ。席のせいかな……」
カヨの表情からも戸惑いがうかがえた。
かなでの席の客が帰り、しばらくするとトイレ付近が騒がしくなっていた。
キャストが酔い潰れたらしい。
「かなでちゃん」という声が微かに聞こえた。
俺は、トイレ行くフリをして席を離れた。
女子トイレのドアは開いていて、ボーイとキャストが心配そうに中を覗き込んでいた。
奥では、かなでが身を折るようにうずくまっていた。
ボーイたちをかき分け、荒い息を繰り返していたかなでに近寄った。
「かなで、俺だ、わかるか? 俺だ、遊真だ、わかるか?」
俺はかなでの背中をさすりながら呼びかけた。
「かなで、俺だ、わかるか?」
小刻みに肩を震わせながら、ゆっくりと顔だけを俺に向けた。
目は赤く腫れ、涙はまだ頬を伝い続けていた。
かなでは、歯を食いしばるように口を真一文字にしながら、俺のスーツの袖をつかみ、二度、三度、強く引っ張った。
それが何を意味しているのか、俺にはわからなかった。
「かなで、ごめんな……悪かった。ごめん、本当にごめん……」
心の底から、そんな言葉が沸いて出てきた。
なぜだろう、自分でもわからなかった。
席に戻っても、かなでの姿が頭に焼き付いて離れなかった。
もしも……もしもだ。
あの日、かなでが俺に言ってくれた言葉。
俺が打ち消した、あの言葉。
それが、かなでの本心だったとしたら、俺は一人のキャスト、いや、一人の人間の心をズタズタに傷つけてしまったのかも知れない。
帰り道、もしあの言葉が本心だったのなら……そればかりを考えながら、夜の雑踏を歩き続けた。
気がつけば、キャストの笑顔も、言葉も、
"夜の世界ではよくあること"という一言で片づけるようになっていた。
キャストという顔の向こうにいる、その人自身を見なければならない。
そんな当たり前のことを、俺は忘れていた。
目の前の言葉を、少しは信じてみよう、そう思ったんだ。
あの女が現れるまではね……。
※本編は事実に基づいた内容ですが、プライバシー保護のため、人物名および店名はすべて仮名としています。
