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お互いについて、自分について知る機会。

2025年、夏の終わりのある日、彼と2人でカラオケに行きました。
少し歌ってから、どういう訳か深夜の話し合いが始まりました。話し合いは4時間以上に及びました。

うつ状態になると何も出来ず、家もぐちゃぐちゃなまま、彼が帰ってくると散歩に行きたい、などと言う私が分からなかったようで、彼は少しわだかまりを感じていたようです。
双極症の私は躁状態とうつ状態で人格が変わってしまうほど感情の波が激しいということ、
うつの時はどうしても体は重く動かず、不安感も強くそれでも少しでも誰かと一緒に外に出て沈み続ける感情に抗いたいという気持ちで言っていたんだと、その時の言動を振り返りながら丁寧に伝えていきました。

彼はなるほど!と納得したようで、「そうしたらそういう時は家に帰ってきて家事とかより、まなちゃんのそばにおるやん」と言ってくれました。
彼も、こういうところですれ違ったことは初めてだったようで、勘違いしてごめんね、と謝ってくれました。

具合が悪い時には言語化が難しく頭も働いていないので、振り返って、落ち着いた時に話し合うというのはとても大事なことだと思いました。
彼と一緒に過ごす中で、自分の気持ちや状態を言語化して伝えるという作業が増え、客観的にも自分を見れるようになっていきました。

そして7月の終わり、友達のふなちゃん(元児童養護施設職員インフルエンサー)の紹介で日刊SPA!の取材をお受けすることになり、初めてメディアで自分の宗教2世の話をすることになりました。記事はYahoo ニュースにものり、宗教2世当事者にも一般の方にも広く届くことになりました。

そこで、宗教2世としての苦しみと共に、当時の親子関係から、宗教が違っても母娘の愛は途絶えず、いまも連絡が少しづつ続いているという話もしました。
自分の育ちについて徐々にXなどでも発信し始めると、同じ宗教の2世の人と繋がり、自分が傷ついてきたことを少しづつ理解し始めました。

“この苦しみは私だけのものじゃなかった”
“この苦しみは私の罪のせいじゃなかったんだ”

そう思えた時に、心底救われた気持ちになりました。それと同時に、自分の傷の深さと母への捨てきれぬ思い、怒りと悔しさと期待が入り交じった複雑な思いが膨れ上がっていきました。

9月に入る頃、街録チャンネルという大きなYouTubeチャンネルで取材を受けさせて貰うことになりました。それと同時に、宗教虐待を描いた映画「ゆるし」の上映会が9月にあるということで招待され、東京に向かうことになりました。

2ヶ月ほど前も実家に帰ったこともあり、関東に行くなら泊めてもらおうか、と母に軽い気持ちでLINEを送りました。携帯も母の名義だったので変更手続きに一緒に行きたい、と。

そこで、また2度目の忌避に遭うことも知らずに…

日刊SPA!のインタビューをきっかけに
メディアへの出演や
自分の育ちを発信する場面が増えた

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