類友|甘い会社には、甘い人しか残らない
類は友を呼ぶ
強い人から、静かにいなくなる。
辞表を出すわけでもない。
会議で強く反論するわけでもない。
誰かを責めるわけでもない。
ある日ふと、前に出ていた人が黙る。
次に、会議で発言しなくなる。
最後に、その人の席がなくなっている。
基準の低い会社では、こういうことが起きる。
これは人間性の話ではない。
好き嫌いの話でもない。
ビジネスにおける
「類は友を呼ぶ」
は、もっと冷たい構造の話だと思っている。
会社の基準に合う人が残る。
会社が許しているものに、人は適応する。
そして、適応できない人から離れていく。
ある会社の会議を、何度か見たことがある。
数字は曖昧。
責任者も曖昧。
期限も曖昧。
誰が何を決めたのかも、最後まで曖昧。
それでも会議は終わる。
「一旦、持ち帰ります」
「次回までに整理します」
「確認しておきます」
その言葉で、部屋の空気が少しほぐれる。
前に進んだような気がする。
でも、実際には何も決まっていない。
決まっていないから、動けない。
動いていないから、結果が出ない。
結果が出ないから、また会議をする。
この会議が、毎週繰り返されていた。
問題は、誰も違和感を持たなくなっていたことだった。
最初は、違和感を持つ人がいた。
「これ、結局何を決めたんですか」
「責任者は誰ですか」
「期限はいつですか」
そう聞く人がいた。
でも、その声はいつの間にか出なくなる。
なぜか。
言っても変わらないから。
言うと面倒な人に見えるから。
そして、言わなくても会議は終わるから。
そうやって、基準は静かに下がっていく。
「いい人が採れない」
「任せられる人がいない」
「幹部候補が育たない」
こう言う会社は多い。
でも、本当に見るべき場所は、人材市場ではない。
自社の中で何が許されているか
遅れても許される会社には、遅れる人が残る。
言い訳が通る会社には、言い訳をする人が残る。
決めないことが許される会社には、決めない人が残る。
逆もある。
期限が絶対の会社には、期限を守れる人が残る。
曖昧な報告が差し戻される会社には、準備して来る人が残る。
責任者が最後まで逃げられない会社には、腹をくくれる人が残る。
人が会社を作っているように見えて、実際には会社の基準が人を選別している。
これは取引先にも同じことが起きる。
値決めを甘くする会社には、都合よく使う相手が集まる。
納期を強く言えない会社には、後回しにする相手が集まる。
契約を曖昧にする会社には、曖昧にしたい相手が集まる。
相手が悪いだけではない。
こちらが許してきた。
こちらが線を引かなかった。
こちらが基準を出さなかった。
緩さは、必ず相手に伝わる。
そして、その緩さに反応する相手が残っていく。
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一度下がった基準は空気になる
空気になると、誰も違和感を持たなくなる。
違和感が消えると、その基準が「普通」になる。
普通になると、それより高い基準を持つ人が、異物になる。
そして、異物は出ていく。
これが、ビジネスにおける「類は友を呼ぶ」の正体だと思っている。
似た者同士が仲良くなる話ではない。
同じ基準に耐えられる人間が残り、
同じ緩さに甘えられる人間が集まる。
会社の空気は、偶然できているのではない。
日々、
何を許し、
何を流し、
何を見逃してきたか
の結果だ。
何を見ればいいのか。
経営理念を見る必要はない。
採用ページの言葉を見る必要もない。
きれいに整えられたバリューを見る必要もない。
見るべきは、現場で何が許されているかだ。
期限を守らないことが、流されていないか。
曖昧な報告が、そのまま通っていないか。
決めるべき人が、決めずに会議を終えていないか。
責任者が、最後まで責任を持たずに済んでいないか。
取引先に対して、甘い約束を繰り返していないか。
ここに、会社の本当の基準が出る。
会社を変えたいなら、最初に人を変えようとしてはいけない。
まず、基準を変える。
基準が変われば、残る人が変わる。
残る人が変われば、空気が変わる。
空気が変われば、集まる人が変わる。
類は友を呼ぶ
だから最初に問うべきは、誰と付き合うかではない。
自分たちは今、何を許している会社なのか。
それだけだ。
会社が壊れた後に、どう打ち手を作ったのか。
その話はこちらに書きました。
『死ななかったから、打ち手は作れた』
似たような違和感がある会社は、たぶん人の問題ではなく、基準の問題です。
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次も、現場で起きる経営の詰まりを、構造で書いていきます。
