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くるくる電車旅〈ゆるされしもの〉

薄い雲が空にひろがり、少し肌寒い水曜日、荷之上城址を見に行こうと、電車に乗った。荷之上というのは、弥富市にある地名だ。

『信長公記』首巻にこんな記述がある。

信長は、尾張の国半分は支配することができるはずなのだが、河内一帯は二の江の入道服部友定が奪って信長の手中に属さず、

「現代語訳信長公記」(新人物文庫  )

信長が弟・信行(信勝)との家督争いに勝ったころのことである。
二の江とは荷之上のこと。
信長が拠点としていた津島の目と鼻の先にありながら、意のままにならない領域があったのだ。
服部友定は服部党の党首で、「信長公記」によれば、桶狭間の戦には船千艘を率いて大高まで今川方の加勢に行っている。

荷之上城址は、名鉄尾西線の五ノ三駅から歩いて行ける距離にあるという。弥富から津島方面行きの電車に乗ると、次の駅だ。
わたしは、津島から弥富に向かって行くことにした。
名鉄名古屋駅から弥富行きの電車に乗り、名古屋本線、津島線、尾西線と、ぐるっと廻って五ノ三駅で降りる。
普通電車でガタゴトと。
路線は継ぎ接ぎでも、乗り換えはないから楽チンである。

名鉄名古屋駅では、たくさんの人が降り、降りた人数の半分ぐらいの人が乗る。
いったい、この電車はどこから来たのだろうと、いつも思う。行き先は書いてあっても、どこから来たかは、車両のどこにも書かれていない。車内アナウンスでも教えてくれない。

座席は、ほぼ埋まった。
名古屋市内を走る間は、駅間が短く頻繁に停まる。停まるたびに人が降りる。
津島線に乗り入れると、駅間の距離が長くなり、電車の速度も上がった。
列車の振動に合わせて、ゆらゆら体を揺らせているうちに、津島駅に着いた。
名古屋から数えて13番目の駅だ。
どっと人が降りた。
残ったのは、わたしだけだった。

わたしは、がらんとなった車両の端っこの席で、地図を取り出し、ガサガサ広げた。
荷之上城の城趾には、重要文化財に指定された住宅が建っている。地図に載っているのはその「服部家住宅」だ。わたしは、駅から歩いて行く方向を確かめた。
津島から弥富まで、いまは陸続きだが戦国時代は、大小の河川で分断された輪中地帯だったらしい。

五ノ三駅は、津島から数えて3つ目の駅だった。ホームに下りると、線路が片側にしかない。あらま、どこから単線になったのだろう?
のどかな田園地帯だった。
西には、養老の山々が、雲に霞んで見える。踏切を渡り、山々を背にして歩いた。
畑には、菜の花や大根の花が咲いていた。
家々の庭には、色とりどりの花が咲き競っていた。

 地図で見る限り、道なりにずんずん歩いて行けばいいはずだった。
十分ほど歩いただろうか。
それらしいお屋敷が見えてきた。
白壁と黒い板塀に囲まれている。
塀の上から茅葺きの屋根がのぞいていた。
屋敷の裏には溝があり、澄んだ水が流れていた。
塀沿いに歩いて行くと、説明板があった。

服部家は、家蔵文書によれば、天正四年に現在地に居を構え……

説明板より

天正四年といえば、信長の三度目の長島攻めの二年後だ。
“根切り“とか“殲滅戦“とかいわれた、恐怖の長島攻め。反信長だった服部党も、一向一揆に参加していた。服部水軍といえば、なかなかのものだった。
荷之上城は、そのとき信長軍に焼かれたといわれている。
なぜ彼ら服部党は、苛烈な大虐殺から逃れることができ、信長にゆるされたのだろう?

説明板には、信長の長島攻めのことも、一向一揆のことも、荷之上城のことも書かれていなかった。
書かれていたのは、服部家が現在地に屋敷を構えてから、干拓に尽力したこと、江戸時代には代々大庄屋をつとめたこと、あとは屋敷の構造や間取り、庄屋層の屋敷構えをよく伝えていること……。

干拓に尽力…… 服部党は土木技術者集団だったのだろうか。

だとしたら、服部党の土木技術が、戦後の国造りの役に立つと、信長は思ったのかもしれない。
「なんでもやります。どうぞおゆるしを」
願証寺を裏切り、地面に這いつくばって命乞いする服部党の首領に、信長は、白刃をちらつかせ、冷たく言い放ったのかもしれない。
「あそこもここも埋め立てろ。やらなきゃ、おぬしらを生き埋めにしてやる」、と。

ぴたりと閉められた門には、貼り紙があった。この家は、個人の所有で現在も住んでいること、見学には予約がいることが書かれてあった。

あまりウロウロしていると、防犯カメラにバッチリ映り込みそうなので、早々に重要文化財のお屋敷を離れた。
城の遺構のようなものは、見当たらなかった。城趾を示す碑もなかった。

菜の花の咲く畑をながめながら、ときどき通るクルマに追い越されたり、すれちがったりして、駅に向かって歩いた。

弥富に行く電車は一時間に二本。
津島方面に行く電車も一時間に二本。
先に来た電車に乗ることにした。
弥富行きが先に来たので、それに乗った。
この電車は、弥富から引き返すはずだ。
だって、単線だもの。
わたしは、弥富に着いても電車を降りずにそのまま乗っていた。
待つこと20分。
電車は、豊明行きとなって、来た線路を引き返し始めた。

この電車は、豊明までいくのだ。
豊明は、桶狭間の戦の戦場になったところ。
あのとき、服部党が海路で目指した戦。
彼らに教えてあげたい。
あなたたちが埋め立てた陸地を、電車が走っているよ、と。

重要文化財服部家住宅






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