第4回 上海の密使 ― 原敬の親書と和平交渉
1911年12月。革命軍は南京を攻略し、中国各地で独立宣言が相次いでいた。だが革命の行方は、まだ誰にも分からなかった。革命軍が最終的に中国を統一するのか、それとも清朝軍が巻き返すのか。あるいは列強諸国が介入するのか。
情勢はなお流動的だった。そんな中、本堂平四郎は長江を下り、再び上海へ入る。しかし今回の目的は、革命軍の戦況視察ではない。原敬から託された極秘任務を果たすためだった。
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当時の上海は、中国最大の国際都市だった。黄浦江沿いには外国租界が広がり、イギリス、アメリカ、フランス、日本など各国の利害が複雑に交錯していた。革命派にとっても上海は重要拠点だった。

11月、陳其美が蜂起に成功し、上海は革命軍の支配下へ入っていたのである。平四郎はここで陳其美と再会したとされている。
東京時代から交流があったとされる陳は、いまや上海都督として革命政府の中心人物となっていた。

原敬の親書
平四郎が上海へ来た最大の目的は、革命派外交責任者・伍廷芳との接触だった。
原敬は平四郎に託した親書の中で、革命派と清朝側による和平交渉の実現を望んでいたとされる。革命が長期内戦となれば、列強諸国が介入する危険があった。また、日本人浪人や軍部が革命へ深入りすることも、原は警戒していた。
そのため原は、武力による決着ではなく、政治的妥協による収拾を模索していたのである。その親書を託された相手が伍廷芳だった。

伍廷芳は単なる革命家ではなかった。もともとは清朝外交官として欧米各国を歴任し、駐米公使も務めた国際派である。革命勃発後は革命政府へ加わり、その外交を一手に担っていた。
原敬が伍廷芳を親書の宛先に選んだ背景には、彼が革命派の中でも国際感覚に優れ、列強との外交を熟知した人物だったことがあったのかもしれない。
平四郎が滞在したとされる伍邸には、革命家だけでなく、外交官や新聞記者、外国人関係者なども出入りしていたと考えられる。上海という国際都市の中心で、平四郎は刻々と変化する革命の行方を見守っていたのであろう。
原敬が警戒していたのは、革命が長期内戦となる事で列強諸国が介入してくる事、また日本人浪人や軍部が革命に深入りする事で混乱が拡大する事であった。彼は、武力による決着ではなく、政治的妥協による事態の収拾を模索していたのである。
史料には親書が実際に手渡された場面を示す記録は残されていない。しかし『本堂平四郎伝』などから判断すると、この頃、上海で伍廷芳と会見し、原の意向を伝えた可能性が高い。
では、その親書には何が書かれていたのだろうか。残念ながら、親書の原本は確認できず、その正確な内容は分かっていない。ただ、『本堂平四郎伝』には、「列強の武力干渉を防ぐため、革命派と清朝側の和平交渉を進めてほしい」という趣旨であったと記されている。
もっとも、この内容を裏付ける一次史料は現時点で確認されていない。しかし、原敬が一貫して不干渉政策を掲げていたことや、その後実際に上海で和平交渉が開始された経緯を踏まえると、この記述は当時の原の外交方針ともおおむね符合している。
和平交渉の舞台裏
1911年12月18日。上海で革命軍と清朝側の和平交渉が始まった。
革命軍代表は伍廷芳。相手は袁世凱政権である。一般には、袁世凱が和平を求め、イギリスが仲介した交渉として知られている。
だが、その舞台裏では日本側も独自に動いていた可能性がある。平四郎が運んだ親書も、その一端だったのかもしれない。
その後、交渉は難航した。そこで翌1912年1月からは、伍廷芳自身が袁世凱との直接交渉に乗り出している。

伍廷芳邸の日々
『本堂平四郎伝』によれば、平四郎は上海滞在中、伍廷芳の邸内にあった迎賓館で起居していたという。もし事実ならば興味深い。
日本の一警察官が、革命政府外交責任者の邸宅に滞在していたことになるからである。
そこには各地から革命家や外交関係者が集まり、昼夜を問わず情報が飛び交っていたのだろう。平四郎はその中心で情勢を観察し続けていた。
浪人たちとの対立
しかし上海には、平四郎にとって別の問題もあった。日本から渡ってきた浪人たちである。彼らは革命軍への参加を望み、中国各地の戦場へ向かおうとしていた。
ところが平四郎は、彼らとは逆の立場にいた。『本堂平四郎伝』によれば、平四郎は陳其美に働きかけ、革命軍が発行していた通行証の発給を停止させたという。
さらに上海警察の協力を得て、多くの浪人を日本へ送り返したとされている。革命派と深い人脈を持ちながら、革命へ加わろうとする日本人を帰国させる。一見すると矛盾しているように見える。しかし、そこにこそ平四郎の任務の本質があった。
平四郎の任務は革命支援ではなく、日本政府の不干渉政策を守ることだった。また浪人たちは和平交渉にも反対していた。浪人たちの存在は、原敬が目指した政治的解決を危うくする可能性があったのである。

当時、中国革命を支援しようと上海へ渡った日本人は少なくなかった。彼らの多くは孫文や黄興らを支援してきた「大陸浪人」と呼ばれる人々であり、武力によって革命を成功させることを望んでいた。しかし原敬が目指していたのは、日本人が革命へ深く介入することではなく、中国自身の手で内戦を終結させることだった。
平四郎が浪人たちを帰国させたという逸話が事実であるならば、それは革命派への敵対行為ではなく、日本政府の外交方針を現地で実現しようとした行動だったと見ることができる。
革命は依然として続いていた。しかし上海の裏側では、もう一つの戦いが始まっていた。情報と外交、そして思惑が交錯する見えない戦いである。
革命の勝敗は、戦場だけでは決まらない。外交、情報、そして政治。その舞台裏で静かに動いていた一人が、本堂平四郎だった。しかし、その活動は日本陸軍参謀本部の目にも留まり始めていた。
「原敬の密偵は誰なのか。」
やがて上海では、その正体を探る者たちが動き始める。
平四郎はまだ知らない。次に自分を待っているのが、外交交渉ではなく、命を狙う刺客との戦いであることを――。
