第5回 原敬の密偵を殺せ―上海で始まった日本人同士の暗闘

辛亥革命をめぐり、日本側では三つの異なる勢力が動いていた。
その目的は、それぞれまったく異なっていた。

第一は、内務大臣・原敬と、その意向を受けて中国大陸で活動する本堂平四郎である。
原は、革命が長期化すれば列強諸国の武力介入を招き、日本が国際的に孤立する危険があると考えていた。また、日本陸軍や日本人浪人が革命へ深入りし、日本政府の意思とは無関係に事態を拡大させることも強く警戒していた。
そのため原は、表向きには不干渉政策を維持しながら、独自に中国情勢を把握し、革命派と清朝側の和平による収拾を模索していた。その意向を現地で実行していたのが、本堂平四郎である。

第二は、日本陸軍だった。
陸軍大臣・石本新六や、参謀本部で大きな影響力を持っていた上原勇作らは、辛亥革命後の中国情勢を日本の大陸政策に直結する問題と考えていた。革命軍の実情を把握し、陸軍独自の情報網を築く必要がある。
その任務を担ったのが、中国事情に精通した井戸川辰三中佐だった。
井戸川は、いわゆる大陸浪人ではない。
彼は日本陸軍の現役中佐であり、参謀本部の命令によって活動する情報将校だった。満州では軍服を脱ぎ、馬賊に身をやつして中国人社会へ潜入し、ロシア軍や中国各勢力の動向を探っていた。その姿から「満州馬賊」と呼ばれたが、その実態は陸軍の諜報活動そのものである。

第三は、日本から革命へ参加しようと中国へ渡った大陸浪人たちだった。
彼らは陸軍の指揮下にある軍人ではない。孫文ら革命派との個人的な交流やアジア主義、あるいは清朝打倒への共感など、それぞれの思想や信念によって革命に参加していた。革命軍へ加わる者、武器や資金を提供する者、自らの理想や活躍の場を求める者まで、その立場はさまざまだった。

つまり、中国革命の現場には三つの日本人勢力が存在していたのである。

  • 原敬・本堂平四郎──和平、不干渉、列強介入の阻止

  • 日本陸軍・井戸川辰三──革命軍の情報収集と軍事的判断

  • 大陸浪人──革命への直接参加と支援

同じ日本人でありながら、目指すものはまったく違っていた。
そして、この三つの勢力は革命都市・上海で交錯することになる。

『本堂平四郎伝』をもとに西川東洋が描いたところによれば、陸軍内部には、革命軍への武器供与や派兵を求める意見も存在したという。原敬はこれに反対し、不干渉政策を維持しようとした。
西川東洋は、その背景には、日本の権益を中国大陸へ拡大しようとする陸軍の考え方があったと論じている。
もちろん、1911年当時の陸軍が後の満州事変や日中戦争まで見据えていたと断定することはできない。しかし、その後の歴史を振り返ると、中国大陸への積極的な関与を志向する考え方が、この頃すでに陸軍内部に芽生えていたようにも見える。

1910年代の上海の街並み1(AIでカラー化)
1910年代の上海の街並み2(AIでカラー化)

陸軍が抱いた疑問

きっかけは、東京で生まれた一つの疑問だった。
『本堂平四郎伝』をもとに西川東洋が描いたところによれば、原敬は閣議で革命軍の動向について極めて正確な見通しを示していた。
原は、
「革命軍は北京へ直接進撃するのではなく、南京に臨時政府を樹立するだろう。したがって、日本軍を派遣する必要はない」
と主張していたという。

陸軍大臣・石本新六は、それをいぶかしんだ。
中国情勢の調査は本来、陸軍参謀本部が担っているはずである。にもかかわらず、内務大臣である原の方が、革命軍の動向をはるかに正確に把握しているように見えた。
石本は、このことを上原勇作ら参謀本部へ伝えた。
「原は、なぜそこまで知っているのか。」

陸軍側が導き出した結論は一つだった。
原敬は、自分たちとは別の情報網を中国に持っている。
そこで参謀本部は、若い参謀数人を急遽上海へ送り込み、現地で活動していた井戸川辰三中佐と合流させたという。
彼らの新たな任務は、革命軍の調査だけではなかった。
原敬が中国へ送り込んだ人物──その正体を突き止めることである。
東京で始まった情報戦は、こうして上海へ持ち込まれた。

石本 新六 (いしもと しんろく) 1854-1912 陸軍軍人。陸軍中将正三位勲一等功二級男爵。
井戸川辰三 (いとがわ たつぞう) 1870-1943 陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

三番目の勢力――大陸浪人

その頃、上海には革命へ参加しようと日本から渡ってきた浪人たちも数多く集まっていた。ここで注意したいのは、彼らは井戸川たち陸軍とは別の存在だったということである。
陸軍は国家組織として中国情勢を探り、日本の大陸政策を進めようとしていた。一方、浪人たちは政府や軍の正式な指揮を受けず、それぞれの思想や革命派との人脈によって行動していた。

しかし原敬から見れば、この両者には共通点があった。
どちらも日本人による革命への過度な介入を招きかねない存在だったのである。

『本堂平四郎伝』によれば、平四郎は上海都督・陳其美に働きかけ、日本人浪人への護符(通行証)の発行を停止させたという。
革命軍の拠点へ向かうには護符が必要だった。
護符を失った浪人たちは上海から先へ進めず、市内に足止めされる。
平四郎はその間に上海警察の協力を得て彼らを取り締まり、最終的には日本へ送り返したとされる。

これは革命派を敵視したからではない。
原敬が恐れていたのは、日本人が独断で革命へ介入し、それが日本政府の意思と見なされ、列強諸国の介入を招くことだった。
さらに『本堂平四郎伝』では、浪人たちの多くは武力による革命の継続を望み、清朝との和平交渉に強く反対していたとも記されている。
もしそうであれば、彼らの存在は和平交渉そのものを危うくする。
平四郎による浪人送還は、単なる治安維持ではない。
原敬の不干渉政策と和平構想を、上海の現場で実行する任務だったのである。

しかし、その結果として平四郎は新たな敵を作ることになった。
革命への参加を阻まれた浪人たち。
そして、原敬の秘密の情報網を探る日本陸軍。
平四郎は、性格の異なる二つの勢力を同時に相手にしながら、なお任務を遂行しなければならなかった。

迎賓館に出入りする謎の男

その頃、井戸川辰三は部下に命じ、伍廷芳の迎賓館を監視させていた。
和平交渉の中心人物である伍廷芳のもとには、革命政府の要人、外交官、各国の情報関係者など、さまざまな人物が出入りしていた。
その中に、一人だけ奇妙な男がいた。
中国服を着て革命政府の要人たちと親しく交わりながら、昼間どこで何をしているのか誰にも分からない。
中国人にしか見えない。しかし井戸川には、その男が日本人ではないかと思える違和感があったという。
『本堂平四郎伝』によれば、井戸川は男を密かに尾行した。
男が帰っていった先は、伍廷芳の迎賓館だった。革命政府の中枢に出入りし、和平交渉の責任者のもとへ起居し、正体を隠して活動する日本人。
しかも東京では、原敬だけが革命軍の内部事情を正確に把握している。

井戸川は確信した。
「原敬の密偵だ。」
その男の名は、本堂平四郎。

こうして、原敬の情報網と陸軍の情報網は、ついに上海で正面から交錯することになった。

上海の暗闘

しかし、それは単なる情報戦では終わらなかった。
『本堂平四郎伝』は、ここからさらに衝撃的な展開を伝えている。
陸軍側に与えられた命令は、
「原敬の密使を探し出せ。必要ならば殺害せよ。」
というものだったという。

もっとも、ここで紹介する一連の襲撃事件については、現在確認できる一次史料による裏付けはなく、以下は『本堂平四郎伝』の記述に依拠している。

それでも、同書が描く上海は想像を絶する世界だった。
平四郎は毎晩のように尾行され、二、三人ずつの刺客が路地や物陰で待ち伏せしていたという。
ある夜、二人組の刺客が斬りかかる。
平四郎は軍刀を抜き、一人を斬る。
もう一人は逃げ出す。
しかし物音を聞きつけた五人がさらに現れ、四方から日本刀を振るって襲いかかった。
『本堂平四郎伝』は、平四郎が七人を相手に応戦し、自らも負傷しながら切り抜けたと伝えている。
その傷は、日本刀によるものだったという。
平四郎は、このことから襲撃者は中国人ではなく、日本人ではないかと考えるようになったとされる。
もしこの記述が事実であれば、上海の裏通りでは、日本人同士が命を奪い合う暗闘が繰り広げられていたことになる。

静安寺路の銃撃

さらに『本堂平四郎伝』には、上海・静安寺路で起きた襲撃も記されている。

20世紀前半の上海・静安寺路の写真をカラー化

ある日、中国服姿の男が突然ピストルを発砲した。
平四郎は撃たれたようにその場へ倒れ込む。刺客は死んだものと思い込み、ゆっくりと近づき、日本刀を抜いた。
その瞬間だった。平四郎は立ち上がる。手にしていた仕込み杖が一閃し、刺客はその場に倒れたという。
平四郎は、刺客が抜いた刀が日本刀だったことから、この襲撃も日本陸軍関係者によるものではないかと推測したと『本堂平四郎伝』は伝えている。

浪人たちによる本堂平四郎の襲撃

さらに『本堂平四郎伝』では、浪人たちの反感は、やがて平四郎への襲撃にもつながったと描かれている。

革命軍からは相手にされず、護符が発行されずに上海にとどまるしかなく、帰国もできない浪人たち。彼らの中には、帰国前の平四郎を待ち伏せして命を狙う者も現れたという。西川東洋は、平四郎が中国人の協力を得ながら、浪人たちの追跡をかわし、城外の楼上に身を潜めるなどして危機を切り抜けた逸話を紹介している。

浪人たちは何度も刺客を送り込み、平四郎を襲撃しようとした。しかし平四郎は、中国人の協力や自らの機転によってことごとく難を逃れ、逆に刺客たちを説得して戦意を失わせた話まで伝えられている。

『本堂平四郎伝』では、平四郎が陸軍だけでなく、自らが取り締まった浪人たちからも命を狙われる立場にあったことが描かれている。

上海は革命派と清朝だけが争う都市ではなかった。そこでは、日本人同士も、それぞれ異なる国家観と使命を背負い、見えない戦いを繰り広げていたのである。


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