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静かな夜の片隅シリーズ~月影が奏でるピアノ~

いらっしゃいませ。そしてお帰りなさいませ。

庄内多季物語工房へ、ようこそおいで下さいました。

山形県庄内地方は、澄んだ空気と肥沃な土壌、そして清冽な水に育まれた、新鮮で滋味豊かな野菜や果物の宝庫です。

それに加えて、瑞々しい物語が収穫出来る場所でもあるのです。

さて、今回、物語収穫人である私、佐藤美月が収穫致しました物語は、『静かな夜の片隅』シリーズとして、お届け致します。

シリーズ物とは言え、読み切りタイプになっております。

それではどうぞこちらから、物語の世界へ、お入り下さいませ。↓


☆★☆ 月影が奏でるピアノ ☆★☆


愛犬であるゴールデン・レトリバーのガブリエルは、ソファーに腰掛けた僕の膝の上に寝そべるのが、殊の外好きだった。

年齢的にも十四歳で、犬としては高齢なので、外に散歩に出掛ける以外は、室内で寝そべって過ごすことが、多くなっていた。

僕は、膝に掛かる温かな重みを感じながら、優しい蜂蜜色の艷やかな毛を撫でる。

時には、妻が淹れてくれた香り高いコーヒーを飲みながらや、軽目の読書をしながら。

そんなふうにして、近年では、機敏な動作が衰えてきたガブリエルと共に、まったりとした時間を過ごすことが多くなっていた。

そんなガブリエルが、寝かせていた薄っぺらい耳をぴくぴくと動かし、誰かに呼ばれたようにふっと頭を持ち上げ、徐(おもむろ)に僕の膝の上から離れる夜がある。

それは決まって、天空を巡る月が肥え太り、淡い月灯りが匂い立つように射し込んで来る、静けさが際立つ夜だった。

しめやかな足音を響かせながら、ガブリエルが向かう先は、アップライトピアノが設置されている、狭い防音室だった。

今は弾き手のいない、閑散としたその部屋に腰を落ち着けると、蓋の閉じられたピアノと、背凭れのないガススプリング式の椅子を、桃色の舌を垂らしながら、じっと見詰める。

その習慣は、一人娘である茉耶(まや)が、交通事故で他界してからも、ずっと変わらなかった。

茉耶は生前、小学校入学と同時にピアノを習い始め、十一歳くらいから、ドビュッシーの『月の光』を痛く気に入り、暗譜して、ピアノで良く奏でていた。

その姿を、ガブリエルが背後からじっと見守っていたものだ。

まるで、茉耶の守護天使であるかのように。

そんな一人娘と愛犬の後ろ姿を、扉の隙間から覗き込んでいた僕と妻は、顔を見合わせて、微笑んだものだった。

愛犬が、ガブリエルと名付けた意図を、見事に体現してくれていたからだ。

ガブリエルは、奇しくも茉耶と誕生日が一緒で、彼女が産院から退院してきた日に、我が家に迎え入れた仔犬だった。

僕と妻は同い年だが、三十代後半になってから初めて授かった子供だったので、二人目は望めないかも知れないと思っていた。

そこで、頼もしい兄弟代わりになってくれたらという想いで、ゴールデン・レトリバーの仔犬を、茉耶の誕生とほぼ時を同じくして、迎え入れることにしたのだった。

願わくは、茉耶の守護天使として、彼女を護ってくれるように、ガブリエルと名付けた。

茉耶とガブリエルは、それこそ双子のようにして、一緒に育った。

茉耶が写っている写真やビデオには、必ずと言って良いほど、ガブリエルも一緒に写っていた。

茉耶が熱を出して寝込んでいる時には、ガブリエルが傍に寄り添い、彼女の頬をぺろぺろと舐めた。

その反対に、ガブリエルが熱を出して、ぐったりしている時には、茉耶が傍に寄り添い、背中を擦るように撫でた。

茉耶とガブリエルは、共に泣いて笑いながら、育った同志だった。

茉耶は、私がお嫁に行く時には、絶対にガブリエルも一緒に連れて行くの、と口癖のように言っていた。

しかし、その時は永遠に、巡って来なくなった。

茉耶の時計は、十二年と七カ月で、止まってしまったからだ。

唯一の救いがあるとすれば、ガブリエルを見送る時の深い悲しみを、茉耶が経験せずに済んだことだ。

何にでも、集中的に精魂を傾ける気質だったから、きっと全身全霊で、悲しんだに違いない。

その姿を想像するだけでも、きりきりと胸が痛む。

その代わり、共に育った片割れが、突然いなくなったガブリエルは、その頃から急に動作が衰え始めた。

茉耶が生きていた頃から、既に老犬の域に達していたが、それでも彼女に合わせるようにして、一緒に庭を駆けずり回っていたものだ。

それなのに、同じ犬だとは思えないほど、動作が鈍(のろ)くなってしまった。

茉耶が、風に拐われたように他界してから、二年ほどが経つ。

それでもガブリエルは、月灯りが煌々と射し込む晩には、薄暗い防音室に赴き、月影になった茉耶が奏でる『月の光』に、じっと耳を傾けている。

その時、彼の黒スグリのように艶々とした瞳に映っているのは、生涯、半身のように過ごしていた、茉耶との想い出の場面なのだろう。

そんな静かな夜の片隅に、美しい『月の光』は、慰めるように、そっと寄り添っていた。


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🧡佐藤美月は、小説家・エッセイスト・ライター・コラムニストとして、活動しております。執筆依頼は、こちらから承っております💫↓


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