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短編小説『雨音のチューニング』

「おい司、いるか?」
「あ。叔父さん久しぶり」
 部屋にやってきた叔父から古いラジカセをもらったのは、梅雨に入ったばかりの蒸し暑い夜だった。

「これ、動くやつだぞ。カセットも何本かあるけど、テープはもう擦り切れてるかもな。まあ、ラジオだけでも十分楽しめるさ」
 叔父はそう言って、使用感のある銀色のラジカセを俺の部屋に置いていった。たまにしか顔を見せない眼鏡をかけた白髪交じりの叔父は、僕にとって何かをくれる大人の人、という印象だった。

 小学校の頃、お盆の時に来た時には、「おい司、これ知ってるか?」そう言いながら携帯ゲーム機を置いてってくれたのが、やけに嬉しかったのを覚えている。

 これがラジカセ……持ってみるとずっしりと重い。角は黄ばみ、スピーカー部分の網目には細かい埃が絡まっていた。だいぶ昔のデザインなのだろうが、逆に新しく感じた。

 俺は大学生で、普段はスマホのポッドキャストばかり聞いている。こんな機械、博物館の展示物レベルじゃないか……
 カセットテープも何本かあったが、どれもラベルが剥がれていて、中身は不明だった。試しに一本ガチャリと入れてみると、スピーカー部分からこもった音質で、聞いたこともない洋楽が流れだした。

 磁気テープからリアルタイムで読み込んでるのかこれ? ハードディスクなんてあるんだろうか。中のテープがソフトウェアなのか。触った感じではそれから読み取っての再生しかできないようだった。
 それでもくるくると回り続けるテープが見えるってのがアナログで面白かった。

 ラジオモードに切り替えて電源を入れると、すぐにザー……という白い雑音が部屋を満たした。スピーカーから漏れるのは、まるで砂嵐のような音。こういうBGM……じゃないよな、僕は叔父の言葉を思い出し、チューニングのつまみを回してみる。

 本体の表面には「88」「100」「108」といった数字が薄く刻まれていて、つまみを回すとアナログの針もゆっくりと動いた。……なるほど、つまみと針が連動してるわけね、そんな古い機構に指が震えるほど感動した。

「これ、ほんとにラジオ聞こえるのか……?」
 そう愚痴りながら何度もつまみを往復させていると、ザザッ……ガガッ。突然、音が途切れた瞬間、微かな声が混じった。

あっ——
「……今夜も皆さん、お付き合いありがとうございます……」
 籠っていて、遠い声。女性の話し声だ。少しハスキーで、懐かしい響きがある。俺は息を止めて、つまみを0.1ミリ単位で微調整していった。雑音の壁を掻き分けるように、声が少しずつ鮮明になっていく。見つけて、自分で微調整していくのはゲーム感覚で楽しかった。

「——今日はね、雨の音を聞きながら、昔の話をしましょう。皆さんは、初めて誰かと心が通じた瞬間とか、覚えていますか?」

 知らない女性パーソナリティだった。少なくとも、俺の知るどのポッドキャストのラジオパーソナリティとも違うし、表面に番組名が表示されるところも無いので分からない。

 ただ、聞こえてくる声が優しくて、今日みたいなしとしと降る雨の夜にはぴったりだと思った。彼女はリスナーからの手紙を丁寧に読み上げ、その内容に静かに笑ったり頷いたり、時折、古い歌を口ずさんだりもした。かかる曲は、俺が生まれる前のものでタイトルも知らない。

 でも、『繋がった』ことの感動は大きくて、胸の奥が熱くなった。

 雑音の中で、こんなに生々しい「誰か」の声が届くなんて。デジタルでは絶対に味わえない、微かな息遣いや、磁気テープや電子機器から発生する「サー」というヒスノイズのような背景音が、さらに生々しく話し声に命を吹き込んでいる気がした。

 スマホのクリアな音声もいいが、逆に完璧すぎないさじ加減が良かった。

 このラジカセは、僕にとってまるでタイムマシンみたいだった。レトロな電波を、今この部屋に運んでくるような感覚。そして番組が終わる頃、彼女はこう言った。

「ではまた来週、同じ時間に。お相手は兵藤早苗でした。おやすみなさい」

 そこからCMに変わっても針を固定したまま、俺はしばらく動けなかった。パタパタと雨が窓を叩く音が混じって響いている。僕は部屋の明かりを落として、ただその周波数に耳を澄ませていた。

——あれから三年が過ぎた。

 僕は就職し、アパートで独り暮らしをしている。
「ねえ司くん、そろそろあの時間じゃない?」

 あ……失礼。去年から彼女と二人暮らしだった。僕はそう言われ、壁に掛けられた時計を見ると午後七時五十五分。
「……だね、一緒に聞こうか」「いいね、蒸し暑いから窓開ける」
 僕は窓際に置かれた古いラジカセの電源を入れた。チューニングはあの日のままだった。窓から入る外の雑踏音に混じり、番組が始まった。

『——私、断捨離しています。家にはもう最低限の必需品しか置いてません。終活というやつです。』

「あー就活かー、司くんも大変だったよね」
「大変だったけど、たぶんこれは終わる方の終活だと思う」
「あ、そっちね」

『……を手放して、お気に入りだったラジカセも、だいぶ前に甥っ子にあげましたので聴く機会がなくて……久しぶりの投稿になります——』

 あれ……?この投稿、もしかして……

『……というわけで、思った以上に病気が重くなりまして、通院の日々ですが、兵藤さんから元気になる一言いただければ嬉しいです、では長文失礼しました——こちらはラジオネーム、タカユキさんでした』

「え?ちょっと待って、やっぱり叔父さんじゃん!確か林孝之だよ!……ていうか、去年亡くなってるのにどうして今……」
「ああ、そうだよね。確か去年、司くんお葬式行ってたっけ、喪服買った!って言ってたやつ」
「そう……その時に、だから何で今……」

『……というのはいかがでしょうかタカユキさん。また元気に聞いてくれると嬉しいですね。ありがとうございました。では次のお便りも、去年投稿されたものですが——』

——それは、普段の採用から溢れていた、古いお便りを読むコーナーだった。さっき読まれたのは恐らく叔父が生前に送っていたものだ。それが今日、偶然にも僕の耳に入った。

 僕があれ以降、ずっと聞き続けていなければ、聞くことはなかった話。
 そもそも叔父があの日、このラジカセをくれなければ、聞くことすらなかっただろう。僕は運命というものを信じないタチだが、それを初めて感じ、思わず身震いした。
 いつか、僕にとってまるでタイムマシンみたいだったと思ったあの感覚が、まるで実現したかのような妙な納得感もあった。

「——あ、ちょっと雨降ってきたよ。窓閉めよっか」

 それは、梅雨に入ったばかりの蒸し暑い夜の事だった——


たくさんのスキいただきました、ありがとうございます!


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