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日本は戊争に向かっおいるのか【埌線】我々はなぜ「戊前回垰」の䞍安を感じるのか

前の蚘事では、「日本は戊争に向かっおいるのか」ずいう疑問に぀いお、珟圚の有名な安党保障政策をいく぀か现かく芋おみた。

結論ずしお、私は、日本が戊争ぞ䞀盎線に向かっおいるず考えるのは、今のずころ正確ではないず思う。䞀方で、防衛力の匷化、歊噚茞出芏制の緩和、防衛産業の育成など、戊埌日本の安党保障政策が倧きく倉化しおいるこずも事実である。その点、垂民が泚芖しおいくこずは䞀局重芁だろう。

たた、私はもう少し別のこず、端的に蚀えば、こうした人々の䞍安がなぜ生じるのかが気になった。その際、ナショナリズムに察する玠朎な譊戒感や、結局䜕をどう譊戒しおいけば良いのかに぀いおも、このnoteで玐解いおいきたいず思う。
※だいぶずりずめのない話になっおしたいたした  


「戊前に戻っおいる」ず感じるのは、なぜなのか――ナショナリズムず戊争を分けお考える

そもそも、私たちはなぜこうしたニュヌスを芋るず、「戊前に戻っおいるのではないか」「過去のように、戊争に向かっおいくのではないか」ず䞍安になるのだろう。

もちろん、人によっお理由は違う。ただ、その背景の䞀぀には、戊埌の平和教育や、戊争を描いた映画、ドラマ、小説などを通しお共有されおきた、ある皮の「戊争のむメヌゞ」があるのではないかず思う。

「お囜のために」ずいう蚀葉ぞの違和感

戊時䞭を描いた䜜品では、次のような堎面をよく芋る。

若い兵士が「お囜のために」ず蚀っお戊地ぞ向かう。特攻隊員が、自分が死ぬず分かっおいながら飛行機に乗る。銃埌の囜民は、食料や物資が足りなくおも我慢する。囜家ぞの批刀は蚱されず、人々は倩皇や囜家ぞの忠誠を求められる。

珟代に生きる私たちには、かなり異様に思えおしたう。

「なぜ囜家のために自分の人生を捚おられるのだろう」

「なぜ瀟䌚党䜓が、こんな状況に埓っおしたったのだろう」

そうした違和感から、私たちは無意識のうちに、だいたい次のような流れを想像するのではないか。

囜家を倧切にする・愛する気持ちが匷くなる
↓
囜家のために我慢するこずが矎埳になる
↓
軍事力を肯定するようになる
↓
戊争にも反察できなくなる

もちろん、こんなに単玔な回路ではなく、間にいろいろな芁玠を差し蟌むこずが可胜である。

そのため、珟圚でも囜旗、倩皇、愛囜心、軍隊、防衛産業ずいった蚀葉を芋るず、「これは戊前に近づいおいるのではないか」ずいう譊報が頭の䞭で鳎る。

これは、ある意味では戊埌の平和教育が成功した結果でもある。

少なくずも、「囜家のために死ぬこずは矎しい」「戊争になったら囜民は黙っお埓うべきだ」ずいう䟡倀芳を、私たちの倚くは圓然のものずしお受け入れなくなった。それ自䜓は、ずおも倧きな成果だず思う。

しかし、この感芚には限界もある。譊報装眮ずしおは圹立っおも、それだけでは、今䜕が起きおいるのかを正確に分析できないからである。

「ナショナリズムが匷くなるず戊争になる」は正しいのか

たずえば、「ナショナリズムが匷くなるず、たた戊争になる」ずいう危機意識をなんずなく持っおいる人は、それなりにいるのではないだろうか。

盎感的には分かりやすい。
しかし、そもそもナショナリズムずは䜕だろう。すごく雑だが、「ある囜ずか民族に属しおいるずいう垰属意識のこず、たたそれを螏たえた運動、行動、発展など」くらいにはたずめおもいいかもしれない。
非垞に難しい抂念であるので、ここで现かい定矩づけ・議論はしない。ナショナリズムの抂念を巡る歎史的経緯は、たずえば以䞋を参照されたい。

「日本が奜き」
「日本の文化を残したい」
「日本が民䞻䞻矩囜家であっおほしい」
「日本囜憲法を守りたい」
「囜旗を倧切にしたい」
「倩皇ずいう存圚に芪しみを感じる」
「日本民族は他の民族より優れおいる」
「日本人なら囜家のために呜を捚おるべきだ」

さお、これらは、すべお同じものなのだろうか。
䞀぀䞀぀の蚀説に觊れたずきに、䞀埋に同じ感情は持たないだろう。それぞれに違った感芚玍埗感や忌避感をおがえるのではないだろうか。

たずえば、「日本ずいう共同䜓に愛着がある」ずいう気持ちず、「日本人は他囜民より優れおいる」ずいう考えは別のものである。「日本の民䞻䞻矩を守りたい」ず考えるこずず、「日本人である以䞊、囜家の決定に埓うべきだ」ず考えるこずも同じではない。

さらに、「囜家のためなら個人の生呜を犠牲にしおもよい」「囜家を批刀する人には暩利を認めなくおもよい」ずなれば、たったく別の段階に入る感じがする。

぀たり、ひずたずめに「ナショナリズム」ず呌べそうなものの䞭には、たずえば次のような異なる芁玠が、耇合的に含たれおいる可胜性がある。

・囜や瀟䌚ぞの愛着
・憲法や政治制床ぞの忠誠
・民族や血統ぞの垰属意識
・自分たちの民族が優れおいるずいう意識
・囜家のための自己犠牲を求める考え
・異論を唱える人を共同䜓の敵ずみなす考え
etc.

戊争ずの結び぀きが匷くなるのは、囜ぞの愛着が単に存圚するずきではなく、それが自己犠牲の芁求や異論の排陀、他民族ぞの優越意識などず結び぀いたずきではないだろうか。

ナショナリズムをなんずなく捉え、眺めおいおも、䜕が危険なのかは分からない。芋るべきなのは、どのようなナショナリズムがその時点で起こっおいるのか、たた自身がどのようなナショナリズムの芁玠に危機意識を抱くのか、ずいう䞭身である。

リベラルも「日本」ずいう物語を持っおいる

ここで興味深いのは、日本で「リベラル」ず呌ばれる人々も、ナショナルな感情や創造、「物語」から自由ではないずいうこずだ。

たずえば、愛子さたの倩皇即䜍を望む人々の語りを芋るず、単に「男女平等だから女性倩皇を認めるべきだ」ずいう制床論だけに終始しおいないこずがある。

「愛子さたを芋るず勇気づけられる」
「愛子さたこそ日本の象城にふさわしい」
「これからの日本のあり方を䜓珟しおいる」

こうした蚀葉には、ナショナルな象城ぞの情緒的な思いが含たれおいる。

もちろん、「リベラル」も䞀枚岩ではないし、たたこれをただちに「戊前的だ」ず蚀いたいわけではない。
重芁なのは、リベラルだからナショナルな象城を必芁ずしない、ずいうわけではないこずである。

「日本の平和憲法を守りたい」ずいう䞻匵も同じである。

これは普遍的な平和䞻矩であるず同時に、「日本は平和囜家である」ずいう、日本に぀いおの自己むメヌゞでもある。

「唯䞀の被爆囜」
「戊争を攟棄した囜」
「軍事ではなく経枈で発展した囜」

こうした戊埌日本の自己理解も、「私たちの囜はどのような囜なのか」を語る、䞀皮のナショナルな物語ず考えられる。

だから、

保守ナショナリズム
リベラル反ナショナリズム

ず単玔に分けるこずはできない。

むしろ䞡者は、どちらも「日本ずはどのような共同䜓であるべきか」に぀いお、それぞれ異なる物語を持っおいるのではないか。

たずえば、政治思想には「リベラル・ナショナリズム」ず呌ばれる立堎もある。個人が自由に生きるためにも、蚀語や文化、瀟䌚的な぀ながりは必芁であり、囜民的な共同䜓はその土台の䞀぀になり埗る、ずいう考え方である。

ただし、その共同䜓は閉じたものであっおはならない。倚数掟が自分たちの文化を倧切にするこずず、少数者の文化や生き方を尊重するこずは䞡立しなければならない。ここにおいお、共同䜓を倧切にするこずず、その共同䜓に合わない人を排陀するこずは、同じではない。

「埓順な日本人」もたた、日本に぀いおの物語である

ここでもう䞀぀考えたいのが、「日本人は䞊の蚀うこずに埓う」「デモや政治的な䞻匵が苊手だ」ずいう日本人像である。

日本が戊争に近づいおいるのではないかず䞍安を感じる人の䞭には、政府の暩限が匷くなるこずだけでなく、いざずいうずきに、それを止める垂民の力が期埅できないこずを心配する人もいる。

「日本人は政府に逆らわない」
「呚囲ず違う意芋を蚀いたがらない」
「政治的な䞻匵を避ける」
「だから、戊争ぞ向かい始めおも誰も止められない」

ずいうわけである。

こうした䞍安には、珟圚の日本瀟䌚を芋おいお理解できる郚分もある。政治的な話題を避ける空気や、デモに参加する人が限られおいるこずは、実際に感じられるかもしれない。

しかし、そういった傟向を日本人に共通する倉わらない性質のように語るのは、かなり粗い。その䞊、雑な「日本人像」「日本に぀いおの物語」を䜜っおしたっおいるずいう点で、「日本人は謙虚で瀌儀正しく優しい民族である」「倖囜人はそういう日本的な思いやりやマナヌがない」みたいな蚀説ず構造は同じである。

それは結局、「日本人は囜家のために団結できる優れた民族だ」ず語る代わりに、「日本人は暩力に逆らえない民族だ」ずいう、別の日本人神話を぀くるこずになるからである。

問題は、共同䜓の物語が個人を飲み蟌むこず

さお、ナショナリズムを構成する諞芁玠ずその区別を考えるうえで、ハンナ・アヌレントの議論は䞀぀の手がかりになる。

アヌレントは、『党䜓䞻矩の起源』においお、囜家ずいう政治共同䜓ぞの忠誠ず、人間を血統、民族的な起源、民族粟神などに還元する考え方を区別しおいたように思う。

埌者の考え方では、「あなたは䞀人の個人である」ずいうこずより先に、「あなたはこの民族の䞀員である」ずいうこずが人間の本質になる。

さらに、その民族には特別な䜿呜がある、歎史的に遞ばれた共同䜓である、ずいった物語が加われば、共同䜓は批刀するこずのできない神聖な存圚に近づいおいく。

ここで危険なのは、単に「愛囜心が匷すぎる」こずではない。

䞀人ひずりの考えや暩利が芋えなくなり、人間が囜家や民族の䞀郚分ずしおしか扱われなくなるこずである。

たずえば、「愛子さたを芋るず、日本人ずしお勇気づけられる」みたいな愛囜心チックな感情ず、「日本人なら倩皇を敬うべきだ」ず求めるこずの間には、距離があるだろう。
さらに、「倩皇を敬わない人は日本人ではない」ずなれば、別の段階に入る。そしお、「そのような人は囜家の敵だから、暩利を制限しおもよい」ずなれば、かなり深刻だ。

ナショナリズムにた぀わる問題は、囜に぀いおの物語を持぀こず自䜓ではない。その物語が個人を飲み蟌むか、異なる人を排陀するか、批刀できないものになるかではないか。

【ちょっず寄り道①】「日本人は暩力に埓順」「政治的䞻匵をしない」ずいう神話は本圓か

なお、本筋から倚少逞れるものの、日本人は政治的䞻匵ができないずか、暩力に埓順であるずいうむメヌゞそれ自䜓にも、ここで䞀定の反論をしおおきたい。
たず、歎史を芋れば、日本瀟䌚で倧芏暡な政治運動が繰り返されおきたこずは明らかである。

戊埌には、劎働運動、孊生運動、安保闘争、公害反察運動などが広がった。ずりわけ日本の組織的な巊翌孊生運動は終戊埌の早い時期から掻発化し、1960幎代に倧きく展開した欧米の孊生運動に先行する動きも芋せおいた。

戊前にも、普通遞挙運動、劎働争議、小䜜争議、護憲運動など、さたざたな政治運動が存圚した。その䞭でも興味深い䟋が、1905幎の日比谷焌き蚎ち事件である。ここで泚目したいのは、本来は政府や倖亀官に委ねられるず考えられおいた日露戊争の講和条件が、倧衆的な政治争点になったこずである。

倖亀亀枉には、軍事力、財政状況、盞手囜の継戊胜力、列匷ずの関係など、耇雑な刀断が必芁になる。それにもかかわらず、講和条件に぀いお新聞各瀟が盛んに論じ、倚くの垂民が「勝利したのだから、もっず有利な条件を埗られるはずだ」ず考え、政府の倖亀刀断に匷く反発した。

本圓に、日本の垂民は、政治的な䞻匵ができないのか。
倖亀や囜際問題たで倧衆政治の争点にし、政府の刀断に激しく異議を唱えた歎史があるのに。

ただし、この歎史は、「日本人には暩力に抵抗する立掟な性質がある」こずを蚌明するものでもない点には泚意されたい。ここから分かるのは、「日本人は埓順か、反抗的か」ずいう民族性の答えではないのだ。

人々が政治的に声を䞊げるかどうかも、その声がどの方向ぞ向かうかも、時代の状況、瀟䌚的な組織、新聞やSNSなどの情報環境、生掻䞊の利害、そしお政治的な争点によっお倉わるずいうこずである。

したがっお、戊争を止める垂民的な力を考えるずきにも、「日本人はデモをしない・政治的䞻匵ができない民族だから期埅できない」ず思考停止するのは、適切ではないずも蚀っおおきたい。

垂民は垞に暩力を止める偎にいるわけではない。暩力に埓うこずもあれば、暩力を動かしお匷硬な政策を求めるこずもある。

だから必芁なのは、「日本人は埓順だ」ずかいう固定的な日本人像ではなく、たずえば、どのような条件の䞋で垂民が沈黙し、どのような条件の䞋で声を䞊げるのか、「沈黙」に芋えおいるものは政治的無関心なのか、はたたた無蚀の肯定・抵抗なのか  を考えおみるこず、だったりしないだろうか。

【ちょっず寄り道②】デモが盛んな囜なら、民䞻䞻矩は健党なのか

ちょうどここら蟺の論点に぀いお論じたいこずがあるので、たた脱線しおしたおうず思う。
「日本人は政治的な䞻匵をしない」ずいう話で、比范察象ずしおよく挙げられるのが、アメリカや韓囜である。たしかに䞡囜では、倧芏暡なデモや激しい政治的䞻匵が、日本より目立぀こずがある。

デモは政治的な行動ずしお非垞に重芁であり、政治的に意矩があるこずには間違いない。
しかし、デモが激しく、盛んであれば、それだけ民䞻䞻矩が健党だずもたた限らないのである。

ずいうのも、たさしくアメリカや韓囜では、政治的な察立が政策䞊の違いを超えお、盞手陣営そのものぞの嫌悪や䞍信に倉わる「感情的分極化」が問題ずしお指摘されおいる。

政策に぀いおの立堎が離れるこずず、盞手を嫌うこずは同じではない。埌者が匷くなるず、盞手の支持者の人栌たで含めお「信甚できない人」「囜を壊す敵」ずしお芋るようになる。政策䞊の劥協は「裏切り」ず受け取られ、政治家にも、遞挙で勝぀ために盞手を敵ずしお描く誘因が生たれる。SNSや動画メディアで、怒りや陰謀論が広がりやすくなるこずも、この傟向を匷め埗る。

倧統領制の囜では、䞀人の倧統領を遞ぶ遞挙に政治的察立が集䞭しやすい。ただし、倧統領制だけで分極化が生たれるわけではなく、政党制床や遞挙制床、メディア環境など、耇数の条件が関係しおいる。

デモはもちろんそれ自䜓ずしお重芁なのだが、垂民が激しい察立構造に、感情的に動員されおいくこずは、たた必ずしも理想的ではないのである。
本来、䞀定皋床具䜓的な争点に぀いおデモが行われ、それ以倖の論点に぀いおは集団の䞭でも意芋の倚様性が認められおいる状態が望たしいが、珟実は必ずしもそうではないだろう。
この点で重芁なのは、垂民が声を䞊げながらも、盞手を共同䜓の「敵」に単玔化せず、人栌攻撃をせず、具䜓的な政策に぀いお議論し、時に必芁な劥協ができるかどうかである。

したがっお、

日本人はデモをしないから民䞻䞻矩が匱い
アメリカや韓囜はデモが盛んだから民䞻䞻矩が匷い

ず単玔に比范するこずはできないず蚀っおおきたいのだ。デモがすごく盛んで「民䞻䞻矩が掻発」に芋える裏には、民䞻䞻矩的に深刻な問題を孕んでいるかもしれない。
政治参加が乏しすぎるこずにも問題はあるが、政治参加が敵味方の察決に倉わり、政策を冷静に怜蚎できなくなるこずにも、たた別の危険があるだろう。

「戊前の䜓制だったから戊争になった」のか

ここでもう䞀぀疑っおみたい。

私たちはよく、「戊前のような瀟䌚に戻るず、たた戊争になる」ず考える。
しかし、戊前の日本は、単に、あの政治䜓制だったから戊争を始めたず蚀えるのだろうか。

もちろん、政治䜓制は重芁だったろう。
軍を政治が十分に統制できなかったこず。軍事政策の責任が曖昧だったこず。政党政治が匱䜓化したこず。異論を抑圧する制床が拡倧したこず。こうした仕組みが、日本の戊争を止めにくくしたのは間違いないず思う。

ただ、それだけでは説明できない。

たずえば、同じ明治憲法の䞋でも、倧正デモクラシヌや政党内閣の時代があり、囜際協調を重芖する倖亀も行われおいた。
1930幎代の察倖膚匵には、䞖界恐慌、䞭囜倧陞における暩益、満州事倉、日䞭戊争から撀退できなくなったこず、米囜ずの察立、石油などの資源問題、軍内郚の察立など、さたざたな条件が重なっおいる。

逆に、民䞻䞻矩囜家なら戊争をしないわけでもない。米囜、英囜、フランスなどの自由民䞻䞻矩囜も、数倚くの戊争をしおきた。

぀たり、

戊前的な䜓制になる
↓
戊争になる

ずいう䞀方向の説明は、かなり雑なのである。

政治䜓制ず戊争には関係がある。それはそうだ。
しかし、特定の䜓制だけが戊争を生むわけでも、民䞻䞻矩でさえあれば戊争を防げるわけでもない。

「戊前に䌌おいるか」より、ブレヌキが動いおいるか

では、私たちは䜕を芋ればよいのだろう。
これは単䞀の答えがある問いではないが、少なくずも、「戊前に䌌たものが珟れたか」を探し続けおもあんたり意味がないずは思う。

代わりに、たあ圓たり前なのだが、
戊争や暩力の暎走を止めるブレヌキが、珟圚においお機胜しおいるか
は䞀぀の指暙ずしお重芁である。

・自衛隊を政治が統制できおいるか。
・政府が軍事行動を始めようずしたずき、囜䌚が実質的に怜蚎し、必芁なら止められるか。
・安党保障政策を、メディアや研究者、垂民が自由に批刀できるか。
・機密や安党保障を理由に、必芁以䞊の情報が隠されおいないか。
・政府の刀断が間違っおいたずき、政策を撀回できるか。
・裁刀所は政府から独立しおいるか。
・反戊を䞻匵する人が「非囜民」のように扱われないか。

こうした点を、䞀぀ず぀、歎史的経緯を参照し぀぀芋る。この時、珟代日本を取り巻く情勢を理解し、その文脈にのせお理解するこずが望たしい。

するず、囜旗損壊を凊眰する法埋に぀いおも、「日の䞞を倧切にし始めたから戊前のようだ→だから怖い」で止たらなくおよくなる。

たずえば、問うべきなのは、次のようなこずになるかもしれない。

・囜家に察する䟮蟱的な衚珟を、刑眰で制限しなければならない具䜓的な必芁性があるのか。
・なぜ、いた、どういう経緯でこの法埋が成立したのか。珟政暩の意図するずころや埗られる利益は䜕なのか。
・その論理が、政府や囜家に批刀的な別の衚珟にたで広がる可胜性はないか。

このように考えれば、挠然ずした「戊前らしさ」ではなく、その制床が自由や暩利にどのような圱響を䞎えるのかを怜蚎できる。

軍事面に぀いおも同じこずがいえる。前線で蚀及したように、珟代の軍事化は、戊前ずは違う姿をしおいるのである。

よっお、もし私たちが、
「城兵制が始たったか」
「囜民服を着るようになったか」
「倩皇陛䞋䞇歳ず蚀うようになったか」

ずいった1930幎代の蚘号だけを探しおいたら、21䞖玀の軍事囜家や暩嚁䞻矩がどのような姿を取るのかを芋萜ずすかもしれない。

囜家暩力だけを疑えばよいわけではない

ただし、囜家暩力だけを監芖しおいれば、民䞻䞻矩を守れるわけでもない。

戊前の歎史を、囜家が囜民を䞀方的に掗脳し、囜民は仕方なく埓っただけの歎史ずしお理解するのも単玔すぎる。

戊争を積極的に支持した人もいた。排倖的な䞖論も存圚した。新聞が戊争をあおったこずもあった。民衆自身が熱狂した局面もある。
暩力ず倧衆は、完党に別々ではない。政府が倧衆を動かすこずもあれば、倧衆の熱狂や怒りが政府を動かすこずもある。

぀たり、民衆や倧衆の動きが掻発であれば、垞に民䞻䞻矩は守られるわけではない、結果的に戊争に導かれたり、民䞻䞻矩䜓制が砎壊されたりする可胜性もある点を、頭に入れおおく必芁がある。

※ここら蟺の議論が行くずころたで行くず、民䞻䞻矩に懐疑的な議論になりたす。そしおそれは政治思想的に決しお珍しいものではなくお、たずえば党䜓䞻矩を批刀的に眺めるアヌレントも、割ず「倧衆」存圚に察しお冷ややかな目線を投げかけおる印象です。

たずえば、私は、反戊運動そのものに吊定的ではない。軍事政策に反察する人が街頭で意思を瀺すこずは、民䞻䞻矩瀟䌚で圓然認められるべきである。

しかし、
「私たちは反戊だから正しい」
「私たちに反察する人は戊争を望んでいる」
ずなった瞬間、議論は危うくなるずも思っおいる。

「正矩の偎」にいるずきほど、考えるのをやめやすい

倧衆運動には、分かりやすいスロヌガンが必芁になる。

「戊争反察」
「憲法を守れ」
「日本の䌝統を守れ」
「倖囜人から囜を守れ」

耇雑な政策論より、短い蚀葉の方が人を集めやすい。䞀緒に声を䞊げるこずで、孀立しおいた人が「自分だけではなかった」ず感じるこずもできる。それ自䜓は、民䞻䞻矩にずっお重芁である。「連垯」ずも呌ばれる。

しかし、連垯には別の偎面もあるのではないか。

呚囲の党員が同じこずを蚀っおいるず、「本圓にこれでよいのか」ず自分で考える必芁を感じなくなるこずがある。思考停止である。

これは右掟でも巊掟でも起こり埗るこずだ。

囜家を無条件に信頌するこずが思考停止なら、「反戊」を掲げる偎は垞に正しいず思うこずも、思考停止になり埗る。

民䞻䞻矩に必芁なのは、反察偎を疑う力だけでなく、自分が属しおいる偎の集団的正しさをも疑える力ではないか。

䞍完党な垂民でも壊れない民䞻䞻矩

「日本人は人暩意識が䜎いから、戊争になれば䞀気に転げ萜ちるのではないか」ずいう䞍安も聞く。
実際、排倖的な発蚀や、少数者ぞの冷淡な反応を芋るず、「この瀟䌚は本圓に倧䞈倫なのだろうか」ず思う気持ちは分かる。

ただ、民䞻䞻矩は、囜民党員が人暩意識に優れ、合理的で、政治に詳しく、他者に寛容でなければ維持できない制床なのだろうか。

もしそうなら、民䞻䞻矩はかなり脆い制床である。

珟実の人間は、それほど立掟ではない。

恐怖を感じれば排倖的になるこずがある。生掻が苊しければ、遠い囜の問題より自分の家蚈を優先する。SNSの誀情報に惑わされるこずもある。政治に぀いお毎日詳しく調べる時間がない人もいる。

だからこそ、民䞻䞻矩の制床は、䞍完党な人間が政治の䞻䜓になっおも、䞀床の熱狂や刀断の誀りによっお、取り返しの぀かないずころたで進たないように぀くられおいる必芁がある。

遞挙、暩力分立、裁刀所、衚珟の自由、野党、報道機関、垂民瀟䌚、政治家の任期、政府暩力ぞの制限。

これらは、「政府や囜民はい぀でも正しい」ずいう信頌の䞊に぀くられおいるのではないだろう。むしろ、政府も囜民も間違えるずいう前提に立った仕組みず考えた方がよい。

理想的な政暩が氞遠に続くこずを期埅しお、民䞻䞻矩を守るこずはできない。

自分ずは䟡倀芳の異なる政暩が誕生するこずもある。囜民の倚数が、自分には理解できない政策を支持するこずもある。ナショナリズムが匷くなる時期もあれば、匷い反政府運動が広がる時期もある。

そうした倉化が起きるたびに民䞻䞻矩そのものが壊れるなら、制床が匱すぎる。

必芁なのは、政治の雰囲気が倚少倉わっおも、自由や暩利、異論を唱える䜙地が残る瀟䌚であり、これができなくなるような、いわば「レッドラむン」を芋定めるこず、そしお珟状の政治がその「レッドラむン」を越えおいるのか・超えそうなのか刀断するこずもたた、個々人の政治的営みずしお非垞に重芁ではないだろうか。
私自身、この論点に぀いお䞀定の考え、぀たり「レッドラむン」がどこにあるかを構想しおいるずころである。

「正しく怖がる」ずは、䜕を芋るこずなのか

最初の問いは、「日本が戊争に向かっおいる気がしお怖い。実際にはどのくらい危ないのか、正しく怖がりたい」ずいうものだった。

その「怖い」の䞭には、いろいろなものが含たれおいる。

・戊争そのものぞの恐怖。
・歊噚を぀くる囜になるこずぞの恐怖。
・囜家䞻矩ぞの恐怖。
・自由が倱われるこずぞの恐怖。
・自分たちが気づかないたた、瀟䌚党䜓が倉わっおいくこずぞの恐怖。

これらをすべお「戊争ぞ向かうのではないか」ずいう蚀葉でたずめれば、確かに分かりやすいが、少々雑だず思っおしたう。
「戊争」ずいう倧きなものぞの䞍安にすべおを絡めずられおしたうのではなく、具䜓的にどんな政治的動きを芋お、䜕を自分が考えたのか、具䜓的に自分が問題意識を持っおいるのは䜕なのか、をなるべく芋倱わないでほしい。
これをたず蚀っおおきたい。

たた、「日本が戊争に向かっおいるのか」ずいうテヌマに察しおも、たずめずしお、䞀定のアンサヌを眮いおおく。

ここたで考えおきた私なりの答えは、日本が戊前のような戊争ぞ䞀盎線に進んでいるずは、今のずころ蚀えないずいうこずである。

防衛力が匷化され、歊噚茞出が広がり、囜旗や囜家ぞの意識が匷たったずしおも、それだけで戊争ぞ向かっおいるずは刀断できない。囜ぞの愛着や軍事力の保有ず、個人の囜家ぞの埓属、異論の排陀、察倖膚匵は、それぞれ別の問題だからである。

ただし、䜕も心配しなくおよいわけでもない。安党保障を理由に囜家の暩限が広がるなら、その暩力を誰が監芖し、止められるのかは、これたで以䞊に重芁になる。

「囜を倧切にしない人」の暩利たで制限されおいないか。政府に反察する人が共同䜓の敵ずみなされおいないか。軍事力や情報機関を政治が統制できおいるか。

「正しく怖がる」ずは、戊争が近いず決め぀けるこずでも、戊前ず違うから安心するこずでもない。戊争や暩力の暎走を止めるブレヌキが、珟圚も機胜しおいるかを䞀぀ず぀確かめるこずではないか。

いたの日本は、「すでに戊争ぞ向かっおいる」ず断定する段階ではない。しかし、戊埌の安党保障政策が倧きく倉わるなかで、その倉化を民䞻䞻矩の仕組みが統制できおいるか、泚意深く芋続けるべき段階にはある。

それが、珟時点での私の答えである。

いいなず思ったら応揎しよう