カーボベルデとアルゼンチン
サッカーのワールドカップは決勝トーナメントこそが本物だ、と言う人がいる。
名勝負の数だけ見れば、確かにその通りだろう。
鳥取県ほどの人口、滋賀県ほどの面積の国、カーボベルデ。今大会初出場のこの国が見せたアルゼンチン戦は、記憶に残る一戦になった。
理由は単純だ。まず臆していなかった。
先制点を許した後も、焦りは見えなかった。守備は落ち着いていて、勝ちにいくのか、同点に持ち込んでPK戦を狙うのか、その意志だけははっきりしていた。
メッシに対し代表GKボジニャの好セーブもあった。
少なくとも意識としては対等だったと言っていい。
一方、日本はブラジル戦で臆した。
前半残り十分から後半終了までの時間帯は、完全にワンサイドゲームだった。昔ながらの日本代表だった。
カーボベルデもアルゼンチンに一方的に攻められることはわかっていたはずだ。それでも慌てなかった。メッシが守備に戻らないことを知っていて、そこを突いた。
アルゼンチンもメッシを下げなかった。舐めたプレーはしなかった。
日本ではワールドカップで負けると、もう終わったという空気になる。にわかファンと呼ばれる人たちだ。
にわかであること自体を否定するつもりはない。盛り上がればそれでいい。ただ、盛り上がりたいだけの人がサッカーそのものについて語るのは、あまりお勧めできない。今回の日本は惜しかったと言われているが、後半は完全なワンサイドゲームだった。
惜しくはなかった。
もちろんサッカーには時の運がある。どんなに強いチームでも、十回やれば二回は負ける。
同じグループリーグにいたオランダやスウェーデンの試合を見ればわかるが、彼らは直線的なサッカーをする。日本と相性のいいタイプだ。ブラジルは緩急をつけてくる。ヨーロッパでここまでできるチームは、かつてのスペインか今のフランスくらいのものだろうか。
つまり、予選リーグではそこそこやれても、決勝トーナメントで強豪と当たると難しさが露呈する。
冷静に見れば、今の日本のレベルはスイス対アルジェリアあたりの試合みる限り、あのあたりだと思う。
優勝という話は、まだ現実的ではない。
段階を踏んできたことは確かだ。アメリカ大会には出られなかった。フランス大会ではなんとか出場を果たし、一点を取った。それから勝ち点を取り、予選リーグを突破し、今回は決勝トーナメントで強豪から一点を取った。
それが今の段階なのだろう。
時の運という点でも、強豪国は十回に二回は負けるし、相手がスイスやアルジェリアのクラスであれば、勝てたかもしれない。
それでも、アルゼンチン対カーボベルデの試合を見る限り、日本にまだ足りないものは多い。
体格の問題がよく語られる。だがメッシをはじめ、サラーにしろ海外で活躍する選手には小柄な者も多い。アルゼンチンのセンターバックにも百七十五センチに満たない選手がいる。体格そのものが問題ではないのかもしれない。
トラップの精度とか、体幹だろうか。
日本には野球という選択肢がある。優秀な人材がまず野球に流れる。大谷翔平がサッカーをやっていたら、ノルウェーのストライカー、ハーランドのようになっていたかもしれない。
ただ甲子園の応援団に無駄に百人ほどの野球部員が控えている光景がある。あれこそ人材の無駄遣いだ。採用しては使い捨てる、ブラック企業に似た構造がそこにある。
もちろん日本には野球だけではなく多くのスポーツという選択肢がある。せめてアメリカなどの学校・地域スポーツで採用されている「シーズン制(スポーツ・シーズン制度)」にしたらどうだろう。
三笘、南野、遠藤、負傷した久保。彼らがいてもどうだったろうか。
いなかったから選手層が薄いというのは言い訳にしかならない。
ただ、久保の下の世代が薄いことも気になる。
にわかファンが感動をありがとうと言っている段階では、大きくは進歩しないだろう。
冷たくしろと言っているわけではないが。
今回チケットが非常に高く、どうやらホスト集団をはじめ人の借金でメシを食っている連中も多く観戦していたらしい。
要するに、虚業の連中と言うわけだ。
あらためて
カーボベルデ対アルゼンチンは素晴らしかった。
マイアミといえば、かつて日本のオリンピック代表がブラジルに勝った試合があった場所だ。あのときの日本は、守って守って守り抜いて一点をもぎ取った。当時の実力ではそれが精一杯だった。西野監督への評価はその後も高くはなかったが、あの守り抜いた九十分だけは、間違っていなかったのかもしれない。
そんなことも思い出した。
これから名勝負は増えるだろう。
