60歳までに小説家になりたい✍️
人生は夢や希望がなくては面白くないですね。
今、生きている人は、仮に絶望していても、ほんのわずかな希望に期待して生きていると思います。
哲学者の三木清は、『人生は期待の連続だ』と言いました。
昨今の経済不況や物価高でなかなか希望が見いだせない時代ではありますが、生きている以上、何かに希望をもって、期待しなくては、毎日の生活が楽しくありません。
noterの方々も、日々で感じる心の内側を文章にすることで、自分が何を望んでいるのかを考えたり、吐き出すことで精神の安定をはかっていると思います。
文章にする、アウトプットするという行為は、主観的作業ではあるけれども、読み手にどう伝わるのか、どのように思われるのかを想像しながら書くことから、客観的作業であると思います。
noterの方々は特に、会話で話すことよりも文章で言いたいことを書く方が好きだと思うし、自分の心に正直になれると思います。
文章と会話は同じアウトプットする行為だけれども、決定的な相違点はタイムラグです。
会話では、今、目の前の相手に伝えたいことを瞬時に言葉としてまとめる必要があるから、文法的に間違ったり、言い間違いが多々あります。
しかし、文章では読み手は、今、目の前にはいなくて、自分1人だけの作業であることから、間違いを訂正することができます。
それにつけ加えて、普段、考えていなかったことも、あるテーマについて書いていると、新しい発想を思いついたりします。
このようなことが、文章を書く魅力ではないでしょうか。
私は大学生の頃から、小説家、作家になりたいという夢をもっていました。
というのも、当時は司馬遼太郎さんの小説に魅了されて、ただ憧れていました。
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『花神』『峠』などで描かれる幕末、明治の日本の夜明けに活躍した男たちを知るきっかけをつくったのが司馬遼太郎さんだったのです。
歴史小説だから、全ては真実ではないけれども、司馬さんの小説では時代が現代に近いほど史実に忠実に書かれています。
歴史の面白さに気づかされながら、1番、感心していたことがあります。
それは、読み安さです。
司馬さんの小説では、余談が随所に見られますが、その余談が、今から語ろうとしている話に、読者が興味をもってもらうための予備知識を提供しているので、読み出したら止まらなくなります。
読み安さで言えばもう1人の達人がいます。
先日、亡くなられた東野圭吾さんです。
東野圭吾さんのミステリー小説は、普段、読書をしない人でもストレスなく読めると言われています。
全体の構成力もさることながら、テンポのいい文章と、物語が文章だけで頭の中に映像化しやすい語彙と比喩表現で読者目線の表現をされています。
司馬さんと東野さんに共通するのは、客観的表現方法だと思っています。ジャンルは違えど、物語を提供するために、面白く、読み安く、分かりやすく書くことを、書く時に意識していたと思います。
会話でも、聞いてくれる人がすんなり理解できて、共感してくれたり、また違う意見を考えてくれる相手がいたら、話した甲斐があるし、スッキリします。
しかし、言葉というのは自分の心にあることを正確に表現することは難しいし、限界があります。
だから、小説というものが存在しているのだと思います。
他者との会話をする中で、ある事象についての議論になった時に、似たような場面や事件は、古今東西の物語の中で、どこかに語られています。
もちろん、人が一生で読める本は限られていますから、知っている人と知らない人もいます。
しかし、有名な古典や物語は、読んだことはなくても、あらすじや主旨は知られています。
小説を読むことや書くことの魅力が、人との意思疎通をはかる時の心の交流として、理解されやすくなるからではないでしょうか。
人間社会というのは分業で成り立たっています。大きく分けて、物を作ることを専門にする人、精神を作って社会を安定させる人です。
端的に言えば、理系と文系です。生きるためには食べ物、着る物、住む家が必要です。
それと、その作った物を安定的にトラブルなく供給するためのルールや法律を作る政治家や議論を重ねて、より良い社会に導く資本家とその下で働く労働者の力が必要です。
物を作るにしても、精神を作るにしても、人間社会では意思疎通をはかる言葉の力が絶大な効力を発揮していて、無くては社会はまとまりません。
小説家を目指す人の中には、こうした言葉の力や面白さに気づいているからではないでしょうか。
小学生の頃に、作文の時間が憂うつで面白くなかったのは当然です。
言葉をあまり知らないことにつけ加えて、人生経験が乏しいから、書けることが限られてくるからです。生まれて8年〜12年で経験したことなど、たかが知れています。家がお金持ちで、毎年海外旅行に行っている子であれば、自慢気に旅行先での出来事を書けるでしょう。
『人は仕事でしか磨かれない』と作家で、元伊藤忠商事の社長、会長を務めた丹羽宇一郎さんは言いました。
人間劇の大半が、仕事という他者に役に立つことして、金を得て、虚栄や嫉妬を抱きながら、人は成長するものだと丹羽さんは言いました。
そして、そんな丹羽さんが作家活動をはじめたのも、仕事での人間劇をより多くの人に発信したかったからです。
人は大人になって、自分が経験した様々な事象や仕事での、役に立つ話を誰かに伝えたいものです。
会話でもいいし、文章でも伝えたいものです。
noterの方々なら、この気持ちはよく理解できると思います。
しかしながら、小説家やエッセイストになりたいという人は、5万といます。
一般的に小説家になろうと思ったら、文学賞に応募して、受賞したら、肩書きとして使用されている作家がほとんどです。
かなり狭き門だと言えるでしょう。
しかし、私は本を読むことや文章を書くことは、人生でのスキルを高めるためなので、習慣にしています。
私ごときものが小説家になれるとは思えませんが、人生、楽しく生きるためには、夢は一生見ていたいと思っています。
