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著者が語る:「認知バイアスに陥らないために」

私が「監修」を担当した『図解 認知バイアス』(日本文芸社)の最後には「認知バイアスに陥らないために」という私のインタビュー記事が掲載されている。「論理的思考の重要性」について大事なポイントを話したので、ここに紹介しよう!

高橋昌一郎先生インタビュー
認知バイアスに陥らないために~論理的思考の重要性~

■論理的思考とは何か

――あらためて、認知バイアスに陥らないためには、どのような考え方が必要でしょうか?
 ひと言でいうと「論理的思考」ですね。「論理的思考」などというと、小難しい理屈ばかりを並べ立てて重箱の隅を突くようなイメージを持たれるかもしれませんが、実は「論理的思考」とは、思考の筋道を整理して明らかにすることであって、むしろ発想の幅を広げ、それまで気がつかなかった新たな論点の発見につなげられる思考法です。
 そもそも、基本的に人間は「認知バイアス」の影響を受けやすい。そのことを論理的に意識するだけでも、かなり自分で注意できるようになります。
 たとえば、「信念バイアス」。もしAかBかを選択するとき、両者をしっかり比較検討しないまま、直感的に「Aがいいな」と発言したとします。すると、大した根拠がないにもかかわらず、いつの間にか「Aがいいな」と言ってしまった自分の信念を正当化しようとする傾向が生じる。いったん何らかの信念を発言すると、それを守りたくなるわけですね。
「信念バイアス」に支配された人は、自分が出した結論Aのメリットを過大評価し、デメリットを過小評価するようになります。逆に、反対の結論Bのメリットを過小評価し、デメリットを過大評価するようになります。これを「確証バイアス」と呼びます。
 この「確証バイアス」の中でも、とくに自分に都合のよい情報ばかりを探し出して「やはり、私の出した結論は正しい」と自分や周囲に言い聞かせることを「チェリー・ピッキング」と呼びます。まるでおいしいサクランボばかりを採るような論法だからついた名前ですが、人は議論になると、つい自分の意見に同調するものは過大評価し、反発するものは過小評価してしまう。このような「認知バイアス」の傾向は、誰にでもあるということです。だから、それに陥らないように、論理的に筋道立てて考えることが重要になってくるわけです。

――論理的思考を身につけるにはどうしたらいいでしょうか?
 これはもう、勉強してもらうしかない。一般に、賛成や反対を表明する意見に含まれる1つ1つの理由や根拠のことを「論点」と呼びますが、私が日頃から学生たちに勧めているのは、賛否が議論になるような問題に対しては、常に「賛成論(メリット)」の立場から論点を少なくとも3つ、「反対論(デメリット)」の立場から論点を少なくとも3つは挙げられるようにしてほしい、ということです。
 例を挙げてみましょう。読者がAとBのどちらと交際するか迷っているとします。そこで「論理的思考」にしたがって、AとBの長所と短所を書き出したとしましょう。ここではわかりやすく超単純化して、Aさんは、ルックスはよいが性格に難があり、Bさんは、ルックスに難があるが性格はよいとします。さて、ここで読者が自分でも意識しないうちにAさんに惹かれていたら、実はその読者はルックスを重視していることがわかります。もしBさんに惹かれていたら、ルックスよりも思いやりや優しさを重視していることが判明しますね。
 ここでAがよいかBがよいかの論点を整理した上で、どの論点を重視するかは、もちろん個人の自由です。逆に言えば、論理的に整理することによって、読者が何を重視するかが見えてくる。つまり「論理的思考」によって、自分の価値観を見極めることができるわけです。
 私の学生たちも、多種多彩な問題に対して「論理的思考」で分析する勉強をしていくと、以前とは根本的にものの見方や話し方が変わってきます。ひと言でいうと、ようやく「自分の頭で考える」ことができるようになるんですね。「認知バイアス」に惑わされない「論理的思考」ができるようになると、コミュニケーションも非常にスムーズになります。これが、私が長年推奨している「ロジカルコミュニケーション」です。

■「論破する」の危険性

――相手を「論破する」という言葉をよく聞きますが、それについてはどうお考えですか?
「論破」という言葉が本当の意味で成立するのは、数学のように議論の前提となる体系が事前に規定されている世界だけでの話です。私がアメリカで大学院の数学科に在籍していた頃、ある定理を発見したと考えて、世界的権威である教授に意気揚々と報告に行ったことがあります。教授は、私の「証明」を眺めた瞬間、即座に「あははは、残念! 君の証明は、Aの部分からBの部分にかけて論理的な飛躍がある。この飛躍を君は埋めたいだろうが、それは無理だ。なぜならAが成立してもBは必ずしも成立しないからだ。その証拠として次のような反例がある。したがって、君の定理は成立しない!」と言われました。ここまで完全に「論破」されると、気分は爽快になり、自分の間違いに気づかせてくれた教授に心から感謝したくなります。つまり、本当の「論破」は、愉快なものなんですね。
 基本的に「論破」とは相手の「矛盾」を突くことです。たとえば、相手が「Aだ」と言っていたのに、しばらく話したら「Aではない」と言ったら、「さきほどはAと言ったのに、今はAではないと言いましたね、はい論破」と言うわけです。この場合、「A」が事実関係であれば、たしかに相手の嘘を暴いたことになりますが、価値判断の場合は、そう簡単にはいかない。さきほど「A」と言ったのは、ある特定の前提に基づく場合で、今「Aではない」と言ったのは、別の前提に基づく場合であるかもしれない。
 ここで注意してほしいのは、「論理的思考」で重要なのは、「結論」ではなく「過程」だという点です。固定観念や偏見から結論を出してしまわずに、あくまで出発点は「ニュートラル(中立)」にして、賛否両論を冷静に判断することが「論理的思考」の原点です。
「論理的思考」に基づいて議論すると、たとえば、当初は日本の死刑制度に賛成だった学生が、賛否両論の論点を整理していくうちに反対に変わったり、逆に反対だった学生が賛成に変わったりすることもあります。それはそれで、まったく構いません。最終的な結論は個人の価値観に依存し、その結論を変更するのも個人の自由だからです。
 ほんの一面だけを捉えて「俺はお前を論破した」などと言って、相手が黙ったからといって、相手は納得していないわけです。ただ不愉快で、もう話したくないからコミュニケーションを止めているだけ。これを勝ち誇ったように「論破」などと言うのは、独り善がりで恥ずかしいことです。

――議論ということでいうと、国会でも「ご飯論法」のような、論点をすりかえる手法が話題になっています。このような答弁をする理由は何だと考えられますか?
「論点のすりかえ」が増えてきた原因は、実は「情報過多」にあると考えています。問題を起こした議員が「会食はしたが、ご飯(白米)は食べていない」といった言い訳に終始する理由は、「時間稼ぎ」ですね。時間さえ経てば、国民は何でも忘れてくれる。なぜなら、翌日には新しい情報がどんどん入ってくるわけで、3日も経てば膨大な情報に押し流されてしまうから。新聞・テレビ・ラジオぐらいしかない時代は、ここまで「情報過多」ではなかった。卑怯なことをやった議員は批判され続け、最後には謝罪したり辞職したりした。しかし、現代のようにSNSをはじめとするメディアが膨れ上がると、情報に埋もれて誰も「恥」を感じなくなる。ただ「時間稼ぎ」をすれば勝ちだから、誠意が薄れてしまった。

■「発信」の大切さ

――先生は、「発信」することが大切とおっしゃっています。発信することの効果とはどのようなものでしょうか?
 この「情報過多」の時代で、どうすればよいのかというと、逆説的ですが、ネットの発達は、誰でも何でも発信できるという利点をもたらしているわけです。自分の周囲や世の中の何かが「非論理的」「不合理」「アンフェア」だと思ったら、ネットの記事にコメントするなり、自分でブログ記事を書くなり、短い文章でもポストするなり、とにかく発信すべきだというのが私の提案です。人は、何かに責任をもって発信しようとするとき、自分の主張を熟考し、論理的になります。自分の名前で何かを主張するということは、自分の発言に責任を持つということですから、当然論理的であろうとしますよね。だから、匿名ではダメなんです。自分の名前を隠さずに、自分のプライドを持って、きちんと意見を表明してほしい。そこから1人1人の小さな声が大きな声に変わり、「ロジカルコミュニケーション」が始まるわけです。

高橋昌一郎(監修)『図解 認知バイアス』日本文芸社、pp. 122-127.

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高橋昌一郎 Thank you very much for your understanding and cooperation !!!