境界(ライン)が溶けるとき 嘘と現実
「どうして、そんな大事なこと言わなかったの?」
私の問いに、小学2年生の息子はポツリと答えた。
「忘れてた。あの時は疲れてて、それどころじゃなかったから」
その「大事なこと」とは、練習のあと、コーチからかけられた言葉だった。
それは、今の彼を肯定し、より高いステージへと誘う、残酷なまでに具体的な未来の提示だった。
客観的に見れば、正当な評価だ。
けれど、それを聞いた私の胸に、喜びなんて湧いてこなかった。
何故か。
それは、コーチの話があまりにも具体的すぎたからだ。
そこには、夢も希望も、ふわふわした期待もなかった。
ただただ、「勝負の世界のパーツ」として息子をどう覚醒させるかという、剥き出しの現実だけが転がっていたからだ。
大きな背中を追い、冷徹にコースを切り続ける息子。
靴紐すら自分で結べないほど幼いくせに、ピッチの上では誰よりも早く、次に起こる未来を演算している。
そんな彼に、この日、一つの出会いが訪れた。
「俺、あんなに上手い子、見たことない。あの子のボールは、絶対取れない」
息子は、初めて完敗を認めるような、それでいて恋に落ちたような顔で言った。
「でも、一緒にいるとイメージが共有できるんだ。楽しくて仕方ないんだよ」
遠目から見ていた私たちも、その子のプレイに釘付けだった。
判断の速さ、足元の正確さ、どれをとっても、息子が初めて出会う「スペシャル」な存在。
息子にとって、これまでサッカーは「みんなと共に歩む道」だった。
けれど、圧倒的な才能との遭遇と、コーチから手渡されたあまりに現実的な「役割」が、足元に引かれた見えない境界を決定的なものにした。
仲間と笑い合っていた平坦な道は、一瞬にして、雲を突き抜けるような険しい山の登山口へと変わってしまった。
息子は、そのワクワクを自分だけの秘密にして、登り始めたのだ。
母である私にさえ「忘れてた」という嘘をついてまで、自分の聖域を守ろうとしたのかもしれない。
私は今、とても苦しい。
そこには喜びなんてなく、それまで知るよしもなかった「痛み」だけがある。
「みんなと一緒に」という無邪気な季節を終え、たった一人で境界の向こう側を見据えるようになった我が子の変化に、私の心は追いつかない。
やはり、言わない息子が正しかったのだろう。
彼が登り始めた山の高さに、私はただ、息を潜めて立ち尽くしている。
2年生、最後。
彼の新しい物語は、もう始まっている。
あわせて読みたい(前作:母の視点)
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