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僕と母の肉じゃが

肉じゃがの記憶
 台所から漂ってくる匂いで、目が覚めることがある。
 僕がまだ小学生だった頃、その匂いはいつも夕方の四時過ぎにやってきた。学校から帰って、玄関の戸を開けると、まず鼻に届くのは醤油と砂糖が煮詰まる甘辛い香り。それから、じゃがいもの、どこか土の匂いを残したままの、ほくほくとした湯気。台所に立つ母の背中は、いつも夕陽を受けて橙色に染まっていた。
「おかえり。もうすぐできるよ」
 振り返らずに、母はそう言った。振り返らなくても、僕がどんな顔をして帰ってきたか、母にはわかっているようだった。今日は良いことがあった日も、悲しいことがあった日も、母はいつも同じ声で「おかえり」と言った。それだけで、僕の一日はちゃんと終わることができた。
 肉じゃがは、うちでは特別な料理ではなかった。誕生日でも、お祝い事でもない、ただの火曜日や木曜日に、母は当たり前のようにそれを作った。大きな鍋の中で、牛肉の薄切りと玉ねぎ、にんじん、じゃがいもがぐつぐつと煮えていく。母はときどき蓋を開けて、菜箸で転がすように混ぜながら、味見をする。そのたびに小さくうなずいて、また蓋を閉じる。その一連の動作を、僕は台所の入り口に座り込んで、飽きることなく眺めていた。
「味見する?」
 母がそう聞いてくれる瞬間が、一番好きだった。小皿に取り分けられたじゃがいもは、まだ熱くて、ふうふうと息を吹きかけてから口に運ぶと、じゃがいもの中までしっかりと味が染み込んでいて、外側はほろりと崩れるほど柔らかかった。
「おいしい」
 僕がそう言うと、母は少しだけ得意げに笑った。その笑い方を、僕はいまだに覚えている。
 あの頃、僕らの住んでいた家は、決して広くはなかった。台所と居間はひと続きで、テレビの音と鍋の煮える音がいつも重なり合っていた。父は仕事で遅くなることが多く、母と僕と、それから妹の三人で先に食卓を囲むことも多かった。それでも、その食卓は少しも寂しくなかった。湯気の立つ肉じゃがの鉢を真ん中に置いて、僕らはそれぞれの茶碗によそいながら、他愛もない話をした。学校で友達とケンカしたこと、妹が拾ってきた石のこと、テレビで見た遠い国のニュースのこと。母はそのひとつひとつに、ちゃんと耳を傾けてくれた。
 時が経ち、僕は大人になった。
 あの家を出て、遠くの街でひとり暮らしを始めてから、もう十年以上が経つ。仕事に追われる毎日の中で、実家に帰る回数は少しずつ減っていった。母も年を取り、あの台所に立つ後ろ姿は、記憶の中よりも少しだけ小さくなっていた。
 先週、久しぶりに実家に顔を出した。玄関の戸を開けると、あの匂いがした。醤油と砂糖が煮詰まる、甘辛い匂い。じゃがいもの、ほくほくとした湯気。時間が巻き戻ったような気がして、僕は思わず立ち止まった。
「おかえり。もうすぐできるよ」
 台所に立つ母は、振り返らずにそう言った。その声は、あの頃と少しも変わっていなかった。
 僕は台所の入り口に、あの日と同じように座り込んだ。もう体は大きくなりすぎて、昔のように小さく丸まることはできなかったけれど、それでも自然と、その場所に座りたくなった。母は鍋の蓋を開け、菜箸でじゃがいもを転がすように混ぜた。小さくうなずいて、また蓋を閉じる。
「味見する?」
 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、じんわりと温かくなった。差し出された小皿の上のじゃがいもは、記憶の中のものと寸分違わず、ふっくらと柔らかく、味が染み込んでいた。
「おいしい」
 僕がそう言うと、母は少しだけ得意げに笑った。あの日と同じ笑い方だった。
 窓の外では、夕陽がゆっくりと沈んでいく。オレンジ色の光が台所いっぱいに広がって、鍋から立ちのぼる湯気を、金色に照らし出していた。まるで、光そのものが柔らかくほどけて、部屋いっぱいに満ちているようだった。どこか遠くで、風鈴の音がひとつ、ちりんと鳴った。
 僕はふと思う。人はきっと、大きな出来事だけを覚えて生きているわけではない。むしろ、こんなふうに何でもない火曜日の夕方、台所から漂う匂いや、母の背中や、味見をする小皿の温もりのような、小さなかけらの積み重ねの中に、本当に大切なものが隠れているのではないか、と。
 肉じゃがの湯気は、今日もこの家の中で静かに立ちのぼり、やがて夕闇に溶けて消えていく。けれどその匂いは、僕の記憶の奥深くに、いつまでも消えることなく残り続けるのだろう。
 母がまた「おかえり」と言ってくれる限り、僕はきっと、何度でもこの場所に帰ってくる。
 そしてまたいつか、僕がこの肉じゃがを、誰かのために作る日が来るのかもしれない。そのとき僕は、きっと同じ言葉を口にするだろう。
「おかえり。もうすぐできるよ」と。

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