私の制服、風に勝っていた🤣
私の中学時代の制服は、風に勝っていた。🤣
私の母は、とにかく心配性だった。
『何かあったら困る』
たぶん、母の頭の中にはいつもこの言葉があったんだと思う。
今思えば、それは愛情だった。
……でも、子どもの私は時々思っていた。
「いや、そこまで必要!?🤣」
と。
中学生になった頃。
私の制服のスカートは、膝下までが母の絶対条件だった。
ただでさえ長め。
なのに、さらに補正屋さんにお願いして、生地を二重にしてもらっていた。
私はずっと不思議だった。
友達の制服は、風が吹けばヒラヒラとはためく。
なのに私の制服は……
全然、はためかない。
風に勝っていた🤣
ある日、友達が言った。
『しずくの制服、ちょっと着させて!』
そして、2人で検証。
結果。
『……なんでこんなに重いの!?』
友達、ドン引き🤣
私は思った。
「やり過ぎやろ!🤣」
はためくスカートも可愛いのに。
はためかないスカートの方が、逆に不自然ちゃうか?笑
そして、母の心配性は鞄にも現れていた。
夏場の鞄の中には、
タオル3枚。
汗を拭いた後のものを入れる袋。
厚手のハンカチ。
ティッシュ。
絆創膏。
もう、小さな救護室🤣
友達から言われた。
『しずくの鞄、なんでそんなに膨れてんの!?』
中身を見せた。
すると……
固まった🤣
ちなみに兄の鞄は違った。
兄は、
『鞄が分厚いのはダサい』
と言って、何回も踏んで薄くしていた。
それを見ても母は何も言わなかった。
理由を聞いたら、
『お兄ちゃんは男だから』
『加減を知ってるから』
だった。
……。
いやいや🤣
私はいつも思っていた。
「なんで兄は、そんなに自由なん!?」
って。
そんな母の心配性は、友達のお泊まり会でも発揮された。
夏休み。
友達を家に呼んで泊まることになった。
すると母。
仕出しを頼んだ。
昔の仕出しって、可愛らしいビニールみたいなもので包まれていた。
それを見た友達。
『え!?
あんたん家の親、仕出し頼んだ訳!?』
そして開けて、さらにびっくり。
果物。
そしてケーキ。
ただのお泊まり会が、ちょっとした宴会になっていた🤣
そして病院でも。
私は、質問されると少し考えてから答えるタイプだった。
先生に聞かれる。
考える。
整理する。
それから答える。
その沈黙を、母は心配していた。
『変なことを言ったらどうしよう』
と思ったらしい。
だから先に答える。
私の心の中は、
「また先に言ったなー。。」
だった。
しまいには先生から、
『お母さんではなく、本人に聞いています』
と言われることもあった。
でも当時の私は、こう思っていた。
「例え、少し変なことを言ったとしても、何人も患者さんを見ているお医者さんに、何か思われても良くない?🤣」
って。
そんな母の心配性。
実は大人になっても続いた。
ただ、私の方があまり聞かなくなっていった🤣
母はきっと、ずっと心配していたんだと思う。
そして、そんな母の娘である私。
12歳の夏。
ウォータースライダーに夢中になった。
滑る。
並ぶ。
また滑る。
また並ぶ。
それを繰り返すこと50回以上🤣
楽しすぎた。
結果。
水着の生地が限界を迎えた。
本人は全く気づいていなかった。
気づいたのは監視員さんだった。
『危ないですよ』
そして、水着のことも指摘された。
その瞬間。
「水着も耐え切れないほどに滑ったんかー。
あははー🤣
もっと滑りたかったなぁ。」
そう思いつつも、さすがに少し青ざめた。
恥ずかしすぎる。
家に帰って、水着を見た母。
呆れていた。
そりゃそうだ。
あれだけ『もしも』に備えていた母の娘が、
水着が耐えられないほど滑って帰ってきたのだから笑
私は言った。
「お母さん!滑りすぎて生地薄くなった🤣」
すると母は、新しい水着を買ってくれた。
でも、私が気に入っていた破れた水着も捨てなかった。
補強してくれた。
そして、私のウォータースライダー好きは大人になっても変わらなかった。
娘と遊びに行った時。
何回も滑る私を見て、
『何回滑んのよ!』
と言われた🤣
過去の経験から、私は学んでいた。
水着の上に、ジーンズ生地のようなハーフパンツを履いてから滑る。
対策は完璧!
母の心配性を笑っていた私。
でも、今なら分かる。
心配してくれる人がいることは、ありがたい。
ただ。
先回りしすぎると、本人が経験するはずだったことまで奪ってしまう。
転んだ時に、自分で起き上がる力。
失敗して、次はどうするか考える力。
それを覚える時間も必要だったんだと思う。
母の愛情は、時々重かった🤣
制服も。
鞄も。
言葉も。
でも、その重さの中には、
『大事にしたい』
という気持ちが詰まっていた。
ありがたい。
でも、やっぱり少し重かった🤣
