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変人の雑学㉝ 〜灰色の葉巻を、取り返しにいく~

二十年ほど前、今のマンションに越してきた朝、私は妙な感動を覚えた。各戸のドアポストという名の郵便受けに、判で押したように分厚い朝刊が刺さっていたのだ。まるで町内会からの通達のように、みんなが新聞を、同じ時間に受け取っている。それだけで、この街はちゃんと回っているのだな、と勝手に安心したのを覚えている。

当時まことしやかに囁かれていたのが「入社試験には天声人語が出る」という都市伝説。真偽など誰も確かめていないのに、就活生はこぞってコラムを写経した。新聞を読むことは、社会人になるための、ちょっとした通過儀礼だったのだ。
しかしインターネットという黒船に席巻され、オールドメディアの代表格・新聞は今や苦戦の真っ只中。アルバイトしている電気店の事務員さんたちに聞いてみたところ、購読者はまさかのゼロ。「新聞、取ってる人います?」と尋ねた私の声だけが、静かな事務所にむなしく響いた。

思えば新聞に折り込まれる特売チラシは、主婦にとって台所の作戦会議資料だったはず。それも今はアプリで事足りる。何より「読み終わったあと、資源ゴミに出すのが面倒(重いし)」という身も蓋もない理由が、購読離れの一因らしい。合理的すぎて、思わず笑ってしまった。
朝の食卓で新聞を広げ、世間をゆっくり俯瞰する時間は、もはや遠い昔の話。私たちが本当に失ったのは新聞ではなく、可処分所得ならぬ「可処分時間」なのかもしれない。

そう、私たちはミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる、あの時間貯蓄銀行の男たちに、まんまと時間を吸い取られているのである。灰色の男たちはこう囁く。「効率化すれば、もっと自由になれますよ」と。気づけばスマホの通知に追われ、誰よりも忙しい昭和世代も、令和世代も、みんな平等に搾取されている。
彼らのアジトを壊滅させるヒーローは、まだ現れない。だったら、まずは自分の手で、灰色の葉巻を奪い取ろう。朝刊を広げる十分間でもいい。何もしない十分間を、今日、自分に贈ってみませんか。

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