変人の雑学㊻ 〜灰色の葉巻を奪い返す午後~
横浜市浴場共同組合のスタンプラリー、42軒を完全制覇してから、もう二ヶ月近く経つ。賞品はまだ届かない。いや、正直、賞品はどうでもいい。スタンプ帳を早く返してほしいのだ。人に自慢するために。理由が不純すぎて、自分でも笑ってしまう。
思えば、残り10軒を切ったあたりから、番台のおばちゃんに声をかけられるようになった。「頑張ってますね」「あともう少しね」。中には「尊敬します」なんて言ってくれる姐さんもいた。これは、SNSの「スキ」や「いいね」の一万倍、承認欲求が満たされる体験だった。指一本タップするより、湯船に浸かって稼ぐ「いいね」の方が、ずっと重い。
人生には、常に何かが足りない。青年期は体力と時間はあるがお金がない。壮年期はお金と体力はあるが時間がない。老年期は時間とお金はあるが体力がない。体力、時間、お金は見事な三すくみで、三つ揃うことなど滅多にない。
だからこそ、スタンプを集めるという行為は、その稀有な瞬間の証明書のようなものだ。入浴料570円かける訪問回数、それに交通費、そして平日の昼間から何軒もハシゴする体力。三つ揃って、はじめて成立する遊びである。
だが集めながら気づいたのは、いちばん貴重な資源は「時間」だということ。手ぬぐい片手に銭湯から銭湯へ渡り歩く平日の昼下がり。それはまるで、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる灰色の時間泥棒から、灰色の葉巻を奪い返すような爽快感だった。
自宅で何でも済ませられる時代に、あえて体を動かして外へ出る。その充実感を、これからも大事にしていきたい。
追伸。組合さん、賞品はいいので、スタンプ帳だけ先に返してください。
