【幕間】第三章完結! 『寧らかの波』当時の東アジアとは? 時代背景解説【歴史小説】
みなさま、いつも見ていただいて本当にありがとうございます!
この度、連載中の『寧らかの波』が第三章まで進みました。
そこで今回は、作品の舞台となる16世紀初めの東アジア、その国際情勢について解説していこうと思います!
ちなみにこの小説の開始時点は、西暦1522年8月17日です。

日本
室町時代の大永二年。
将軍は即位したばかりの足利義晴、十二歳。
前将軍・足利義稙の出奔を受け、右京兆(武士の最高権力者)細川高国により、逃亡先の播磨から迎えられました。
義稙は長らく「流れ公方」と呼ばれていましたが、作中の「足利将軍四天王」の活躍により内乱を平定、唯一の将軍として天下に静謐をもたらしていました。
足利将軍四天王
●細川高国 右京大夫・摂津、丹波など四カ国守護
●大内義興 左京大夫・周防、長門など六カ国守護
●畠山卜山 河内、紀伊、越中守護
●畠山義元 能登守護(既に死没)
ただそれも長続きせず、四天王でただ一人在京し続けた高国と仲違いし、またしても河内から淡路、阿波へと逃れてゆきます。
結局、亡くなるまで流浪の連続という人生でした。
(義稙が勝利し帰京した栄光の瞬間については、👇の拙作に詳しいです)
『寧らかの波』の本編で語られているように、四天王のうち細川と大内は、遣明船の利得を巡って激しく争っていました。
一国を養うほどの利益を挙げるのが、いわゆる朝貢貿易です。
大内は内乱勝利の勲功第一として、十年に一度の唐船派遣の独占を認められていました。
明の皇帝から下賜される勘合が、山口の大内館にあるのはそのためです。

明
明は嘉靖元年。
やはり傍系出身の十五歳、世宗嘉靖帝が即位してすぐです。
傍系ゆえに、実父を皇帝の父として扱うべきという、日本の「尊号一件」みたいな事件を起こしています(こちらの方がだいぶ早いですが)。
反対した官僚たちを弾圧し、独裁体制を築き上げる一方、道教にはまって恣意的な人事を断行。宮女の恨みまで買って後宮で殺されかかるという、史上まれ(唯一?)な皇帝でもあります。
いかにも明王朝らしい個人主義者で、とても名君とは呼べない人物ですが、実に四十六年もの長きにわたり在位。
その間大きな内乱もなく、おおむね国内を平和に守り、恐らく人類史上初の活発な出版文化が生まれたことは、以前紹介したこちらの書籍に詳しいところです👇️
極端な話、人格高潔な英雄に率いられ、高邁な理想のために友や家族が死んでいくのを見るのがいいのか。
品性下劣な為政者をはびこらせても、完成した統治システムのもと、平和と文化を楽しむ方がいいのか。
現代にも通じる課題ではないでしょうか。
周辺
北虜南倭、と呼ばれる外患が、天下の主を自称する明帝国を取り巻いていました。
ただし北はモンゴルの英雄ダヤン・ハーンが亡くなった直後で、孫のアルタン・ハーンの登場はまだです。
南の倭寇も、いわゆる前期倭寇が沈静化して久しく、王直や徐海に率いられる後期倭寇の登場前夜、という時期に当たります。
と言うよりも、寧波の乱こそが後期倭寇の引き金の一つになった、と言えるかもしれません。
第四章からは、のちに後期倭寇と対峙することになる朱紈、兪大猷ら実在の人物も登場してきます。
三島由紀夫にまで影響を与えた、大思想家にして名将のあの人物も…
どうぞ引き続き、『寧らかの波』にご期待ください!
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