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少しだけ自分のことを…|温泉で白目先輩と「誰も寝てはならぬ」|AI時代、人はどんな距離でつながるのか?


今日は、ひっさびさに出掛けてきました。

両親から、

「今日は休んで、どこかへ行ってきな」

というお許しが出たのです。

ありがたい。

これはもう、喜び勇んで出掛けるしかありません。

昨晩、静かに耳を澄ましてみたところ、遠くの方から私を呼ぶ声が聞こえていました。

炭酸泉です。

「こちらへ来なさい……」

「筋肉さんを、そろそろ休ませてあげなさい……」

そう聞こえたような気がしました。

幻聴ではありません。

たぶん、筋肉さんからの業務連絡です。

そこで今日は、車で約1時間かけて、炭酸泉のある温浴施設へお邪魔してきました。



炭酸泉からのお呼びがかかりました

今日は、いつもより気温が低めでした。

温泉へ入るには、何とも気持ちのよい日です。

身体を洗い、まずは内湯へ。

湯船へ身体を沈めると、細かな泡が肌へ少しずつ付いてきます。

おぉ~~。

これです。

これを求めて、1時間かけてやってきました。

私は普段、筋トレで身体を使っています。

それに加えて、日々の生活や両親のこともあります。

自分では普通に動いているつもりでも、身体には少しずつ疲れが積み重なっているのでしょう。

今日は、その日頃酷使している筋肉さんへの栄養補給です。

もちろん、筋肉が口を開けて炭酸泉を飲んでいるわけではありません。

ただ、温かい湯へ浸かり、身体の緊張が少しずつほどけていくと、

「ずいぶん頑張らせていたんだな」

と気づきます。

私は湯船の中で、心の中から筋肉さんへ話しかけました。

「おぉ~、よしよし」

「いつもご苦労さまです」

「痛いの痛いの、飛んでいけ~」


炭酸泉に浸かりながら、日頃酷使している筋肉さんを労う。
人には見せられない、私と筋肉だけの慰労会です。

61歳のスキンヘッドのオヤジが、炭酸泉の中で筋肉へ話しかけています。

遠くから見れば、静かに温泉を楽しんでいる普通の人です。

まさか身体の中で、筋肉さんとの慰労会が開催されているとは、誰も思わないでしょう。


穏やかな露天風呂へ、二人組がドボン

内湯の炭酸泉を十分に楽しんだあと、露天風呂へ移動しました。

外の空気は少し冷たい。

身体は温かい。

顔には冷たい空気が当たり、首から下は温泉に包まれている。

何とも気持ちのよい時間です。

私は露天風呂でも引き続き、筋肉さんとの対話を楽しんでいました。

今日は前腕が張っていますね。

胸の筋肉も少し疲れていますね。

脚はまずまず元気そうですね。

そんな身体観察をしながら、静かに湯へ浸かっていたのです。

そのときです。

突然、私のすぐ隣で、

ドボン。

二人組の男性が入ってきました。

露天風呂には、ほかにも空いている場所があります。

ぎゅうぎゅうではありません。

少し離れたところへ入ることもできます。

しかし、なぜか私の真隣です。

一人が入る。

ドボン。

もう一人も続く。

ドボン。

さらに、湯へ身体を沈めるとき、

「う~~ん……」

という、低い唸り声のようなものまで聞こえてきました。

突然のことでしたので、私は少し驚きました。

そして、つい隣へ座った方のお顔をマジマジと眺めてしまったのです。

すると――

その方、

白目を剥いているじゃ~あ~りませんか。


白目先輩との出会い

気持ちがよかったのでしょう。

それは分かります。

温泉へ入った瞬間に、

「う~~ん」

と声が出てしまうことはあります。

目を閉じて、

「極楽、極楽」

という表情になることもあるでしょう。

しかし、その方は違いました。

目を閉じているのではありません。

白目です。

顔全体からは、

「何とも気持ちがよい」

という幸福感があふれています。

しかし、目だけが白い。

表情と目の状態が、見事なまでに一致していません。

私は不覚にも、

「ブッ」

と声を出して笑ってしまいました。

「あっ、これは失礼なことを……」

そう思い、慌ててもう一度お顔を確認しました。

すると、その方は何事もなかったかのように、

まだ白目を剥いていました。

一瞬ではありません。

見間違いでもありません。

白目を剥いたまま、静かに温泉を味わっています。

しかも、お連れの方も平然としています。

「大丈夫か?」

と声をかけるわけでもない。

驚くわけでもない。

見慣れているのでしょうか。

この方は温泉へ入ると、いつも白目を剥く人なのでしょうか。

お連れの方の落ち着きぶりを見ると、

「あぁ、いつものやつね」

という雰囲気すらあります。

世の中は広いです。

気持ちがよいと、白目を剥く人がいる。

半世紀以上生きています。

大抵のことには驚かなくなりました。

大抵のことには、耐性もついています。

しか~~し、

この白目先輩は初めてでした。

何とも気持ちがよさそうな表情。

しかし、目だけが白目。

良いネタを提供していただきました。


なぜ、空いているのに真隣へ来たのでしょう

笑いが収まったところで、別の疑問が浮かびました。

なぜ、ほかにも場所が空いているのに、わざわざ私の真隣へ入ってきたのでしょう。

もちろん、私の隣が入りやすい場所だった可能性もあります。

いつも入る定位置だったのかもしれません。

私が知らないだけで、そこが白目を剥くための特等席だった可能性もあります。

ただ、私は少し近く感じました。

おそらく、私と白目先輩では、心地よいと感じる人との距離が違うのでしょう。

いわゆる、パーソナルスペースです。

人混みの中にいるだけで、異常に疲れてしまう人がいます。

知らない人が真隣に座ると、身体が少し固くなる人もいます。

反対に、知らない人がすぐ隣にいようが、人混みの中であろうが、まったく動じない人もいます。

エレベーターの中で、自然に端へ寄る人。

空いている電車で、ほかの人から少し離れて座る人。

話すときに、一歩ずつ近づいてくる人。

近づかれるたびに、一歩ずつ後ろへ下がる人。

同じ空間にいても、心地よい距離は人によって違います。

先週の記事では、SNS上の距離について書きました。

ハートを押したら「近づきすぎ」と受け取られ、返信しなければ「遠すぎる」と受け取られた。

人と人との距離には、全員共通の正解がない。

今週は、それを露天風呂で身体ごと体験することになりました。


身体の近くには、見えない境界線がある

科学の世界では、身体のすぐ周囲にある空間を「身体近傍空間」や「ペリパーソナルスペース」と呼ぶことがあります。

これは、身体の近くに引かれた目に見える線ではありません。

けれど、知らない人や物が急に近づくと、私たちの身体は反応します。

少し身を引く。

肩へ力が入る。

視線が相手へ向く。

呼吸が変わる。

「近い」と考えるより先に、身体が距離を感じ取っていることがあります。

そして、その境界は全員同じではありません。

相手との関係。

その日の体調。

過去の経験。

場所。

文化。

混雑具合。

自分で近づいたのか、突然近づかれたのか。

さまざまな条件によって、心地よい距離は変わります。

最近では、視線や瞳孔の変化、身体に装着したセンサーなどから、その人が心地よいと感じる距離を推定しようとする研究も行われています。

ただし、これはまだ研究途上です。

「この人は必ず80センチ離せば安心」

という単純なものではありません。

人の境界線は、定規だけでは測れないようです。

パーソナルスペースを複数のセンサーから推定する研究


営業マンは、近づける人ではなく、距離を読める人なのかもしれない

隣へ入ってきたお二人の会話が、少しだけ耳へ入ってきました。

どうやら、営業関係の仕事をしているようです。

なるほど。

初対面の人が相手でも物おじせず、自然に懐へ入っていける営業マンは、きっと成績もよいのでしょう。

人と話すことに抵抗がない。

相手の前で緊張しすぎない。

声をかけることを怖がらない。

これは営業にとって大切な力です。

ただ、以前接客や販売の仕事をしていた私は、もう一つ思います。

本当に営業が上手な人は、ただ近づくのが得意な人ではありません。

相手が近づいてほしいのか。

少し離れてほしいのか。

今日は話を聞きたいのか。

一人でゆっくり見たいのか。

冗談を言ってもよいのか。

今は静かにしていた方がよいのか。

その距離を読む人です。

懐へ入る力だけではなく、

入ってよい懐なのかを確かめる力。

そこまであって、初めて信用につながるのだと思います。

空いている露天風呂で真隣へドボンできる白目先輩は、少なくとも接近する力については相当なものです。

あとは、相手が私だったから大丈夫でした。

もしパーソナルスペースが広い方だったら、静かに反対側へ移動していたかもしれません。


オーラやチャクラという、別の地図

一方、スピリチュアルな世界では、人の身体の周囲にはオーラがあり、それが伸びたり縮んだりするという考え方があります。

また、チャクラを単なるエネルギーの出入口ではなく、周囲の情報を受け取る器官として見る説もあります。

人混みへ行くと疲れる。

特定の人が近くへ来ると身体が固くなる。

反対に、ある人の隣では安心する。

こうした感覚を、オーラやチャクラという言葉で説明する人もいます。

もちろん、オーラやチャクラを、科学で確立された身体器官と同じものとして扱うことはできません。

現在の科学で測定できるものと、伝統や体感をもとに語られてきたものは分けて考える必要があります。

ただし、どちらか一方だけが正しく、もう一方がすべて間違いだと急いで決める必要もないと思っています。

科学は、脳や神経、視線、心拍などから距離への反応を見ようとする。

スピリチュアルな考え方では、身体の周囲にある見えない領域として捉える。

使っている言葉も、地図も違います。

けれど、

人には、近づかれると何かを感じる領域がある

という体験そのものは、多くの人に心当たりがあるのではないでしょうか。

五感解析ラボでは、どちらかを信じ込ませるのではなく、今の自分を観察するための別々の道具として見ていきたいと思っています。


「誰も寝てはならぬ」の下で、全員寝ていました

科学やら、オーラやら、チャクラやら。

白目先輩のパーソナルスペースから、ずいぶん遠くまで思索の旅へ出てしまいました。

どうやら、日頃の疲れも溜まっていたようです。

温かい湯。

少し冷たい風。

施設から小さく流れてくる音楽。

私は、いつの間にかウトウトしていました。

そして、

「ハッ」

と目を覚ましたときです。

耳へ入ってきたのは、施設で流れているごく小さな音で流している音楽でした。

どこかで聴いたことがあります。

よく耳を澄ませてみると――

パバロッティの歌で有名な、

「誰も寝てはならぬ」

ではありませんか。

私は、ついつい笑ってしまいました。

ウトウトしていた私を、選曲担当の方が見ていたのでしょうか。

「お客様、寝てはなりません」

そう言われているような気がします。

おかげで目が覚めました。

ところが、何気なくスピーカーの下を見てみると、アウトドア用のリクライニングチェアが4脚並んでいました。

そして、その4脚すべてで――

4人の方が爆睡していました。

「誰も寝てはならぬ」が流れるスピーカーの真下で、
誰一人として起きていませんでした(実際はマッパですw)。


誰も寝てはならぬ。

その真下で、全員寝ている。

何ともシュールな光景です。

白目先輩。

筋肉さんと話す私。

「誰も寝てはならぬ」

爆睡する4人。

絵にしたら、どこから説明すればよいのか分からない一日でした。


白目先輩から、AGIへ

目が覚めた私は、再び思索の旅へ出ました。

今年中にAGIになるとか、ならないとか。

AIがAIを作る方向へ、すでに進み始めているとか、まだそこまでは行っていないとか。

AI企業がフィジカルAIへ向かうとか、向かわないとか。

専門家によって言葉の定義も、予測する時期も違います。

ですから、

「今年、必ずAGIが完成します」

と私が断言することはできません。

ただ、一つだけ確かなことがあります。

2~3年前にはSF映画のように聞こえていた話が、いつの間にか現実の製品や研究開発として語られるようになりました。

しかも、変化の速度が速い。

少し前までAIは、こちらが質問すると答えてくれる「チャット」の印象が強いものでした。

今は、目標を渡すと、考え、計画し、道具を使いながら複数の作業を進めるAIエージェントが仕事へ入り始めています。

AIエージェントは、単に答えるだけでなく、人の代わりに目標へ向かって作業を進める仕組みとして説明されています。

AIエージェントとは何か|Google Cloud

さらに、AIがコードを書き、検証し、別のAIの開発や改善を手伝う。

AIが人間の研究者や開発者を支えながら、次のAIを作る速度を上げる。

少なくとも、その循環はすでに始まっています。

「AIが完全に自分だけで、次のAIを勝手に誕生させる」

という話と同じではありません。

しかし、人間だけで開発していた時代とは、明らかに景色が変わり始めています。


AIが画面の中から出てくる

そして、フィジカルAIです。

フィジカルAIとは、画面の中で文章を返すだけではなく、現実の空間を認識し、ロボットや機械の身体を通して動くAIです。

見る。

聞く。

周囲の状況を理解する。

物をつかむ。

運ぶ。

避ける。

複数の手順を考える。

失敗したら修正する。

Google DeepMindのロボット向けAIでは、視覚と言葉から動作へつなげ、複数の工程を計画したり、人や別のロボットと協調したりする方向へ進んでいます。

Gemini Robotics 2|Google DeepMind

NVIDIAも、現実世界を認識し、理解し、複雑な行動を行う自律機械のための「Physical AI」を大きな分野として扱っています。

工場。

物流。

自動運転。

介護。

店舗。

家庭。

これまで人間が身体を使って行っていた仕事へ、AIが少しずつ入ってくるのでしょう。

「来年から突然、街中が人型ロボットだらけになる」

とまでは言えません。

しかし、これまで画面の中にいたAIが、現実の空間で動く姿を見る機会は、確実に増えていくと思います。


フィジカルAIは、白目先輩との距離を測れるのか

そこで私は、露天風呂での出来事を思い出しました。

フィジカルAIは、人との物理的な距離を測れます。

人まで50センチ。

壁まで1メートル。

椅子まで80センチ。

センサーを使えば、数字として把握できます。

人へぶつからない。

危険な場所へ入らない。

近くに人が来たら動きを止める。

こうした安全設計は、これからますます進むでしょう。

実際、ロボット向けAIでは、人が近くにいることを検知し、安全のために停止する能力も研究されています。

しかし、

50センチ離れているから、その人が安心しているとは限りません。

家族なら近くても安心する。

知らない人なら、同じ距離でも身体が固くなる。

介護を受けるときは、必要だと分かっていても緊張する。

店員さんに近づかれると嬉しい人もいれば、一人で見たい人もいる。

フィジカルAIが本当に人と一緒に暮らすには、距離を数字で測るだけでは足りません。

表情。

視線。

呼吸。

身体の向き。

声の調子。

その人が一歩下がったのか。

こちらを見たのか。

困っているのか。

安心しているのか。

そうした小さな反応を見ながら、近づく速度を変える必要があります。

つまり、未来のロボットにも求められるのは、

空いているから真隣へドボンしてよいとは限らない

という理解です。

白目を剥く機能より先に、ぜひ覚えていただきたいと思います。


仕事が減ったあと、私は何をするのだろう

AIやロボットが進化すると、

「仕事がなくなるのではないか」

と不安になる方もいるでしょう。

実際、多くの仕事の一部はAIへ置き換わると思います。

文章を整える。

資料を作る。

情報を探す。

予約を管理する。

問い合わせへ答える。

商品を運ぶ。

工場で同じ作業を繰り返す。

人間が長い時間を使っていたことを、AIや機械が担う場面は増えていくでしょう。

では、自分はどうするのか。

これから、何をやるのか。

温泉へ浸かりながら、私はそんなことを考えました。

仕事が減ったら、何もしなくなるのでしょうか。

お金のために働く時間が減ったら、人間は生きる目的を失うのでしょうか。

私は、必ずしもそうは思いません。

人間は、仕事をするためだけに生まれてきたわけではないはずです。

誰かと話す。

笑う。

身体を動かす。

温泉へ入る。

犬と遊ぶ。

知らなかった考え方に出会う。

自分の中に、新しい世界が増えていく。

そうした時間も、人生の大切な部分です。


noteで起きていることを、現実の場所でも

今、私はnoteという場所をお借りして、たくさんの方とコミュニケーションを取っています。

これが、非常に楽しいのです。

自分とは違う経験をした人がいる。

まったく違う考え方をする人がいる。

自分では思いつかなかった見方を教えてくれる人がいる。

記事を読む。

コメントを交わす。

ときには笑う。

ときには考え込む。

「あぁ、そういう考え方もあるのか」

「その対処法は思いつかなかった」

「この人は、こんな景色を見てきたのか」

そうやって人の言葉を受け取り、考え、自分の中へ入れていく。

最初は他人の考えだったものが、やがて自分の血肉になっていく。

私は、その過程が何とも楽しいのです。

そして、同じようなことが、ネットの中だけではなく、現実の場所でもできないものかと考えることがあります。

誰かが知っていることを持ち寄る。

困っている人がいれば、得意な人が少し手を貸す。

一緒に何かを作る。

疲れた人は休む。

話したい人は話す。

一人でいたい人は、一人でいてもよい。

そんな「村」のようなものができたら、面白いだろうな。

私は、ときどきそんな妄想をしています。


良い村は、全員が近い場所ではない

村作りというと、

「みんな仲良く」

「いつも一緒」

「何でも共有」

という姿を想像するかもしれません。

しかし、今日の白目先輩との出会いを考えると、それだけでは少し苦しそうです。

人によって、心地よい距離が違います。

毎日誰かと話したい人もいる。

週に一度くらいが心地よい人もいる。

困ったときだけ助けを求めたい人もいる。

人混みが好きな人もいれば、静かな場所が必要な人もいる。

良い村とは、全員が同じ場所へ集まり続けることではないのでしょう。

広場がある。

小さな道がある。

一人で座れるベンチがある。

誰かと話せる場所もある。

疲れたときに休める場所もある。

近づきたい人は近づける。

少し離れたい人は離れられる。

それぞれの距離を保ちながら、必要なときにはつながれる。

そんな村なら、私も暮らしてみたいと思います。

AIが仕事を助けてくれる時代だからこそ、人間同士の距離をどう設計するのかが大切になるのかもしれません。

近づきたい人は近づき、一人でいたい人は一人でいられる。
AI時代に作りたいのは、距離まで選べる“村”なのかもしれません。

白目先輩は、未来から来たのかもしれません

AIが仕事を手伝う。

フィジカルAIが身体を使う仕事も担う。

人間は、少しずつ時間を取り戻す。

その時間で、何をするのか。

もっと働くのか。

誰かと話すのか。

新しいものを作るのか。

何もせず休むのか。

その答えは、人によって違ってよいと思います。

仕事をしたい人は仕事をする。

遊びたい人は遊ぶ。

学びたい人は学ぶ。

誰かとつながりたい人は、つながる。

疲れた人は眠る。

そう考えると、今日の温浴施設にいた方々は、誰よりも早く未来を実践していたのかもしれません。

「誰も寝てはならぬ」が流れる中で、4人は堂々と眠っていました。

筋肉さんと話す人もいました。

そして、温泉へ入った瞬間、すべての力を手放し、白目を剥く人もいました。

もしかすると白目先輩は、

AIへ仕事を任せたあとの人類の姿を、誰よりも早く見せてくれた未来人

だったのでしょうか。

ただし、一つだけお願いがあります。

未来から来るのは構いません。

白目を剥くのも、自由です。

しかし、露天風呂が空いているときは――

できれば、あと半歩だけ離れていただけると助かります。


あっ、そうそう、距離感を掴む天才がいます。
スケベですが、絶妙な距離感の達人です。


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