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心の避難所から ― 今見えている景色だけがすべてではない

自分にいいことがあっても浮かれない。
他人を極端にうらやむこともない。

白日の表舞台は見られても、心配でたまらない夜、胃腸の調子も崩れ、ベッドに入ってから愛読書のZINEで心の平穏とユーモアを取り戻していることなど、誰にも見えていないから。

光は人生の一部分であって、人生そのものではないことを知っているから。


それなのに、我が子のこととなると、一喜一憂。

舞台裏と誰かのハイライトシーンを比べてしまう。
その眩しさは、うらやましさからくるのではなく、苦労しないでほしい、傷つかないでほしい、おだやかな未来があってほしいという願いの反転か。

年上の少し先を歩く誰かが眩しく見えた時、
あぁ、昔はうちの子が誰かにとっての眩しい側だったんだなと思い出す。

子を心配していると、どうしても未来に目が向いてしまう。
でも、過去にはたくさんの苦労を乗り越え、困難な道も一緒に歩いてきた。
外から見れば、誰かにとって十分眩しかったかもしれないのだ。

そう考えたところで、今夜の不安が消えるわけではないけれど、
今見えている景色だけがすべてではない、ということを思い出せる。


ほぼ日手帳の日記は忙しさのあまりか、しばらく短文が続いていた。
だけれど、最近は赤ちゃん時代の育児日記のごとく、びっしりに。
あぁだった、こうだったらどうしよう、大丈夫、でも心配と、斜めに滑るような文字で真っ黒だ。
それは、私の心がそれだけ一生懸命処理しようとしていたということか。

だから今夜は、不安だけでなく「お弁当美味しかった!って」、「寝る前、久しぶりにトランプを一緒にした」そんな一行も残しておこうと思う。
心配している時は、不安の証拠ばかり集めてしまうから。

人によっては、誰かに相談したり、泣いたり、運動したり、お酒を飲んだり、色々かもしれないが、私は書くことで心を避難させているのかも。
心の中に閉じ込めず、抱えたまま書いて、流す。

不安に飲み込まれながらも、何とか溺れずに
ちゃんと考え、思い出し、感じ、書き、こうして言葉にしている。

私が今見ている子の姿も、人生の一場面に過ぎない。
穏やかでない私の心も、そのうち経験という言葉になるのだろうか。



私が毎晩読んでいるZINEは、étoileさんの『言葉の部屋   La Chambre des Mots』第1~3巻
何度でも、どこから読んでも、心が力強く、落ち着く。
それは、どんなに辛いことがあっても意思をもって立ち上がり、自らの光を消さなければ、美しい朝を迎えることができる今見えていることが全てではない、そして、一さじのユーモアを記しておくことは未来の自分が振り返った時、重苦しい思い出だけではない、こんなおもろいこと考えてたんだなと、きっと光を生んでくれるよと語りかけてくれるからだ。
写真も装丁も美しく、手触りも、ちょうどよい文字の大きさも、就寝前の揺らいだ避難民に優しい。

今夜もまた、心を少し避難させてから眠ろうと思う。

étoileさんのZINEはこちら↓

étoileさんへ心からの感謝を込めて。
今の私も、人生の一場面にしか過ぎない、旅の途中です。

発光婦人

Header Illustration courtesy of mihoさん.
作品タイトルは「ママを寝かしつけ」。沁みた、、、ありがとうございます!あの頃の二人から見たら、今の私達はきっと眩しいのだと思う。

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