✏︎column フルーツサンド
育った環境で、’わたし’の基盤はできあがっていると思う。
さらっと触れてきたものが影響してもいるけれど、ベースはあくまでも日々の、生活の、積み重ねだと思っている。
ありがたいことに、わたしは沢山の人から食育を受けてここまで育ってきた。それが正解とか不正解とかじゃない。中でも、毎日の食事の大黒柱である母の方針から得たものは、わたしの食事に対する意思の多くの要素を占めていると言っていい。
我が家は食の好みに関しては割と意見する方だと思う。あと、適当に食事をするのが苦手だと思う。凝ったものを毎度つくるとかそういうことじゃなくって、食べるときは向き合う。我が家単位の方針や好みがはっきりしているが故に、家族の中で食にかんすることが話題に上がるときには、それぞれが結構はっきり意見を言う気がしてる。
わたしはおもしろいと感じているんだけど、我が家単位から離れたところで各々獲得した好みを、家族間で実際に共有することは少なくて、「わたしは最近これにはまってる」「わたしはこれも好きになった」とか報告をする程度で、各々、自立した個人として楽しんでいるんじゃないかなってところがある。わたしの場合、それの一つが生のフルーツを何かと一緒にいただくこと。我が家は、果物は果物のまま、生のまま[きのまま]食べます。ヨーグルトとか、ショートケーキとか、いただいたりお招きいただいたときとかは置いておいて、食卓には並ばないし、自ら選び取ったりしない。
きっかけは全然覚えてない。けれどもそういえば大人になって実家を出て、大人数で食卓を囲むことがなくなって、日常の中に果物を取り入れることが少なくなった。お休みの日でゆとりを感じる日に、頭の余白にも果物を丁寧に食べたい気もちがふかふかと浮かんできて、旬だと嬉しくて、それも果物を選んでくれていると嬉しいなって..。

フルーツサンド。断面が大胆で明確で、わたしのために用意してくれたんだと思うとどきどきする…。ぱく。
軽やか!イチゴとメロンとパイン/キウイが入っていた。

自分にとっての、食の、新しい可能性に気がついたときは、これまで耕してもらったわたしの土壌に、自分で種を蒔いて、根を張って、自分で可能性を育んでいく感じもする。どっしりした土壌があるから、安心してのびのび育ってね。
〜
職場のお姉さんが日帰り出張土産に、有名どころのフルーツ大福を持って帰ってきてくださって、白餡の苺大福を頂戴したのだけど、うわ!と開眼しました。今まで、それぞれ食べた方がおいしいに決まっていると思ってた。素材は少ないだけ少ない方がいいじゃん。瑞々しいものはそのまんまいただきたい。けど、それだけが直球の正解というわけではなくって、お店の方のバランス感覚が、わたしのところまでも新たな文明(わたしにとっての)を運んできてくれたよ!感謝!
*わた子はチーバくんを2009年から大好き


